北野ゼミ2日目はたびら昆虫自然園、田平天主堂、春日集落、出島などに行きました!
午前中は、たびら昆虫館は27年前に始まったそうです。以前はミカン畑だったとか・・・
ここの観察ゾーンと呼ばれる場所では平戸で見ることができる昆虫の観察ができます。
ガイドさんの説明を聞きながら、観察ゾーンを一周しました。この時期はカブトムシは姿を見せませんでしたが、クワガタムシや蝶、クモ、水棲昆虫などの生態を見ることができました。他にも数多くの動植物がここで生きています。
この時期のせいか、足の数か所を蚊に刺されたりもしました・・・
ここでは、生態系の保全のため、生き物の持ち込みや持ち帰りを禁止しています。その理由として、生態を壊さないようにする配慮があります。たびら昆虫館は生態系保全の最先端の施設だそうです。人と自然の関わり方を模索し、人為的生態系を作り、生態系の保存や活用に努めているとのことでした。
しかし、ガイド役(案内役)の高齢化により、後継者不足が深刻な問題になりつつあるそうです。
また、イノシシなどの害獣にも悩まされることもあるらしく、自然と人との生き方を考えさせられる場所でした。
次に田平天主堂に行きました。田平天主堂は、敷地内で貝殻を焼いて赤土とまぜるアマカワ(煉瓦用目地)を作り、1918(大正7年)に完成しました。今では重要文化財になっています。明治になり移住してきた潜伏キリシタンの人々の末裔が守り伝えてきました。現在も土地・建物は教区が管理しており、信者の方が見学者への対応をしてくれます。
教会の表には「ルルド」と呼ばれる場所があり、フランスのピレネー山脈のふもとの町のルルドの洞窟に聖母マリアが出現した、という伝説があります。田平天主堂も信徒移住百周年を記念して、洞窟を作り、聖母マリア像と聖ベルナデッタの像を置き、信心の場としました。
一応観光地化はしていましたが、今でも教会の中ではミサが行われるなど、今なお人々の信仰の場としてその役割を果たしている場所です。
ミサを見学したりすることはできないらしく、観光と人々の暮らしはきちんと分けられている印象を受けました。厳かな雰囲気の教会でしたが、ステンドグラスがとても美しい教会でした。
午後は春日集落に行ってきました。この場所は最近世界遺産として登録された、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として登録されている村の一つです。
潜伏キリシタンは日本独自の文化、日本独特の信仰の形を今に残しています。
平戸はオランダとの交易が盛んで、平戸は初期のキリスト教繁栄地でした。
のちに、キリスト教は禁教として厳しい弾圧を受けることになります。仏教や神道を受け入れつつ、キリスト教も信仰したことにより、日本独自の信仰が生まれていきました。
今も信仰を守り続ける人はいますが、後継者、文化の担い手がいないことが問題になっています。
ガイダンス施設には村のおじいさんやおばあさんが交代で詰め、来訪者に応えていました。お茶や漬物などでもてなしてくれます。このように交流ができるのはよそ者にとってはありがたいのですが、、、まだ、戸惑っているようにも見えました。農道への車の乗り入れ自粛を呼び掛けているということは、意に反して観光客が迷惑をかけていることが想像されます。
平戸のオランダ商館と幸橋(アーチ橋)をみて長崎に急ぎました。
今の出島は当時の風景を再現しているどうです!建物の外観だけでなく、中の外装や家具も当時使われていたものが置いてありました。まるで、今でも誰かがそこで生活しているようでした。鎖国で制限された海外との貿易の中、この出島は海外と日本を繋ぐ重要な架け橋になっていたのではなでしょうか。
また、オランダの人にとって出島はとても思い入れのある場所らしく、ナポレオンに占領され数年ほどオランダという国が消えていた中、世界で唯一この出島ではオランダの国旗が掲げられていたそうです。
次は軍艦島を目指します!
