福井県の笏谷石(しゃくだにいし)といえば、北陸を代表する凝灰岩石材。古墳時代の舟形石棺、中近世のバンドコ(暖房具)。近世には北前船によって石材が日本海側に広く流通した。鶴岡には慶長年間に建てられた立派な鳥居がある。
この丁場(七つ尾口)は8年ほど前に石切りが停止し、坑道はふさがれてしまった。いまはわずかに酒屋さんの貯蔵庫として使われるのみ。湿度・気温が年中安定しているからだ。大谷とちがってここは17℃前後と高い。
数百年の歴史が刻まれた坑道を石工さんの案内で奥へ奥へと進んだ。トロッコのレール、30mの竪坑から石を引き上げたウィンチ、崩落止めの松の丸太、採掘者の墨書・・・・
ところどころにみられる落盤。
つわものどもが夢の跡。石切り場は日本の近代化を象徴する遺産のひとつである。どう残し、活かすか。わたしたちに課せられたテーマである。
1年生の授業で上山市にある県埋蔵文化財センターを見学しました。
恒例の現地集合。集合時刻に電車で、バスで、自転車でと、続々と学生があつまるなか、一番乗りでかけつけたのは大学から徒歩で来たというI君。前代未聞!いい根性をしてます。何時間かかったの?というか、ちゃんと前の時間の授業出てたの?
埋文センターでは職員の方々が出土品整理の行程にしたがって丁寧に説明をしてくれました。最後に古代体験学習グッズをみて、自分たちの課題の参考にしました。
考古学協会前の2週間、発表のためにほぼ毎日土鍋料理(台風の日は中止)を作る。学生たちが付き合ってくれました。なんでもとことんやることが大事だと。研究のアイデアがピカッ!とひらめき、脳が喜びを感じていく感覚。ぜひ一緒に味わいましょう。
2年生は石焼のどんぐりクッキーを作っています。一生懸命実験結果をまとめています。
道路際でやっているのでいろんな人が声をかけてくれます。散歩の人、こども芸大の親子、学生・・・「出会い」があります。
10月17・18日の両日、本学で日本考古学協会2009年度山形大会が開催されました。全国から2日間で延べ880名の考古学関係者が集まりました。この大きな学会に歴史遺産学科の卒業生・学生40名が運営スタッフとして加わりました。全員がスーツを着用し、学内外で統一感あるきびきびした働きをしました。いい経験になったことと思います。
学会側の会長・理事をはじめ、実行委員会の役員からは学生たちの活躍とホスピタリティーに称賛の声があがりました。お世辞抜きです。
考古ゼミの学生にとってはちょっと大がかりな現説(発掘現場での現地説明会のこと)のノリだったかもしれません。そういう意味では慣れていたのかも。
大会は山形考古学会を中心に実行委員会を組織し、1年余りをかけて準備してきたものです。参加者は天気にも恵まれ、学術的な成果だけでなく、紅葉と食と酒の山形を堪能して帰りました。
手弁当で駆けつけてくれた22名の卒業生たち。遠くは兵庫、埼玉、群馬、石川、新潟から、そして東北各地からかけつけてくれました。母校のために応援してくれた彼ら、彼女らに対してあらためて感謝の意を表します。ほんとうにありがとう!
