歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2013-08-12

卒業生の応援

お盆前

発掘調査はようやく佳境に入ってきた。

今日も卒業生が現場に応援に来てくれた。

車で鳥取から長野を経由して、朝米沢についたという。お疲れさまでした。

1日、2年生の指導をしてくれた。

先日から続いた栄養ドリンクの差し入れがありがたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、学校に帰り、図面整理している学生のもとに、仕事帰りの卒業生が差し入れを持って訪ねてくれた。現場でいつも叱られ心細い学生にとって、彼らの声は暖かい・・・・

 

2013-08-11

佐渡の金銀山遺跡

「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」

世界遺産を目指して着々と調査研究が進められている。

鶴子荒町遺跡では16世紀末~17世紀初めごろのごく短期間に形成された鉱山町と工房の跡、道路跡がよく保存されている。その一角から見事に精練場が見つかった。

近世初期の城普請や城下町建設、民衆や武士の高揚を経済的に支えた金銀。本土から離れ、ひっそりと山の中に埋もれた遺跡ではあるが、往時の活況を彷彿とさせる空気が感じられた。

 

 

一方、金山観光のメッカである相川では近代の三菱鉱山の建造物等が重要文化財、史跡に指定されている。ここでも石垣の保全は厄介な問題になっている。近代(大正・昭和)の練り積み石垣が崩れ、トンパックで覆われている。どんな価値を認め、どんな方法で保存、継承していくのか?新たな問いが生まれている。

 

 

 

 

 

 

 

2013-08-09

定点観測

序盤戦が終わった。

 

宿舎の前で記念撮影。定点観測12枚目の写真である。

 

この二日間卒業生3人の応援とフィールドワーク演習の1年生が加わり、いつも静かな現場に賑やかな声が響いた。

今年の合宿は異例づくめ・・・・チームで仕事をする、ということはどういうことか。発掘以前に学ぶことが多い。

 

院生や4年生がいない中、背中で仕事をみせてくれた卒業生に感謝!

 

 

 

本番はまだまだこれから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013-08-03

自分たちの基地

今日、現場に小屋が建ちました。

 

 伝統の単管パイプによる小屋作りはここ2年ほど途絶えていました。今年の3年生が復活させようと、資材を運び込み、2年生の協力を得てなんとか建てあげました。

仕上がりにはやや難がありますが、立派な基地ができました。なんだかんだいっても小屋は精神的拠り所です。

 

 

昨日は赤鬼の大盛りカツカレーをおかわり。今日は「いちばん」でラーメン食べたあと、足りないとチャーハンを追加注文する学生が3名。食欲は旺盛です。

 

発掘が始まって一週間。ようやく環境整備が終わって来週から調査が本格化します。

 

昨年に続き、卒業生の佐藤俊くんが現場を訪ねてくれました。新潟を朝5時に出てきたそうです。久しぶりに会ったら、変貌著しく地元のおじさんと間違えました。申し訳ない!

 

 

2013-08-01

赤鬼に異変!

卒業生のみなさん。

今年も赤鬼は健在です。なんと日替わり定食が500円に値下げ!

おばちゃん曰く。「ご要望にお応えしました」

そしてもちろん学生はご飯○○放題。ほんとうにありがたい限りです。

金曜日の定食が待ち遠しい…

 

 昨日、今日と現場は雨が降りませんでした。山形は降ったらしいですが、山一つ越えると天気が全然違います。

 

いよいよ羨道部の掘り下げと前庭部の拡張が始まりました。

それぞれ、ねらいははっきりしていますが、どんな展開になってくるのか。

これからが本番です。3年生は覚悟しておいてください。

 

木に登り空を見上げるモリアオガエル 。

 

2013-07-30

発掘調査が始まりました。

梅雨明けが遅れ、夏はどこへ・・・・・

 

今年も戸塚山に来ています。昨年に引き続き上浅川支群175号墳、174号墳の調査を行います。

 

今日はトラックで発掘器材を搬入。昨年のトレンチと石室を養生した垂木とブルーシートを取り外し、明日からの調査に備えました。1年ぶりに光を浴びてびっくりしたのはカマドウマたちでした。アシナガクモさんも。もうしわけありませんが、引っ越ししてください。

そしてカナチョロの卵がちらほら。毎年同じ場所で産卵するようです。

 

駐車場から現場までの通路にはさまざまなキノコとともに巨大な「ヤマナメクジ」。10~15センチサイズのものがうようよいて、大好きなキノコを食べている。

昨年真っ白になっていたモリアオガエルの産卵は今年は見られなかった。もうおわったのだろうか。

 

