午前中は村歩きをした。家の周囲は樹木や竹で囲まれ、無造作にレモングラスが生えている。マンゴー、パパイヤ、ココナッツを筆頭にビンロウ、カティン、パンヤなどなど、生活に有用な植物に満ち溢れている。菜園にはたくさんの野菜が植えられている。ペットポーンさんの庭(写真)では14種もの野菜等が整然と植えられている。村一几帳面で土器作りもうまいと評判のお母さん。さすが畑も性格がよく出ている。
午後からチュンポーン先生(県教委のえらいさん)がウボンの焼き物村を案内してくれた。ウボンを流れるムーンリバー(東に流れメコン川に合流)流域には良質の粘土が産出し、河川に沿って焼き物の産地がある。フアイバンノンはロクロと穴窯で植木鉢などを作っている。この村の家の塀にはクロック(ソムタム作りに欠かせないすり鉢)を積み上げたものがある。焼き物産地ならではの景観だ。ターコンレックは昔は野焼きの土器作り村(かつて土器を作った婆さんが3〜4人いる)だったが、今は型で七輪を作っている。籾殻で七輪を野焼きしている(写真)。籾殻で七輪を焼くのはラオスでも見ることができた。
夕食はオープンテラスのレストランでタイ料理。以前訪ねたスコータイの村で作っていた土鍋が使われている。下には七輪が置かれ、炭を燃料としている。実は炭は火が強く土鍋と相性が悪い。村でも今、調理にはアルミなべと炭が普及し、土器は水甕や祭事用(寺のタンブン)、消し炭入れなどの用途に限定されてしまった。
朝、雨がぱらつくという珍しい日に遭遇した。こんな日はお母さんたちはあまり土器を作らない。土器作りにとって重要な「乾燥」が思うようにいかないからだ。こっちはおかげでゆっくり村の中を歩くことができた。
まだ夜が明けない朝6:00にドンムアン空港を発つ。機内から日の出をみてほどなくウボンの空港に着く。早朝7:00というのにVIPが乗っていたらしく、大勢があつまり出迎えのセレモニー。先発隊と合流し、朝食を食べて村に向かう。食堂の前ではとぼけた犬が出迎えてくれた(下の写真)。
ドンチックはウボンの北約40kmあまりにある180戸の村。タイではたいがいの村に寺と小学校があり、ここも例外ではない。ドンチック小学校からは賑やかな歓声が聞こえてくる。今日から3日間、周辺の9つの学校があつまり連合運動会を開催中。
今日は村の全体像を把握するために一日ぶらぶら歩きまわることにした。土器作りはまだ本格的ではない。つらくて長い稲刈り、脱穀などの農繁期が終わり、休養の時期なのだ。土器作りが本格化するのは1月から。
とはいえ、早い人はもう土器作りを始めていた。詳しく観察したい衝動を抑えながら村のあちこちを見て回った。土器作りや野焼きは昨年行ったマハサラカム県モー村と共通する部分が多い。
村の回りは田んぼ。田の中や畦には木がたくさん植えられている。ラオスやイサーンの田はこの木の落ち葉や放牧している牛の糞が有機肥料となる。またここでは畦が極端に広く、その上にはユーカリやゲーなどの木がたくさん植えてある。そして畦上にはあちこちに炭窯が作られている。萌芽再生能力の高い木を植えて炭材や土器燃料とし、持続的資源利用をはかるのである。
今日は睡眠不足だったがあっという間に1日が過ぎた。夕食を済ませた後、町の中心部にある屋台街にいった。そこで地元の看護学校の学生たちにあった。ジャージの背中のプリントが気に入ったといったら嬉しそうに写真におさまってくれた。
田圃の中の老木はずいぶん減ってしまい、見通しがよくなった。それでも畦には燃料となる木々が植えられ、持続的な木材の資源利用が図られている。牛は刈り終わった稲わら、ひこばえの青草をたべ、糞を田に落とす。乾いて見える田土のなかにはカエルやカニやネズミ、コガネムシ、おけらなどたくさんの生き物がいる。田の一角を深く掘り込んで作ったため池には魚や貝がいて、スイレンなども生えている。自分の田でとるもの、どこでとってもいいもの、用益権はそれとなく決まっている。乱獲することはない。
24日、成田発のタイ航空バンコク便はすいていた。12月初めに起こったバンコクの暴動、空港占拠の影響がまだ尾を引いているようだ。予定より早く成田のカウンターに着いたら自分の乗る飛行機の1時間前の便があいているからと変更を勧められた。おかげでバンコクでは観光する時間ができた。これまでバンコクは5回ほどいったが、実は観光は一度もしたことがなかった。