秋といえば・・・・
そう「狩り」と「木の実」の季節です。
演習室がにぎやかになってきました。
シカの中手骨で骨角器を作る学生、コナラやミズナラのどんぐりを拾ってあく抜きをする学生、土鍋調理にいそしむ学生。
部屋のなかでは獣とナッツの入り混じったにおいが漂っています。
手前ではどんぐりの皮むき、奥ではあく抜きしたドングリをつぶし、ゆでたクリと混ぜています。
どんぐりの皮むきはタイで買ってきた木製クロック。なかなか優れものです。
秋晴れの下、チュートリの野焼きをしました。
今日はハレの1年生デビューの日です。3年生の指導をうけ、開放型と覆い型の2種類を経験しました。覆い型はワラのみで被覆材なし。タイで勉強した方式を試してみました。
どちらもうまく焼けて上出来でした。目的だった野焼き時の操作や熱放散の違いを体験し、それぞれ焼成痕跡の違いも観察しました。
今日はカミとあべちゃんがタイで買ってきたトムヤム・セットで料理を作りました。スープやナンプラー・麺も仕入れてきたので本格的です。これからもおいしい土鍋料理をお願いします。
そのほか、縄文土器の胴下部コゲを理解するための実験を行いました。そのとき、学生から鋭い指摘!わざと焦がすんじゃないの・・・。これは何度も何度も土器調理したからこその考え。逆転の発想です。その真偽はさておいて、自分たちの日常や経験に縛られない柔軟な発想で、うれしくなりました。
もみぎりで火おこしをしました。文献ゼミのS君が朝からかけつけ、手にまめを作って奮闘。火種作りはマスターしました。しかし杉皮への着火がいまいち。火おこし塾の卒業はまだ先です。
日本画の番場先生、さすがです。あっという間でした。
散歩に通る人も随時体験。近所の親子も一緒に。お父さんが娘の前でいい所を見せようとがんばっていました。気持ちよくわかります。
どうも、W・Tです。久しぶりのブログ更新です。
9月12日〜20日に、飛島の調査に行ってきました。
飛島は民俗の方でも調査を行っていますが、我ら福田ゼミは考古ゼミ。
調査というのは、もちろん発掘調査です。
で、どのようなコトをしてきたかというと…
飛島では、過去に道路を作る為に発掘調査が行われ、「蕨山遺跡(わらびやまいせき)」という、遺跡が見つかっています。縄文時代の中期で、今からだいたい5000年前の遺跡です。蕨山遺跡の調査はほとんど行われていない状態なので、遺跡全体の広がりもあまり分かっていません。
この貴重な遺跡を、本大学で調査させていただくこととなりました。
そして今回、その蕨山遺跡を発掘してきました。発掘といっても「試掘」調査です。今後どのように調査を進めていくか、目安となります。適当に掘るということは、絶対に許されません。基準となる杭を何本か打って、それを元に3箇所に試掘孔(テストピット)を開けていきます。どれも2メートル以下の小さなものです。
しかし、先生の予想は当たるものです。この範囲で見事、捨て場のような遺構を発見することができました。遺跡の広がりを把握する為の、とても重要な情報です。
遺物は土器の破片、石鏃(石の矢じり)、石垂(石の重り)、などが出土しました。石器を作る際に出るチップとフレークはかなりの量です。
今回の調査はここまで。来年もまた掘れるように、ビニールシートで保護しながら埋め戻してきました。
あっという間の9日間でした。
今回の調査が無事成功したのは、飛島の方々に限らず、多くの協力があってからこそ。
皆さん、どうもありがとうございました。
(詳細は、遺物や図面の整理をしながらUPしていきます。)
by.W・T
日程 9月9日(水)〜17日(木)8泊9日
考古ゼミの3年生、院生に、1、2年の各1名を加え総勢8名が参加しました。左から、アンジー、かみ、あべちゃん、ぐみ、りえちゃん、たっちゃん、おこげ、ひろ。
タイではお互いをニックネーム(生まれた時に登録します)で呼び合います。本名はめったに使いません。大学の先生は、ファミリーネームを知らない学生が多いと言ってました。われわれも自己紹介ではニックネームを言うことにしました。
目的地はタイの東北部(イサーン)です。
