歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2008-10-10

すっかり秋です

※今回は福田ゼミからお送りします。

今日は福田先生と数人の学生が一緒に、秋の実りを収穫しに行きました。
狙いはトチ、クルミ、ドングリなど。実験考古学の材料にするためです。さて、何の実験でしょう?(これでピンときた人はその道の方。)

はじめは芸工大の敷地内でトチの実を拾い。が、もう時期的に遅いらしく、ほとんど拾われていました。落ち込んでいてもしょうがないので、次に行きましょう。

ヤマブドウやニワトコっぽい木の実をつまんで悶絶しつつ、一同は「悠創の丘」へ。悠創の丘は芸工大の裏にある自然公園です。なかなか良い場所なんです。

期待したとおり、ここでたくさんのクルミとドングリを拾うことができました。アケビもゲット!結構高い場所になっていたので、木を揺らして無理やり落としました。
ですがトチの実が。みんな拾っていくんですねー。全然落ちていませんでした…

帰ってきたら今日の収穫を水につけます。殺虫の効果があるそうです。このまま数日間放置。

今日はここまでです。私たちが何をしようとしているか、何をたくらんでいるかは後日ブログにアップしていきます。お楽しみに!
                                             以上、W・Tでした。




2008-10-05

石尽くしの休日

早朝から中体連で賑わう霞城公園(山形城)を歩き、その足で重要文化財の文翔館(旧県庁)を訪ねました。あらためて建物の修理記録の映像を見ました。文化財修理に伝統技術は不可欠。伝統技術を伝えるために文化財修理の場は必要。自然と良好な関係を築いてきた伝統技術の技と知を次世代につなげていくことが大事です。学生たちもぜひ一度は見てください。

午後は元木と蔵王成沢の石鳥居(とも重文)、空清水の石切場を見学。金沢城の仲間を見送りました。

ちなみに前日は上山市楢下の新橋・覗橋(アーチ型の石造り橋)、江戸時代から続く山形市「石駒」の工場で戦前の石工道具を見学しました。近代の山形石工は江戸時代から続く信州高遠系の石工(信濃屋仁兵衛)と三島通庸とのかかわりが深い鹿児島系の石工が入っているようです。後者とアーチ橋(九州が本場)はどんな関係があるのでしょうか。



2008-10-04

石切り−瓜割山最後の石工


ここに通うようになってもう8年目。当たり前のように見ていた風景が急に違って見える時がある。

金沢から来た仲間を案内し、学生たちとともに伝統的な石切り技術を伝える石工さんを訪ねた。石切りや石引き、鍛冶仕事のこと、昔の仲間のこと、山の神のこと、いろんな話を聞かせてもらい、道具や石の扱いを体験させてもらった。

高畠で発掘をやった学生たちの多くはここをみてきた。地表から掘り始めて80年、垂直に切り立った岩肌にその歴史が縞状に刻まれている。その景観は見る者を圧倒する。人が生身で自然と闘ってきた証である。

いま、初雄さん(80)は瓜割山の最後の石工となった。




2008-10-04

硯沢窯跡群現地説明会


宮城県の利府町にある硯沢窯跡群の現地説明会に行ってきました。
メンバーは4年生俊&真理、3年生龍の3人です。
9時半に山形を出発し、3時間かけて行ってきました。
蔵王−宮城川崎だけ高速を使ってその後はひたすら下路で。yahoo地図を印刷し張り切って向かったのですが、長町からあるはずの道が地図にない・・。
3人で必死に青い標識を見ながら目的地を目指すも、はたと気づいたら福島方面に向かっている。真逆やん!!!車の中でぎゃあぎゃあ言いながら、なんとか市街地を抜け利府の標識発見。喜んで走っていたら降りるところをすんなりと通り過ぎる。あれーっ!!?結局最後には龍の高校時代の通学路を走って、12時半に無事到着。これがほんとの迷ドライバー。

硯沢窯跡群は赤沼両地区にまたがる春日窯跡群の西端にある奈良・平安時代の遺跡です。県内で初めて横口式木炭窯が見つかり、「宮城」や「宮木」と刻まれた須恵器が出土しました。

