はぁ…。就活が近いぜ…(汗)。
という訳で、こんばんみー。Kどぇす。
発表第2週目は、私とボーダーさんの発表でした。
まずは私から。今回の発表に使ったネタは「林泉寺」についてでした。しかし、かろうじて史料は見つかったものの、文献の数が圧倒的に少なかったこともあり、史料読みを中心に発表を行いました。
史料の内容は、大抵はまともでしたが、一部の史料はもう無茶苦茶でした(杉謙信ってなんだよぉ…上杉謙信だろうよう…涙)。しかし、史料を読んでいくと、「林泉寺過去帳」という単語がポンポン出てきたので、時間があれば林泉寺の住職さんに見せて頂けたらと思います。余った時間で、私が追加で用意した史料をみんなで読んだことは、秘密だ!
続いてはボーダーさんの発表です。
今回のテーマは、「月経」の歴史という内容でした。月経が「穢れ」と関連していたり、月経の女性は数日間家族と隔離させられたりと、民間信仰との関連性を感じ、聞いててとても面白かったです。しかし問題点が一つ。野郎はこのテーマにどう突っ込めばいいんだ…(汗)。
この発表の最後に出てきた史料は、みんな大好き「くずし字」ですた。くずし字か…。なつかしいなぁ…(遠い目)。2年の応用演習を思い出すぜ…(ホロリ)。
さて、これから3年がやるべきことは、卒論のテーマ決めと就活の準備……か。はぁ……(汗)
お久しぶりです。ライスです。
本当にブログを書くのが久しぶりすぎて、内心ドキドキです…!!
さて、いよいよ今週から本格的に「歴史遺産文献講読2」佐藤ゼミとしてのレジュメ発表が始まりました。
1回目の発表者は…ライスこと私と、ふじさんの2人でした。どちらとも、久しぶりの発表に加え「1回目の発表者」という、今後の発表の展開を左右しかねない雰囲気だったので、内心?ドキドキでした…(-_-;)
ふじさんの発表内容は「ビスカイノ」についてです。前回に引き続いての発表ですね。内容的には、西田耕三氏が書いた『セバスチャン・ビスカイノ 金銀島探検記』という本1冊を題材に説明してくれました。発表の中には、マタギやビスカイノの謎の行動など、とても興味深い内容がいっぱいだったと思います。
ただ、ふじさんが求める本がなかなか見つからないらしく、本がなかったら、研究テーマを変えなければならない事態に!?何とか見つけてほしいものです!!
話は変わり、次は私の発表についてです。今回は『枕草子』を題材に、その中に書かれてある「手紙のやり取り」について発表しました!!
私は、清少納言を中心に、特に興味深かった、中宮・定子、藤原斉信、藤原行成等、3人との手紙のやり取りを取り上げさせていただきました。
で、その御三方と少納言との手紙のやり取りを改めて見てみると、その人物の性格が見えてくるような…ないような…。特に、行成との和歌のやりとりは凄かったです!!(ある意味で衝撃的…?)斉信に対する少納言の手紙の返し方もなかなかでしたが…。(斉信と少納言の手紙については、1人の人には「そうかなぁ?」という疑問の声がありましたが…汗)
すでに10月の半ばになり、論文テーマを決めなくてはなりません。ふじさんも私も現時点では、テーマ自体が「どうなるの!?」という状態なので、本当にピンチです!!
残りの人たちの発表はどうなるのか…興味深いですね。
おまたせいたしました。ふじです。
我がゼミのフィールドワーク演習二日目にして
ようやく実践にはいったのでしたー!
すでに前記事で予告されていますが…
拓本…すごく…がんばりました…!
予行演習で一日目にやってはいたのですが
実際の石碑はでこぼこでとても奇麗には取れないのでした。
拓本を取ることそのものが初めての我々は
「とりあえず拓本とっとけやー」
くらいの勢いでバンバン拓本を取りまくっていたのでした。その結果すごい数の拓本を解読しなければならない班が
出ましたがまあしょうがない
しかし次第に、拓本のコツがわかってきました。それは
紙が破れない程度にべちょべちょに濡らし
墨をねじ込むように叩く
ということです。
特にこの日最後に取った拓本は私の傑作ですね!
