歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
*
2009-06-26

世界遺産 二条城を(ひたすら)歩く


ゼミの学生たちと世界遺産−二条城(古都京都の文化財)の石垣調査に来ました。正式には元離宮二条城。国宝の二の丸御殿は修学旅行等で一度は訪れたことがあるのではないでしょうか。

二条城は慶長8年(1603)、徳川家康が上洛の際の居所として築いたもので、その後、寛永3年(1626)に家光が現在の城の原型を作りました。二の丸御殿は15代将軍慶喜が大政奉還をした場所として有名です。

二条城の石垣は、2度とも「天下普請」で、尾張や紀伊など親藩・譜代大名が工事を担当しました。

本丸は寛永度の石垣が基礎となっていますが、今回の調査では天守台をはじめ、寛文期(1660年ごろ)の修理が大規模に行われていることがわかりました。

管理事務所で打ち合わせをし、二の丸御殿の裏庭(普段は立ち入り禁止区域。御殿の裏側を見れてちょっと得をしたような気持ちに・・・)を通って本丸天守台から内堀へと石垣を見ていきました。
17:00からは外に出て外堀際の石垣を見学。外周をジョギングするランナーに不審がられながらも1周しました。
今日の最高気温は35度とか。。。西日のなかをへとへとでした。それから更に堀川通添いにある、慶長期の石垣へ。終わったのは19:00を過ぎたころでした。






2009-06-23

流されてフライアイランド。


先週の土日に飛島に行きました。

そうです。山形県酒田沖にあるアレです。

なにしにいったのかというと、今年9月にうちのゼミは飛島で発掘をするとかしないとか。いや、します。

それの事前調査というやつですね。難しい言葉で言うと、踏査というものにあたるのでしょうか。

さて、島では遺跡の分布とその周辺を歩き回り、地表に落ちている石器の破片やら土器のかけらやらを拾ってきました。

やっぱりあれでしたね。今も昔も人間は水がなくては生活できないようで、沢の近くでは多くモノが拾えました。

瑪瑙(メノウ)っていう白くて半透明の石でつくった石器の破片が目立ちました。飛島はこの「瑪瑙」という石の産地だったようで、島民に話を聞いたところ、昔は海岸で瑪瑙がたくさん拾えたそうです。最近は業者が瑪瑙を拾いつくしてしまい、あんまり見られないそうです。

残念。

実際に海岸も少し歩き回ってみましたが、やっぱり瑪瑙はほとんど見つけることができませんでした。

一口に石器といってもいろんな石でつくられているようで、なかなか興味をそそります。今後は石についても少し勉強してみようかなと思います。

あと、夕飯最高でした。

おいしかったです。

ごちそうさまです。

今回の調査の結果、今年の発掘予定地も無事決まりました。すんごい竹やぶでした。草刈が大変そうですorz

青い海、白い雲、ウミネコたち。

泳ぎたかったです。

いや、まだ早いですね。

しかし、気分はもう夏ですね。


2009-06-14

住宅地で野焼きをしながら・・・


仙台市地底の森ミュージアムのボランティアの人たちと土器の野焼きをしてきました。
博物館の周りはマンションが立ち並び、近年は気軽に火を焚くこともままならないそうです。
参加者は火を自在に操った原始・古代の人々に想いを馳せながら、その技を体験的に学びとって行こうとする熱心な方々でした。覆い型は資源を無駄にしない、省エネ野焼きだとの感想。

日常のなかでかつて火を使う経験(焚き火など)をした世代ほど、自然と深く関わりながら生きた経験のある人ほど、そんな生活の喪失に敏感です。

もはや遊びでも、家庭でも火を使わない子供たちは、これから火をどうとらえていくのか。私たちとはかなり異質な火のイメージがこれから創造されていくのでしょうか。
見学に来た子供たちとボランティア(おじいちゃん・おばあちゃん世代)の会話を聞きながらそんなことを考えました。

