歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2013-08-11

佐渡の金銀山遺跡

「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」

世界遺産を目指して着々と調査研究が進められている。

鶴子荒町遺跡では16世紀末~17世紀初めごろのごく短期間に形成された鉱山町と工房の跡、道路跡がよく保存されている。その一角から見事に精練場が見つかった。

近世初期の城普請や城下町建設、民衆や武士の高揚を経済的に支えた金銀。本土から離れ、ひっそりと山の中に埋もれた遺跡ではあるが、往時の活況を彷彿とさせる空気が感じられた。

 

 

一方、金山観光のメッカである相川では近代の三菱鉱山の建造物等が重要文化財、史跡に指定されている。ここでも石垣の保全は厄介な問題になっている。近代(大正・昭和)の練り積み石垣が崩れ、トンパックで覆われている。どんな価値を認め、どんな方法で保存、継承していくのか?新たな問いが生まれている。

 

 

 

 

 

 

 

2013-08-09

定点観測

序盤戦が終わった。

 

宿舎の前で記念撮影。定点観測12枚目の写真である。

 

この二日間卒業生3人の応援とフィールドワーク演習の1年生が加わり、いつも静かな現場に賑やかな声が響いた。

今年の合宿は異例づくめ・・・・チームで仕事をする、ということはどういうことか。発掘以前に学ぶことが多い。

 

院生や4年生がいない中、背中で仕事をみせてくれた卒業生に感謝!

 

 

 

本番はまだまだこれから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013-08-03

自分たちの基地

今日、現場に小屋が建ちました。

 

 伝統の単管パイプによる小屋作りはここ2年ほど途絶えていました。今年の3年生が復活させようと、資材を運び込み、2年生の協力を得てなんとか建てあげました。

仕上がりにはやや難がありますが、立派な基地ができました。なんだかんだいっても小屋は精神的拠り所です。

 

 

昨日は赤鬼の大盛りカツカレーをおかわり。今日は「いちばん」でラーメン食べたあと、足りないとチャーハンを追加注文する学生が3名。食欲は旺盛です。

 

発掘が始まって一週間。ようやく環境整備が終わって来週から調査が本格化します。

 

昨年に続き、卒業生の佐藤俊くんが現場を訪ねてくれました。新潟を朝5時に出てきたそうです。久しぶりに会ったら、変貌著しく地元のおじさんと間違えました。申し訳ない!

 

 

2013-08-01

赤鬼に異変!

卒業生のみなさん。

今年も赤鬼は健在です。なんと日替わり定食が500円に値下げ!

おばちゃん曰く。「ご要望にお応えしました」

そしてもちろん学生はご飯○○放題。ほんとうにありがたい限りです。

金曜日の定食が待ち遠しい…

 

 昨日、今日と現場は雨が降りませんでした。山形は降ったらしいですが、山一つ越えると天気が全然違います。

 

いよいよ羨道部の掘り下げと前庭部の拡張が始まりました。

それぞれ、ねらいははっきりしていますが、どんな展開になってくるのか。

これからが本番です。3年生は覚悟しておいてください。

 

木に登り空を見上げるモリアオガエル 。

 

2013-07-30

発掘調査が始まりました。

梅雨明けが遅れ、夏はどこへ・・・・・

 

今年も戸塚山に来ています。昨年に引き続き上浅川支群175号墳、174号墳の調査を行います。

 

今日はトラックで発掘器材を搬入。昨年のトレンチと石室を養生した垂木とブルーシートを取り外し、明日からの調査に備えました。1年ぶりに光を浴びてびっくりしたのはカマドウマたちでした。アシナガクモさんも。もうしわけありませんが、引っ越ししてください。

そしてカナチョロの卵がちらほら。毎年同じ場所で産卵するようです。

 

駐車場から現場までの通路にはさまざまなキノコとともに巨大な「ヤマナメクジ」。10~15センチサイズのものがうようよいて、大好きなキノコを食べている。

昨年真っ白になっていたモリアオガエルの産卵は今年は見られなかった。もうおわったのだろうか。

 

ともあれ、これから1か月。暑い夏が待ち遠しい・・・・

 

 

 

 

 

2013-07-26

2013年度 卒業論文中間発表会

本日は2013年度歴史遺産学科卒業論文中間発表会を行っております!

