一日目長崎担当の佐々木です。
行きと帰りで一番イメージ変わったのはO脚後藤だと思っています。
長崎で一番最初に行ったところは長与専斎旧宅です
「日本の衛生の父」と言われる人物の旧宅です
ここでみんな蚊に刺されます
↑わたしは九州で14カ所ほど刺されることになります
熊本あたりでかゆみに苦しめられるとは…
次に古田山疱瘡所跡へ
専斎の祖父に関係する場所です
ここでキュアチヅルンに「せつこ」というニックネームが。
一番定着したニックネームです
その後一度ホテルにより出島へ
旅行クラブをバカにしていた私。
途中出島とは正反対の方向へ歩こうとしてました
出島は江戸時代の頃の建物が復元されていました
やはり商館長カピタンの部屋が豪華でした
カピタンにも会えました
そして路面電車に乗り、大浦天主堂・グラバー園へ
大浦天主堂はゴシック調の国内現存最古の教会堂です
一番行きたかった所なので大満足!
中にずっと座っていたいくらいでした
ライトアップされたところもとても綺麗でした
グラバー園では
鬼太郎トラップの鯉が。餌をあげて満足そう。
その様子を私たちはドックハウス2階から眺めていました
グラバー園でも蚊に刺されます
もう10カ所超えでした
途中グラバっちゃいましたが夜ご飯を食べに中華街へ
頼みすぎて食べきれないんじゃ…と思いましたが
先生とまさかの小食せつこが頑張ってくれました
長崎はこんな感じでした〜
二日目は熊本県です
私はくまもんに大ハマりします。
歴史遺産調査演習B担当の後藤です
とりあえず序章なので
九州に行くまでの過程を書いていきたいと思います
あれは、5月、6月頃のことでした
ゼミのあとに時間がちょっとあまったので調査演習Bでどこに行くかっていう話になりました
先生「どこに行きますか〜?」
みんな考え中・・・
鬼太郎「熊野神社にいきたいです」
(妖気を感じるから)
まつじゅん「四国かな」
だれか「あ〜四国いいね」
後藤「九州は?」
だれか「あ〜九州もいいね」
だれか「島は?」
後藤「島行って何すんの」
まつじゅん「ふんっ(笑)」
まぁ最初はこんな感じでした
そして何日か経って九州に行くことになりました
んで屋久島に行きたいってことになり、当初は九州の南に行く予定でした
しかし、台風や洪水など自然の脅威にビビった私たちは、なぜか九州の北に行くことになりました(すでにるるぶの鹿児島は買っていた)
このときにはもう7月に入っていたのでやべ〜って感じでした
先生はいつも
先生「旅行クラブに入れないぞ!!」
といっていました
もう口癖になっていました
この毎回の一言が、竹原ゼミの生徒たちの心に火をつけました
彼らはみんな負けず嫌いだったのです
(正直みんな旅行クラブをバカにしていました)
ここから彼らの逆襲が始まります
寝る間も惜しんで頑張りました
〜略〜
そしてようやく調査演習Bの5日前に旅行のしおりが完成しました
ちょうどその頃フィールドワークなんとかもあったので彼らの団結力も深まっていました
そして、旅行前日興奮して眠れません
私は、あまり眠れなかったので早く目覚めてみんな準備してるときに電話してやりました
まだ準備終わってねーのか
ざまーみろってね
しかし神様はみていました
冷蔵庫にあった牛乳の賞味期限が危うかったので出発前に一気飲みしました
↑これが彼の旅行を狂わせることになろうとは・・・
九州へは仙台空港から飛行機で伊丹空港に行き伊丹空港から長崎空港にいきました
まぁ序章なのでこんな感じにしておきます
ちょっと長くなりすぎました
この旅行ではみんなの本性がどんどん暴かれると思います
またみんなに変なニックネームがついていきます
楽しみに
では、ここらへんで次の人にバトンタッチ
どうも、佐藤ゼミ一体力のない男こと弁慶です。ひとつ前のパーカーに引き続きゼミ旅行二日目のことについて書きたいと思っています。
ちなみに安土担当?です。
二日目は、安土城郭資料館→信長の館→観音寺城跡の順に回りました。
