5号墳は昨年掘り残した前庭部を発掘しています。課題だった羨門東側の構造がわかってきました。定員1名の個室発掘でした。御簾の向こうで実測されてた高貴な方も個室でした。どちらが早く出られるか?
4年生の平板チームは序盤の計画を予定通りこなしました。来週からは授業で入ってくる2年生の指導と3号墳の墳丘調査にまわります。
榎本君は基準点測量。国道脇から公共座標を現場まで移動しました。1号墳の杭打ちも行って2年生の受け入れ準備は万全です。
朝から雨の一日。即席のブルーシートテントの下での作業でした。
3号墳と10号墳の間に大きな蜂の巣があって、昨日の帰りがけ、撤去を試みたもののあまりの数に退散。今日、雨で蜂が避難しているスキにリベンジ。古木ごときり倒すという強制執行。雨の日には雨の日なりの仕事があります。
しかし。。。脚立に登って木を切っていたら、雨で足を滑らせ、あっと思ったときには空と地面が逆になっていました。
1週間前の飲み会のときにKさん(昨年、石室の中へ頭からずり落ちて逆立ちした)を笑っていたら、あなたの二の舞になりました。人の不幸は笑えません。一寸先はヤミ。皆さんくれぐれも気をつけましょう。
西日のきつい2号墳は連日過酷な暑さです。よしずで陽をさえぎり石室の実測図を書いています。
今日は1年生と瓜割山にいってきました。文化財保存修復センターの岡本研究員が三次元測量をやっているのを見学させてもらいました。
発掘は序盤、体が慣れてきたところで暑さも本番になって来ました。3年生、4年生は学校で毎晩その日の記録や出土品の整理をしています。
山の斜面に散った平板チームは4年生と1年生がいい感じでかんでいます。各班ともいまや1年生が平板の主役です。
今日は蒸し暑い一日、全身汗で久しぶりにすかっとしました。
今日の主役はハイジに乗るカブトムシ。
それにしても今年のハイジの搭乗率は驚異的です。ブランコ少女たち、いまのうちに精一杯羽ばたいてください。
今日は1年生10名が参加し、にぎやかでした。平板の覚えが早く、即戦力になっています。2年生はうかうかできません。
いつもの帰り道、サル軍団に出くわしました。
オープンキャンパスの疲れもなんのその
現場は勝負の8月になりました。
今日から1年生、2年生の参加があり、現場がパッと明るくなりました。3年生は責任感をもって各担当場所を仕切り?4年生はおそるおそる先輩面で後輩を指導、院生がきびしく檄をとばす。やっと夏がきた!という感じになりました。
5号墳の補足調査では排土中から思わぬ○○が出土(汗)。
3号墳は前庭部の攪乱土から須恵器・土師器の細片が出始めています。残り具合が懸念されます。
2・3号墳は明日から石室の実測です。
1年生の4人は平板測量をやりました。みんな覚えが早く期待が持てます。高校時代に経験のある彼は一人で平板をかくことができます。期待の新人です。蚊にさされまくりのNさん、アップ、ダウン、随分笑わせてくれましたね。
それと今日はハイジ2号がぶら下がりました。いまいち・・・
今日から2号墳、3号墳、5号墳に担当が分かれ、それぞれ実測や発掘のための区割り作業を行いました。
今日はなんとなく出会えそうな予感がありました。うわさをすれば・・・。午後3時ごろ、親子でしょうか、仲良く我々の前に姿を見せてくれたのです。5号墳と3号墳を見学して帰りました。
そういえば、朝、出がけに見たテレビの星占いで、「今日は夏らしい素敵な出会いがあるでしょう」と言ってたのです。
カモシカさんとの出会いだったのですね。
今日は現場に小屋が建ちました。ことしの担当は3年生の女子3名です。発掘現場の小屋は単なる物置ではありません。
発掘現場では我々の心の拠り所のような存在です。小屋とともに現場がはじまり、解体とともに終わる...
ラチェットや単管、番線など触ったことも無かった学生が、こうやって苦労しながら小屋を建て上げる。小さな事かもしれませんが、そんなことの積み重ねで若者は成長していきます。
男性陣は午後の休憩時間に「ハイジ」づくりです。元野球部Y君の肩がうなりをあげて・・・・。やや衰えは隠せませんが、見事に目指す枝をクリア。ロープ結びもOK。
みんなで試乗し安全性を確認しました。今年も心の隙間を埋める場となることを期待します。
調査のほうでは、3号墳の平板測量。4年生主体のチームはさすがと思わせるような連携。後輩は参考にしてください。
2号墳も基準杭の設定が終わりいよいよ平板にかかります。
最後に記念写真。
本日から北目古墳群の発掘調査が始まりました。
今年は、古墳群南半の測量、3号墳の石室・墳丘の発掘、2号墳の石室実測が主な内容です。
初日はあいにくの雨の中、恒例の芸工トラックでの発掘器材の搬入。着くなり、荷物を一つ一つ山に持って上がります。足元の悪い山道、わが身だけでも大変なのにこれがなかなかハードな作業なのです。
荷物を山に上げると、今度は草刈り。長く人手が入っていないため倒木とともに立派な熊笹が茂る。合羽の外からは雨、中からは汗・・・・・。眼鏡が曇って前が見えない・・・。全身ずぶぬれとはこのことです。また例によって地蜂のご挨拶、熊ん蜂になつかれる。蚊の大群に顔と手足はボコボコ。なぜか懐かしい感覚で、また今年も現場がはじまったなという緊張感が沸いてくる。
院生、4年生、3年生に卒業生の応援があり、初日は8人でのスタートとなりました。
そしてお昼は赤鬼。おかあさんたち、今年も来ましたよ。よろしく!
夕刻、1日の作業が終わる。かぐわしい匂いを車に充満させつつ帰路に。夜、家につくと風呂場直行だったのはいうまでもありません。
篠山城は、家康が豊臣大坂城と西国大名へのおさえとして、慶長14年(1609)に天下普請で築かせた城です。総奉行池田輝政(姫路城)、縄張り藤堂高虎(津城)。西国21大名が参加して石垣が築かれました。
篠山城の石垣は刻印が豊富です。これは慶長・元和・寛永期の天下普請では珍しいことはありません。ところが普通は普請丁場ごとに各大名らの特定刻印がまとまるのに、ここではそれがあまりみられません。普請現場の体制が一般的な天下普請とは違っていた可能性があります。この工事に公儀穴太が参加したことと関係があるのかもしれません。
午後は山に入り石切丁場を歩きました。採石遺構や石切工程がよくわかる残石があちこちに。しかし、ノミ調整のある残石や刻印石がみつからない。。。集落のある山里には刻印石がいっぱい散乱し、それものに多種の刻印がある。このあたりも特殊な石切・集積・石引の事情があったのかもしれません。
なにせ3か月程度の突貫工事で石垣が築かれ、現場は大混乱であったという記録もあるそうな。
復元された二ノ丸の大書院はガイダンス機能を果たしており、広間では障子を利用して昭和42年の修復工事のスライドショーをやっていました。篠山城は現在も堀の石垣修復が行われています。修復工事で伝統技術を継承していくことと、オリジナルの石垣をできるだけ後世に残すことの大切さ、この2つのベクトルをどう調整していくか。わたしたちの大きな課題です。
篠山には武家や商家群など重要伝統的建造物群保存地区があり、城下町の風情を残す町並みがあります。イメージキャラクターの「まるいの」クンはなかなか愛らしい。でもやっぱりぼたん鍋。今は季節でないので、代わりにししどんぶりを食べました。