 

中間発表会では卒業研究の目的やこれまでの進捗状況を発表し、

それに対して分野外の先生からもアドバイスをいただける貴重な場です。

 

 

今年は(午前の部のみですが)201講義室での発表となりました。

 

201講義室は400人以上収容できる大学随一の大講義室。

先生方でもなかなか使用することのない、大舞台です!

 

学生の緊張も例年以上になるかな、と思いきや、想像よりもみんな落ち着いていましたね。

「現場に強い」なんて言われる歴産学生の度胸強さが発揮されたのでしょうか。

 

 

午後の部は408講義室に会場を移しての発表になります。

予定では午後も201講義室の予定でしたが、急遽変更と相成りました。

 

教室の規模が小さくなるからか、変更を知ってあからさまにホっとした様子の学生さんもちらほら。

そこは嘘でも悔しがっておくところですよ!

 

 

午前の部発表になった学生さん、大教室での発表おつかれさまでした!

午後からの発表になる学生さんも、気を抜かないで頑張ってください!

 

 

副手でした。

 

 

2013-07-23

石碑チュートリアル四回目です

更新大遅刻です!申し訳ありません!!

更新忘れなだけに「庚申塔」の拓本を…なんて…

………すみません。

 

7月12日、第四回目のチュートリアルを行いました。

天気もこの時期不安定ですから、雨が降らなくて本当に良かったです。

 

今回は、前回途中になってしまっていた石碑の調査からスタートです。

私が担当したのは、前回の更新ラストにもあった、石行寺の上の謎の建物の前にあった石碑です。

まあ、正確には謎の建物ではなく日吉神社っていう神社なんですけどね。

で、その石碑も名前が多くて多くて…正直しんどかったですね(笑)

 

そのあとは、余った時間で拓本の練習をしました。

今回は半紙にやったので、若干勝手が違いましたが…まあ、悪くはなかったんじゃないんでしょうかね…多分。

さっきの寒いギャグに使った庚申塔の拓本はその時に取ったやつです。

 

ちなみに今回は、前期ラストのチュートリアルでした。

 

そして、今日はゼミのみんなで後期に行く予定の場所を下見してきました。

どんな場所で活動するのかは、ゼミ以外の人は後期になってからのお楽しみってわけです。

どうぞお楽しみに–!!

2013-07-21

高畠まちあるき第2ステージ

高畠町にはいったいいくつの石鳥居があるのだろうか?

そんな問いに答えるべく、町内の鳥居の悉皆調査が始まった。 

今日は参院選挙。期日前投票や早朝に投票を済ませ16名が集まった。

2枚の調査シートの書き方と計測法を学んだ後、車に分乗して町内各所に散った。各班があらかじめ決められたエリアを聞き取りも含めしらみつぶしに押さえていくという戦略である。  

 

16:30 みんなが成果を持ち寄りホームに帰ってきた。そして、報告会スタート。 

 

今日はあわせて36か所の鳥居を調査した。このうち木製鳥居は6か所。残りはすべて高畠石製だった。正直、木製(両部鳥居)が6か所もあるとは思わなかった。いずれも米沢市との隣接地域であり、高畠町の石材産地に近づくとほぼ石製に限られてくる。1日で30基・・・・・総数は果たして?

ぜひ、みなさん予想してみてください。

 

農村部の神社には石鳥居が2つ、3つ、多いと4つもある所がある。かつて開田中にあったものを1か所に集めたせいらしい。板碑や各種石塔もおなじように神社に集積されている。

 

村の社の石鳥居は18世紀~19世紀半ばにかけて建立されたことがわかった。江戸期に建てられたものは明神系の鳥居が圧倒的に多い。皇大神社等では神明系鳥居が採用されているところもある。石工の引地さんの見立てでは今回の調査区には屋代方面の石が多いようだ。当時の採掘地の動向を反映している可能性がある。

 

石鳥居は地震で倒れたり、風雪(凍結融解)で傷んだりしやすい。特に貫や木鼻は壊れやすいので、脱落したり、取り換えられたものが散見される。さらに折れた柱や笠木・島木をカスガイ・モルタルで補修したもの、鉄板とボルトで固定したもの、倒れないようにワイヤーで両側から引っ張ってあるもの・・・・

