ゼミ旅行から帰り、今日は群馬県下仁田町荒船風穴(世界遺産暫定リスト)の石垣解体調査に行って来た。
あいかわらずの残暑。いつものように半袖シャツで出かけたが……
現場に着くと?みなさん長袖のジャンパーを着ている。
このところバタバタしているせいか、想像力が欠如していた。ここは荒船風穴。夏でも2〜3℃の冷気が噴き出す場所だ。今日の遺跡の外気温は18℃。石室の中に入るとまるで冷蔵庫の中にいるよう。
石積みの観察をはじめてすぐ、雷鳴とともに土砂降り雨となった。冷気の中でずぶぬれになり震える時間だった。
それはともかく、解体調査の結果は思わぬ事実だった。
表面からみていた石垣の積みはお世辞にも上手と言えるものではなかった。1号風穴は明治40年代に施工されたものだが、不揃いな割り石を隙間だらけに積んだ石垣で、よくいままでもったといえるシロモノだった。
ところが、解体してみると背後には木端石の裏込め層があり、さらに背後には自然の巨大岩塊の隙間を埋めるように石積み壁が存在した。岩塊の奥から噴き出す冷気を石室内に取り込むようにあえて粗い割り石を積んで隙間を作っているのだ。石材の尻には摩擦を増すための「介石」を詰め込んで構造の安定をはかっている。
山側の冷気の出口は粗い石積み、谷側は冷気を閉じ込めるために密に積み上げ外からは漆喰を塗りこめる。石材加工と積みを場所によって使い分けている。
いつも城石垣を見ている立場から、これまでは近代の稚拙な石積みという先入観で見ていた。やられた!という感じだった。
壁面の崩壊の理由もある程度明らかになった。上部の小屋掛けが無くなって、裏込め層に土砂が流入。目詰まりを起こし、上部に厚い裏込め層の荷重が石垣にかかり孕みを増していったのである。水分を含んだ土等の凍結膨張も要因の一つである。
石垣修理ではこれらの技術的特徴、崩落要因を踏まえて設計・施工する予定である。
先人達は冷気が噴き出す山(自然)を熟知し、養蚕という生業技術と組み合わせることで、この遺跡を形成した。石積みのワザといい、当時の人々にとっては当たり前のことだっただろう。
自然と関わりながら暮らす人々の「日常」。それが私たちの辞書であり先生である。繰り返し紐解き、学んでいきたい。
補足:解体調査を担当しているのは卒業生の佐野君。私が山形に来た時、4年生だった。不思議な縁である。
人生の先輩たちがライフヒストリーを若者のために訥々と語ってくれる。
最初は、断片的で、私的であるが、やがてひとりの、家族の人生ドラマとなり、それが束になってこの地の生業や社会の歴史としてリアリティーをもって我々に迫ってくる。
地域に根づき真摯に生きてきた人々の語りに耳を傾けられる幸せ。自分と向き合う時間だ。
Aさんは石を切って50年。その歴史と仕事(作品)を写真をみながら一つ一つたどる。地元だけでなく上山や寒河江にも鳥居の部材を切り出した。6mの角石を矢で剥がす。写真見る限り矢は30本以上あった。その重さで土ゾリがしなって危うかったと奥さん。
なぜ山石工が田んぼを持つようになったのか。興味深い話だった。
印象的だったのは奥さんが旦那さんの仕事の時期と内容を細かく記憶していること。石工の女房が影でその仕事を支えてきたことが垣間見えた。
二井宿街道の特徴的な景観構造物として円筒形の「サイロ」がある。
酪農が盛んだったころ、トウモロコシ等の飼料を保管する施設として各家庭に作られた。地場の資源と結びついて高畠石製のサイロができあがった。面を50cm角に仕上げ、アールを付けて円筒形に積み上げる。
しかし、現在残るのはコンクリート製のものがほとんど。オリジナルの石製サイロは少なくなった。
これは平成10年に開園した町の歴史公園とかかわりが深い。
この時に舗道に使う敷石材として、サイロに目が付けられた。サイロを一斉に壊し、その部材を薄くスライスしてこの材料としたのだ。新たな用途に再生されたわけだ。
まちあるきをしながらサイロが林立した昔の姿をふと想像してみる・・・・
石製サイロが消えるのがあまりにも急だったのと、再生方法が原形をとどめない形で行われたのはちょっと残念な気がしないでもない。
