少し日にちが空いてしまいましたが、先週の土曜日に上山の古屋敷村に行ってきました。
古民家修復のための、足場材を切り出すお手伝いです。
チェーンソーで倒した木の枝を払って、軽トラックまで運びました。
写真で見ると細い木材に見えますが、生木なので結構重いです。
働き者の学生たちが頼もしい!
(準備室の中の人は、次の日全身筋肉痛になりましたが)
この日準備した木材で足場を作り、雪に耐えられるようにシートをかぶせます。
今年の雪の量如何によっては少し心配な気もしますが、本格的な修復作業までシートで屋根を保護するそうです。
ちなみに、屋根に使う茅刈り作業のお手伝いを募集しているとのこと。
古民家の修復や武家屋敷に興味のある人は参加してみてはいかがでしょうか。
(参加希望の方は歴史遺産準備室まで)
11月18日夜半〜19日は上空に寒気が入り込み、日本海側の各地は大荒れとなりました。
19日朝は雪。明け方には北陸名物の「ぶりおこし」がとどろきました。この冬の雷鳴を聞くと、北陸に来た、という実感がわきます。本格的な雪になる前、11月下旬〜12月にやってくる暴風雨と雷を北陸(富山湾周辺)の人はこうよびます。これは富山湾でぶり(鰤)がとれはじめる合図で、この雷を「ぶりおこし」というのです。地域の自然と生業に根付いた言葉といえます。北陸人にとっては木々の雪吊りをするなど「冬ごもり」の季節の合図でもあるのです。
長年発掘をやっていた私たちにとってはいやな雷です。鉛色の空から冷たい雨が降り続き、やがて湿った重い雪が降ってくる。逃げ遅れないようにと悪条件のなかでもがく。そんなときに決まって大事な遺構がでてくる。思い起こすと毎年そんなストレスのなかで調査をしていたような気がしてきます。
しかしそんな風土も、離れて暮らすとなぜか懐かしく、自分の体内に刻まれた生活のリズムが甦ります。いまでは、そこに暮らす人々や町並み、景色までが違って見えてきます。金沢城の石垣は赤色や青色の「戸室石」(安山岩)で出来ており、この季節、しっとりと濡れると色合いが変化します。降り積もったケヤキの落ち葉が強風に舞うなか、木々の緑や落葉まぎわの紅葉が石垣に映えていました。
今年は2箇所の庭園遺構の調査が注目されました。寛永期の本丸庭園跡、寛文〜元禄期に整備された玉泉院丸庭園跡です。
寒風のなかで調査している人たちにとっては、情緒に浸っている間はありませんが。
穏やかな日差しの中、美作(岡山県内陸部)の津山城を見学しました。森忠政が慶長8年(1603年)から築城に着手し、元和2年(1616年)までに完成させたといわれます。この間、本丸から周辺部へ順次石垣が作られていったため、慶長期から元和期への石垣技術の変遷が非常によくわかります。高低差のある石垣を巧みに重ねあわせた石垣は景観的にも見ごたえがあります。名城100選に選ばれるのもうなずけます。石垣面がなんと340面もあるそうな。2005年には備中櫓が復元され、近世城郭らしい顔になっています。いま城跡は紅葉真っ盛り。寒桜も咲いており、観光客が大勢きていました。
眼下を流れる吉井川の対岸には石切丁場が見つかっています。ここは角石を専用に切り出した丁場です。硬質の凝灰岩を岩盤から切るのに独特の矢割り技法が認められました。
岡山城に来ています。岡山城は天正年間に宇喜多直家が築城を開始し、天正末年に宇喜多秀家が本丸周りの石垣整備を行いました。文禄年間ごろの石垣が本丸周囲に良好に残っています。その後、慶長〜元和・寛永と小早川秀秋、池田利隆、池田忠継・忠雄が入りました。慶長期までの石垣は保守性が強いものの、大坂城天下普請で活躍した池田忠雄期(寛永期)の石垣はガラッと変わります。
岡山城を歩いていると突然見覚えのある顔に出くわしびっくり!昨年のゼミの卒業生でした。岩手が勤務地なんですが、仕事で岡山にきたそうな。休日に岡山城を見学するとは・・・えらい。
10月5日〜7日の3日間で北海道札幌市の埋蔵文化財センターにオープンリサーチセンター整備事業の土器の使用痕観察の調査に行ってきました。
参加メンバーは「ススコゲを愛する会」の皆です。
1週間前の栃木埋文での調査もこのススコゲーズ(さっき考え付いた!!)で行ってきました。
今回はK39遺跡・K435遺跡・C504遺跡という擦文時代の3つの遺跡の土器の使用痕を見てきました。
2年生と私は初めての擦文土器!!!
