どーもー橋本ですー。
えーっと、5月3日から6日まで小国町の熊祭りに参加させていただきました!
この記事の前の記事では五味沢の熊祭りについてかいてますねー。では私は5月3日の小玉川地区の熊祭りのお手伝いをさせていただいたことについてかきましょうかね。
何をしたかって言うと、まずあんこを作りました!
これが結構力が要るんです。
あんこをこがさないように、熱いけどかきまわす!
で、大量のあんこなもんだから大変大変。
ここで、我が歴産3年生の松田さんが大活躍!
体中の筋肉さんを使い、
必死であんこを混ぜてましたよ!
お母さんがたから「あんこに愛がこもってる」
「あんこの松田!」
なーんんていわれちゃって、
そりゃーもーたくましい限りでしたよ!
続きはまた後ほど!
初めまして!
角田と申します。
今回は5月5日に行われた小国町五味沢地区の熊祭りについて紹介したいと思います!
更新が遅れて、リアルタイムなレポができませんでした…!! 申し訳ないです(._.)
小国町五味沢地区の熊祭りとは何か紹介したいと思います。
五味沢の熊祭りは、猟師さんと招待客のみで、山の神様への感謝と猟期の終了を祝います。
私たちは招待客としてこの祭事に招かれました。
ここまでマタギの人たちとの交流を深めてくれた田口先生に感謝ですね。
その中で、お神酒を授かり、熊汁と一緒に小国の銘酒「桜川」を片手に飲めや歌えやの大宴会をするのです!
時間は2次会を含めて約半日。12時間にも及びます。
やっぱり漁師さんたちはお酒が強い!
酔った雰囲気の中でも、猟師さんたちの狩りのお話や自然と人間の関係についての考えには情熱と説得力がありました。
大自然と共存する生き方がすごくかっこよかったです。
在学生の皆さん、歴史遺産学科に興味がある方、ここに来ればこんなに貴重な体験ができますよ(^O^)
ぜひぜひ今度のオープンキャンパスでは、歴史遺産学科に立ち寄ってみてください←
今月31日です
さて熊汁の味ですが、見た目の豪快さとは相反して、全然くせがなく、筋張った中にも「とろとろぷるぷる」な柔らかいお肉にギットギトの甘い油、味噌ベースの熊の骨ダシがとてもうまくマッチした、絶妙な味でした…!
おいしいです。
ということで、五味沢熊祭りレポ終了です。
熊汁の味についてもっと知りたい人は歴産に来てね!
食べ終わったら蕎麦かひやむぎを絡ませて食べるのがいいですね
5月21日に山形県大江町本郷地区橋上集落にて青苧(アオソまたはカラムシ)の野焼きが行われました。
この調査は、菊地先生が主催となっておこなわれました。
今回は、菊地先生と岸本先生、そして田口研究室所属の松田の3人で参加させて頂きました。
本題に入ります。
みなさん、青苧ってなに?!とお思いのことだと感じます。
青苧とは、歴史的に言うと木綿糸使用以前から使用されていた糸の材料のことです。
山形の大江町を中心とした地域では、最上青苧といって山形の特産品でした。江戸時代では、上方への交易品として流通していました。
橋上集落では、その青苧の復興を目指しています。
本日は、青苧の栽培のはじめの段階である野焼きを行いました。
8時50分に現場に到着。
野焼きを行う場所には、藁と昨年収穫した青苧の茎と杉の葉がまんべんなく蒔かれていた。
火入れ前に会長さんからの挨拶があり、青苧の栽培にかける熱い思いを感じました。
そして、9時15分頃から火入れが始まりました。
火入れは、U字を描くようにしていきました。
少しずつ火が回り始め、煙地をあげて広がっていきました。
火が回っていくうちに、集落のおばさんたちが燃え広がりを防ぐために延焼止めをしていました。
10時5分ごろに全て焼きあがりました。
その後休憩の後、10時20分から焼きあがった畑に、肥料を蒔いていきました。
蒔いた肥料は、発酵鶏糞、油粕でした。
私も一緒に肥料を蒔いていったのですが、地区のおじさんたちのように旨く蒔けませんでした。
やはり、年季の入ったおじさんたちには手も足も出ません。
観て・体験して行くことが大切。何事も勉強です。
肥料が蒔き終わったら、炊き出しがあり、おにぎりと竹の子汁を頂きました。
作業後のご飯は、体に染み入りました。おいしかったです。
これからも、青苧の栽培の工程を見ていきます。
その回ごとにブログをアップしていきたいと思います。
次の作業は、6月中頃に雑草の草取りを行う予定です。
では、みなさん。また今度!!