初めて拓本から文字が読めました!!
「このひと鏡さんていうのか…学園ハンサm(以下強制終了)」
そして三日目は…
溢れだす ドキドキ止まらない!! CC●モン!!!!
お久しぶりです。
一ヵ月振りのパーカーです。
前回見てくれた方はお気づきでしょう。
ゼミ旅行でボーダーさんと一騒動起こしたパーカです。
あれから、その場のテンションと勢いに身を任せると予想外のことが起こることを学びましたのパーカーです。
(実はあまり気にしていない)←えっ
さ、本題に入ります。
我々佐藤ゼミは、先月末の25日−28日までの4日間の間、学校周辺と元木の鳥居周辺でフィールドワークを行いました。
内容は石碑の調査が主です。
あとは、ふじさんが極めた拓本ですね。
あれには手を焼きました。
でもですね、私が担当する1日目は、なんと……
外に出ていないのです!
フィールドワークじゃないのか!?って思いますよね?
実は、初日は調査地の説明と機材の使い方と班決めを午前中に行い、午後は新関さんという方からお話を聞いた後に拓本の練習をして終わったんです。
以下行動したこと。
9月25日午前10時ジャスト!に佐藤ゼミ全員が集まることなく、数分後に全員揃いました。
ここから、佐藤先生による4日間のスケジュールの説明を聞きます。
そして、運命の班決め…とはいかず、極普通に座っている場所であっさり決まりました。
もめないのが佐藤ゼミのいいところです。
一応班は……A班:ふじ・ボーダー・パーカー
B班:トマト・ライス・弁慶
C班:蜻蛉(前回の名前)・K・stagです。
午前中の最後は、機材の確認などをして終わりました。
午後1時、瀧山郷土史研究会会長の新関さんから、瀧山の歴史、蔵王について、熊野信仰などについてお話を受けました。
話の中には慈覚大師円仁や行基、西行など知名度の高い人物の名前が出てきたり、瀧山は又の名を霊山といい、円仁が清和天皇の命で開山した説があることなどを知ることができました。
また、古くから祖霊や水神の信仰の山として崇められ、山の麓では瀧山から流れる水で早くから開田が進んだ豊潤な地であったようです。
他にも、西行の話で源義経が藤原秀衡の元に無事行き着いたのを見届けたあとに、瀧山の山桜を見ることを勧められた話が、長谷堂にもあるといのが面白かったですね。
腑に落ちなかったのが、瀧山の瀧は”龍”(竜)が正しいということで、瀧は本来無い漢字と言われたことですね。
なんだか自分の名字を不定されたようで、そのあとも地味に気にしていました。
新関さんの話が終わったあとに、ゼミ室に戻り、拓本の練習を行いました。
結果は……細かい作業って、性格が出るんですね!
この成果が2日目の午後から発揮されます。
拓本終了後は、次の日の準備をして終了しました。
グダグダと語ってすみませんでした。
途中から何言ってんだ状態になったとこが多かったと思われます。
2日目の人はもっと簡潔に書いてくれると思いますよ!
2日目になにか事件性のものがないかなと思いましたが、特にありませんでした。
しいて言うのなら、道を間違わなかったことと、私1人がアルビノ発言に過敏になっていたことですn
すみませんもう黙ってます。
では!次、ふじさん!君に任せた!!
