1月4日
今日も朝から2時間半ほど走った。村に近づくが車窓からみえる水甕モーナムはみな見覚えのあるNB産。土器作りが廃れて相当の時間がたっていることを予感させた。メコンの支流セーボン川に沿って二つの村はあった。PP村とKPS村。土器作りをやめて30年はたつという。KPS村はPP村から分かれてできた。戦争の後(1975年)、村は40軒だったよ。いまは103軒。20年前に川からポンプアップするようになって二期作をするようになった。案内してくれた親切なおじいさんが語ってくれた。村の中を貫流する水路は満々と水を湛え、たらい船に乗って遊ぶ子供たちの歓声が響く。どこの家にもNB産のモーナムが二つ、三つ並ぶ。
かつてのポターは3人存命だという。Tさん(86歳)を訪ねた。粘土採掘、成形、焼成、販売、懐かしそうに昔の話をしてくれた。自分が作ったモーナムを宝物のように30年使い続けている。どこを探しても古い地元産モーナムはカケラ一つ落ちていない。すでに道具を持っている人もいない。お願いして、中の水を出し実測と写真を撮らせてもらう。
将来の考古学者は在来の土器型式がすでに断絶したと時期とみなすだろう。これが壊れて捨てられて時、それは「混じり」と判断されるのだろうか。
この土器は村で土器作りという生業があったこと物語る生き証人である。おばあさんとともに長くここにあってほしいと願う。
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土器の野焼き(NT村)
午後から野焼きを見る約束していたNT村に向かう。いつもと違う国道13号から入る。集落が森を開拓し、田を広げていった様子がよくわかる。いまは炭焼きシーズン。皆忙しそうに窯づめ・窯出しをしている。
15:30村に着いた。待ってましたとばかりに、ポターや近所の女の子たちが、手に手に土器を持って田んぼに集まった。久しぶりの野焼きに女たちはお祭り騒ぎのようだ。年長の女性が仕切り、一番若いBさん(38歳)が手際よくさばく。樹皮と稲藁で焼くこの地域通有のやり方である。家路につく水牛たちが遠巻きにみている。
元村長が粘土採掘場を案内してくれる。田んぼのなかを30分歩いて、ホワイ(池)のほとりに着いた。国有地の干上がった池から掘る。地表から1m、現場仕立ての木の鋤で掘り、その下にある粘りの強い黒色土を採取する。
村へ帰る途中、時々田から煙が上がる理由を聞いた。ねずみを捕ってるんだよ。長い稲株を焼いて隠れたネズミをあぶりだす。針金ワナや竹筒ワナで取るのは見たことあるが、こんなやり方もあるんだと・・・・。
地平線に日が落ちると、空が紫からピンク、茜色に染まる。野焼き場所に戻ったころあたりは急に暗くなってきた。女たちが被さった藁を取って焼き上がった土器の出来栄えをみる。我々の帰りを待っている間、プレゼントした口紅を塗り合っておおいに盛り上がったそうだ。