韓国からカムサハムニダ!
さて、その1の続きですが…押圧剥離は学生が実際に見本を見せてから子供たちにやってもらうという方法で行い、子供たちは夢中で押圧剥離を行っていました。2回も来てくれた人もおり、押圧剥離の面白さを多くの子供たちに実感してもらえたと思います。石器でモノを切ってみる体験では、黒曜石の切れ味に多くの子供たちが驚いていました。
祭り1日目は18:00頃終了、その後3日間の祭り全体のオープニングセレモニーが開催されました。私たちは今回のお祭りの外国人招待者として特別待遇を受けることができました。ステージ前方に席が用意されており、その後、夜のコンサートと花火を見ることができました。
今回、私たち学生が今まで学んできたことを子供たちに教えるという立場に立ち、黒曜石に普段触れたことのない韓国の人々に黒曜石とはどのようなものかなどを説明し、理解してもらうことがかなり難しいことを知りました。しかし、回数を重ねていくことでどのようにしたら子供たちに理解してもらえるかを考え、試行錯誤していくことができました。また、今まで学んだことがどれだけ知識として覚えているかを確認できる機会でもあると思います。最終日には、子供たちの笑顔がより多く見られるように明日からも頑張っていきたいです!
韓国からカムサハムニダ!
もう韓国に来て三日が経過しました。いよいよ、5月3日~5日5日にかけて旧石器祭りが始まります。今回は祭り1、2日目について書いていきたいと思います。
会場は全谷里の公園で行われました。旧石器時代の祭りということもあり、提灯がハンドアックスの形であったり、原人の生活を再現した像が所々にあったりと会場は旧石器時代一色でした。この祭りでは、私たち以外にもブースを開いており、貝殻などを使ってのアクセサリー作りやアーチェリー体験など、遊びながら旧石器時代を学べるものが多くありました。このような祭りを開催できるのは、全谷里の人々だけでなく、他の地域の人たちも遺跡に興味を持っているからであると思うし、遺跡をこれから先も保護していくためにもとても重要な祭りであると実感しました。日本も見習っていくべき点でもあると思います。
さて、お祭りは1日目から多くの参加者が集まりました。8時半から準備を始め、10時からブースを開きました。私たちの東北芸術工科大学のブースでは、日本から送った黒曜石や頁岩を使い、直接打撃や押圧剥離の体験、そして石器を使ってジャガイモや革などを切ってみる体験等を行いました。韓国では珍しい黒曜石を目にした参加者たちは「宝石ですか?」「何処で取れますか?」などと多くの人が興味を示していました。直接打撃は危険を伴うので、子供たちが長井先生から直接教えてもらい、中には鋭いナイフを取る強者もいました。
韓国からアニョハセヨー!
私たち歴産2年生4名と企画構想2年1名合わせて5名は今回、5月1日から7日にかけて長井先生が毎年、漣川郡から招待されている全谷里旧石器遺跡の国際学会(韓国文化遺産ワークショップ)と全谷旧石器フィスティバルに参加しました。
このフェスティバルに参加する学生5名の内、3名は初めての海外でした。そのため、今回の海外旅行は不安要素が多くありましたが、これからの多くの人々との出会いや、初めての経験に胸を膨らせていました。
私たちが今回フェスティバルで滞在するのは全谷里(チョンゴクリ)という場所で位置的には韓国の北の方にあり、北朝鮮に非常に近い場所にあります。そこにある全谷里には先史時代の遺跡があることで世界的にも有名です。全谷里に行くには、ソウルから高速バスで2時間以上かかりました。
初日は、ほとんど移動に費やし現地の全谷里についたのは夜中で、これから学会とお祭りで共にする各国(韓国・スペイン・ドイツ・中国)のメンバーとの食事会を開いてもらいました。
5月2日、私達は朝食後、近くの漢灘江(ハンタン川)へ行きました。そこには、旧人の時代に使われていた石英岩という白くてきれいな石を拾うことができました。石英岩は私たちが普段実習とかで使っている黒曜石と違って不規則的に割れ加工がやりづらい石でした。午後から考古学の学会に出席し、様々な国の人たちの調査報告を聞きました。ドイツやデンマークは先史時代の身なりや生活を実践していく実験考古学について発表を行っており、日本ではなく海外の考古学を知り視野を広げることができたと思いました。
我らが長井先生は三内丸山遺跡を題材として、遺跡整備の在り方と日本の文化遺産の諸問題について発表しました。学会はすべて英語と韓国語で行われており、その中でも、韓国の高校生が特別招待されていて、すべて英語で発表を行っているのを見て、私たちよりも年下なのに英語でしっかりと発表を行っていることに、私たちの英語力の無さを痛感しました。この学会から、語学力・考古学の面でも考えさせられることが多くありました。