竹原ゼミ最終日は、飛行機の時間が11時ということで、ホテル近くの福岡市動植物園に行きました。
朝早くで眠そうな動物たちを走るように見ました。それでも、見切れないほどなかなかに広い動物園で、植物園は割愛しました。残念…
それから急いで福岡空港へ。ダラダラとガソリンスタンドを探したり、道に迷っていたら、いつの間にか飛行機の時間が迫っていました。「本当に間に合うのか?」という不安にかられながらもギリギリ到着。レンタカー屋さんのご好意もあり、スピーディーに手続きをして、何とか飛行機に乗れました。
今回は、とにかくゼミ内の結束が固まったことが一番の収穫でしょうか。運転手が疲れて眠る中、毎晩夜中まで語り合っていたようです。
この結束がこれから良い方向にあらわれることを期待します。
※動物やゼミ生を写した画像が行方不明になりました…
なので、今回の個人的なお目当て場所の画像をのせておきます
どーも。フレームinマツジュンこと(□_□)です。ずいぶんと遅くなりましたが、ゼミ旅行の更新します。
4日目は、地獄と博物館と神様を見に行きました。終盤ですが、結構過密なスケジュールです。
まず、最初は地獄に行きました。別に死んだわけではなく、別府にある珍しい温泉噴出口のことです。奈良時代の「豊後風土記」にも記載されているそうです。8カ所あるうち、血の池地獄と鬼山地獄に行きました。
血の池地獄は、文字通り血の如く赤い温泉が湧き出ている地獄です。赤くなる理由は、説明すると長くなるので端折ります。
鬼山地獄は、約99度近い熱湯がまさに噴出している地獄です。この温泉熱を利用して、日本で初めてワニの飼育を始めたことからワニ地獄とも呼ばれています。まさにワニでした。
次は、いよいよ九州最後の県、福岡突入です。その移動中、地獄で妖気を吸いすぎたのか、鬼太郎が「寝ます!!」と高らかに宣言しました。
福岡の最初は、博物館に行きました。ただの博物館ではありません、「九州国立博物館」です。東京・京都・奈良の国立博物館も有名ですが、九州にもあるんです。他の国立博物館が美術系であるのに対し、こちらは歴史系博物館として設立されたそうです。展示も面白かったのですが、体験コーナーでやった、中国の変わった独楽が楽しかったです。
次は、神様を拝みに行きました。福岡で神様と言えば、全国の受験生の味方、学問の神様・菅原道真を祀っている太宰府天満宮です。「遊んでばかりじゃ駄目、学業も大事!」ということで神頼みに。全国にある天神様(道真)を祀る全国12,000社の総本山だそうで、年間を通して受験合格や学業成就などを祈願する参拝客で賑わっています。が、着いたところで生憎の大雨で観光客も疎らでした。それでも、お参り、絵馬奉納をしっかりして、おみくじも引きました(大吉でした)。
福岡で見るべき場所をクリアしたので、道路事情に戦々恐々としながらホテルへ。そして、お土産を買いに福岡の街へ出ました。仙台や東京とは違った雰囲気の都会でした。次の日には、帰ってしまうので打ち上げをしました。みんな気が抜けたのか、結構飲んでました(鬼太郎が特に)。
次はいよいよ最終回。最後の〆は誰でしょう。あの人か?あの人なのか?宜しくお願いしま〜す。
あれえぇ、めちゃくちゃ更新に間が開いてしまいましたね;;
お久しぶりな佐藤ゼミのラクガキ担当ボーダーです。
みなさん、まだまだ暑いからといってクーラーとかガンガンにしちゃいけませんよ、ガンガンにしちゃいけませんよっ!
