11月に入り、大分外も寒くなってきました。
だがしかし、石碑チュートリアルは元気に外で活動中です
(…歴産関連は大概そうかもしれませんね)
今回は、「中山之神神社」にて石碑調査です。
芸工大の裏の山の方にあるので、先生の運転で現地に向かいます
流石に、今まで数をこなしただけあって、だいぶ作業もサクサク進むようになってきました。
ついでに、石碑に蜘蛛の巣がかかっているっていうのも、だいぶ慣れてきましたね…。
石碑の文字を読んでいると、崩し字もちらほらと見受けられます。
崩し字の勉強は、このチュートリアルで間違いなく役に立ちますね!!
ここの石碑の中には、約300年近く前のものもありました。
もしかしたら、皆さんの家の近くの神社などにも、200年や300年前の石碑があるかもしれませんね。
調査した石碑の情報を、こんな感じに書き込んでいきます。
もう寒い時期ですし、四時近くになると一気に冷え込みます。
ほんの一か月とちょっと前までは、あんなに暖かかったのに…。
前回のあまりの寒さを知っているので、今回はみんなそこそこ厚手の服装で参加していました。
人手がまだまだ必要なので、
「歴産のチュートリアル入りたいなぁ…」
「金曜日の3限以降暇なんだよなぁ」
という方には、是非参加してもらいたいです。
天気予報が外れたのか、今日は穏やかな測量日和となった。
おかげで慈恩寺院坊跡の調査を何とか終えることができた。一昨日と2日間、休憩なしで頑張った学生たち。お疲れ様でした。長い石段の上り下りたいへんでした。測量しながらだとそうでもないですが・・・
何のためになる。何かのためになる。それはわからない。
しかし、確実に言えるのは、フィールドには出会いや発見がある。それが人を肥やし、生きる喜びとなる・・・・・
お稲荷さん3兄弟
石工サミットが終って、石鳥居調査も佳境に入ってきた。今日も4班に分かれ、新たな出会いを求め各所に散った。
3連休のなか日。今回は卒業生が仕事の都合で出れない代わりに、新人の1年生2名が初参加した。時間に余り余裕がなく、記録作業に追われたが、高畠の風景とそこに育まれてきた生業や信仰の息吹を感じることができただろうか。
秋が深まると里山を背景に立つ石鳥居の表情も際立つ。みんな住宅地図に載っていない鳥居を探すのにもなれてきた。「ゼンリン」なんってたいしたことないね・・・・と。
金原新田の風景は忘れられない。とあるお宅で神社の縁起を書いた古文書を見せてもらった。この旧家の老夫婦、昭和30年代後半、家の堆肥場を作るのに、山の上にあった石切り場から自宅の馬とそりで角石を曳いてきたそうな・・・。冷たい雪の上を。85歳の爺さんと奥さんが若かりし頃を懐かしむ、その笑顔がなんともいえず素敵だった。
あいかわらず傷ついた鳥居が目立つ。貫や木鼻が新材に取り換えられるか、脱落している。笠木・島木は破断や亀裂をカスガイで止めている。雪国の鳥居の宿命とはいえかなり高齢化が進む。一方でそれらは修理し続け、大事に守ってきた証でもある。私たちの作業は、そんな鳥居の現状・病状を記すカルテづくりの第一歩といえる。
将来、この悉皆調査が保存管理の礎となり、地域を歴史を紐解く道しるべの一つになればいい。
今日のお気に入り
「古文書のある旧家 原田さん」
「床下の修羅3基とどんづき」
「シーソーの製造票 柴田鉄工場 電話253番」
「築100年の家の石塀と蔵の基礎石」
「夢殿のようなサイロ」
修羅とどんつきがひっそりと眠る神社
慈恩寺ではここ数年、国指定史跡を目指した総合調査が行われている。
研究室では昨年と今年に分けて、院坊跡の測量調査を実施している。
申請が大詰めに来ており、まだ終わっていない調査は・・・・切羽詰まってきた。
2日は秋晴れの土曜日、有志が集まり地形測量を行った。
10月27日(日)「たかはた石工サミット-往年の石工の技が今蘇る」を開催した。
参加者は80名余り。遠くは兵庫県、静岡県から。福島県、宮城県から10名。心配した台風の直撃は避けられたものの時折小雨が降る肌寒い一日だった。
チーム「まちあるき」の学生らは高畠石に関するポスターを制作し、午前中、会場の壁面に展示した。石工道具の展示とあわせ、短い時間だったが協力して素早く設営をすませた。