ともあれ、これから1か月。暑い夏が待ち遠しい・・・・

 

 

 

 

 

2013-07-08

旧奥州街道-芦野宿

芦野石は白河石(福島県白河市)と同じ溶結凝灰岩。緻密で安山岩のような質感がある。2001世界石建築大賞を受賞したというストーンプラザを訪ねた。建築家隈研吾氏の設計による石の美術館である。歴史や技術も学べるが、石という素材の可能性を追求するアートな空間となっている。

見学の後は、まちなかと石切り場を歩いた。やはり多くのお宅に石の祠がある。何軒かのお宅や歴史探訪館の館長さんに聞いてみる。温泉神社との関連を示唆するも、信仰の詳細はよくわからなかった。路傍には石碑、石仏が散在するが、石の町を主張する気配は感じられない。街道筋の住宅には門前に旅籠名を入れた石柱が設置されており、宿場町の記憶を伝えようとしている。整備はこれかららしい。

 

 

2013-07-08

石の里-徳次郎(とくじら)

私たちが調査している高畠と同じように、農村部に石が集積する町として著名な徳次郎にやってきた。といっても規模がまるで違う。その量に圧倒されながら、徳次郎6カ村の西根、田中、門前などを訪ねて歩いた。

 

地元の徳次郎石は緑色がかっていて、ミソと呼ばれる「ス」が少ない。したがって細工物や貼り石に用いられた。西根の集落ではメインストリートに面して蔵や石塀が林立するので石が目立つ。各家庭には石蔵が1~4棟あり、石瓦の屋根も少なくない。家財をいれておくだけでなく、アーチ形の入口をもつ「アマヤ」は農作業場や、農機具置き場として利用されている。かつては芋なども貯蔵した。石蔵といっても大谷の延石(五十石)を縦積みした構造体をなすものと、木骨の外壁に徳次郎石の薄板を貼り付けたものがある。後者が古いらしい。 

 

石蔵は、巷間いわれるように火災から財産を守る(西根集落では110年間火災がないそうだ)だけでなく、上層農家の富貴の象徴として建てられた。蔵の窓や庇の装飾がとにかく派手である。垂木や斗供表現、唐草・雲形文、七福神のレリーフ・・・。また、ギリシャ神殿建築の円柱表現がやけに目につく。和洋テイストがごちゃまぜの感。もはや過剰デザインの域に達している。

作る側、使う側の、その時々の信仰やあこがれ意識がこのような多様性を生んできたと思われる。高畠には見られない世界がここにはある。

 

 

古い住宅の母屋は木造で基礎は延石ではなく、玉石を使う。高畠では明治以降は6尺の延べ石を使う。母屋が石積みの家が1軒だけ残っていた。蔵外壁の石材配置パターンもさまざまだ。近年建てた住宅で外壁にすべて大谷石を使っている家もある。建築基準法と折合いながら石の景観を大切にしている。 

 

 

 

 

 

 

 

西根集落は、平成23年2月に認定公表された「とちぎのふるさと田園風景百選」に選ばれ、バス見学ツアーの団体もくるそうだ。

道路を歩いていると、車で通りかかったおばさんがわざわざ降りてきて、見どころを説明してくださった。外部からの注目を集めることで、住民に石の里の景観を守って行こうという意識があるようだ。現在はNPO法人大谷石研究会(景観整備機構)と宇都宮大学が調査に入っている。成果が公表される日を待ちたい。

 

そんななか、東日本大震災はこの町にも被害を及ぼした。石蔵や石塀は地震に弱い。大棟や屋根の石瓦、石壁が落ちたままの家がある。棟石が崩れて屋根をトタンに替えた家もあった。一番大きな被害のあった石蔵は壁が落ちたまま手がつけられず放置されていた。

 

 各世帯には裏庭(山)に氏神様を祭る石鳥居と石祠がある。祠は1~3つで、ほかに稲荷神などを祀っている。聞いてみると祭日やお供えは各家庭で異なっていて、あるお宅では10月10日に尾頭付き(サンマなど)と赤飯、お神酒を供えて、注連縄と幣を新しくするという。あるお宅では正月だった。井戸神や水神の祠もあった。高畠の屋敷明神と比べると、こちらは立派な構えであるが、家と豊作、豊かな水を願う心は同じである。

 

その他土留め、石垣、水路の護岸、置石等、踏み石、橋、洗い場、集石など多様な使い道は高畠にも通じる。それでは高畠の特徴ななんだろうか?