城郭資料館では100%間違いないとは言い切れないとはいえ、安土城の1/20スケールが展示されていました。すごい迫力でしたよほんと。
信長の館では安土城上部が展示されていました。
ここでも圧倒されっぱなしでした。
さて、肉体的にはここからが本番でした。観音寺です。観音寺山という山はなくて、標高433mの繖山(きぬがさやま)という山に観音寺と観音寺城跡があります。
ちゃんと石段があり、本格的な登山ではありませんでしたが、あんなにきついとは思いませんでした。
途中で一人だけへばったりしてみんなに迷惑をかけてしまいました。でも、その甲斐あって観音寺城跡の石垣をみることができました。石垣全盛期ではなかったのに、かなり本格的だったので驚きました。
画像を載せて締めたいと思います。
上から安土城1/201スケール
安土城内部
観音寺からの風景
観音寺城跡の石垣
観音寺城跡の本丸跡
です。
では、三日目をお楽しみに。
お久し振りです
佐藤ゼミのパーカーです
何故、急に書き込みをしたかというと、タイトル通り9月1日〜4日までゼミ旅行に行っていたからです
知っての通り、滋賀県は琵琶湖とひこにゃんがいる彦根城が有名です
そして、私が担当するのは1日目の彦根城です
初日というとことで、移動に時間を取られてしまい彦根城を見るのが慌ただしくなってしまいました
1時間の中で博物館と天守の中を見れたのは、ゼミ生と先生の動きが今まで見たことない程に素早かったらだと記憶しています
ここからは、行ってみてわかったことなどを載せていきたいと思います
まず彦根城博物館ですが、館内では、有名な井伊の赤備えの具足に始まり、雅楽の楽器や能装束、茶道具、古文書、庭園の展示がされていました
中でも刀の展示で、ゼミ内でも話題になった柄が青色の刀があったことでした
青色の物は珍しいそうで、地味だと言われていましたが、展示されていた物を見た時は、綺麗な刀という印象を持っていたので、今回見ることが出来て良かったです
そして、井伊家が能や雅楽や茶道などに深い関心があったのは、江戸時代の武士の心得とされいたからのようです
江戸時代の武士は文武両道を求められていたように思えました
そして、井伊の赤備えは武将1人ではなく、藩主以下家臣団までもが、甲冑や旗指物を朱色で統一したものを呼ぶようです
ルーツは甲斐の武田氏にあるようで、徳川家康が井伊直政を強力な大将にするために武田の遺臣を中心とした117名を直政につけ軍事力の増強を図りました
勇猛で知られた武田家有力武将、飯富虎昌らの赤備えにあやかり、軍団を赤一色とするように命したそうです
直政は徳川家臣団の中で最強といわれるようになり、徳川四天王の1人に数えられたので、赤備えの効果は効いたようでした
これまで井伊家のことを知れていなかったので、今回のゼミ旅行はいい機会となりました
次に彦根城ですが、天守に上ってきました
彦根城の石垣は立派で、どの城でも思うのですが、当時の人達は現代のような便利な機材が存在しない中で、大きな石を運んで積み重ねたのか、当時の建築技術の高さが想像できました
石垣脇を通り、門を2つ抜けると本城に着きます
天守の階段は急になっていて現代人の足には負担がかかりますが、同時は、敵が容易に天守まで上って来られないようにする防護の場所でもあっただと思いました
天守からは彦根市て琵琶湖が一望できました
ここから戦の指揮や戦況を考えていたと思うと、城の重要性を感じることができました
まだ語りたいことはあるのですが、文字数の関係上ここまでとさせていただきます
刀の画像、右側が柄の色が青色の物です
見えない方はクリックお願いします
それぞれ写真をアップしていたので、アップして見たい人は画像を、クリックして見てください
それではパーカーからでした
次、2日目安土担当の方にバトンタッチです
再び、竹原ゼミのプリキュアです。昨日でとうとう長かったフィールドワーク特別演習が終わりを迎えました。今回は、8月29日〜31日までの活動について紹介します。
