歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2008-12-11

石切り場の調査


3年生・院生が石鳥居の石切場跡の調査に行きました。
平板測量が完了し、試掘トレンチや残石の実測を行いました。
埋蔵文化財包蔵地として周知するための基礎資料ができたので、今後は本格的な調査、および保存措置がはかられることが待たれます。

2008-12-08

甲府城から富士山を望む


甲府城は秀吉の命で1590年代に浅野長政・幸長により築城されたとされています。甲府駅前にあり「舞鶴城公園」として市民に親しまれています。

今日は快晴で抜けるような青空。雪を抱く富士山が遠望されました。

文化財石垣を後世に残すために結成された「文化財石垣保存技術協議会」の研修会でした。全国からたくさんの石工さんたちが集まり、土木・歴史の研究者やコンサルの人たちとともに現場で石垣修理について意見を交換しました。

2008-11-28

雨にもマケズ


1年生の考古学の授業で県立考古資料館を見学し、周辺の山歩きをしました。分布調査で遺跡の略図を描き、調査した所見をまとめる課題です。昨年は雪でした。今年は雨。分布調査は雪でも雨でも歩くんだと檄をとばしておいたせいか、寒さにもめげず、足もとの悪い中で一生懸命古墳の略測に挑んでいました。

2008-11-27

ススキ狩り

今年もこの季節がやってきました。
考古学ゼミ河村嬢主催のススキ狩りです。
ススキ狩りと言ってもお団子やお菓子を食べながらお酒を飲むということはしません。

本気ススキ狩りです。
ガチンコです。
持ち物は鎌と鋸、軍手、ゴミ袋。

去年は参加者が2人とゆうか河村嬢と私だけでしたが、今年3年生男子が2人参加。

あんまり行きたいって言うものだから連れて行きました。(笑)
いつも行く工芸棟の橋が工事中のため、車でぶーんと。
着いてからはひたすらススキを狩る。

なぜススキを取るのかというと、河村嬢の卒業論文のテーマが亀ヶ岡式の黒色土器の野焼き方法の復元というものだからです。
黒色土器は土器を薪で焼いた後、被覆材をかぶせて処理を行うのではないかと考えられています。
その被覆材にススキを使用するのです。

去年もたくさん取りましたが、今年は助っ人がいたため大猟でした。
この恒例行事(さっき恒例にしました!)も、今年で終わりかと思うと寂しくなります。
帰りは車のトランクにススキを詰め込んだのですが、思ったとおり蓋はしまらないため、そのままで。
後続車がすごく距離を取っていました(笑)

2008-11-24

群馬ワークショップ


1年ぶりに群馬埋文にいきました。山形からノーマルタイヤで雪の高速を抜けると、そこは(太平洋側)はいつものように青空。群馬は2日間空っ風も吹かずに穏やかな天気でした。発掘現場ではカマドの解体ショーを間近で見ることができました。

今回は前回に引き続き、弥生と古代の二本立てで、後者では5世紀半ば頃、関東のかまど出現期の土器を観察しました。県外では岡山、奈良、埼玉、石川、新潟、山形からの参加者がありました。ススコゲワークショップにも若い世代が育ってきておりうれしく限りです。

帰り道の栃木で食べた、モツ焼き・モツ煮ダブル定食に負けたのが唯一の心残りでした。

2008-11-19

金沢城と「ぶりおこし」


11月18日夜半〜19日は上空に寒気が入り込み、日本海側の各地は大荒れとなりました。

19日朝は雪。明け方には北陸名物の「ぶりおこし」がとどろきました。この冬の雷鳴を聞くと、北陸に来た、という実感がわきます。本格的な雪になる前、11月下旬〜12月にやってくる暴風雨と雷を北陸(富山湾周辺)の人はこうよびます。これは富山湾でぶり(鰤)がとれはじめる合図で、この雷を「ぶりおこし」というのです。地域の自然と生業に根付いた言葉といえます。北陸人にとっては木々の雪吊りをするなど「冬ごもり」の季節の合図でもあるのです。

