今日は午前中OFF。
午後、久しぶりに村に戻った。帰省していた子供たちも多くはバンコクに帰ったようだ。
今日はポターの傍らで、じっくりと土器つくり道具(叩き板・当て具)の実測をして過ごした。
朝、ホテルでラオスから持ち帰った土器の整理をした・・・・・・う〜ん。
ラオス南部のパクセーを8時30分過ぎに出、車で13号線を北上。サワンナケート県に戻り、沿線で情報を集めながら土器作り村を探しました。
出国までのタイムリミットが迫るなか、14:50、森の中に忽然と現われたバン・ブッドン(31日に行ったブットーンと発音が似ている)。韓国映画「トン・マッコルへようこそ」を彷彿とさせるような不思議な村。ここではこれまで見たことがないような若いポターがいて、土器作りが活気を帯びているように見えるのです。
わずか一時間足らずの訪問でしたが、みんな温かく迎えてくれました。近いうちに必ずここへ戻ってくるような気がしています。
再び国境を越え、タイのムクダハーンに入る。ピックアップの荷台でたくさんのお土産(土器)に囲まれながら帰路に。吹き付ける風に凍えながら約2時間、なんとかホテルにたどりつきました。ラオスでの6時間余りの悪路のドライブとあわせ、かなりきつい旅でした・・・・。
サバイディー ピーマイ! 新年は静かにあけた。
さすがにホテル前のカラオケ屋は昨夜は若者が遅くまで騒いでいた。
今日は南下してサラワーン県に向かう。
国道を2時間ほど走り、脇道に入り凸凹道を走ることさらに2時間。
ブンカム・ヤイという村についた。ここでも土器つくりシーズンが始まったばかりで作っている人はまだ少ない。この村は豚が多く、みななんともいえず愛らしい。サーさんとティンさんの二人の土器つくりを観察した。
ここの村は特徴的な「倒立技法」で底部を作る。叩き板や茸状当て具を使わない、チュアを使わない、竹製輪状削り具がある、などの点でラオ族分布圏の粘土円柱からの叩き成形技術圏とは大きく異なる。ベトナムチャム族の土器作りと共通点が多い。民族分布と土器つくり技術圏の対応が認められる面白い事例といえる。
珍しいのはモー・トゥというお酒の蒸留用土器。サウン、ナムタオといったタイなど見られない器種が存在する。穴に竹を差し込み、屋外炉で温め、水分を飛ばして濃度をあげる。50度ぐらいというが、かなりキツイ。黄色いのは足痛に利く薬が入っているという。
5時過ぎに村を出て、さらに南下、3時間走りパクセーに入る。正月の観光シーズンのせいか、宿はどこも込んでいた。パクセーは世界遺産「チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」の拠点都市なのだ。ほこりだらけのレトロな宿で一夜を過ごした。
バン・ブットーン
午後3時を回ってようやく探し当てた村。集落に入るが人が少ない。中心部に行くとようやく人だかりが。それにしても賑やかで、ただ事でないことはすぐわかった。柵に囲まれた敷地の中は盛大なお祭りが。男たちは牛を腑わけしている最中。酒がふるまわれて、ごちそうが並んでいる。村の若者の結婚式だった。3日間にわたって行われ、今日は初日、まだ婿さんはこの場にはいない。
突然の異邦人に気を悪くされるのではと心配しつつ、村長さんに理由を話すと、大事な場を離れ、取材に協力してくれた。4人がそれぞれ村の歴史や生業暦、土器作り技術を分担して聞いた。
村は82軒、男312名、女235名と村長は即座に答えた。ブットーンは塩が特産品ということで塩田に行こうと誘ってくれた。塩田は村はずれの田んぼの中にあり、30軒ぐらいが1月〜4月にかけて掘っている。農閑期労働の土器作りと塩作りはシーズンが重なる。塩作りの工程や方法は興味深かった。竹かごに入った塩5kgが15,000kip(約150円)。
今日は結婚式でもあり土器作りをしている人はほとんどいない。土器作りの道具や器種を確認し、本調査に備えることとした。幸い、野焼き、コンロ作りをみることができた。
塩田から帰ってくると、飲めや歌えの大宴会。自前で蒸留した強烈なラオ・ラーオをコップで交換しながら、地元の料理を味わった。日が落ち辺りが暗くなって、名残惜しく村の人たちと別れた。