【29〜30日】
前田村文書の撮影です。
前田町睦会のみなさんにより、すでに茶封筒への袋詰めとナンバリング、一部の目録が作成済みでした。私たちは今回、撮影と茶封筒から中性紙封筒への入れ替えのみしました。結構さくさくと撮影が終わりました。
たくさん史料があるなか、まるで週刊少年誌のような分厚さのものがあり、1ページ1ページ全て撮影しなければならないため、うおお…、となることもありました。このとき、そのような史料が出てきたら、ジャンプと呼んでいました。
また、大きな横帳が出てくると見開きで撮影しようとすると撮影台からはみだしてしまうものが出てきます。そんな史料のために、新兵器のフネを使います。上の写真で、フネ、使ってます。史料の下にある薄い板っぽいそれです。フネは中性紙封筒で包まれています。なんでフネって言うのかは聞きそびれました。
南原公民館で撮影をしたのですが、クーラーきいてて扇風機もあって凄く快適でした。また、睦会の方がお茶ときゅうりの差し入れをしてくれました。私は自炊をまともにしないので、きゅうり久々で美味しかったです。みんな河童になる勢いできゅうり食べました。そして東文研の蛯原さんがアイスを持ってきてくれました。夏など忘れて撮影できました。
私は授業以外でフィールドワークにあんまり参加しないのですが、楽しかったです。わかんない〜私にはできない〜、なんてこと、なかったです。先生と先輩が助けてくれるし、友達が助けてくれるし、後輩も助けてくれるし。助けてもらったおかげで、ようやっと私も撮影、覚えました。あと、もっとピリピリした雰囲気の中で撮影するんだろう…と勝手に思っていたんですが、適度に自分のパートナーと雑談したり、気が滅入ってどうしようもない!なんてことも起こりませんでした。
実践、と聞いただけで苦手意識を持ってしまっていましたが、そんなことなかったです。たくさん笑いました。
【31日】
最終日は撮影した前田村文書の画像処理と目録を作成しました。
画像処理ではあまりすぎてる余白をトリミングして見やすくしました。撮影した画像を見返していると、余計なマグネットや指が写り込んでいたり、撮影に失敗しているものをたくさん見つけて、みんな落ち込みました。でも、失敗しないようにと張りつめた環境の中で撮影するのは心身ともに疲れてしまう…。ので、あくまで丁寧に撮影するようにしましょう!これから!
目録作成は、自分のパートナーと一緒に行いました。撮影した画像を見ながら、くずし字で書かれた史料とにらめっこです。くじし字の辞典ともにらめっこです。私のパートナーはスガヌマ様で、彼はとても真面目でくずし字もセンスがあるので圧倒されました。私はくずし字苦手なので、くずし字辞典で史料にある字と似たような字を見つけるたびにスガヌマ様に鑑定してもらいました。
自分一人ではどうにもわからないことも、パートナーがいれば少し先に進めるかもしれません。また、もっと人がいると、同じような史料で目録作成している人に聞くことだってできます。
授業の終わりには、みんなで月〜金の活動報告をしました。今回経験してみてわかったこと、改善していかなければならないこと、自分が興味をもったもの、などなど、建設的な報告会だったと思います。とりあえず、フネは改良するらしいですよ。
授業のあとは駅前のお店にて打ち上げをしました。
5日間を通して、2年生と3年生、お互いを知ることが出来てだいぶ仲良くなったと思います。このフィールドワーク特別演習は2年生に積極的に動いてもらうために3年生が指示&サポート、運営するのがねらいですが、協調性を意識的に身につける、という先生の願いもありました。きっとみんなクリアできたはず!
次回の更新は、来週の月〜金までのゼミ旅行だと思います。たぶん毎日、誰かが更新すると思います。竹原ゼミの中で結成された旅行クラブは果たして自分たちで立てた計画を遂行できるのか?乞うご期待!