長年発掘をやっていた私たちにとってはいやな雷です。鉛色の空から冷たい雨が降り続き、やがて湿った重い雪が降ってくる。逃げ遅れないようにと悪条件のなかでもがく。そんなときに決まって大事な遺構がでてくる。思い起こすと毎年そんなストレスのなかで調査をしていたような気がしてきます。

しかしそんな風土も、離れて暮らすとなぜか懐かしく、自分の体内に刻まれた生活のリズムが甦ります。いまでは、そこに暮らす人々や町並み、景色までが違って見えてきます。金沢城の石垣は赤色や青色の「戸室石」(安山岩)で出来ており、この季節、しっとりと濡れると色合いが変化します。降り積もったケヤキの落ち葉が強風に舞うなか、木々の緑や落葉まぎわの紅葉が石垣に映えていました。

今年は2箇所の庭園遺構の調査が注目されました。寛永期の本丸庭園跡、寛文〜元禄期に整備された玉泉院丸庭園跡です。
寒風のなかで調査している人たちにとっては、情緒に浸っている間はありませんが。

2008-11-16

津山城


穏やかな日差しの中、美作(岡山県内陸部)の津山城を見学しました。森忠政が慶長8年(1603年)から築城に着手し、元和2年(1616年)までに完成させたといわれます。この間、本丸から周辺部へ順次石垣が作られていったため、慶長期から元和期への石垣技術の変遷が非常によくわかります。高低差のある石垣を巧みに重ねあわせた石垣は景観的にも見ごたえがあります。名城100選に選ばれるのもうなずけます。石垣面がなんと340面もあるそうな。2005年には備中櫓が復元され、近世城郭らしい顔になっています。いま城跡は紅葉真っ盛り。寒桜も咲いており、観光客が大勢きていました。

眼下を流れる吉井川の対岸には石切丁場が見つかっています。ここは角石を専用に切り出した丁場です。硬質の凝灰岩を岩盤から切るのに独特の矢割り技法が認められました。

2008-11-15

岡山城


岡山城に来ています。岡山城は天正年間に宇喜多直家が築城を開始し、天正末年に宇喜多秀家が本丸周りの石垣整備を行いました。文禄年間ごろの石垣が本丸周囲に良好に残っています。その後、慶長〜元和・寛永と小早川秀秋、池田利隆、池田忠継・忠雄が入りました。慶長期までの石垣は保守性が強いものの、大坂城天下普請で活躍した池田忠雄期(寛永期)の石垣はガラッと変わります。

岡山城を歩いていると突然見覚えのある顔に出くわしびっくり!昨年のゼミの卒業生でした。岩手が勤務地なんですが、仕事で岡山にきたそうな。休日に岡山城を見学するとは・・・えらい。

2008-11-15

ススコゲーズin北海道−地底人編―


10月5日〜7日の3日間で北海道札幌市の埋蔵文化財センターにオープンリサーチセンター整備事業の土器の使用痕観察の調査に行ってきました。

参加メンバーは「ススコゲを愛する会」の皆です。
1週間前の栃木埋文での調査もこのススコゲーズ(さっき考え付いた!!)で行ってきました。

今回はK39遺跡・K435遺跡・C504遺跡という擦文時代の3つの遺跡の土器の使用痕を見てきました。

2年生と私は初めての擦文土器!!!
今まで同じ時期にあたる古墳時代後期〜奈良・平安時代の土器の観察を行ってきましたが・・。
ぜんぜん違いました。

すごいとは聞いていましたが、ほんとにすごいススとコゲにびつくり。べったりびっしりなんじゃこりゃ。

4日前に観察した押出遺跡の縄文土器に近いものを感じました。
言うまでも無く大興奮のススコゲーズです。
TUADススコゲ2代目&4年生が大はしゃぎなんですすから、2年生が嬉しくないわけがないですよね。

さっそく土器の周りをうろうろしまくる女子達。

もちろんK先生&東大院のSさんもうろうろ。

私も興奮しながらも、こういう風に皆の目の色が変わっていくのを見るのがとても好きなので、皆の顔も観察。
疲れていても興味深い資料を見ると途端に力が湧いてきて眠気も吹っ飛ぶ。
恐るべきススコゲパワー。