今まで同じ時期にあたる古墳時代後期〜奈良・平安時代の土器の観察を行ってきましたが・・。
ぜんぜん違いました。
すごいとは聞いていましたが、ほんとにすごいススとコゲにびつくり。べったりびっしりなんじゃこりゃ。
4日前に観察した押出遺跡の縄文土器に近いものを感じました。
言うまでも無く大興奮のススコゲーズです。
TUADススコゲ2代目&4年生が大はしゃぎなんですすから、2年生が嬉しくないわけがないですよね。
さっそく土器の周りをうろうろしまくる女子達。
もちろんK先生&東大院のSさんもうろうろ。
私も興奮しながらも、こういう風に皆の目の色が変わっていくのを見るのがとても好きなので、皆の顔も観察。
疲れていても興味深い資料を見ると途端に力が湧いてきて眠気も吹っ飛ぶ。
恐るべきススコゲパワー。
さてさて、この時期の北海道の住居にはカマドという調理施設が住居内にありますが、屋外には炉があることが特徴です。
あえて外で炉を使うには何か訳があるんでしょうか。
冬は寒いだろうし、カマドがあれば火の扱いは楽じゃないのかしら。
なので、カマドで使った土器と炉で使った土器を観察して判断します。
しかし!!北海道の住居は火災住居が多いのも特徴。
つまり、家燃える=土器も燃える
わけです。ちなみに調理の痕跡も一緒に燃えます。
私達は「二次被熱」の土器と言いますが、この土器は赤い部分と黒い部分はなんともすごいグラデーションで調理ではまず付かない痕跡なため、人目で分かります。
栃木の調査で「二次被熱」デビューした2年生。
しっかり見分け、観察していました。
負けてられない4年生!!こんな時期に資料調査してる4年生はまずやばいって話を何度も耳に入れつつも、使用痕を見るためならall OK.とまったく気にしていない4年生!!
今までは二次被熱の土器を見ると、調理の痕跡はあきらめていたのですが、今回は燃えていても見分けてやる!!という気持ちで、火災に会う前の土器の状態、どんな調理に使ったかという痕跡を探しました。
これら遺跡の土器は燃えていても、他の遺跡に比べると使用痕の残りが良好でした。
カマドか炉か、、どんな調理か、、
自分の頭でうんうん悩みながら、時には皆と相談しながら観察します。
狩猟や漁猟を中心とした生業を基盤としていた北海道の人たちは何を食べていたのでしょうね。
私の頭の中には脂のたっぷり乗ったオホーツク海のサーモンしかありません。
そんなことを話しながら観察を行う私達は地底人です。
空が明るい間はずっと地下の収蔵庫にこもって土器とお話。
暗くなると地上に出ます。
だからといってひきこもりとは違いますよ。
地底でも地上でも、いつでもどこでも元気一杯全力疾走なのがススコゲーズですから!!
それでは『ススコゲーズin北海道 −地上人編ー』をお楽しみに。
大学に帰ってからは、現地で記録した実測図と写真を整理し、器形分析のデータとあわせて、当時の土鍋の作り分けと使い分け、調理方法を研究しています。
モノの観察から、時代、地域によって多様な調理の実態、人々の営みがあることがわかってくるのがとても面白いのです。
1〜3「こんにちは。1号です。2号です。3号です。」
2「これから地上人編を対談でお送りします。まず、地上での思い出は何ですか?」
1「なんだろう…。まずはラーメンだよね。同じ系列の店に 二回も行ったね。」
2「みんなラーメン好きだよね!はい、次に3号は?」
3「ホッケ、ちゃんちゃん焼き、ラーメンサラダ!ラーメン サラダは初体験だったね。今だかつてない味だった。し かも、そばサラダもあって衝撃的だったね。」
2「二日目のジンギスカンもはずせないね。」
1・3「おいしかった!!!」
3「みんな無言だったもんね(笑)」
1「特に2号がね!」
2「いやー///ほ、他には?あっ食べ物以外で。」
3「テレビ塔だね。つまんじゃったしね!」
1・2「持ち上げたし!!」
1「あとは時計台。時計台でも撮影会したよね。」
2「3号が銅像みたいだった。」
3「あれは最高だったね。」
1「でも最終日なんか吹雪だった。」
3「クラークさんどころじゃなかったね(笑)。」
2「こうやって振り返ってみると、いろいろあったけど、
北海道を堪能してるね!また、行きたいな!!」