酪農と結びついたサイロ、庭文化として根付いたナツカワや自然石の多用、住宅基礎への延べ石の積極的利用とその転用としての境界石や土留め石、野積みの石塀、間知石や端材利用、各種生活道具(珍品が実に多い)が思いつく。昭和35年頃から機械掘りが普及した大谷石にはチェンソーの石目がつく。高畠で最後まで手掘りだったため、表面感が野趣に富み軟らかい。

 

石の里の魅力はその「量」や「派手さ」ではない。高畠石の生産は大谷から見れば小さい。しかし、ここには独自の採掘技術があり、徳次郎とは違う生業、社会があった。ふんだんに石があって価格も安い大谷とは石材に対する価値観も異なる。高畠の石使いには手仕事のぬくもりと資源を持続的に使い続けるという、味わい深い魅力があることを改めて感じる旅であった。

2013-07-08

大谷(おおや)と芦野(あしの)

6月の末に学生たちと石の町-大谷(宇都宮市)と芦野(那須町)を訪ねた。

 

大谷資料館

大谷は東日本屈指の石材(凝灰岩)産地。房州石や伊豆青石とともに首都圏の近代化を支えた。

大谷資料館は震災後、岩盤崩落の心配から閉鎖されていたが、この4月に再開された。石材採掘技術を学ぶ展示室と地下の垣根掘り丁場が公開されている。震災前より見学者が増えているように感じていたら、学生曰く、最近話題のアニメ「進撃の巨人」のエンディングテーマ「美しき残酷な世界」のミュージックビデオがここで撮影され、若者にも知名度があがったそうだ。親切で勉強熱心な2人のボランティアガイドが付きっ切りで説明してくれた。というより、こちらが質問攻めにして離さなかったというのが正確だった。

 

切り出す石の標準サイズは「五十石(ごっといし)」といって、5寸×10寸(=1尺)×3尺、すなわち長さが90cm、断面が15cm×30cmである。30㎝四方の石を切り出して、これを二つ割にする。1本1本背負子で担いで貯石場まで運び出す。この規格的な五十石で建物や石塀が造られている。

房州石など、各地の石材はいずれも3尺が標準である。高畠がなぜ6尺の「一二八(いちにいはち)」という大きな石を現代まで標準としたのか。往時は手掘りで1日10本、1本切り出すのに4,000回ツルを打ったという。高畠石は80歳のG氏が引退間際で6尺×1尺2寸×8寸、1本を切るのに4,200回余り(若いころはもっと少なく、切り出しは1日1~2本程度といわれる)。大谷の五十石で4,000回はちょっと大げさだろう。資料館周辺には露天掘り丁場跡がいくつもある。石切り場はどこも埃っぽくて、殺風景だけれども職人のにおいがして好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめているわけではありません・・・

 

 

 

 

 

 

 

それから大谷の町を少し歩いた。そこかしこに石造りの建物があって「石の町」独特の雰囲気がある。しかし石材産業は斜陽の趣があって、廃墟感が漂う。さすがの大谷も例外ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、市街地にある教会建築を二つ見学した。松ヶ峰教会は1932年竣工、戦争で罹災後、1948年に復興した。登録文化財として活用しながら保存されている。親切な神父さんが中を案内してくれた。エレベーター付設の際に取り付けられた屋根の雨水排水口に「蛙」の石造物が使われている。どうみても「カメレオン」にみえるが、神父さんはゴム靴を履いた「カエル」だと言い張った。建築当時の司祭が宮沢賢治と深い親交があり、童話「蛙のゴム靴」に登場するカエルにちなんで作ったのだという。

帰り際にお礼を言って出ようとすると「また来てください!」というので、「今日は下見、今度は結婚式で・・・」というと微笑んで見送ってくれた。

 

夜はお決まりのギョーザ。閉店間際に並んで食べる。食うと決めたら食う! 

そういえば行きの安達太良SAから食欲旺盛。お昼もおいしいラーメンも30分並んで食べた。欲があってなかなかよろしい。

2013-06-18

高畠の石工のルーツをもとめて-古文書を読む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金曜日朝から学生たちと「石材記念碑」の拓本を採りに行った。2時間ばかりの作業だったがあっという間に日焼けした。その足で午後からは山形大学の図書館。ここに所蔵されている古文書から高畠石に関する記事を探索した。

 

膨大な江戸~明治の文書を手分けして一枚一枚ページをめくる。わたしが担当したのは高畠町佐沢村。最上川の支流で農民たちが毎年のように川除普請にかりだされ,その工事内容と収支が克明に記録されていた。

 

驚いたのは、わたしにはさっぱり読めない文字をときどき辞書をひきながらではあるが、2年生がどんどん読んでいくこと。

 

この日から古文書の前では「先生!」と呼ばせてもらうことにした。

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