先日、大学の広報誌g*gに、歴史遺産学科卒業生と一緒に掲載していただきました!
詳細は、大学のHPでも閲覧できます。
博物館、埋蔵文化財センター、教職といった専門職以外にも、沢山の卒業生が民間企業等で大学時代の経験を活かして様々な方面で活躍しています。
高畠町押出遺跡の縄文土器のススコゲ調査がはじまりました。押出遺跡は日本を代表する縄文前期の遺跡で、出土品の多くは重要文化財に指定されています。遺跡が低湿地にあったため、普通は腐ってしまう木材などが良く残り、縄文の暮らしの復元に大いに貢献しました。このような堆積環境は土器にもほかの遺跡にはみられない特徴があります。土器の使用方法を知るススやコゲの保存状態が尋常でないくらい良いのです。見たこともないようなススコゲに・・・・・、これこそ正真正銘の土器。記録には1〜4年生の6名が参加。土曜日には地震に遭遇し、ドキッとしました。
岩手県一関市にある古文書の整理をしています。現在、約4500点もある古文書データを入力中!ようやく半分くらいは終わりました・・・このデータをもとに、現地に行って実際に古文書を読解しながら整理にあたります。興味のある方は東文研までご連絡を!!
6月14日に発生した地震は、岩手県一関市厳美町の本寺地区にも被害をおよぼしました。この地域は、かつて骨寺(ほねでら)村と呼ばれ、中世の村の景観を具体的に表した絵図(「陸奥国骨寺村絵図」)が残されているばかりでなく、その当時の農村風景を現在までみることができる非常に貴重な場所なのです。現在、平泉の都市と合わせて世界遺産への登録を目指しています。
今回は、その被害状況を確認すべく、現地調査に行ってきました。見て回った限りでは民家への大きな被害はみられないものの、絵図にも描かれた駒形根神社の鳥居が傾き、石碑が倒れていました。
一日でも早く地域の方々が普段の生活に戻れることと、被害箇所の修復がすすむことを願っています。
十三湊−安藤氏の居館・福島城を見学した後、発掘調査中の山王坊遺跡を見学。安藤氏関連の宗教拠点施設です。14世紀後半頃の大型の礎石建物が検出されており、伽藍の全容が明らかになりつつあります。榊原さん(五所川原市教委)、丁寧な解説をありがとうございました。
今回は行きませんよ、と宣言しつつ、やっぱり来てしまいました。もう目は光らないのではといううわさがありましたが、待合室にいた高校生に聞いたら今でも列車が来ると光っているそうです。この時間はまだ明るいから遠くから見たほうがいいよとアドバイスしてくれました。ここでは記念写真とトイレ休憩のみ。バスは列車到着5分前に大鰐温泉に向けて発車。
今年の1年生の調査演習は津軽です。三内丸山ではたっぷり3時間滞在。東北道を北上する車中、バスガイドは入間田先生、田口先生をはじめとした教員がつとめました。車窓の風景を生で見ながらの、東北の自然・文化についての語りは、普段大学では聞けない授業ではなかったかと思います。
ただし、テレビに映った「蝉しぐれ」の後半部分は、ガイドも忘れ車内はシーンと静まり返る一幕も。
今日は午後から宮城県の発掘現場を2ヶ所訪ねてきました。
一つは、多賀城創建期の瓦や須恵器を焼いた色麻町日の出山窯跡。8世紀前半代の工房建物が良好に検出されていました。埋土中には分厚い灰白色火山灰(10世紀初頭に噴火した十和田カルデラの降下火山灰)がありました。工房が廃棄されてから200年経ってもわずか10?程度しか埋まっていないことに驚きました。工房のなかからはロクロ据付穴や粘土ダマリが検出されており、ロクロを挽いていた工人の姿が目に浮かんできました。
二つ目は東松島市の矢本横穴。急傾斜地崩壊対策工事にともなう比高40mの急崖に7〜8世紀の横穴墓が高層マンションのように穿たれています。写真奥の暗闇には伸展葬の人骨が二体きれいに並んでいました。一体の人骨にはなぜか首(頭)が無い。そして、その頭がもう一体の頭骨と頬寄せるように?。首が一人で動いた(動かされた)?。想像をかきたてる不思議な出土状態でした。