初めて見る木炭窯のスケールに4年生2人は大はしゃぎ。龍は一度見ているので冷静に解説してくれました。そのあとは地下式の須恵器窯の方へ。自分達が発掘した高安窯との大きさの違いにとにかくびっくり。剥がれた窯壁の幅何cmあるんだろう・・。
一通り見終わった後遺跡地図を見て、「あれ、俊ちゃんも一個木炭窯あるよ?「まじで?」「見たいよね・・。お願いしてみようか・・。」ってことになり利府町教育委員会の高橋さんのところへ。挨拶と自己紹介をしてお願いしてみたところOK頂き喜びまくる。
うきうきで連れて行ってもらい、俊ちゃんと高橋さんの間では活発な意見交換が。素敵です。私は龍に俊ちゃんがどうゆうことに対して疑問を持って質問しているのか後ろで解説。アップダウンが激しい現場のため話しながら向かったら息が上がりました。
春日窯跡群のひとつの大貝窯跡の竪穴住居から瓦を構築材や支脚に使用したカマドが出ていたので私もちゃっかり色々教えていただきました。
お願いして見せていただいた窯は現説現場からとても離れたところだったので、帰りに木炭窯のシート張りをお手伝いをすることに。3人で体を張って感謝の気持ちを表現しました。地下式の木炭窯は3mくらい深さがあって、脚ぷるぷる。作業員のおじちゃんおばちゃんに教えてもらいながら頑張る3人。ばてる3人。
シート張りが終わった後に高橋さんにお礼を行って帰りました。
利府町の窯跡の資料館による予定でしたが予想外にバテた為まっすぐ山形に帰りました。

とても勉強になり楽しい一日でした。


2008-09-25

上空からの撮影


今日は駒籠からお届けしたいと思います。

駒籠では、平面図をずっと書いていました。なんとか、終わることができました!!!
辛かったです…でも、達成感はあります。それにとても、勉強になりました。

駒籠では様々なことは経験させてもらいましたが、今日もまた新しい経験をさせてもらました。

それはなんと、空中写真撮影です。
あっ!決して、私が実際に撮影したわけではございません。

撮影は大きなラジコンヘリで行われました。撮影する人、操作する人、アンテナを向けている人。本格的でした。空から見た駒籠はいつも見ているのとはまた違う一面を持っていて、どんな景観になっているのかも知ることができて、勉強になりました。

駒籠での作業もあとわずかになりましたが、残りも頑張っていきます!9月27日(土)現地説明会です。

歴産2年でした。



2008-09-23

卒業生


卒業生たちが誘ってくれて飲みました。仕事のこと、恋のこと(ほとんどありませんでした)など時間を忘れて語らい、気がつくともう日が変わっているではないか。

卒業して3年あまりの時間。今2人が転機を迎えようとしている。そんな時、過去を振り返り、昔の仲間の言葉が聞きたくなるのかもしれない。お互いが発する経験に基づいたリアリティーのある言葉をかみ締めながら、学生時代の姿と今の彼らを一生懸命つなげていました。

ゼミ生が男5人の世代。学生時代にいろいろ取った写真も5人だけの写真がなかった(演習室の写真は合成写真です)。今回も4人。いつか5人で再会しましょう。

2008-09-20

知床世界遺産めぐりの日


お宿のペンションは天然温泉付きでいい雰囲気でした。
朝8:30宿を出て、海岸線に沿って北上、一路知床峠へ。雲ひとつない青空のもと、いよいよ峠に到着。羅臼岳の麓から国後島を眺める。
ボクシーの前で記念写真をとり、いつものローアングルカメラにも人の群れが・・・。それから世界遺産の自然を感じるために知床五湖めぐりに向かいました。道路脇には鹿が歩き、清流にはサケ・マスののぼる姿がみられました。残念ながら熊には会えませんでした。
五湖めぐりは90分コースを半分の時間で一周してきました。なぜか鳥の姿や鳴き声が聞こえず、やけに静かな森の空気に不思議な感覚を覚えたのは私だけでしょうか。

それから帰路、オシンコシンの滝で風邪ひきのデブ猫と戯れ、一路網走を目指しました。

空腹と眠気で車のなかで悶絶・・・・

ようやく遅い昼食はうわさの「珍満」という中華料理屋。某国会議員の店らしいのですが、めん類の味と盛りはなかなかのものでした。常呂の猫ラーメンの店とともに忘れられない味でした。

それから常呂に戻る途中、コープでの買い物。道向いにあるSLでしばし戯れる。
次いで砂利道を疾走し、斜里岳からサロマ湖側までオホーツクを見下ろす高原の牧場へ。自分たちが駆け巡った北の大地を一望しました。たくさんの牛たちとの憩いのとき。