歴史遺産学科展覧会のお知らせです。
「ラオスに行ってきました!」展
会期:1月10日(火)~1月14日(土)
9時~19時 ※最終日は17時まで
場所:本館1階エントランス北側
私たちは2016年8月20日~28日にラオスとタイを訪ね、民族考古学のフィールドワークを体験してきました。
ここでは4日間滞在したラオス南部の少数民族の村の様子を報告します。
村では住民の協力を得て、日常生活や手仕事を観察・記録させていただきました。
伝統社会に生きる人々の知恵や技の一端に触れ、自然と身近に暮らす人々の豊かさを感じるとともに、急速に変貌していくラオスの農村の現状を見てきました。
学生たちがまとめたパネルを中心に、関連する道具を展示しています。
漁法に関するコーナーも。
どれも研修中に関わった現地の方が実際に作ったものです。
なかには学生が編んだものも。
現地で出会った風景や食べものの絵も展示しています。
山形の寒い冬、ラオスの文化に触れて暖まりませんか?
皆さまのご来場をお待ちしております。
夜の雰囲気
帰国してもう2週間たったけれども、ラオス・C村の水田景観が強く脳裏に焼き付いている。
雨季の天水に頼る自然灌漑の水田。その中にルンパ(養魚池)があり、畦の水口には小魚を捕る漁具が仕掛けてある。カエルや川エビもかかる。田には水生昆虫が泳ぎ、小さなトンボが舞う。農道脇の木々、草には昆虫が群れ、乾季になれば畦にネズミが穴を掘る。放牧の水牛・牛たちが落とす牛糞は田の肥料になり、そこには大小のマグソコガネが宿る。そして、みんな人がおいしくいただく。
2011年の1月に初めて訪れたときは、電気もトイレもなかった。なんと土器の多い(器種数・量とも)村なんだろうと、狂喜したおぼえがある。暗くなってから村に到着し、最初に訪ねた家で見たのが蛇を茹でている所だった。その蛇も今では少なくなったと聞いた。その後、来るたびに村の環境は少しずつ変化している。
なかでも主たる生業の稲作と水田漁業を巡る環境は厳しい。同じ天水田稲作地帯である東北タイ(イサーン)やラオスの農村部では各世帯が平均2.6ha(集約化が進む現代日本の一戸当たりの経営耕地面積(販売農家)は田畑含めて約2.3ha。「農林業センサス」)ほどの耕地を保有する。
しかし、ここでは0.6haと少ない(周辺の村と比較しても少ない。売買や相続の影響)。前者では、政府が進める農業の近代化、すなわち多収穫品種(ハイブリッド米)、化学肥料、農薬、農作業の機械化がパッケージとして急速に普及し、自給的な農業から米を販売し、現金収入を得る資本主義経済下の農業に脱却していった。
C村も例外ではなく、いまその波が押し寄せている。
各世帯は水田の所有面積も狭く、自給したうえで米を販売できるのは1割強しかない。半数以上の世帯は購入に頼らざるを得ない(ただし、種籾も含め、親族間での分配など共助システムが機能している)。
2010年に初めて耕運機を保有する世帯が現れ、しかし、その後数年間は依然水牛・牛での耕作が一般的だった。しかし昨年の調査では逆に家畜に頼る世帯が数世帯になってしまった。高価ではあるが、多機能な耕運機を購入したり、お金を払って借りて耕作するのである。今回訪ねて、水牛と牛の多さにびっくりした学生もいただろうが、実はこれでもここ5年で約5割減なのだ。貯蓄用に飼っているので、自分たちでは食べない。
そのほか、稲刈りの道具が穂刈具から鎌にシフトしたり、精米機を購入する世帯がでてきたりもしている。