2009-06-12

時が止まった石切り丁場−西沢・沢福等・羽山−


高畠町には近代にたくさんの凝灰岩丁場が開発されました。今、生きているのは瓜割山のみ。

周辺には時間の止まった丁場がいくつも点在している。

西沢のようなつい昨日まで仕事をしていたような人の気配がする丁場がある一方で、品質最高といわれた沢福等(さんぶくら)丁場は、廃絶して久しくすでに深い森にかえっていた。上部にある切石丁場のまわりには鍛冶小屋の石積み基礎が点在し、活気があった往時の姿をしのばせる。上部が朽ちて跡形もない小屋跡ではあるが、やや隅に寄って作業台とみられる大きな石がおかれており、わずかに職人の息遣いを感じさせてくれる。ここでは間知石も集約的に生産されていたようだ。沢伝いには石引道があり、石下ろしの痕跡がくっきりついた敷石が所々残っている。
西沢丁場では末期に発電機を導入し、溝切りに機械を用い、石材を岩盤から剥ぎ取る「すくい」には伝統的な「鉄矢」を打ち込む方式で行っていた。新技術導入のひとつのあり方として興味深い。
羽山では丁場末期の機械掘りの道具が残されていた。
近世から大規模に採掘していた大笹生では、石切場周辺に立派な石垣がのこっている。
これら近代化を支えた産業遺産は、町並みの石造物や人々の記憶に痕跡を残しつつも、いまひっそりと眠りにつこうとしている。

縄文時代草創期以来利用されてきた洞窟遺跡、飛鳥時代の横穴式石室群集墳、中世・近世の石造物や石鳥居、「たかはた」の歴史や景観を形作ってきた自然資源がこの凝灰岩である。また現代のブドウ生産もこの凝灰岩の風化土壌に支えられているという。

たかはたに通い出して8年。須恵器窯の調査の時には人と「木」の関わりについて勉強させてもらった。今度は「石」をキーワードにして、地域や、人の、過去・現在・未来をつなげてみたい・・・・、そんな気がする。






2009-06-07

高さ30mの断崖


 6月6日、建築整備応用演習の授業で、北垣聰一郎先生(城郭史、土木技術史)をお迎えしました。今各地で盛んに行われているお城の復元や整備、石工の伝統技術の継承に関するお話しを聞きました。

 7日には講義を聴いた学生も参加して山形市内の石鳥居の石切り場と、高畠町の石切り場を見学に行きました。北垣先生のほか、全国各地から石工技術の研究者たちが集まりました。

 高畠では石工さんから伝統の技を身振り手振りで教えてもらい、溝切りの体験もさせてもらいました。数年前までは複数の石工さんがいて、その採掘場や鍛冶小屋、石引き道がそのまま残されています。伝統技術が伝えてきた価値を再発見し、それらが凝縮された場や道具,知恵などをどうやって現代に継承・再生していくかが課題です。このような視点から先月、千葉県富津市で房州石シンポジウムが開かれ、4年生の高柳くんが参加してきました。

 学生をたびたびこの場所につれてくるのは、石工さんの語りに耳を向け、現場の空気を感じながらこの問題を考えてくれることを望むからです。歴史遺産を研究する者は自らが対象とする資料において少なからず同じ問題を抱えているのではないでしょうか。



今日は、このほか山形市蔵王成沢の空清水の石切り場、昭和初期に瓜割山丁場の凝灰岩で建てられた山交「旧高畠駅」の駅舎、明治期のアーチ橋「幸橋」等を見学しました。

2009-05-16

野焼きシーズン開幕


春が訪れると芸工の丘に煙がたなびきます。
今年の第1回は、3年生が新歓イベントとして企画しました。

新たに加わった新1年生や2年生、飛び入りの下島君が活躍。

2年生は初めて自分たちだけで、開放型と覆い型の2種の野焼きをやり遂げました。苦労して作った大型の移動式カマドもうまく焼け、今後の調理実験が楽しみです。

3年生は大型鍋2個でカレーと球胴鍋でご飯1升あまりを炊いてくれました。さすが年の功・・・・手際よくおいしい昼食を食べました。使用痕の観察も忘れずに。

私は1年生の協力を得て、器形の違う縄文土鍋3個でシチュー料理のスス・コゲ付着実験をしました。実験は仮説検証作業であると同時に思考を柔軟にさせてくれます。

そして、復活!バームクーヘン。4年ぶりです。バームクーヘンを焼く二人の目には防塵めがね。
みんなが覆い型野焼きの煙に逃げ惑う中、工芸専攻の彼女たちは商売道具を持参。羨望の眼差しでみられていました。

今年はどんな企画が飛び出すか。ともあれ、各自が実験課題を発見し、研究の面白さを体験してくれることを願っています。



2009-05-15

双月沼田マツヤマ古墳の測量


新緑がさわやかな5月。いま2年生は歴史遺産応用演習の授業で山形市内にある古墳の測量を行っています。

学内実習とは違って、現場では立ち木が邪魔をして思うように進みません。レベル高の計算間違い、図面の定位のし忘れなどトラブルもありましたが何とか乗り切ってまずは順調なスタートだったと思います。学生たちは6つの班に分かれて測量し、あとで基準杭にしたがって図面を合成します。