温かい気候のせいか、大みそか独特のそわそわした気分を全く感じない。
朝7時、トラックの荷台に乗ってホテルを出発、国境の町ムクダハーンを目指す。陸路での国境越えは始めてでわくわくする。途中、スピード違反で捕まる。大型バスも帰省ですし詰めの車もどんどんつかまえる。走っている車は一網打尽という感じ。その場で200B(約600円)払ってハイさよなら。運転者は点数が累積するわけでもないのでアンラッキーとしかいいようがない。
国境はそれなりに賑わっていた。最近日本の援助でできたフレンドシップ・ブリッジ2(1は首都ビエンチャンの南)でメコン川を渡る。橋の手前にあるタイ側のイミグレーション(出入国審査)を通過し、バスでラオスに入る。
ラオスは農業国で東南アジアでも一番貧しい国といわれる。その分ゆったりした伝統的な暮らしが今も息づいている。ラオスの空気や環境、時間の流れに安らぎを感じるのはそのせいだろう。イミグレの警備もゆるく審査官もにこにこしてやさしい。ラオスにきたなという実感がわく。
国境の町、サワンナケートに入り、ホテルを探す。コテージ風のシックなホテルを選び、土器作り村への車と運転手を探す。町はベトナム系の人が多く、建物や店は中国系がめだつ。
村の名前をたよりに、目的地を探す。周辺の景観はイサーンに近いが、地形に起伏があり水田区画は小さい。基本的には天水田の1期作だが、灌漑できるところでは今、苗代を作っており、早いところでは田植が行われていた。田の中にはたくさん木があり、畦は細い。畦に木を植えるウボンあたりとは違う。
道の悪さはラオスならでは。国道から一歩入ると凸凹の悪路、橋は鋼材を組み鉄板をはったもの。木の橋も少なくない。車は飛ばそうにも飛ばせない。それは悪路のせいもあるが、時々道端にいる牛・ヤギ、鶏や犬が横断するせいでもある。クラクションを鳴らしてもゆっくり、ゆっくりで、急ブレーキをかけても間に合わないと・・・・・グシャ・・・。牛は車がやられるのでさすがに気をつけてやり過ごす。
今日は午前中はじめてのOFF。ウボン郊外にある鉄器時代初期バン・カン・ルアン遺跡を見に行く。3mほどの深さに調査時のまま甕棺などが露出展示され、臨場感いっぱい。国立博物館に行くがお休み。朝から暑い日で、しばらく昼寝をした。午後2時から村にいく。
今日は、プアンさん、シラーさん、ジャンタさん、ワナさん4姉妹と一緒の食事会だ。タイでは伝統的に男性が女性のところに婿に入る。だから、姉妹の各家庭は近所に集まっている。ここでも4軒が仲良く暮らしている。男は外から来たせいかどこでも肩身が狭そうに見える。
イサーン(タイ東北部)の田舎料理をふるまってくれた。蒸したもち米が主食。8月に収穫して保存(蒸して袋にいれておく)しておいたタケノコをメインとした料理。トウガラシ、炒めたにんにく、プラー(小魚を漬けたもの)、マクサンで作ったナンプリック(タイ料理には欠かせない辛子味噌)。イサーンでは「ジャオ」という。田圃の池でとれたなまずのような魚のスープ煮(レモングラスやジンジャーがきいている)、そしてみんなが一番好きなソムタム・ラオ(青パパイヤのサラダで蟹入り)。トウガラシがたくさん入っていてとびっきり辛い。などなど。そして、田圃でみんながとる蟹(プラー)はタケノコ料理にもはいっている。田んぼでとったおけらのような虫を炒めたもの。カエルとコガネムシは出てこなかった。
次女のシラーさんには3人の娘がいる。長女ガイと次女コイはバンコクで働いており、いまお正月で里帰りしている。3女クンは17歳でまだ高校生。村にいる。末娘が家を継ぎ、お母さんと暮らすのが一般的だ。ちなみにタイでは正式なニックネームをもっておりこれで呼び合う。
村の中には、人と同じくらいたくさんの犬がいる。飼い犬もいれば野犬もいて、まったくよくわからない。人と牛と鶏と犬がいい具合にからみながら生活している。シラー家では、米袋の上をねぐらにしているミン(足の裏でかゆい目をかく特技をもっている)、顔がよく見えないチョクン、甘えん坊で何事にも動じないルーという3匹の犬がいる。