また来週。
キュアチヅルンでした。
はじめまして、竹原ゼミのプリキュアことキュアチヅルンです。今週の月曜日から金曜日まで、フィールドワーク特別演習という授業があります。未来の竹原ゼミ生となる(…かもしれない)2年生と共に、わきあいあいと歴史資料の保存と整理をする素敵な授業です。この授業は2年生が積極的に動く、というねらいがあって、私たち3年生は彼らのサポートをします。
昨日と今日は学校での作業。宮城県石巻市K家文書の、中性紙封筒に袋詰め→撮影→画像処理→目録作成、をしました。
まずは袋詰めした封筒をしまうための箱を作りました。普通のダンボール箱と違い、資料を長い間保存するのに適しています。このミラクルなダンボールみたいな箱、組み立て方が若干めんどくさいです。説明書を見ずに作ってみたんですが、猿の進化を感じました。悪戦苦闘しながら頑張りました。
アーカイバル容器が完成したあとは、いよいよ史料の袋詰めです。
史料がどさりと入った箱から、一点ずつ史料を取り出し中性紙封筒に入れる作業です。K家はお医者さんのお宅なので、医療関係の史料が多いのだろうか…、と思いつつ袋詰めしました。袋詰めの時間は、短い時間でたくさんの史料を直に触れられるので、楽しいです。
袋詰めが完了したら、袋詰めした順番に作っておいたアーカイバル容器にしまいます。
このあとは、史料の撮影に入ります。2年生中心にカメラの設置、史料の撮影、後片付けをします。3年生はお助けキャラとして一緒に撮影しました。
撮影が終わったあとは、パソコンに撮ったデータを入れて見やすいように画像処理とフォルダ分けをしました。パソコンの便利な使い方を学んだり、パソコンのフリーズに苛立ちを覚えたり。
これも終わった後は、史料の目録を作成しました。目録作成は史料のタイトル、作成年月日、作成者、宛名、形態、などなど、史料の情報を私たちが読みとって紙とかパソコンとかに記入します。タイトルはともかく、作成年月日とか不明なものも多く、目録作成って難しい〜、と思い知らされました。
写真満載でお送りしました。もっとお気に入りの写真はあるけれど、ブログの容量がよくわからないので省略。次回もたくさん写真をお見せ出来たらと思います。
明日からは南原公民館にて前田村文書の史料撮影と目録作成をします。4年生の先輩2名と、1年生も3名参加してくれます。まだまだ夏なので暑いですが、みんなで頑張っていきたいと思います。
えいえいおー
キュアチヅルンでした。
佐藤ゼミのふじです。おはようございます。
ついにオープンキャンパスです!
我がゼミでもこの日のために準備をしてきました
今回私は、弁慶と共にちょっと気合を入れて何かをします
この日のためにコンタクトまで用意しました。
何するのかって?知りたい人はオープンキャンパスきて下さい!
たくさんのご来場、お待ちしております!!
1か月ぶりです、佐藤ゼミのトマトです。
もう5日前になりますが…7月16日に近世史サマーセミナーに参加してきました!佐藤ゼミからの参加者は、佐藤先生とゼミ長のふじさん、私の3人です。
セミナー自体は14日〜16日の3日間開催され、私達は3日目の”巡見(山形・村山コース)”だけに参加しました。
見てきたのは、長谷堂城跡公園、林崎居合神社、最上徳内記念館、紅花資料館の順に4か所です。ちょっと簡単に説明してみたいと思います。
まず、山形市にある長谷堂城跡は「慶長出羽合戦」の内のひとつ「長谷堂城の戦い」があった山城跡です。ここには現在は沢山の木が生えていますが、当時は見通しが悪く燃やされる危険があったため、ほとんど無かったそうですよ。
林崎居合神社と最上徳内記念館は村山市にあります。
林崎居合神社には居合の元祖とされる林崎重信が祀られており、このように武芸者を祀った神社は全国的にも少ないそうです。今回は実際に居合を見せてもらいました。私は初めて見たのですが、迫力のあるものなんですね。
最上徳内記念館には最上徳内という、村山市出身の北方探検家に関する資料などがありました。
9回にわたって蝦夷地を調査したとのことで、アイヌの住居を再現した「アイヌの館」というのもあり興味深かったです。
最後の河北町にある紅花資料館では、紅花の歴史・生産・流通や、紅花が河北町にもたらした文化などを知ることが出来ます。ちょうど紅花が咲く時期で、きれいな紅花を見ることが出来ました。
個人的に印象に残っているのが長谷堂城跡です。当日の気温が35度という、とてつもない暑さで山頂まで果てしなく遠く感じました。その分眺めはとてもよくて、山登りの醍醐味を感じた気がしたのですが歴史と全く関係ないという…
このように私は説明が下手なので、魅力を伝えきれません。是非足を運んで見て下さい!