1・3「そうだね〜。」
2「じゃーそろそろ終わりにしよっか。」
1・3「そうだね。」
同「ではでは、長々とお付き合いありがとうございました。
さようなら〜なら〜ら〜…」
証言1「あのね。なんか忘れてない?ジンギスカン腹いっぱい食べてさらに・・・・別腹って言って食べたの」
山形市蔵王成沢に「空清水」という石切り場跡があります。これは重要文化財に指定されている八幡神社の石鳥居の石材を伐り出しという伝承のある場所です。柱材用に切り出しかけた石が現地に残っています。いまは地元保存会のみなさんの努力で、見学しやすく整備されています。近くには大きな板碑がたった遺跡もあります。
木曜日と金曜日、3年生と院生が参加して現地の測量と試掘調査を行いました。
!注意!動物の死体が苦手な人にはお勧めできない内容のキジ…いや、記事となっております。ショッキングな画像は避けますが、自己判断でお願いします。
11月11日の出来事。
教員宿舎の田口先生の部屋に、キジ(♂)が突っ込んできたそうです。窓ガラスにはひびが入り、キジは即死。そのご遺体を私が引き取りました。
時間が経過しているため肉は諦めましたが、立派な骨格標本をつくりたいと思います。
羽がとても綺麗なので、風切り羽と尾羽は残して皮を剥きます。この状態はとても美味しそ…いえ、とてもグロテスクなので、お見せできるものではありません。
見ると肋骨は複雑骨折、首と内臓が内出血を起こしていました。普通に考えてこれが死因。専門ではないので詳しくは分かりませんが。
ある程度肉、内臓を取り除いたら冷凍します。時間があるときにじっくりと処理していきます。
しかし田口先生はとてもラッキー…いえ、とんだ災難でしたね。(一番の災難はキジです。)
by W・T
日本考古学協会の秋の大会が名古屋市南山大学で開催されました。山形から車で参加した学生もいました。お疲れ様。
来年は10月17日〜19日の日程でわが東北芸術工科大学を会場に開催される予定です。事務的な準備は昨年から少しずつすすめられており、目下、シンポジウムに向けた研究会が行われています。これから1年、協会開催に向けた仕事が増えそうです。学生もこの機会を利用してぜひ勉強してください。
ちょっと遅くなってしまいましたが、3日に旧山ノ内小学校で秋の収穫祭が行われました。
私たちは山ノ内の方が出すお店のお手伝いとトチ餅作りを行いました。
お店の方は10時の開店前からたくさんのお客さんが並んでいて、大盛況!
その中でも一番人気のなめこは販売開始5分もたたないうちに完売してしまいました。
お手伝いをしている学生は6月に行われた山菜まつりでもお手伝いをしたことがあるので、結構様になっています。
大きな声で頑張りました。
魚焼きの学生ももう何度かお手伝いさせていただいているので、焼くのが上手になってきたようです。
どちらも一生懸命お手伝いさせていただきました。
そして今回、何もかも初めてのトチ餅作り。
トチの実を教育資料館から拾って来てから2週間ちょっと。
この短期間でアク抜きをするのはかなり困難でしたが、何とか食べられるくらいまでのアク抜きができました。
家で少量のトチを蒸かしてつぶし、小学校ではもち米を蒸かしトチの実と一緒にボウルに入れてすりこぎでつぶしていきます。
そしてきなこをかけて出来上がり。
あまり多く作れなかったのですが、山ノ内の方に試食していただきました。
結構おいしいということでしたが、きなこでかなり(トチのアクの)味はごまかされていたと思います。
残してあるトチのアク抜き実験は継続していきたいです。
そして魚釣り体験もさせていただきました。
釣り糸を垂らすとすぐに釣れるほど池にたくさん魚がいます。
最後に池の水を抜いて片付けなのですが、魚を手づかみしてつかまえようと子どもたちが池の中へ。
みんなできゃーきゃー言いながら楽しく釣りができました。
山ノ内ではトチの実をつぶしてシャボン玉にしていたそうで、トチを食べない地域です。
ですがせっかく採れるので食べてみようということになり、今回実験してみました。
トチのアクを抜くためにかなり苦労しましたが、実験は楽しかったです。
今後もいろいろなことに挑戦していきたいと思います。
以上、M2のAでした。