一方で、イサーンやラオ族の天水田で急速に普及した「ハイブリッド米・化学肥料・農薬」という農業近代化の波はにぶい。うるち米を栽培するここでは、タイでも普及した「カオ・マリー」がハイブリッドの主力品種だ。しかし、化学肥料・農薬は投入されない。よって生産量はあがらない。その大きな理由は、水田漁業とみられる。タンパク源を魚に依存するO族にとって農薬の投与は水田漁業の放棄を意味するからだ。
私が子供のころは、毎年水田の中干しや水落しの時期に、たらい一杯のフナやドジョウ、ナマズが取れた。泥出ししてから甘露煮にして食べるのがおいしくて夏の楽しみだった。田んぼにはヒルがたくさんいて、何匹も足に付いた。それを引っ張って取るのが嫌で、農作業の手伝いがきらいだった。水路には小魚や川エビ、ゲンゴロウ、ヤゴなどあまた水生生物がいた。小学校高学年のころに田んぼの圃場整備が終わり、急速に、農薬、化学肥料、機械化が進んでいき、気が付くと、タニシやヒルがいなくなり、イナゴのいない田んぼとなった。
ルンパがあり、水田漁業が生きているC村の環境に豊かさを感じるのは、そんなノスタルジックな感覚とともに、私たちが失いつつある自然の生態をよく知り、資源を持続的、循環的に利用する(過剰に獲得しない)、ラオス流にいうとLOHASな暮らし方をしているからなのだろうか(Healthは問題が多いが)。
とはいえ、確実に換金作物(たばこ)の栽培やプランテーション・レーバーとしての出稼ぎが増え、もはや現金収入なくしては家計は成り立たない。それは外から見れば貨幣経済に翻弄されているかのようにみえるが、伝統的な生活を基盤としながら、社会への適応、多角的な経営戦略として積極的に取り込んでいっている。物質的豊かさや労働時間の短縮化、健康などを勝ち取りながら。家を離れてコーヒー農園で働くのも楽しい、とAさんは語っていた。
あの「ルンパ」が象徴する水田漁業の営みは、コメの生産性をあげるための「化学肥料・農薬の大量投与」と調和は難しい。「農業の集約化」「生活の近代化」の中でいまの集落・水田景観はどのように変わっていくのだろうか。貨幣経済が急速に浸透するラオスの農村で、彼ら、彼女らはどのような選択をしながら、村の歴史を刻んでいくのか。これからも見つめていきたい。
この日はC村での調査最終日。
3日間の調査の中でお世話になったお宅へご挨拶に伺いました。
ドゥーイという植物を使ったマット作りを見せていただいたお宅へ。
ちょうど米を搗いているところでした。今日の子供たちのおやつを作るそうです。
作業風景に惚れ惚れ。
お母さん素敵だなあ。。
感謝の気持ちを伝えて、集まってきた子供たちにお菓子をプレゼント。
ここで出会った少年は、この後行く先々で登場してお菓子をもらい続けるのでした。
その貪欲さと足の速さに関心です。笑
次はカプーン(米の麺)作りを見せてくれた女性のお宅へ伺いました。
とても印象的な作業だったので、その様子を絵に描いてプレゼントしました。
反応は微妙・・・
そこで持ってきた絵具セットとスケッチブックをプレゼント。
最初は戸惑っていましたが、真ん中のお姉ちゃんが受け取ってくれました。
その場で花を描いてみせると「私も描いてみるわ」と筆を持ち、そっくりの花を描いてくれました。
さらさらっと描くのでびっくり。
C村にアーティスト誕生の予感です。
絵を描いたりする機会はないのなと思っていましたが、もしかしたら今の子供たちは学校の授業等でやっているのかも?