…大事なことなので2度言いました。決して私がそれで体調崩してたとかそんなんじゃないですからn
そんなことよりも
今回で佐藤ゼミのゼミ旅行レポも最終回。長かったようなそうでもなかったような(長く感じるのは更新に間が開いたかr)
四日目最終日は朝から電車に揺られ乗り継ぎ石山寺へ。
みなさま石山寺ご存知ですか?私はこの旅行の事前調査するまでしりませんでした(ちなみに私が担当でした)
紫式部やその著書である「源氏物語」がお好きな方はよく知ってると思います(ちなみに私は苦手な文学ジャンル…)
お寺ということでみんなの脳内には二日目の長く険しい山登りが浮かんでいましたが、実際はそんなこともなく。
歩きながら読む「源氏物語」なんて企画展もあり真剣にパネルを読むメンバー。
御本尊の如意輪観音様の手と繋がってる結縁の綱を握りひたすら『就職活動がうまくいきますように』とお願いしていた私ですが他のみんな何をお願いしたのでしょうか。
また、多宝塔としては日本で最古というものをすごく間近で見ることも出来ました。うおおおお本物やあああああ。
(そのすぐ近くにあった芭蕉庵に反応してたのは私です)
今回の旅行では、なかなかスムーズに事が運ばないこともありましたが、「ホンモノ」に出会うことができそれぞれがいい体験をして帰ってこれたんじゃないかと思います。
少なくとも私は貴重な体験をしましたから。
関係ないことで分かったことは、山登りをしていると体力はなくなってもテンションはすごく上がるという事ですかね(※二日目の私とパーカーさん)
そして、そんな人たちを先頭にすると道に迷うという事ですね!(※私とパーカーさn)
あと、私事ですが。先生含めゼミのメンバーのみなさま。
あのような表紙になってしまったことを深くお詫び申し上げます(焼き土下座)
竹原ゼミのゼミ旅行ブログも中盤です!大分県担当の鬼太郎こと KUSSY です!3日目は、熊本から大分の田染荘周辺までの移動時間が3時間という旅行中最長の日でした。毎夜の馬鹿騒ぎで寝不足な人or寝てる人、牛乳が祟って腹痛な人、割と元気な人、不慣れな土地の交通事情にガクブルな先生、ガイドな私…etcをのせて楽しげにBOXYは走りました。
大分県で最初に訪れた場所は、日本三阿弥陀堂のひとつに数えられる富貴寺です。現存する九州最古の木造建築物で国宝指定を受けています。高校時代の教科書に取り上げられていて富貴寺のことは写真では知っていたのですが、実際に目の前にしてみると、緑と静寂の中佇む大堂の姿は美しいの一言に尽きました。大堂の中に入ると本尊の阿弥陀如来座像が暗闇の中ライトに照らされ目の前に現れました。その幻想的で静かにこちらを圧倒する様に、一同暑さも忘れて息をのみました。
そして、本日のメイン!田染荘小崎!!2年時に岩手県一関市骨寺荘園遺跡を学んでいたので、先生の発案で訪れました。というのも、「北の骨寺、南の田染」と並列で語られるほど2つの荘園遺跡は、古い形の水田景観が保持されていることなどの特徴を同じにします。バットタイミングなことに現地ガイドさんを諸事情により付けられなかったので、田染の代表的な視点場、間戸の岩屋へ…不安定な足場&急勾配をのぼる!ノボル!登るっ!!やっと辿り着いた山頂の絶景は格別でした。みんなの「わぁー」という感嘆の声と曲線の田園風景はいい思い出です。
そのほか、真木大堂と熊野磨崖仏を訪れました。真木では仏教芸術心を打たれ、熊野ではまたもや行く手を阻む不安定な足場&急勾配にもめげずに登り切り石仏と対面することができました!
さらに!この夜の宿は湯布院!ルンルン気分で乗り込んだのは良かったのですが、思わぬトラブルが旅の仲間BOXYに発生。ゼミ生と先生の力で乗り切りました。みんなで笑ったり、楽しいことしたり、ぶらっと散歩したりはもちろん良い思い出ですが、顔を蒼くしたり、焦ったりな場面もまた旅の思い出。先生、お疲れさまでした。
次はフレームinが得意技の福岡担当、大内です!乞うご期待!
前回に続き熊本です。
ちづるんが十分熊本の楽しさを伝えてくれたので、さらりと。
【熊本城】
夏目漱石内坪井旧居のあとは熊本のメイン!熊本城!
いやー、想像以上にでっかい!さすが日本三名城のひとつ!
自然の地形を利用した石垣は、敵に対する備えでもあり、その美しい曲線から「清正流石垣」とも呼ばれるそう。
これは50日もの籠城に耐えられるはずですねー。攻めたくなくもなる!が、主要な建物は火事で焼失してしまったそうです。なんてこった。けど忠実に復元された天守閣、本丸御殿は見ごたえありです。
暑さ&グラバりすぎでへろへろになっていた私たちを迎えてくれたのは…誰だっけ‥。なんか城の主、清正様の家臣だそうです。空気の読めない観光客ですみませんでした。お互いにつらかったですね。有難うございました。
夕ご飯は熊本城近くの飲食物販施設「桜の馬場」で。頑なに「焼き肉くいてぇ」というO脚は完全無視です。ビュッフェレストラン「ぎんなん」でしゃぶしゃぶ&惣菜食べ放題!追加で熊本名物馬刺しも注文して豪華なディナー!綺麗なもの見て美味しいもの食べて…なんて贅沢な旅なんだろ!熊本さいこー!次は大分ですね。くっしーばとんたっち。
二日目は熊本。熊本を案内する担当はキュアチヅルンとあかねちゃんが分担しました。あかねちゃんと内容がかぶることがあったらすみません。楽しかったんだもーん!