長谷堂城跡は涼しい時に行くことをおすすめします。そして虫よけスプレーを装備するべきです。とても痒いです。
では長々と失礼しました、また!
似たような題名が2つ続いていたので乗ってみました。
どうもお久しぶりです、佐藤ゼミ1のスロースターター・蜻蛉です。
全国各地で夏の甲子園予選が始まりましたね。野球大好きな私としては大好きなシーズンの幕開けでございます。高校球児の方々は勿論のこと、皆さんも熱中症・体調不良にはくれぐれもお気を付けください。
さて、もう言う必要はないと思いますが、佐藤ゼミは今週も発表でした。今週は私と「偉大なる大食漢」こと弁慶殿の発表です。
1番手の私は「武藤氏を中心とした庄内の動乱について」というテーマでやらしていただきました。
武藤氏は大宝寺氏とも呼ばれた庄内地方の戦国大名です。今回は室町後期に勃発した武藤氏vs砂越氏の争いから武藤氏の滅亡に至るまでを調べました。武藤氏の庄内支配には越後・上杉氏が大きく影響していたことなど、今まで自分が知らなかったことを知ることができるということはやはり楽しいものです。(あ、また上杉出ましたね)
2番手の弁慶殿は「農具 〜鋤・犂・鍬について〜」というテーマの発表を行いました。
3つの農具についての調査で、近世になると1つの農具でも地質・風俗・用途に合わせた多用な種類のものが現われたこと、形態や材料によって様々に区分されていたことなどについてまとめられていました。
これで私たち2人の前期発表は終わりですが、ゼミのみんなや佐藤先生から指摘されたところを改善しながら、後期の発表に繋げたいと思います。
さぁ、残る発表者は3人!!
ゼミ旅行の方は訪問先が着々と絞られてきました。来週のゼミで決定して事前調査を開始したいと思います。
こちらの画像は弁慶殿の発表の資料です。
『農具便利論』という本で江戸時代後期に刊行された書物らしいですよ。
歴産ブログをご覧のみなさん、こんばんみ〜。
佐藤ゼミの青苧マイスターこと、Kでございやす。
7月に入ってから、山形の天気は不安定ですね。
6月はあんなにカラカラだったのに……
山形の梅雨はまだまだ明けそうにないですね……
みなさん、体調管理には十分気を付けましょう。
さて、今週の発表は私とゼミの絵師さんの二人で行いました。いや〜、出番が回ってくるのが早い早い……
準備するだけでもてんてこ舞いです(汗)
トップバッターは私です。ということで、私の今学期最後の発表は「山形における青苧生産」です。久々に見ましたね、青苧という単語(何を隠そう、私こそが青苧という単語をゼミ内に振り撒いた張本人ですが……)。
内容は、江戸時代に山形県内(米沢、村山)で生産されていた青苧が、各地域内で生産されるにあたりどのような制度の中で生産されていたか、青苧が各地域の総生産高の中でどれだけの値を占めていたか、といった感じです。
自分自身知らなかった青苧の実態(?)を知ることができて、とても有意義だったと思っています。
お次は絵師さんの発表ですが、今回は「祭事における物忌と刑罰について」というテーマでした。
絵師さん曰く、「物忌」という言葉には2つの意味があるらしく、1つめは魔物や不浄に触れないために「物忌」と書かれた札を用いる謹慎行為、2つめは大祭の前に不浄に触れないよう何もしないでいること、といった意味があるということです。
史料読みに苦戦して、あまり調べることができなかったということですが、内容はとても興味深いものでした。
みなさんお楽しみ、ゼミ旅行の話も順調に進んでおります。
どんな史跡や城に行きたいという話や、移動手段やら、飯はどこで食うか、しおり作りはどうするかなど、様々なことを話し合いました。
これはますます当日が楽しみになってきました。
よい旅になることを祈ってます。
ところで、右上にアップした「物忌札」に書かれている、「急急如律令」という単語、某映画でも同じ呪文が使われていたような………………………………まいっか!!
それではみなさん、また会う日まで!!アディオス!