夕食の後に記念写真を撮って村を後にした。
朝5時20分、黄色のポロシャツ(月曜日は王様の誕生色―黄色を着る日)を着て宿を出た。外はまだ真っ暗。6時に村につくと、ようやく空が白んできた。
長い一日のはじまりだった。
ポター(土器つくりの女性)の朝は早い。着くなり、4人がアシスタントとともに村に散った。Nさんの家をたずねると待ってましたとばかりに粘土を踏み出す(一晩水浸けした生粘土にシャモットを混ぜる)。
それから、夕方6時過ぎまで、一人のポターに一日つきっ切りだった。ポターが休憩したのはわずか20分ほど。こっちはその間も道具の実測があるので忙しい。いいとこ見せようと張り切ってくれているのかもしれないが、重労働である。とはいえ、通りかかった人と大声で話しながら愉しそうに仕事をする。正月でバンコクから帰ってきた息子たちと話をしたり、時折現われては奥さんの仕事の手伝いをしていく夫と会話する。こっちもつられて暑いなか一滴の水も飲まず、トイレに行くのも忘れていた。朝ごはんと昼ごはんはタイ式の弁当を買ってもらい、5分たらずで食べ干した。おやつはだんなさんが差し入れてくれたマンゴーとみかん(家の前を通ったみかん売りをつかまえて水甕1個と3kgのみかんを交換)。
奥さんは20個の土器を素地作りから高台付けまで一日でやってしまう。熱帯モンスーンのタイならではだ。
朝から晩まで4器種20点の土器づくりをじっくり観察、記録した。昨日までの生業調査もスリリングだったが、やはり本命の土器作りには嬉々としてしまうわが性(さが)を改めて顧みることができた。
明日は土器調理の調査だ。そして明後日からはラオスへ。
またどんな出会いがあるのかわくわくしてしまう。
村にいるといろんな食べ物をすすめられます。
今はつらい稲刈りが終わり、日本でいう秋休みの時期。でも家族で過ごす正月のごちそうに欠かせない食材集めの忙しい時期にもなっている。
田んぼでは掘り棒をもったお母さんたちが、一生懸命カニや蛙をとっている。田んぼに放牧している牛のふんの下には大きな食糞性のコガネ虫がいる。ため池には牛ガエルがいるし、魚もいる。マンゴーの木には赤アリの巣がある。おいしそうな卵が採れる。みんなが思い思いに食材を集めている。
おばあちゃんたちは口を真っ赤にしてビンロウを噛んでいる。味見してみたけど苦くて酸っぱい、なんとも言えない味。「医者から止めろと言われてるんだけど、止められないんだよね」とルー・シィーソム婆さん。
余談だが、各家庭ではよく赤貝を蒸して食べる。なぜわざわざ買ってまでそんなに食べるのかと不思議に思っていた。縄文土器のように、赤貝の貝殻でふたに文様を描くポターもいる。
実はビンロウと関係あることが後でわかった。赤貝の殻を七輪の炭火で焼いて、これを水につける。そうすると溶けて白いペーストが出来る。ビンロウは葉に身を包みこのペースト(市販されてもいる)を塗ってかむのである。
この数日、村の内外を歩いて12月の生業を教えてもらっている。稲刈りが終わった水田では女性や子供たちが食糧の採集活動をしている。お父さんたちは、藁を運んだり、畦に植えた炭や野焼きの材料を伐採していた。
タイのイサーン(東北部)・ウボンラチャターニーという町に来ています。
タイは今は乾季。なかでも12月から1月は1年で一番涼しい季節です。とはいえ、日中は30℃を超えるのですが、昨日今日は朝晩、肌寒く感じる天気です。現地の人は寒い寒いと長そでを着ています。そして昨日はなんと小雨が降りました。12月の雨はめったにないことだそうです。
小学校では運動会が終わりました。各学校の子供たちはピックアップの荷台にすしづめで帰っていきます。最後に歩いて帰るのは一番近い、サオトン・ヤイ(大)小学校の子どもたち。田んぼの畦を歩いて2kmの道のり。サオトン・ノイ(小)は、ドンチックの人たちが粘土を掘りに行くところです。
私たちはピックアップトラックの荷台に乗って、村まで片道45分。さすがにこの二日間は寒さに震えました。