ホームに戻り、常呂遺跡の展示館、遺跡公園、埋文センター、東大陳列館とやつぎばやに駆け抜け、最後は日没せまるワッカ原生花園へ。赤いサンゴ草をみました。

日没を追いかけて走ったW田くんが行方不明に。一同海岸にて思い思いに波や流木、貝殻と戯れる。

しばらくして、永田キャプテンが待ちきれなくて送別会に来てくれたと電話が入り、あわてて宿舎に帰る。もう外ではジンギスカンの用意が始まり、台所では巨大なホタテが貝殻の中でびっくん、びっくん。
このあとの大宴会に私はでられなかったので、実況は参加者に譲ります。

わたしは30分ほどで口に入らないほどのホタテをほおばり、ひもをすすり、ビールと日本酒を腹につめこみ、女満別空港へ急ぎました(高橋さんありがとうございました)。
空港につくと予約していたANAのカウンターが真っ暗。そうです。飛行機はまってくれませんでした。トホホホ・・・・。

駆け足の一日はこうやって過ぎ、日が変わる頃、何とか東京の宿に着いたのでした。







2008-09-19

知床を掘る


斜里町峰浜カモイベツ遺跡で発掘調査をしました。続縄文とオホーツク文化期の遺跡です。砂丘上の後背湿地に面した傾斜地に竪穴住居跡が5棟検出されていました。オホーツク文化(5〜9世紀)は海獣狩猟を特徴とする北方系の文化として知られています。住居は五角形や六角形の特徴的な形をしており、炉を囲むコの字形の貼り床やクマの頭骨などを祭壇に祀る信仰があります。


2008-09-19


午前4時。辺りは真っ暗。皆が寝息をたてている時に起床する5人・・・
Oさん、Tさん、Y、M、そしてこの俺、E。
何のためかといえばタイトル通り「漁」を手伝う為。
宿舎の近くには港があり、その漁場を生業としている永田キャプテンの

「おい、誰かいかねーか?」

から始まった話。
Oさん、Tさん、M君。
ここまでは決まっていた話らしい。
そこでキャプテンが言う。

「あと誰か2人いないの?」

まだキャプテンの船には乗れる余裕があるらしい。
そこで自然に手を挙げてた俺。

「じゃあ僕が。」

すると1秒も待たずに

「じゃあ僕も」

いつも元気一杯、考古3年のムードメーカーYが。

何事も経験。
きっとYもそう思って手を挙げたのだろう。
これで漁に行くメンバーは決定したのだった。

─午前5時 港   出港─

色々な乗り物酔いが激しい俺。
様々な不安を抱えつつ出港の時を向かえる。
見れば日も上がりつつある。
辺りがオレンジに染まる。
揺れる船の中、強烈な海の香りが漂う。

永田キャプテンが言う。

「後ろから朝日が昇ってるぞ!」

振り返れば紅色の朝日が正に昇ろうかという時。

空は朝日と同じ紅色に染まり、今まで暗く濃紺であった空に向かって鮮やかな赤へのグラデーションを描く。

何とも形容し難い、素晴しく美しい景色だった。

恐らく一生忘れない。
俺がフィッシャーマンデビューしたこの時を・・・

作業は初ということでキャプテン永田さん、また他のベテラン船員の方々には色々ご迷惑をおかけしたかと思います。
でもそれを受け入れてくれたスーパーキャプテン永田さんには本当に感謝しております。

ありがとうございました!!

by E

2008-09-19

おいしい水、癒しの水

こんばんは。
今日は駒籠遺跡からお送りします。

現在は遺構の平面図を書いています。
平面図は初めてではないですが、今まで狭い範囲で書いてきたのに対し
今回はけっこう広範囲。
かなり苦戦しております。

水糸を張るのにもあったふったしていた最初に比べれば
だいぶスムーズに作業を進められるようになりましたが、
それでもなかなか終わらず…。
ひたすら遺構を測っては図面に書くというのを繰り返す日々です。

そんな中癒しとなっているのが、現場近くにある湧水。
「イカゴ清水(すず)」というのですが、この湧水はつめたくてとーってもおいしんですよ。
やわらかい感じがします。本当うまうまです。
今日はわざわざ空のペットボトルを持参してお持ち帰りしてしまいました。
それほどハマっております。

さてさてこの水を飲んで癒されつつ、来週も平面図がんばりたいと思います。
終わらせるぞー!おー!

てなわけで、歴産2年でした。

黒シャツ、首手ぬぐい、左手にペットボトル、右足を前に出して・・・・ イカゴ清水にて(大石田町登録記念物)

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