イサーンはタイで最も貧しいといわれる地域です。高原地帯で水が少なく灌漑が未整備、土地に塩分を含むため地下水の利用が難しく、農作物の収量が低い、稲作は雨季のみの1期作。民族、言語、歴史、生業、料理など、いずれをとってもタイ中部や北部と違う独特の文化をもっています。ラオスやカンボジアとの共通点も多くみられます。研修の目的は3つあります。
第1は、フィールドで民族考古学の調査を体験することでした。伝統的な土器作り村をたずね、自然や生業、社会と土器つくり技術との関係を把握すること、技術変容の現場を観察し、なぜ技術が移り変わっていくのかを多面的に理解すること。このような調査によって、考古学が対象とする過去の現象を解釈するモデルを作ることが目的です。今回は短い時間でしたから、実際に村の中を歩き、ポターの女性から話を聞くことでその方法や意義が理解できれば十分です。村の人の豊かなくらしに触れ、自らが失ってしまった大切なもの、いくつ見つけることができたでしょうか。
突然の情報でようやく探し当てた村、86歳の現役ポターに話を聞けました。道すがら飛び込んだ村でゴザ織りをみたり、おいしい果物を貰ったり、予想外の展開があるのも民族調査の楽しみのひとつです。土地の人とまれびとの出会い、双方にとって何かが生まれる瞬間です。その心のざわめきを大事に育みましょう。
第2は、世界文化遺産となっているタイの代表的な遺跡をみて、歴史や文化を学ぶことです。タイは仏教国(上座部仏教で修行やお布施が盛ん)であり、王室を尊ぶことは世界的にも有名です。現王朝につながるアユタヤ遺跡はタイ人たちがアイデンティティーを寄せる所です。一方、イサーンにはかつて領土だったクメール王朝(カンボジア・アンコール遺跡群)の遺跡が点在しています。国境にある世界遺産カオ・プラ・ヴィハーンは残念ながら紛争地であるため避け、パノム・ルンやムアン・タム、ピマーイを見学することにしました。アユタヤもクメールの遺跡もともに寺院が中心ですが、材料やデザインの違いは顕著です。イサーンの人々はクメール遺跡にどんな思いを寄せるのでしょうか。
第3は、同じ世代のアジアの大学生と交流し、彼らの生の姿や考えに触れることです。今回はマハサラカム大学人文社会科学部タイ・東洋語学科にお邪魔しました。日本語専攻のナム先生と湯藤先生にお世話になりました。ここにはイサーン文化芸術研究所という、芸工大の東北文化研究センターのような場所があります。イサーンの伝統文化の研究とその振興に努めています。所長さんはナム先生のお父さんです。午前中3時間の授業に参加させてもらい、我々は山形の、芸工大の生活を紹介し、その後、ナム先生の授業に参加しました。短い時間でしたが学生たちはお互いの趣味の話で盛り上がっていました。
この旅行の期間中、学生たちの心に「何か」が芽生えつつありました。それが何なのか、私にはよくわかりません。まだ漠としたものかもしれません。異文化の地で、これまでみせなかったような好奇心と積極性。自然や人や暮らしや食への関心、それらの関係性へと眼差しが広がっていく・・・。他者を知ることで自己を知る。驚くこと、気づくこと、知りたいと思うこと。タイの人々の優しさに包まれながら、刺激に満ちた体験をしたことで、彼女らに眠っていた能力が目覚めはじめたようにみえました。このリアルな体験で得たことを、自らの脳にどう刻んでいくのか。一緒に語り合い、考えながらかけがえのないものにしていきましょう。
旅行日程
9月 9日(水)山形→東北道・常磐道→市川市(市川市泊)
9月10日(木)成田空港→スワンナプーム空港、王宮周辺散策(バンコク泊)
9月11日(金)アユタヤ遺跡(コラート泊)
9月12日(土)パノム・ルン遺跡、ムアン・タム遺跡(コラート泊)
9月13日(日)ダーン・クウィアン村の陶器作り、ピマーイ遺跡(マハサラカム泊)
9月14日(月)モー村の土器作り(マハサラカム泊)
9月15日(火)マハサラカム大学訪問、モー村(マハサラカム泊)
9月16日(水)マハサラカム市内散策、コラート・タラー村土器作り、スワンナプーム空港(機中泊)