私が熊本で担当したのは蓮華院誕生寺奥之院と夏目漱石内坪井旧居です。(その後、あかねちゃん担当の熊本城に行きました。)
【長崎から熊本へ】
まず、長崎から熊本まではフェリーで行きました。初フェリー!水平線!直前まで車酔いしてた私ですが、こんなきれいなものを見たら具合悪いの吹っ飛びました。海を見てると、頻繁にエチゼンクラゲを見かけました。赤いやつ。本当にいっぱいいて、みんなで「きもいきもい」言いながら探してました。
熊本についてからは、エイコさん(竹原先生のおばさん)にお会いしました。すごく優しくて天真爛漫な、素敵な人でした。美味しいパンとフルーツをお昼にいただき、熊本旅行についての相談に乗ってくれました。エイコさんがくれた矢印つきの地図のおかげで、結構な山道もすいすい走って迷わずに蓮華院まで辿り着きました。
【蓮華院誕生寺奥之院】
今回の旅行で熊本を担当することになった際、熊本のどこに行こうか、と、あかねちゃんと一緒に悩みました。悩みすぎて、
「パワースポットに行きたい!熊本旅行にも自然要素を取り入れよう!」
と、高いテンションで決めました。そこでネット検索したところ、この蓮華院誕生寺奥之院がヒットしたわけです。
蓮華院誕生寺奥之院はけっこー広いお寺。敷地内にいろんな建物がありました。護摩堂、仁王門、五重の御堂、相撲道場…ほんとにたくさんありました。蓮華院のこと舐めてたので、想定していた時間では全て回り切れませんでした。
五重の御堂に上って、おみくじ引いて、展望所に行って、少し散歩して、天気もすごく良かったので、気持ち良かったです。神社とお寺の違いがよくわかんないけど、蓮華院に来てみてさらにわかんなくなってしまいました。宗教ってなんじゃい〜どっせーい!
【夏目漱石内坪井旧居】
蓮華院の後は、夏目漱石内坪井旧居。ここは熊本で漱石が教師をしていたころに住んでいたお家です。小さいお家なので、ガイドさんいなそうだなーと思ってたんですが、受付にいた職員の方が案内してくれました。運が良い!
夏目漱石の骨格をもとに作られた声を聞きました。美声。漱石の生い立ちなんかも聞きました。けっこー壮絶でした。あと、漱石の奥さんの話も聞きました。奥さんも大変そうでした。
漱石は小説家としては10年ぐらいしか活動していなかったようです。死んでしまったので。それでもお家を遺族でもない人たちが大切に残してきたのが、私は不思議でした。この件に関しては、大分の夜、みんなと共有したので、みんなも思う存分、悩むがいい。
熊本の記事はこんな感じで。次回はあかねちゃんが熊本の続きを書いてくれます。
今回この研修旅行を通して、いつもの授業じゃ見えてこないような、素のみんなが見えてきました。そして素の自分も。普段は自分の満足よりも他人の満足を考えがちなみんなだけど、やっぱり5日間もずーっと一緒にいると、みんなといることに、慣れます。自分のこと、きちんと相手に話すようになりました。その中で、ほんとはこの子こういう子だったんだ、みたいなこともたくさんありました。
この旅行で、一緒にいるのが嫌だと思うことは一度もなく、私なんかは寝ちゃうまでずっとみんなと喋ってたいと思ってました。もっとみんなと話したいです。うぇい!楽しかったよー。私はもっと君たちと友達になりたい!らぶ!
そんなキュアチヅルンでした。