 

19世紀になると貫に年号を刻む小型鳥居が出現するが、折れた貫を新材に交換する際に、当初の記年銘を複製した例があった。石工たちにも大切な記録を保存する意識があるのだろう。

また、鳥居には願主や施主が刻まれる場合があるほか、まれに石工名が刻まれる。貫を留める石の楔にわざわざ髙橋某と名前を刻んだものがあった。見えにくい楔にわざわざ名を刻む・・・たぶん石工だろう。その人間臭さに思わず笑みが漏れる。

 

高畠の石鳥居の特徴はなんといっても八角柱の台輪鳥居。デモをした青龍寺・薬師堂の鳥居もこの形式だった。台輪も柱に揃えて八角形になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一本柳・水雲神社

 

 

糠野目のある神社では新潟地震で壊れた柱の残欠を、神主さんが大事に保存し、自宅の庭石に転用していた。同じく折れた柱を4分割し、御神木を囲う柵の支柱に再利用している神社があった。断片とはいえモノを残すことは土地の記憶を伝えることである。

ダンプにぶつけられ保険で直されたという傷だらけの鳥居、東日本大震災で倒れるも石の会の石工によって修理され復活した鳥居・・・。1基1基に物語が詰まっている。

傷つき、修理されつつ鳥居は地域の暮らしをずっと見つめてきた。地域の人に守られながらいまもそこにある。われわれはその姿を記録し、次世代に残したいと願う。そして、あわよくば石鳥居から高畠の歴史や独自の文化・景観を見出し価値付けしたい。

 

2013-07-15

1年生初参加!

古文書撮影に1年生が初参加です。

2年生も立派な先輩をつとめてくれました。

 

保存と研究のために古文書1枚1枚を撮影していくこの作業。

地道極まりないですが、とても大切な作業です。

 

本日撮影したのは、お医者さんをしていたお宅に残っていた古文書ですが内容は実にさまざま。

医学関係の書籍はもちろん、政治・経済・歴史などなど、その博識さがうかがえます。

 

 

撮影技術は一日みっちりやればある程度身につきます。

技術が身に付くと単純作業の繰り返しのようになってしまいますが、いろいろな古文書に出会えるのも楽しみのひとつです。

形だけでもいろいろです。

さらにくずし字が読めるようになると、内容を知る楽しさもでてきます。

 

ホンモノの古文書に触れる貴重な経験です。

初心者大歓迎ですので、興味のある方は竹原研究室まで連絡ください。

 

 

 

 

2013-07-15

山形城三の丸を歩こう!!

更新遅れました。

6月22日土曜に二年生の歴史資料演習の授業の一環で山形城の三の丸を歩いてきました。

今回は学生だけではなく、高校生やその保護者などの方にも参加していただきました。

大学コンソーシアム山形に集合し、初め佐藤先生による山形城についての建設・改修・改築についての話しや山形城についての簡単な歴史の説明などを行なってもらい明治期の山形城の様子などについての説明を受けました。

最後に現在の三の丸跡の説明を受け山形城における堀や土塁などの特徴的な形の説明を受けていざ三の丸跡へと出発しました。

 

佐藤先生の説明を受ける二年生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山形駅前の大通りを歩くところ約五分最初の目的地である歌懸稲荷神社に到着し、より詳しい山形城の説明や信仰面の話なども聞くことができました。その後境内の西側にある土塁を目指しました。土塁の上を歩いていると急な斜面ができており戦国期における堀の跡や土塁を確認することができ、現代ではまず見ることができない昔の情景がそこには映し出されていました。

 

霞城(山形城)三の丸跡の石碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌懸稲荷神社にて山形城についての説明を受ける二年生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土塁の様子。急な斜面となっている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土塁の上では、実際に山形城のある方角へ目を向けましたが、ビル群が邪魔をして目でとらえることはできませんでした…

その代わりに土塁の上を歩くという貴重な体験ができた事や実際に堀と土塁を間近に見ることができたのはとても貴重な体験でした!

次回は夏休みの期間中に行なわれるので今回の経験を生かし、また山形城の三の丸跡を歩きたいと思います!!

 

 

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