春が訪れると芸工の丘に煙がたなびきます。
今年の第1回は、3年生が新歓イベントとして企画しました。
新たに加わった新1年生や2年生、飛び入りの下島君が活躍。
2年生は初めて自分たちだけで、開放型と覆い型の2種の野焼きをやり遂げました。苦労して作った大型の移動式カマドもうまく焼け、今後の調理実験が楽しみです。
3年生は大型鍋2個でカレーと球胴鍋でご飯1升あまりを炊いてくれました。さすが年の功・・・・手際よくおいしい昼食を食べました。使用痕の観察も忘れずに。
私は1年生の協力を得て、器形の違う縄文土鍋3個でシチュー料理のスス・コゲ付着実験をしました。実験は仮説検証作業であると同時に思考を柔軟にさせてくれます。
そして、復活!バームクーヘン。4年ぶりです。バームクーヘンを焼く二人の目には防塵めがね。
みんなが覆い型野焼きの煙に逃げ惑う中、工芸専攻の彼女たちは商売道具を持参。羨望の眼差しでみられていました。
今年はどんな企画が飛び出すか。ともあれ、各自が実験課題を発見し、研究の面白さを体験してくれることを願っています。
新緑がさわやかな5月。いま2年生は歴史遺産応用演習の授業で山形市内にある古墳の測量を行っています。
学内実習とは違って、現場では立ち木が邪魔をして思うように進みません。レベル高の計算間違い、図面の定位のし忘れなどトラブルもありましたが何とか乗り切ってまずは順調なスタートだったと思います。学生たちは6つの班に分かれて測量し、あとで基準杭にしたがって図面を合成します。
この古墳は3年前、ゼミの学生たちと分布調査をしていて見つけました。直径30mあまりの円墳で、山形盆地では50mクラスの山形市菅沢2号墳、山辺町大塚天神古墳に次ぐ規模のものです。ほかに山形市内では吉原こくぞうさま古墳が30mぐらいの円墳とされています。
現在、県埋文センターに勤める考古学研究室OBや大学院生が休日を利用して測量をしています。先輩達を助けるいい図面をかいてください。
かくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃんかくちゃん
チュートリ「どきどき野焼き2009」がはじまりました。今日は1年生6人と2・3年生の新人4名を向かえて、にぎやかに素地作りを行いました。演習室に久しぶりの活気が戻りました。
来たる5月16日(土)には新歓の野焼き・調理パーティーが計画されています。昨年来作り貯めた土器を焼き、土鍋料理が振る舞う予定です。乞うご期待!
去年の今頃は、第四紀学会に向けてたくさんの実験土器を作っていたっけ・・・。今年はこれからどんな企画がはじまるのか。
5月3日から6日まで、総勢10数名で山形県小国町に行ってきました。
いろいろあって、楽しい勉強となりましたね。
あー、まんぷくま。
参加者のみなさん、ブログアップよろしくね。
きし
連休に突入し、野に山に大勢の人たちが行楽に繰り出しています。山形・宮城は汗ばむような陽気。
そんな中、昨日から福島大学の考古学研究室が高畠町で古墳の石棺調査を行っています。ここは大師森山の中腹にある自然洞窟を利用したいわゆる「洞窟埋葬」の遺跡です。石棺は外部から持ち込まれたとの伝承があるものの実態は不明です。洞窟埋葬は信州や関東などにもありますが、盛土をした高塚を作るのが一般的な列島の古墳時代にあっては異色の他界観、葬送習俗といえます。町内には加茂山洞窟などほかにも類例があります。
高畠町時沢の地元ではこの洞窟に安然大師の入定伝承があり、石棺2基を大切に保存するとともに、洞窟内に祠を建てて篤く祀ってきました。
洞窟へは麓の鳥居から急な参道を一気に150mぐらい登る。ちょっと息が切れます。でもまだまだ学生たちには負けられません(強がり・・・)。
途中、水準点測量の学生3名が何度も何度もレベルをたてかえ、水準点を移動中。さらに登るとコシアブラ採りに来ていた安然神社総代の奥さんにあう。休憩がてらしばし歓談。
洞窟では先生と学生たちが石棺の実測と地形測量の真っ最中。息を整え、挨拶をして内部を見学させてもらう。
組合式石棺は底板に側板を受ける溝を切って蓋石を乗せるタイプである。2基の石棺は石質がちがっていた。凝灰岩と凝灰質砂岩?。いわゆる高畠石とは違う緻密な石材である。どこから運ばれたのか?内部は顔料で真っ赤に塗られている。今回はじめて詳細な実測調査が行われており、2基の石棺の原型がはじめてよみがえる。
お昼前に下山すると、途中、レベル移動の学生たちが急坂で四苦八苦していた。やっと中間点ぐらいか・・・60mほど登ってきたという。上でレベルが来るのを待っていた先生が「遅いなぁ〜」とぼやいていたぞ。。。。
その後、日向洞窟を見学し、しだれ桜の前で記念撮影。昼食後、今年の北目古墳群の調査の下見をした。夏には葉が生い茂り地面が暗いのに、春はなんと明るいことか、、、、、
それから二井宿、七ヶ宿を通って宮城県白石市へ。さらに多賀城市東北歴史博物館へいき企画展を見学。なぜ縄文土器の展示は外の紋様や装飾を見せるような置き方ばっかりしてるの?土器の内側を見たい人はフラストレーションがたまる。もうちょっと見る人に新しい視点を提示したり、想像を膨らませられるような工夫があってもいいのでは・・・・とつぶやいた。
ともあれ、今日は春の芽吹きを体全体で感じた1日でした。
ここは金沢市の山間部、戸室山の北にある田島という所。江戸時代に金沢城の石垣石を採掘した場所である。
3月27日にここを歩いたときには一面雪の原。名残り雪が降るなか、カモシカがそばでギィギィ鳴いていた。
そういえば、山形で毎年夏に発掘現場に来るカモシカはあまり鳴かない・・・・。
わずかひと月で山はあっという間に芽吹いていた。
さあ、そろそろ山歩きの季節もおわりだ。連休が終わると各地で一斉に発掘が始まる。なんとなくそわそわする。長年染み付いた周期を体が覚えているのだ。
佐賀、甲府、松山、鳥取、山形、金沢から集まった混成部隊。