9月17日(木)成田空港→東関東道・鹿島神宮→常磐道・東北道→山形
安くてうまいものばかり。。。。だったなぁ
夕食はタイ料理中心、昼食にイサーン料理を食べました。
思い出すと口が中が潤う夕食編
深夜0:00にバンコクを飛び立ち、成田に着いたのが朝8:00。時差が2時間あるので6時間のフライト。実際は6時すぎに起こされて朝食を食べるので睡眠時間は4時間未満と少ない。
ピックアップした荷物、心配していた土器は割れておらず、みな安堵。
日本は涼しかった。秋晴れの成田から東関東道で鹿島神宮を目指す。ほんとは目指したわけではなかったが、通り道にあったので参詣してみた。鹿に癒され、大洗で昼飯を食べて高速にのる。車中のおやつは村の家々から貰ったガイヤーサー。
眠さと闘うために大合唱!異常な盛り上がりを見せる車内。やがて力尽き、zzzz・・・・。数々の思い出と心地よい疲れに浸りながら山形を目指した。運転手さんご苦労様でした。
そして、学生は休む間もなく、学祭準備に散っていった・・・・。
もう夜風は涼しくなったが、彼らの熱い夏はまだ終らない。
タイ最終日
朝、市内へ買い物に出た。OTOPshopで衣類や小物を、市場では木製クロック(すり鉢)やティップ・カオ(蒸し米を入れる容器)、ムアイ(竹製蒸し器)など調理・食事用具をお土産に買い、トゥク・トゥクに分乗してホテルに戻る。連日、大きな土器やへんなものを抱えて部屋に戻ってくる一団に、フロントのお姉さんたちの微笑みがあやしげ?でやさしい。各自部屋でパッキングしなおし、お姉さんたちに五本指靴下をプレゼントする。靴下をはく習慣がないタイのお嬢さんではあるが気に入ってくれたようだ。
ここからバンコクめがけて車中7時間の旅がはじまった。郊外のボラブーの道端でマンキャオ(ムンキャオ)という梨のような芋のような果物を食べる。畑でとれる根茎類なのだが、こっちでは果物に分類されている。繊維質でさっぱりしておいしい。物珍しそうに見てたら、おじさんは食えと。ありがとうございました。
23号線から2号線に出て、ポンという町で最後のイサーン料理。ソーセージ、ガイヤーン、ソムタム、ラープ、みんなおいしい。イサーン料理のとりこになってしまった。
おなかいっぱいでバンコクに向けて出発。途中、麻薬で捕まる車を横目に、午後3:00頃、コラート近郊まで戻ってきた。ここで13日に情報を得た土器づくり村を捜すことにした。オーさんの腕の見せ所だ。1時間ほど走りまわってついに見つける。ポターのお婆ちゃん(86歳現役)とそのお孫さんに土器作りや野焼きについてヒアリング。飛行機の時間が迫る中、ぎりぎりまで取材する。この村は、お婆ちゃんと妹さんが最後のポターで、やがて伝統が途絶える。お婆ちゃんの娘さんはずいぶん前に日本に行って結婚したそうだ。どこに住んでいるかは知らないと。10日のバンコク行き飛行機で隣の席に座った27歳のタイ人(北タイチェンライ出身)女性は、母が日本で再婚し(東北地方K市在住)、弟と妹は日本人だと話してくれた。恋しい母に会って故郷に帰る飛行機だった。デジカメ写真に楽しそうな母との再会写真が写っていた。偶然だったが同じような境遇の家族に遭遇した。
おばあちゃんたちに別れを告げ、2号線を南下、一路バンコクを目指す。あたりがうす暗くなる頃、ラム・タコーンダム湖がみえてきた。いよいよイサーンとお別れである。しばらくして山間部を抜けるとバンコク平原に出た。サラブリを抜け、さらに2時間ほど走ると都会の町明かりが見えてきた。8時前にタイ最後の夕食を済ませ、高速道路に乗って空港へ。途中、ちょっとしたハプニングがあったものの、9:50スワンナプームの美しいターミナルが見えてきた。タイの余韻に浸る暇もなく、オーさんに別れを告げ、出国手続きに。オーさんはこれからまた、7時間かけて夜どおしマハサラカムへ向けて走るそうだ。これで驚いてはいけない。仮眠のあと、またお客さんを乗せてバンコクにくるそうだ。おそるべし・・・
帰りの飛行機は座席テレビ付き。なんとなく得したような気分。配られたカステラケーキを食べ、ブランケットに身を包み、即寝る。