民族衣装の巻きスカート(シン)を見ていても、色の組み合わせに気を使っていたり、刺繍を入れてアレンジしていたり、素敵なセンスだなあと思うことが何度もありました。
お母さんと3人娘とそのお子さんと記念撮影。
次回訪れたときに、この家の中や村中に絵が増えていたら面白いですね。
この環境で生活している人たちのものの見え方を、表現を通して見てみたいと思う出来事でした。
最後は酒作りでお世話になったお宅へ。
学生たちが聞き残したことを質問します。
ときに英語を交えながら積極的に質問する学生たち。
調査を通して、村の人達と交流する様子、とても活き活きしていました。
みんなの新たな一面を見れた気がします。
本当に良い研修でした。
川では子供たちが水遊び。
また来たいですね。
村の皆さんとお別れし、パクセーに戻ります。
その途中で土器と酒作りのT村へ立ち寄りました。
C村でも飲んだ壺酒が並びます。
6月に作ったものを購入。2ヶ月ほど期間を置いた今が飲み頃だそうです。
奥には土器作りの作業場がありました。
土器作りは乾季の仕事で、雨季は主に農業をしているそうです。
こちらは粘土を粉砕する唐臼。女性の仕事。
ちなみにここの土器作りは夫婦の協業で、女性が回転台を回しながら、男性が土器を成形していきます。男女の仕事の役割は村によっても作業内容によっても色々で、質問する度に興味深いポイントでした。
こちらは乾季に土器を焼く”窯”です。3mほど掘り込んで、そこから横に5mほど横穴になっているそうです。雨季は焼かないので水没しています。
20~30年前までは作っている家がたくさんあったそうです。
側にはセーコン川が流れ、このままボートに乗せて売りにいったそうです。
この村の土器作りは今は既に末期の姿だとお聞きしました。
是非乾季に一度訪れてみたいです。
(参考:乾季のT村と壷酒造り 2016年1月)***************************************
土器は夫婦で作ります。訳あって奥さんがいない人は男・男です。
壷酒の仕込み中
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T村を離れ、さらに車を走らせます。
途中のボーラヴェン高原の山間部で、水を溜めないタイプの米作りを見ました。陸稲です。日本ではごく一部の地域でしかやっていない方法だそうです。
稲の間には規則的にトウモロコシが混植してあります。
ふたたび車に揺られ、その途中タート・ファーンという滝へ。
今回はさすがに泳ぎませんが、勢いよく流れる2本の滝に一同テンションが上がります。
こちらは珈琲の木。
この滝のあるボラベン高原の周辺は珈琲とお茶の産地でした。種類はアラビカだったと思います。
ラオスの珈琲はあまり聞いたことがなかったので、この機会に購入。
こちらはゴールデンバンブー。ラオスでは色々な植物に出会いましたね!
C村での薬草摘みも良い体験でした。
パクセーに戻って来ました。ホテルの側には寺院。
メコン河の支流沿いをゆっくり歩きました。
ラオス最後の夜。
明日は国境越えでタイへ。
たしか、この日の夜にラオスのお酒”ラオラーオ”をいただき、数名のお腹に異変が・・・
いまとなっては良い思い出のはず!
明日は塩づくりの村へ。
旅は後半へ続きます。引き続きお楽しみくださいませ~
(YURIKO)
前日に引き続き、今日もC村にて調査です。
私たちは毎朝、ゲストハウスで朝食(パンやバナナ、お菓子、ドリンクなど、食べ放題、飲み放題)を食べ、7:30には出発します。
村で食べる昼食を買うためにアッタプー旧市街の市場へ。市場には野菜や果物はもちろん、魚や衣類製品など多くの品物が並びます。
メコン川をはじめとする多くの川が通るラオスでは、淡水魚が食卓を彩ります。
日本では観賞魚として売られている魚も食用として売られており、写真ではナイフフィッシュが並んでいます。他にもコイの仲間や、ナマズの仲間など、ゆっくりとした流れの川に生きる魚が多く見られます。また生きているナマズは食べることもあれば、川に逃がしてやって徳を積む「放生」の習俗にも使うそうです。市場の裏にはセーコン川が流れています。
さて市場で食料を確保した後は、例の悪路を進み、C村へと向かいます。3日目になるとだいぶ慣れてきましたが、時々「ドーン」と窓に頭をぶつける音が聞こえてきます。
今日はある食材を使用した料理を作って頂く約束をしています。
あれ?村に着くと人がいない・・・・・
実はあるお宅の主人の快気祝いで、朝から村中の人が集まって大宴会!