まず主催者、町教育長のあいさつに続き、2台のスクリーンで高畠石採掘の歴史について発表した。片方は石切り工程を動画で流した。
次いで、引地さんが展示してある石工道具の使い方を解説してくれた。
実演①はホッキリヅルによる角石の石切り。これまで最後の石切職人として活躍された後藤初雄さんの仕事しか見たことはなかったが、今回、はじめて引地兼二さんがツルをふるってくれた。職人によりいくつかの動作の違いがあることを確認した。実演②は森一さん、深瀬さんによる間知石作り。ツキタガネを使った発破がけからゲンノウ割りまで一連の作業を実演してくれた。
みなさん、齢80を迎え、現役を引退して久しい。森さんは実に50年ぶりだという。本人たちは謙遜するが、体で覚えた技は簡単には忘れない。84歳の後藤初雄さん、89歳の森谷広衛さんも元気な姿をみせてくれた。瓜割で稼いでいた小梁川勝一さんも懐かしそうに昔の話を聞かせてくれた。
引地道春さんらが指導してくれたノミとセットウによる石加工、ノミ・ツルの焼き入れ(鍛冶)。閉会時間が過ぎても体験を続ける参加者がいたほど盛況だった。特に彫刻専攻の女子大生の見事なノミさばきに感心し見入っていた森谷さんの姿が印象的だった。
20代の大学生や30代の若いひとたちがおおぜいきてくれた。
「生身の体と道具一つで石を切る」
石切り体験をした若者たちは何を感じただろうか?
10月22日大学で行われている授業がどういうものか知ってもらおうということで山形県立米沢東高校で「再発見!米沢の街並み」と銘打って歴史遺産フィールドワークが行われました。
民俗・人類学担当の田口教授による「民家コース」、考古学を担当する北野教授の「石造物コース」、歴史学が担当分野の佐藤教授の「街路・水路コース」の3つに分かれて行いました。ここでは自分が参加した「街路・水路コース」について書いていきます。
下見のときにやったようにそれぞれの場所で昔の地図と今の地形を見比べました。下見のときも思いましたが、昔の地図の地形がそのまま残っていたり、水路もコンクリートで舗装されているものの残っていたりで歴史を大切にする町なんだなぁと感じました。
今回は高校生の方に授業でどんなことをやっているのか知ってもらうことが目的なので石碑調査でよく行う距離の測定を実際にやってもらいました。
昔の地図に書いてある場所の距離と現在の場所の距離が正しいかを確かめるために行いましたが、ほぼ昔の地図と同じ距離でした。
写真だと見にくいですが奥の人が持っている紙に赤外線のポインターのようなものを当ててはかっています。
距離の測定は一気にやろうとすると赤外線のポイントを見逃してしまうので何回かに分けて高校生の方たちにやってもらいました。
今回のチュートリアルで高校生のみなさんが住んでいる地域の新しい発見、芸工大で行われている授業がどんなものか少しでもわかってもらえたらうれしいです。
私たちを迎える準備をしてくれた米沢東高校の生徒や先生のみなさん、本当にありがとうございました。
高畠まちあるき-石鳥居の悉皆調査の第4回目。
朝9時にふるかわ邸に集合。ネームプレートと調査グッズを持参し、4班に分かれ町内各地に飛び散る。脚立、5mスタッフ、クリノメーター、レーザー測距計、角度計、コンベックス、2枚の記録シートと画板、コンデジ・・・・
一日中雨降りにもかかわらず調査を続け、今日も30か所以上の鳥居のデータが集まってきた。16時過ぎからぬれた体を温めながら報告会。奥様が出してくれたそば茶と味のしみただいこん煮が空きっ腹にしみる。
高畠では圧倒的多数を占める明神系の石鳥居は18世紀半ばごろから建ち始めたようだ。
その初現期とみられる石鳥居の形や加工の特徴がわかってきた。肥前系といわれる北目の「愛宕山鳥居」とも共通する。
また、北に来るにつれて「八角柱」が増えてきた。いったいいくつあるのだろうか?楽しみである。
もうひとつ分かってきたことは、鳥居というと「神社」を連想するが、ここでは山麓のあちこちに明確な社名のない石鳥居と祠が多数存在することだ。それらはたいていは「山神」や「稲荷」をまつる。「毘沙門天」や「千手観音」「馬頭観音」などもある。集落の「鎮守様」と扱われているものもあるが、もう少し小さい単位で祀られている(場合によっては一族で)。明治期に「神社」に編成されなかった社たち。
