高畠町押出遺跡の縄文土器のススコゲ調査がはじまりました。押出遺跡は日本を代表する縄文前期の遺跡で、出土品の多くは重要文化財に指定されています。遺跡が低湿地にあったため、普通は腐ってしまう木材などが良く残り、縄文の暮らしの復元に大いに貢献しました。このような堆積環境は土器にもほかの遺跡にはみられない特徴があります。土器の使用方法を知るススやコゲの保存状態が尋常でないくらい良いのです。見たこともないようなススコゲに・・・・・、これこそ正真正銘の土器。記録には1〜4年生の6名が参加。土曜日には地震に遭遇し、ドキッとしました。
十三湊−安藤氏の居館・福島城を見学した後、発掘調査中の山王坊遺跡を見学。安藤氏関連の宗教拠点施設です。14世紀後半頃の大型の礎石建物が検出されており、伽藍の全容が明らかになりつつあります。榊原さん(五所川原市教委)、丁寧な解説をありがとうございました。
今回は行きませんよ、と宣言しつつ、やっぱり来てしまいました。もう目は光らないのではといううわさがありましたが、待合室にいた高校生に聞いたら今でも列車が来ると光っているそうです。この時間はまだ明るいから遠くから見たほうがいいよとアドバイスしてくれました。ここでは記念写真とトイレ休憩のみ。バスは列車到着5分前に大鰐温泉に向けて発車。
今年の1年生の調査演習は津軽です。三内丸山ではたっぷり3時間滞在。東北道を北上する車中、バスガイドは入間田先生、田口先生をはじめとした教員がつとめました。車窓の風景を生で見ながらの、東北の自然・文化についての語りは、普段大学では聞けない授業ではなかったかと思います。
ただし、テレビに映った「蝉しぐれ」の後半部分は、ガイドも忘れ車内はシーンと静まり返る一幕も。
今日は午後から宮城県の発掘現場を2ヶ所訪ねてきました。
一つは、多賀城創建期の瓦や須恵器を焼いた色麻町日の出山窯跡。8世紀前半代の工房建物が良好に検出されていました。埋土中には分厚い灰白色火山灰(10世紀初頭に噴火した十和田カルデラの降下火山灰)がありました。工房が廃棄されてから200年経ってもわずか10?程度しか埋まっていないことに驚きました。工房のなかからはロクロ据付穴や粘土ダマリが検出されており、ロクロを挽いていた工人の姿が目に浮かんできました。
二つ目は東松島市の矢本横穴。急傾斜地崩壊対策工事にともなう比高40mの急崖に7〜8世紀の横穴墓が高層マンションのように穿たれています。写真奥の暗闇には伸展葬の人骨が二体きれいに並んでいました。一体の人骨にはなぜか首(頭)が無い。そして、その頭がもう一体の頭骨と頬寄せるように?。首が一人で動いた(動かされた)?。想像をかきたてる不思議な出土状態でした。
狭いところに沢山の人が集まりました。調理をしながら野焼きの煙にいぶされ・・・逃げ惑いながらも懸命に実験データを記録しています。放送大学のテレビカメラクルーによる取材がありました。その脇ではカマドで蒸したもち米にカレーをかけた「もち米カレー」を食べています。
24日は韓国梨花女子大の現代美術家−曹徳鉉先生による特別授業がありました。歴史遺産学科の学生向けに世界各地で行っている「発掘プロジェクト」の解説などをしていただきました。一連の作品は地域や自己に内在化する歴史の記憶を 掘り起こす作業で、そのプロセスは私たちが行っている歴史遺産研究と根底でつながっているものでした。発掘で出てきた不思議な遺物(現代に埋められた)をもとに、記憶から消えた、忘れかけていた歴史を甦らせていく。それはフィクションか、ノンフィクションか。その揺らぎの中で展開していく作品は、逆に考古学や歴史学の方法を相対化することを迫ってきます。アートと歴史・考古・民俗の接点、協同の可能性について示唆に富む授業でした。
なぜ、本学は芸術学部に歴史遺産学科があるのか。歴史遺産学科のある芸術学部の魅力、価値について少しは理解できたでしょうか。
梅雨空の合間をぬってチュートリ3年生主体の野焼きが行われました。覆い型野焼きでは点火後まもなく煙の勢いが弱くなり、一瞬沈火・・・・と心配させましたが、機転を利かせてトラブルを乗り越えました。火をうまく扱えるようになるためには試行錯誤、たくさんの経験をつんでください。調理では久しぶりにバームクーヘンが登場!