Uさんの庭をみていて、ふと顔を上げると巨大なサイロ?が目に飛び込んできた。
家人にたずねると、これは某酒造と当家の給水塔らしい。合点がいった。それにしてもすごい!用途はサイロではないが、かつてあった石製サイロのシンボルとして十分な迫力を持っている。
終盤に入り、難敵が続く。
どこのお宅も奥が深い。裏にまわると続々と石が顔を出す。下駄子町はかつて屋代川やその支流の氾濫に悩まされてきた。梅雨時期にはしょっちゅう水がついたそうだ。
AさんやTさん宅の東側には本格的な石塁が築かれていた。信玄堤や直江石堤には規模では及ばないが、石の産地−高畠らしい切り石積み石垣である。家人は先祖が作った遺構として誇りをもって保存している。
Aさん家の前面を区画する石塀は、増水した水が家に流入しないように作ったものである。入り口には堰板をはめる溝がある。
ここでは農業用水から取り込まれた入川樋(イリカド)が各家庭を順に潤す。床下に入り、台所や庭の池を通って水をリレーする。渇水期の現在も水は流れている。
水と共に生きる。
秋になり田の稲穂も垂れてきた。
連日、最後の出荷の時期をむえているデラウエアを食べながら石の話を聞いている。
今日は、仕事が終わってから久しぶりに日本製乳と瓜割山を訪ねた。
夜はゆうきの里に泊まる。
Sさんの差し入れで豪華な夕食。温泉の後は夏の名残りを惜しむ花火大会。最後は火の回りを輪になり、マイムマイム(踊りはしないけど)。
その後、まちあるきのまとめ方について日が変わるまで議論・・・・休み石さん、ナツカワさん、ドンヅキさん いつのまにか石のニックネームの話に脱線し、就寝。
今日もたくさんの人たちと「石」談議に花が咲いた。
ここでは「石」といえば、いわずもがな高畠石だ。
かつて石を切っていた職人たちはみな80歳前後。出稼ぎと夏場の石切りの苦しい二重生活を語りながらも、その表情には腕一本で角石を切り出した自負がにじみ出る。
ある美容院の奥さんは改築にあたり、石が好きなので外装に古材を再生して利用した。
サイロのある荒れた土地を買って、これを保存しつつ周辺環境を整備しようとしている人もいる。
新築に際し、全く石を使わない家がある一方で、上記のように地元の石を愛し、これを持続的に利用しつづける人が大勢いたことが、二井宿街道のこの独特の景観を形成してきた。
生活環境が変化し、不要になった石製品に別の機能を付与し、再利用する。石臼や火鉢(ロブチ)、手水鉢、ナツカワなど。庭に見ることが多い。住宅の基礎石は改築すると宅地や庭の境界石・土留め石に早変わり。端材は材木置場の土台にしたり、敷地の傍示にする。余ったら集積し、次なる需要に備える。
気障にいうと「再生の美学」とでも言いたくなるが、住民にとってそれはあまりにも当たり前のことなのだ。
金原や駄子町ではクマ・サルの被害があいつぐ。
サルの群れが旧家の大棟に乗って遊んでいて破風を落下させたという話は笑えない。
発掘が終わって1日お休み。今日から高畠まちあるきプロジェクト夏休み編が始まった。1週間集中的に歩く。
残暑とはいえ、発掘現場からみるとずいぶん涼しい。住民の方々と木陰や作業場で高畠石を語らいながら、土地の歴史、個人の歴史をよみがえらせる時間は実に楽しい。
いつまでも話を聞いていたいが、先をいそぐ旅でもある。
昨年6月から牛歩のあゆみで二井宿街道を上り、ようやくぶどう・まつたけラインを越えた。めざす米鶴酒造はもうすぐそこだ。
予定より1日延びたものの、本日所期の目的を達し、戸塚山175号墳発掘調査が完了した。
今年度の主な調査成果
?1/100地形測量図を作成した。直径約15mの円墳である。
2年生+1年生の活躍と4年生の指導があった。
?墳丘東側のトレンチで墳丘盛り土の断面と周溝を検出した。盛り土端は石積みで土留めしている。周溝上層から墳頂部で破砕されたとみられる須恵器大甕等の破片が多数出土した。
?横穴式石室の実測図を作成した。玄室長3.5m。戸塚山では最も大きな石室の一つ。戸塚山タイプ石室の石積みの特徴が明らかになった。石材は凝灰岩質砂岩と頁岩の使い分け。