さてさて、この時期の北海道の住居にはカマドという調理施設が住居内にありますが、屋外には炉があることが特徴です。

あえて外で炉を使うには何か訳があるんでしょうか。
冬は寒いだろうし、カマドがあれば火の扱いは楽じゃないのかしら。
なので、カマドで使った土器と炉で使った土器を観察して判断します。

しかし!!北海道の住居は火災住居が多いのも特徴。

つまり、家燃える=土器も燃える
わけです。ちなみに調理の痕跡も一緒に燃えます。
私達は「二次被熱」の土器と言いますが、この土器は赤い部分と黒い部分はなんともすごいグラデーションで調理ではまず付かない痕跡なため、人目で分かります。
栃木の調査で「二次被熱」デビューした2年生。
しっかり見分け、観察していました。

負けてられない4年生!!こんな時期に資料調査してる4年生はまずやばいって話を何度も耳に入れつつも、使用痕を見るためならall OK.とまったく気にしていない4年生!!

今までは二次被熱の土器を見ると、調理の痕跡はあきらめていたのですが、今回は燃えていても見分けてやる!!という気持ちで、火災に会う前の土器の状態、どんな調理に使ったかという痕跡を探しました。

これら遺跡の土器は燃えていても、他の遺跡に比べると使用痕の残りが良好でした。

カマドか炉か、、どんな調理か、、

自分の頭でうんうん悩みながら、時には皆と相談しながら観察します。

狩猟や漁猟を中心とした生業を基盤としていた北海道の人たちは何を食べていたのでしょうね。
私の頭の中には脂のたっぷり乗ったオホーツク海のサーモンしかありません。

そんなことを話しながら観察を行う私達は地底人です。
空が明るい間はずっと地下の収蔵庫にこもって土器とお話。
暗くなると地上に出ます。
だからといってひきこもりとは違いますよ。
地底でも地上でも、いつでもどこでも元気一杯全力疾走なのがススコゲーズですから!!

それでは『ススコゲーズin北海道 −地上人編ー』をお楽しみに。



大学に帰ってからは、現地で記録した実測図と写真を整理し、器形分析のデータとあわせて、当時の土鍋の作り分けと使い分け、調理方法を研究しています。

モノの観察から、時代、地域によって多様な調理の実態、人々の営みがあることがわかってくるのがとても面白いのです。

2008-11-15

ススコゲーズin北海道−地上人編

1〜3「こんにちは。1号です。2号です。3号です。」

2「これから地上人編を対談でお送りします。まず、地上での思い出は何ですか?」
1「なんだろう…。まずはラーメンだよね。同じ系列の店に  二回も行ったね。」
2「みんなラーメン好きだよね!はい、次に3号は?」
3「ホッケ、ちゃんちゃん焼き、ラーメンサラダ!ラーメン  サラダは初体験だったね。今だかつてない味だった。し  かも、そばサラダもあって衝撃的だったね。」

2「二日目のジンギスカンもはずせないね。」
1・3「おいしかった!!!」
3「みんな無言だったもんね(笑)」
1「特に2号がね!」
2「いやー///ほ、他には?あっ食べ物以外で。」
3「テレビ塔だね。つまんじゃったしね!」
1・2「持ち上げたし!!」
1「あとは時計台。時計台でも撮影会したよね。」
2「3号が銅像みたいだった。」
3「あれは最高だったね。」
1「でも最終日なんか吹雪だった。」
3「クラークさんどころじゃなかったね(笑)。」

2「こうやって振り返ってみると、いろいろあったけど、
  北海道を堪能してるね!また、行きたいな!!」
1・3「そうだね〜。」
2「じゃーそろそろ終わりにしよっか。」
1・3「そうだね。」
同「ではでは、長々とお付き合いありがとうございました。
  さようなら〜なら〜ら〜…」
証言1「あのね。なんか忘れてない?ジンギスカン腹いっぱい食べてさらに・・・・別腹って言って食べたの」




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