地下鉄でファランポーン駅まで出て、トゥクトゥクで王宮・ワットプラケーオをみにいった。排ガスとカーチェイスの様な走りは相変わらずである。行ってみると王宮は15:30までとのことで、明日また来いという。しかし、あしたはないので、警備兵に頼んでみるとあっさり門の中まで入れて
くれた。奥まではいけなかったが満足して帰ることにした。
路上の夜店でにぎわう周辺を散策、屋台で飯を食べ、ライトアップされたワットプラケーオを見てホテルへの帰路についた。
地下鉄ホイクワン駅を降りて、混雑する道路を渡ろうとしたとき事件が起こった。バンコクの道路を渡るのはかなりしんどい。猛スピードの車とバイクの波を乗り切るのはタイミングが勝負だ。中国で覚えたのは現地の人が渡るのを盾にして自分も渡るという方法である。
片側3車線の道をもう2、3歩で渡り切ると思った瞬間、自分が盾にしていた人が、突進してきたバイクにはねられた。人とバイクが一瞬のうちに飛んでいった。しばらく現場で凍りついてしまった。恐るべしバンコク。正月3が日タイでは交通事故で300人死んだそうな。
2・3年生の考古資料分析法の授業です。
今日は特別に米村先生(保存科学)を招いて、鉄製品の処理に関する講義と実習を行いました。
夏の北目古墳群の発掘で出土した鉄鏃を資料と、事前に撮影したX線写真を確認しながら慎重にサビ落としをしていきました。
山形県埋蔵文化財センターで遺跡発掘調査出土品の整理作業を見学しました。1年生の授業では発掘調査の予備調査(写真・地図調査・分布調査)、出土品整理の基礎を学びます。
卒業した先輩が説明してくれました。
3年生・院生が石鳥居の石切場跡の調査に行きました。
平板測量が完了し、試掘トレンチや残石の実測を行いました。
埋蔵文化財包蔵地として周知するための基礎資料ができたので、今後は本格的な調査、および保存措置がはかられることが待たれます。
甲府城は秀吉の命で1590年代に浅野長政・幸長により築城されたとされています。甲府駅前にあり「舞鶴城公園」として市民に親しまれています。
今日は快晴で抜けるような青空。雪を抱く富士山が遠望されました。
文化財石垣を後世に残すために結成された「文化財石垣保存技術協議会」の研修会でした。全国からたくさんの石工さんたちが集まり、土木・歴史の研究者やコンサルの人たちとともに現場で石垣修理について意見を交換しました。
1年生の考古学の授業で県立考古資料館を見学し、周辺の山歩きをしました。分布調査で遺跡の略図を描き、調査した所見をまとめる課題です。昨年は雪でした。今年は雨。分布調査は雪でも雨でも歩くんだと檄をとばしておいたせいか、寒さにもめげず、足もとの悪い中で一生懸命古墳の略測に挑んでいました。
今年もこの季節がやってきました。
考古学ゼミ河村嬢主催のススキ狩りです。
ススキ狩りと言ってもお団子やお菓子を食べながらお酒を飲むということはしません。
本気ススキ狩りです。
ガチンコです。
持ち物は鎌と鋸、軍手、ゴミ袋。
去年は参加者が2人とゆうか河村嬢と私だけでしたが、今年3年生男子が2人参加。
あんまり行きたいって言うものだから連れて行きました。(笑)
いつも行く工芸棟の橋が工事中のため、車でぶーんと。
着いてからはひたすらススキを狩る。
なぜススキを取るのかというと、河村嬢の卒業論文のテーマが亀ヶ岡式の黒色土器の野焼き方法の復元というものだからです。
黒色土器は土器を薪で焼いた後、被覆材をかぶせて処理を行うのではないかと考えられています。
その被覆材にススキを使用するのです。
去年もたくさん取りましたが、今年は助っ人がいたため大猟でした。
この恒例行事(さっき恒例にしました!)も、今年で終わりかと思うと寂しくなります。
帰りは車のトランクにススキを詰め込んだのですが、思ったとおり蓋はしまらないため、そのままで。
後続車がすごく距離を取っていました(笑)
1年ぶりに群馬埋文にいきました。山形からノーマルタイヤで雪の高速を抜けると、そこは(太平洋側)はいつものように青空。群馬は2日間空っ風も吹かずに穏やかな天気でした。発掘現場ではカマドの解体ショーを間近で見ることができました。
今回は前回に引き続き、弥生と古代の二本立てで、後者では5世紀半ば頃、関東のかまど出現期の土器を観察しました。県外では岡山、奈良、埼玉、石川、新潟、山形からの参加者がありました。ススコゲワークショップにも若い世代が育ってきておりうれしく限りです。
帰り道の栃木で食べた、モツ焼き・モツ煮ダブル定食に負けたのが唯一の心残りでした。