?前庭部調査区で羨道前面の石積みを検出した。大型石材3段積みで直線的。羨道入り口部には石敷き面(墓道?)が存在する。石敷きの西側から須恵器甕がつぶれた状態で出土した。同時に出土した須恵器杯から築造時期は7世紀後半と判明した。羨門部に伏せられていた杯は8世紀初頭のもの。時期差があり、追葬時のものか。
8月6日に始まった今年の発掘調査。これほど暑い夏はなかった。雨が降ったのはこの間、わずか10分ぐらい。
異例はもう二つ。調査中に現地説明会がなかったこと。毎夜資料作り追われることはなかった。現説は、これから始まる米沢市教委の発掘調査と合わせ、10月に合同でやることになっている。
そして、上記に関連し、最後の土のう祭り(埋め戻し)がなかったこと。やや盛り上がり(異常な興奮・錯乱状態?)に欠けた感はあるが、最終週は早出や遅仕舞いでささやかな土壇場を迎えた。
現場は4年生が指導的役割を果たし、各調査区担当の3年生の仕事を助けた。期間中皆出席の2年生が3年生と切磋琢磨し、いい刺激になった。そして1年生も序盤、中盤、終盤、それぞれの段階でかけがえのない人材として調査に貢献した。少人数ながらいいチームワークだった。
発掘現場の記録は、写真実測や3D計測、トータルステーション全盛のご時世である。そんななかで我々はあえて手測りの実測を行う。方眼紙をみるのはもう嫌というほど石の図を描いた。手測り実測は1点1点の石や土器片と対峙する作業である。この果てしない繰り返しの動作がモノを観察する、仮説を立てる時間なのだ。
現在の発掘現場では記録の効率化の影でそんな時間が失われている。図面や遺構の上に滴る汗、目にしみる汗、ひたすら石にコンベをあてた夏を忘れないでほしい。
戸塚山からこんにちわ、あべちゃんです。
連日の猛暑にも負けず、最近は実測に明け暮れる毎日です。
とにかくあつい・・・めげそうになる・・・そんな私達をおいしいお昼で支えてくれる食堂あかおにをご紹介します!
素敵なお姉さま方とおいしいご飯があるそこは、まさに楽園です。毎日お昼のあかおにタイムが私の心の支えです。いやほんとに。
今日は今シーズン最後の日。一か月お世話になったお礼と、毎年恒例の記念撮影をしてきました。
さて、あかおにに通ったことのある方ならだれでも知っている・・・(?)そう、
毎週金曜日はカツカレー
今日は最後ともあって、ほとんどの人がカツカレーでした。幸せすぎる満腹具合。午後の活力です。幸せついでにとなりの席の後輩のみっちゃんにカツをおすそ分けしました。とても嬉しそうでした。
3年間通ったあかおにも4年の私にとっては今日が最後…
あかおにからも卒業か!?と思いましたが、
Wさん「来年もこらんなねべ!また来年な!」
との嬉しい一言により、あかおに卒業はもちこしとなりました!またきます!
今まで沢山の先輩方があかおにに通い、お付き合いは10年以上です。棚には、毎年撮った写真、プレゼントしたTシャツを飾っていただいています。これからもきっと、沢山の後輩が通うことでしょう。今までお世話になりました!これからもよろしくお願いします!
一年生の4年間あかおに記念写真に写り続けるという話…
私は達成されることを祈っているよ!!!!
さて、現場の方は
今日で作業は終了・・・ともいかず、明日も作業は続きます。まだまだ暑く、体力は奪われるばかりで、仕事もまだ残っているけど、なんとかする精神で明日も乗り切りましょう!!!!!やるぜ!!!!
以上、戸塚山からあべちゃんがお送りました。
かまどうまとは知り合い程度になりました。
PS,来週の高畠まちあるき、参加者まだまだ受付中!
第4コーナーを回って各馬一斉に鞭が入った。
残り日数とやり終えないといけない仕事量(実測)を考えると気ばかりが焦る。
これを乗り越えるには集中力しかない。
「土壇場力」「なんとかする」
いまこそ考古学研究室の魂をみせろ!
かつて修羅場をのり越えてきた先輩達ならそう叫ぶだろう。
学生たちは連日の猛暑も相まって疲労がピークに達している。そのせいか、少し変になってきたか。まだまだ・・・・
そんななか今日もフレッシュな1年生が応援に来てくれた。さながら一服の清涼剤のように。