この古墳は3年前、ゼミの学生たちと分布調査をしていて見つけました。直径30mあまりの円墳で、山形盆地では50mクラスの山形市菅沢2号墳、山辺町大塚天神古墳に次ぐ規模のものです。ほかに山形市内では吉原こくぞうさま古墳が30mぐらいの円墳とされています。

現在、県埋文センターに勤める考古学研究室OBや大学院生が休日を利用して測量をしています。先輩達を助けるいい図面をかいてください。






2009-05-14

どきどき野焼き2009スタート

チュートリ「どきどき野焼き2009」がはじまりました。今日は1年生6人と2・3年生の新人4名を向かえて、にぎやかに素地作りを行いました。演習室に久しぶりの活気が戻りました。

来たる5月16日(土)には新歓の野焼き・調理パーティーが計画されています。昨年来作り貯めた土器を焼き、土鍋料理が振る舞う予定です。乞うご期待!

去年の今頃は、第四紀学会に向けてたくさんの実験土器を作っていたっけ・・・。今年はこれからどんな企画がはじまるのか。

2009-05-02

洞窟めぐりと春の山歩き2


連休に突入し、野に山に大勢の人たちが行楽に繰り出しています。山形・宮城は汗ばむような陽気。

そんな中、昨日から福島大学の考古学研究室が高畠町で古墳の石棺調査を行っています。ここは大師森山の中腹にある自然洞窟を利用したいわゆる「洞窟埋葬」の遺跡です。石棺は外部から持ち込まれたとの伝承があるものの実態は不明です。洞窟埋葬は信州や関東などにもありますが、盛土をした高塚を作るのが一般的な列島の古墳時代にあっては異色の他界観、葬送習俗といえます。町内には加茂山洞窟などほかにも類例があります。

高畠町時沢の地元ではこの洞窟に安然大師の入定伝承があり、石棺2基を大切に保存するとともに、洞窟内に祠を建てて篤く祀ってきました。

洞窟へは麓の鳥居から急な参道を一気に150mぐらい登る。ちょっと息が切れます。でもまだまだ学生たちには負けられません(強がり・・・)。
途中、水準点測量の学生3名が何度も何度もレベルをたてかえ、水準点を移動中。さらに登るとコシアブラ採りに来ていた安然神社総代の奥さんにあう。休憩がてらしばし歓談。

洞窟では先生と学生たちが石棺の実測と地形測量の真っ最中。息を整え、挨拶をして内部を見学させてもらう。

組合式石棺は底板に側板を受ける溝を切って蓋石を乗せるタイプである。2基の石棺は石質がちがっていた。凝灰岩と凝灰質砂岩?。いわゆる高畠石とは違う緻密な石材である。どこから運ばれたのか?内部は顔料で真っ赤に塗られている。今回はじめて詳細な実測調査が行われており、2基の石棺の原型がはじめてよみがえる。

お昼前に下山すると、途中、レベル移動の学生たちが急坂で四苦八苦していた。やっと中間点ぐらいか・・・60mほど登ってきたという。上でレベルが来るのを待っていた先生が「遅いなぁ〜」とぼやいていたぞ。。。。

その後、日向洞窟を見学し、しだれ桜の前で記念撮影。昼食後、今年の北目古墳群の調査の下見をした。夏には葉が生い茂り地面が暗いのに、春はなんと明るいことか、、、、、

それから二井宿、七ヶ宿を通って宮城県白石市へ。さらに多賀城市東北歴史博物館へいき企画展を見学。なぜ縄文土器の展示は外の紋様や装飾を見せるような置き方ばっかりしてるの?土器の内側を見たい人はフラストレーションがたまる。もうちょっと見る人に新しい視点を提示したり、想像を膨らませられるような工夫があってもいいのでは・・・・とつぶやいた。

ともあれ、今日は春の芽吹きを体全体で感じた1日でした。



2009-04-30

春の山歩き


ここは金沢市の山間部、戸室山の北にある田島という所。江戸時代に金沢城の石垣石を採掘した場所である。

3月27日にここを歩いたときには一面雪の原。名残り雪が降るなか、カモシカがそばでギィギィ鳴いていた。
そういえば、山形で毎年夏に発掘現場に来るカモシカはあまり鳴かない・・・・。

わずかひと月で山はあっという間に芽吹いていた。

さあ、そろそろ山歩きの季節もおわりだ。連休が終わると各地で一斉に発掘が始まる。なんとなくそわそわする。長年染み付いた周期を体が覚えているのだ。


佐賀、甲府、松山、鳥取、山形、金沢から集まった混成部隊。

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報

東北芸術工科大学
TUADBLOG