40度超のラオ・ラーオ(焼酎)をあおり酔っぱらっています。
こちらからもお祝いを贈り、回し飲みの恩恵にあずかりました。瓶の中には体にいいという樹木片が入っています。
負けじとラオ・ラーオをあおるBさん。
なかなかやるな、この若者・・・と村人。
3人いるC村シスターズ(アシスタント)の一角、Mさん
因みに昨日壺酒班がお酒を造っている頃、私は敷物班としてNさんとOさんにお話を伺っていました。初日に田んぼのあぜ道でみたドゥーイといったアロエのような植物を乾燥させ、「パァ」という万能の鉈(ナタ)1本だけ使って敷物(現地の言葉でガディオ)を作り上げます。採取後、葉の両側面の棘をカット。天日乾燥、ロールにして保管。編む前に縦に3分割(幅1㎝程度)。
驚くことにこの敷物は接着剤や紐を全く使用しません。全てこのドゥーイだけを使って端も織り込んで行きます。およそ日本の畳1畳分を2日で作り上げるそうです。作りも非常にしっかりしており、村では敷物のほか、敷布団として使用するとのことでした。Oさんは昨年編んだストックがあったので1枚譲ってもらいました。
そして今日のメインのある食材を使用した料理ですが、ある食材とは“バッタ”になります。日本でもイナゴの佃煮やハチノコなどが多く食べられていますが、それ以上にラオスでの昆虫食はとてもメジャーです。魚と同様貴重なタンパク源でもあり、市場でも同様のバッタがネットに入れられて大量に売られていました(青いネットの中身はすべてバッタ)。
元気なトノサマバッタ
そしてこのバッタですが、日本で言うトノサマバッタに近いです。大体全長5cm程。羽もしっかりあります。生きたままでは準備しづらいので、このバッタをお湯にさっと浸けてから下準備が始まります。慣れた手つきで次々に処理されていくバッタ達。せっかくなのでお手伝いさせていただきました。
下準備を終えたバッタは炒められていきます。見た目はこんがりとし、美味しそうな匂いがします。他の調査班と合流し、昼食で一緒に食べることになりました。
味は言うならば小海老の素揚げに近い味。とても美味しいです。正直イナゴの佃煮があまり好きではなかった私でしたが、日本でも佃煮だけじゃなくてこのように調理したら流行るのではないかな、と思います。
昼食を終え、午後からは村の子供たちがよく行くという山の滝に向かいました。昨日観察した竹細工やフェンス用の竹がそれぞれどんな環境にどのように生育しているのかを見に行くというのが最初の目的だったんですが、なぜか先導してくれたガールズたち目論見に引きずり込まれていくのでした。ちなみに昆虫調理を教えてくれたSさんはこの村で生まれたのに行ったことがないとのこと。初体験だと喜んでいました。
途中、友達を誘うために電話する女の子。3~4年前に村に電気がきてから若者の間には携帯、スマホが普及しています。
この日は晴れ、ただでさえ汗が止まらないような気温と湿度。滝までは細いあぜ道を歩き、川を越え、山を登ります。15~16歳の彼女たち普段から竹や薪の伐採に通っているので足取り軽く、何とかついてくる私たちを何度も振り返りながら、適当な場所で休憩しつつ案内してくれました。途中、むき出しの岩やら水たまりやらものともせず、ひたすら山道を登っていきます。普段使わないような筋肉を使い、多大な疲労を感じながらやっとの思いで登っていくと大体山の中腹ほどでしょうか、忽然と滝が現れました。