4月13日、土曜日、3年生初の野外調査に行ってきました。行き先は、高畠町の日向洞窟(国指定)遺跡です。縄文時代が始まる頃の研究の学史に名前を残す、全国的に有名な遺跡です。長井ゼミ主催で参加者は考古専攻生、6名でした。
午前中、高畠町にある県立うきたむ風土記の丘考古資料館を訪問。まず、私たち学生は、先生の紹介で渋谷孝雄館長にご挨拶。自己紹介などして、柔らかな雰囲気になったのち、館内の展示品を見学させていただきました。矢柄研磨器や無茎石鏃、有茎石鏃といった、私にとって初めての単語がずらり。いろいろと勉強させていただきました。ナイフ形石器と石刃は一見形が似ているものの、用途に違いがあるのか?同じ草創期に作られた打製石斧と磨製石斧は用途によって違いがあるのか?など、疑問や興味が湧いてきました。渋谷館長に打製と磨製の石斧の違いを伺ってみたりと、個人的には石斧に興味をもちました。
午後は日向洞窟へ。洞窟西地区の発掘調査者であり、高畠町教育委員会の井田さんと合流しました。以前にこの洞窟に来たときには気づかなかったけれども、洞窟の前には、芸工大生がデザインしたという看板がありました。高畠町のホームページには桜が咲いていましたが、残念ながら今回は・・・。
午後からは、洞窟周辺の分布調査を開始しました。男子3人は遺物の場所を目印にする釘を持って遺物探索、女子3人はGPSとノート書記と取り上げ管理。与えられた役割を全うすべく動きました。他の男子は「10点~15点は見つけたよ」とのこと・・・。その頃の女子達は「風が強い~!」とか、立ったり座ったりの連続なもんですから「腰痛ーい!」など、辛そうな声が耳に届きました。表面採集品が思いのほか多かったため、私たち生徒はこのまま採集を続けることとし、長井先生は次に来る時の下見ということで、渋谷館長とその他の史跡・洞窟遺跡の探索に出かけました。
17時近くになって先生が戻ってくる頃には、こちら学生も終わりに近づいてきました。最後に取りこぼしのある遺物を回収、皆で手分けして現地を略測して、今回の調査を終えました。この畑を掘ったらどれくらいの遺物が見つかるのやら・・・ものすごくワクワクします。
看板をバックにみんなで記念撮影しました。
個人的に重度の花粉症にかかっていたものですから、内心ビクビクしていましたが乾燥しておらず、強風だったため、花粉が飛んでなかったので良かったです!
最後に、昨年の新庄の調査では2~3点ほどしか見つけられなかった遺物を、今回は10点以上見つけることが出来ました。少しずつですが、普通の石との違いを見分けられるになったのではないかと実感しました。
今日(19日)の午後(13:30~17:00)、第4回目の「高畠石ゼミ」が開かれました。1年間のまちあるきを経験した2年生3名が「ナツカワ」「サイロ」「屋敷明神」についてそれぞれ発表しました。(最近硬い石を扱う石器グループが活躍しているので「石ゼミ」の名がおびやかされつつある)
総延長3km、戸数にして170。春夏秋冬、暑い日も寒い日も、1軒、1軒歩いて集めたデータ。みんなの汗と涙の結晶です。この膨大なデータを、2年生たちがすべてエクセル入力し、石材の利用地図をイラストレーターで描いてくれました。
そして、いまは「集める」「分ける」「相関を探る」という分析に挑んでいます。その中でいろいろ仮説を立てて、思考し、検証データを探していくことが重要です。
発表内容は4年生の卒論より進んでいるかも。これからますます期待が高まります。
こんど訪ねるときはこれまでとは全然違う風景がみえてくるはずです。お世話になった村の人たちにおみやげ話をもって、もう一度会いに行きましょう。
今年度の高畠まちあるき(通算第15回目)は5月12日(日)がスタートです。
あらたに参加したい方、大歓迎です。気軽に北野か長田までお声掛けください。
新入生も入ってきました。心を新たにがんばりましょう。
さて、昨年に引き続き歴史学分野のひとつとして古文書調査のチュートリアルを実施します。
メニューは大きくわけて3つです。
①くずし字解読講座 ②古文書整理 ③地域史研究。
①は毎週集まって、くずし字で書かれた古文書を解読します。
歴史系博物館の学芸員を目指す方は必須の能力です。でも、講義だけではなかなか読めるようになるのは難しく、継続的にくずし字を見ることが必要です。その機会としてこの講座をつくりました。
②は、東日本大震災で被災した古文書のクリーニング、そしてそのクリーニングした古文書の撮影を行うというものです。クリーニングは東北大学、撮影は本学で実施します。月1回ペースです。
③は、大学近くの地域の歴史を現地を歩いたり、古文書を読んだりしながら勉強します。不定期に勉強会を開きながら進める予定です。