山野の開発とともに屋敷の周辺、里と山の境のあちこちに神や仏を祀った姿がみえてくる。鳥居のない祠だけのものとなると、その数はしれない。これに加えて屋敷神(これも山の神や稲荷が多い)がある。もちろん火伏せ(古峯・秋葉)、水神・竜神、三宝荒神・・・・ほんとうに神様だらけだ。。。。
人知のしれない自然や思いのままならない日常のくらし。神に祈り、感謝する暮らしが垣間見える。
鳥居の形は祀られている神様と対応している。当たり前のことだが、これまでそんな風に鳥居をみていなかったので、いまさらながら教えられた。
今日は本殿の形とも対応していることを確認した。
平入りで独立棟持ち柱をもつ神明造(伊勢神宮など)の神社には神明系鳥居がたっている。そして神社名は(皇)大神宮・・・・これまで漠然と見ていたモノがやっとつながってきた。
知識として知ることよりもこうやって再発見していくプロセスが面白い。フィールドワークの醍醐味だ。
10月18日金曜日に石碑調査がありました。
場所は前回と同じで八森地区の調査を行いました。
八森は芸工大から西蔵王へ向かう途中にあります。
さて今回は5人という限られた人数での調査になりましたが、調査内容は一段と高いものを求められます。
今回はこの八幡神社で調査を行いました。
石碑の数もかなり多く調査は時間のかかるものになりました。
平面図作りも石碑調査に並行して行われましたが、変則的な入口をしていることもあってかなり大変な作業となりました。
そしてこの季節ですので夕方になると急に寒くなり学生も悪戦苦闘していました。
中にはカラスに糞を落とされる学生もおりました。
しかしペースを崩すことなく一つ一つ丁寧な調査を行っていきました。
そして順調に作業が進んだ結果、八幡神社の調査を終えることが出来ました。
かなりいいペースで調査が進んでいると感じます。
次回はどんな場所を調査するのでしょうか?
天候が良いといいのですが…
城があった頃の地図に描かれていた道や水路が、今も残っているって、ちょっとしたロマンですよね。
10月22日に、米沢東高校の方と一緒に、タイトルにもあるような活動をします。
活動の正式名称はちょっと忘れました。ごめんなさい。
で、それの下見ということで、15日にゼミで米沢に行ってきました。
台風上陸前日だったからか、天気は微妙でした…残念!
古地図と現在の地図を照らし合わせてみると、古地図に載っている道や水路が、現在も意外と多く使われていました。
とはいえ、コンクリートで舗装はされちゃっているわけで…。
まあ、これも時代の流れというものでしょうか。
何も言われないで歩いていたら、まさかこれが昔の水路だとは誰も思わないですよね。
今まで気が付かなかった街の魅力を知ることができるのではないでしょうか。
公園にあった石垣。
三の丸の土手であった当時のままなのだろうか?
そして、この滑り台…。
全く関係ないけれど、滑るのに勇気がいるかもしれない。
来週は、高校生と回ることになりますが、また新たな発見があるかもしれないですね。
10月4日金曜日に石碑調査に行ってきました。
夏休みをはさんでいたのでかなり久々の調査になりました。
参加生徒は4人と少なかったです。
今回は自分たちで石碑が立っている土地の地形図のようなものを書きました。
まずは庚申塔をみつけたのでいつものようにどのようなことが書かれてあるか調べました。
そして初めての地形図作りをしました。
近くには畑や民家、道路、水路などがあったので、石碑を中心にするようにしてこれらの距離を測りました。
距離を測ってから図に起こす作業もなかなか大変であり、結構時間がかかってしましました。
次にこの場所の近くにある神社の石碑の調査を行いました。
庚申塔の設置されていたところよりはだいぶ小さい場所だったのですが、石碑の裏側が草に覆われていたり、光がさしてこなくて字が見にくかったりでとにかく読みづらかったです。
これは湯殿山と書いてあります
中には像が置いてありました。左側にも何か形が似ているようなものがあったようですが壊れていました。
今回は地形を測って図に起こすという作業をはじめてやりました。
大変な分、地形図が出来上がった時の達成感はすごかったです。
次はもっと上手に作れるようになりたいと思います。