滝に着くと4人の少女たちはためらいもなく、滝つぼに飛び込み、楽しそうに潜ったり、水を掛け合ったり。これを見ていた私たちも誰からともなく仲間に加わっていったのでした。
水は少し冷たい程度で、入れば暑さもいっきにひいていきます。あのSさんも少女に混じって実に楽しそうでした。
滝つぼは深いところでは足が立ちません。水しぶきを浴びながら小一時間、みんなで遊びました。
ちなみに竹細工班のK君は一人残り、Pさんの仕事をつきっきりで覚えていたのでした。
滝から帰った後は、15:00すぎに約束していたJさん家に集まり、庭でカプーン(米の麺)作りをしました。朝、杵で搗いたうるち米を袋に入れて寝かせておきます。これをそのまま20分ほどお湯に浸け、臼に出します。発酵したような独特のにおい。20分ぐらいみんなで代わるがわる搗きました。杵の先端がくっつくので、グリップを半ひねりほどして持ち上げるのがコツです。次いで熱湯を加え、手練りします。木工ボンドのよう。さらにぬるま湯を加えて練っていくとペースト状になり、これを渦を巻く大鍋の中に絞り出すとカプーンの完成。出来上がった麺をお土産にもらって帰ることにしました。
まわりには村の子供たちが集まり、日本から持っていた折り紙で飛行機や鶴を折りました。
最後に。「水は命の源」という言葉がありますが、自然と深く結び付いて暮らすラオスの人たちにとって、まさに水(川)は生活全般に関わる重要な存在となっていました。
飲料水はもとより、食糧となる魚の捕獲、稲の栽培、それに集まる虫、川で遊んだり涼んだりなど・・・
蛇口をひねれば水が、スイッチを押せば空調がきく場所ばかりで、水がどれだけ重要なのか忘れていたのではないかと気づかされたように感じます。
さて明日がC村調査最終日です。
次もどうぞよろしくお願いします。
(SAKURA)
壷酒班以外の動向です。
竹細工(バンブークラフト)班は長老の一人Pさんにお願いして魚を獲る筌(うけ)の作り方を教えてもらいました。
今の時期、村の中では毎日、山から竹を切ってくる女性たちに会います。山の資源である薪(貴重な燃料)や竹の伐採・運搬は女性の仕事です。竹にも大きく3~4種類あり、使い方が異なります。
竹細工は一節が100㎝前後ある肉薄のしなやかな竹を用います。山の高いところに生えています。フェンス用の竹は肉厚で一節が短く、山の低いところに生えています。タケノコも一緒に取ってきます。
Pさん、前日の晩に雨が降ると、あちこちの水田に仕掛けた筌のチェックに行くということで午前中はその様子を見に行きました。水牛・牛除けの柵の修理をしていました。
もう一班は、いろんな家を回り、Oさん家できのう田んぼでみたドゥーイ(付け根の白いところは食べると甘い)で編む敷物作りをみせてもらいました。
村の中を、カランコロンいわせながら歩くウォーターバッファロー
昼食は朝市場で買ってきたおかずをみんなで食べます。今日は壷酒班と合流し、Sさんの家で。
おなかがいっぱいになったところでPさんの筌づくり。
まったりした空気の中でつい眠気が・・・・・・豚さんやニワトリ、犬も一緒です。
やがて薬草を調べていた班が合流。
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今日の夕食はセーコン川べりのサバイディ・アッタプー。そこら中にキキヤムがいる。
夕食後は床屋でさっぱり!