自主的活動ですので、時間が合う時にどれかに参加するかたちでも構いません。
1年生も他学科の方も大歓迎です。
とりあえず、話を聞いてみようという方は、
4月18日(木)18時30分から405講義室
でガイダンスをしますので、お集まりください。
昨年後期の考古学基礎演習で、6人程度の班に分かれ、それぞれ川で石を拾い、拾った石の分類を行った。この授業で私たちは、大学周辺の地質や河原石の組成を班ごとに考察して、その結果を皆で協力して発表した。しかし、石の種類は意外にも多く、区別するのが難しかった。各班でばらばらに名付けられ、統一した分類をすることが課題として残っていた。授業が終わっても調べ続け、最終段階までは来たものの、まとめていくにはもうひと押しというところだった。
そこで、3月1日の正午ころ、岩石学者のお話しを伺い、ヒントをいただくことを目的として、山形県立博物館に行ってきた。その日は長井先生が午前中から博物館で調査をする予定であった。誘っていただいたので私も行ってみた。
これまで私たちは、見た目や色、重さなど、感覚に頼って石の分類をしていた。しかし、含まれる鉱物や基質?組織?で分けることを知り、そうした時に、私たちの考察とは全く違うものになることも知った。そのため、頭の中が少々混乱してしまったが、同じ石なのに見方や見る人が違うと全然違った考察になるのは、当然のことなのだが、面白いと思った。
長井先生と博物館学芸員とのお話の中には、鉱物の名称など聞いたことのない言葉もあった。それでも、今回お話を聞いたことで、独断により奇怪な名前がついていた石や結論を出せずにいた石についてはなんとか解決が出来そうだなと感じた。
時間としては一時間ほどであったが、とても濃い時間を過ごすことができた。
今回いただいたヒントをもとにして、これから最終の分類、見直し作業を行って、まとめていく。聞いたお話をそのまま使うのではなく、自分の考えをそこに加えて、自分なりの結論を導いてみたい。あと一息、頑張りたい!
第三は、いわゆる史料保全活動です。
古文書調査と活動内容が少々かぶりますが、ここでは古文書保存の一連の作業を学ぶこと、そして震災後の復興活動への参加がもうひとつのコンセプトになります。
活動対象は、宮城県石巻市に伝来してきたあるお宅の古文書です。東日本大震災で津波をかぶりましたが、宮城歴史資料保全ネットワークによってレスキューされ、現在は東北大学に避難しています。
津波にかぶった古文書は泥だらけで、カビが生えているものもあります。こうした古文書の泥を落としたり、水洗したり、エタノールをかけたりとクリーニングをします。和紙に書かれた古文書は強いです。水洗しても乾くと元通りになります。
東北大でクリーニングを終えると、次は古文書ごとお借りしてきて大学で撮影します。
本年度みた古文書は多くが古典籍でした。昔の人がどんな本を読んでいたかがわかります。
震災から2年が過ぎましたが、まだいろいろなかたちで復興作業が続いています。ほんのひとつの「地域」どころか、そのなかのたったひとつの「お宅」のための作業ですが、こういった作業の積み重ねが大切なのだと思います。本年度ではとても終わらず、数年続く作業になりますが、来年度もたくさんの方に参加してもらえればと思います。
第二は、古文書調査です。
コンセプトは、ひとつの地域やお宅に伝来してきた古文書を整理して、さらにその古文書を読んで、その地域やお宅の歴史を自分たちで解明しようというものです。歴史遺産の保存と研究を兼ねた活動です。当然、一年でやりきれるものではありません。一歩一歩ゆっくりと進んで行きましょう。
そして、記念すべき第一号として選定した地域が大学周辺。山形市南原町旧前田地区です。
ここには、「前田村文書」といわれる700点以上の古文書が地域の方々によって大切に保管されてきました。
この「前田村文書」を調査対象としました。本年度は、この古文書を保存用の封筒に入れ替えながらひたすら撮影しました。なぜ古文書を撮影するかと言うと、撮影していればパソコン上で古文書をいつでもみて研究できるということ、そして万一、災害等で古文書がなくなってしまっても画像だけは遺すことができるためです。正確かつ丁寧に撮影すること10,000コマ以上!!とても根気のいる作業をよくぞやりきってくれました。この地道な作業のおかげで「前田村文書」は保存の安全面がより一層高まりました。
そして、本年度はこの「前田村文書」を解読します。ここからが研究面の本番です。現在は住宅が立ち並ぶ前田地区ですが、江戸時代は馬見ヶ崎川を利用した田んぼが広がっていました。山形市のシンボル千歳山の名前も古文書にたくさんでてきます。身近な地域の歴史を、古文書を読んで、地域を歩いて、地域の方々の話も聞きながら解明していきましょう。