13,000kip(約155円)、おなじ値段で顔と頭のマッサージ
ちなみに、タイのアイス「マグナム」も同じ値段だ・・・・
今日からはいよいよ日中を通してC村での調査が始まりました。複数の班に分かれ、それぞれ別の家にお邪魔させてもらいながら、興味のある事を通訳を通してつたない英語(笑)で質問しながら過ごしていました。
私は「壷酒」班として、Sさんのお宅で伝統的な酒のつくり方を教えて頂きました。写真はうるち米を蒸している様子と、土器の中で完成したお酒です。お酒造りには様々な工程がありますが、奥さんは時折腰を休め、雑談を交えながら話してくれたので、ゆっくりとした時間の流れを感じながらの良い調査ができました。
その合間で私はSさんのお宅に集まっていた4、5人の子供たちに興味を持ちました。子供たちも、私たち外国人に興味があるようで、決して近寄っては来ないのですが、常に注目されていて、私も注目せざるを得ない、双方にらみ合い!(笑)という状態になりました。私はかつての留学経験で、言葉が通じない相手と手っ取り早く仲良くなる方法は「満面の笑顔」で接することだと感じていたので、普段動かさない表情筋を酷使しながら、まずは手を振ることから始めました。すると子供たちもニコッと笑い、手を振り返してくれました。
後でわかったことなのですが、この子供たちはSさんのお宅の子供ではないそうです(笑)この村では動物だけでなく子供たちもとっても自由なのでしょう。ほほえましいです。
それからお酒の調査がひと段落つくたびに笑って手を振って、笑って手を振ってと繰り返すと、あちらも私たちが怪しい人ではないとわかったのか、近づいても怖がられたり、嫌がられたりということがなくなり、むしろ照れているような、もじもじとした態度をとってくれるようになりました。私はそれが嬉しくて、(精霊信仰ということもあり、失礼になったり良くない行いに当たる可能性もあったので躊躇しましたが)頭をなでたり、肩を叩いたり、今度はスキンシップを多くとるようにしました。子供たちは構ってくる外国人が面白いのか、ケラケラ笑いながらこちらを指さしていました。
面白がられているなら好都合で、調査の合間に腹をくすぐったり、ハンモックを揺らしてみたり、追いかけるモーションをしてみたり。そうしているうちに子供たちとすっかり打ち解けられて、言葉はわからなくても「もっと遊ぼう」と目で言われているのがわかるくらい、仲良しになれました。
とにかくこの村の子供は目がキラキラしています。警戒心はありますが、人嫌いせず、あらゆることに興味津々!という感じで、見ていて眩しく思うほどでした。日本では中々こういう子供たちは見ないなぁと思いながら…
そろそろお昼を回り、みんなと合流して休憩しようという頃合いには、子供たちに袖を引かれ遊びに誘われるほどの仲になれました。その子供たちの中で一際私の目に映ったのは、写真手前のピンクの服を着た周りの子より少しだけ年上そうに見えるお姉ちゃんでした。
この子は見ている間ずっと本当の弟、妹ではないだろう子たちの面倒を見て、「それはしちゃいけないよ」というようなことを言い聞かせていたり、でも本当は一番外国人に興味を持っていそうだったり、お姉ちゃん役をしながら自分は一歩引いて冷静でいようとする健気な姿を見せてくれて、それがなんだか長女である自分と重なったりして、研修旅行から帰ってきて数日経った今でもあの子の顔を忘れられずにいます。
例え日本でなくても、お姉ちゃん役というのは世界共通なのかもしれないという発見や、C村の子供たちの笑顔に中てられたことで、最初はぎこちなかったであろう私の笑顔も最後には自然に笑顔になっていたので、この子たちはすごいパワーを秘めているなぁと体感しました。C村の子、とてもかわいいです。
最後に村の子供たちが描いた落書きで締めくくりたいと思います。男の人が横向きで描かれています。手の癖からおそらく右利きの子が描いたのだろうということはわかりますが、少年を描いているのか男性を描いているのかはわかりません。でも見るからに相当絵が上手いと思います。この絵は、日本の子供の絵と比べてどうでしょう。日本の子供が描く人の絵は大体正面を向いていると思います。この捉え方の違いは一体どこから生まれるのか、とても興味深いです。次また村へ赴く機会があれば、クレヨンと画用紙をもっていって、どういう色使い(色認識)をするのか見てみたいです。派手な色が好きそうだなぁ。
このように、調査初日だけでも村での体験は興味深いことばかりでした。私たちと人間性の違う所や似た所がどちらもある中で、子供というのはそれが表情や態度・行動によく表れるように思います。言葉が通じなくても遊んでみるだけでたくさんの発見があって、ベタですがとても楽しかったです。もちろん調査内容はしっかり記録していますので、ただ遊び呆けているだけというわけではありませんので安心してください。(笑)
余談ですが今回のラオスでの調査内容は展示発表するようです。私が調査したお酒のことや次の記事で出てくるアレソレも詳しくはそちらの展示に乞うご期待です。
では、次回の投稿もよろしくお願いします。
(BILLY)