こんにちは、佐藤ゼミのトマトです。
とても遅くなりましたが、先週の佐藤ゼミの様子をお届けします。
実は昨日が今週のはっぴょ(ごにょごにょ)
気を取り直して、先週はパーカーさんと私の番でした。
パーカーさんの発表は「源義経」について。
義経と兄・頼朝の対面から、頼朝と対立し、藤原秀衡を頼り奥州を目指すまでを、『吾妻鏡』を使いながら見ました。個人的に義経は好きなので、聞いていて面白かったです。吾妻鏡をスラスラと読んでいくので、すごいなと思いながら聞いてました。
私は「日記からみる牛車の使用」ということで、『蜻蛉日記』『枕草子』『紫式部日記』『更級日記』の4つから牛車をみてみました。植物を使って牛車を装飾したり、対照的に金色の金具で装飾していたり、牛車を舟に載せて川を渡ったり、などの様子がみえました。
あとは、フィールドワークの提出物の締め切りが近付いてきました。
B班は、拓本がやばいです。がんばろう…
では最後に『吾妻鏡』と牛車の図を載せて、終わります。
さぁ、まさかの2回連続のupとなりました、stagでございます。
まぁ、単に私のupが遅れただけなのですが…。
午前中は、太子堂などに向かいました。2,3日目と同じように拓本を取ったり、調査票を書いたりと、あまり変わりませんでした。
問題となったのは、午後です。各班分かれての作業となったのですが、我々の班は、月山神社に向かいました。
わずか3人での作業で、連日の疲れもあったのか、黙々と作業をこなしていきました。
それでも、その日一日では終わらせることはできませんでした。
4日目は、3日目のようなハプニングも起こることもなく、帰って来たのも、時間ギリギリ。そんな4日目なのでした。
お久しぶりですね。歴産の遅刻者stagでございます。
今週(先週)の授業ですが、三者面談と発表が半々でした。
11月に入り、本格的に就活の準備が始まっています。9日にも就活ガイダンスがありますね。出席を忘れてはいけません。
さて、私は、トップバッターで佐藤研究室に入りました。その後も続々と入っていく佐藤ゼミの面々…。中では、一体何が話されているのでしょうか。待っている間、他のゼミ生(というより、男子)は学食でボンヤリ。私は、発表があり、あたふた。
これからやるべきこと、自分の長所、短所等々話が有りました。これから忙しくなります。
三者面談も終わり、私の発表…。
今回は、赤湯温泉について、調査。
調べた史料は、『赤湯温泉記』と『赤湯村温泉記』というタイトルも内容も似ている史料を扱いました。
終わってみると、三者面談と発表で、通常の2倍のダメージを受けた私でした。
卒論も就活も頑張らなければなりませんね。
白河へ行って来た。
小峰城の石垣復旧工事が進んでいる。
崩壊原因や石垣構造の調査を踏まえて復旧方針や工法等を検討した。
小峰城は本丸が立ち入り禁止となっているが、城を見学にくる人が後を絶たない。寒いなかボランティアの方々が一生懸命説明してくださる。城内の白河集古館では新島八重の生涯を紹介する特別展をやっていた。あすが最終日でほぼ10000人の見学者が来ているという。福島県は大河ドラマに向けて盛り上がっている。
立ち入り禁止の柵から公園に出ると、見覚えのある顔が・・。
3年前に卒業し会津で働いている学生がたまたま見学に来ていた。立ち話で近況を話しあった。
会議のあと、もう一人、地元出身の卒業生に会った。食事をおごってもらった挙句、たくさんの手土産までもらってしまった。おばあちゃんの作ったという栗ご飯。うまかったです。
こうやって仕事先で卒業生に会うのは楽しいひと時である。これからもお元気で…
遺跡の発掘調査が終わると成果を公開する現地説明会がある。業界用語で「現説」という。
8月に調査した175号墳の現地説明会を今日開催した。調査を終えてから時間がたったのは、10月に米沢市教育委員会が調査した195号墳の見学と合わせて行ったためである。
天気に恵まれ、穏やかな1日だった。平日の日中にもかかわらず地元の方々が40人ほど来てくださった。若い方からお年寄りまで多彩な顔ぶれに正直おどろいた。
現説は例年、発掘現場を運営する3年生が担当する。1週間前から配布資料作りと遺物整理に時間を費やし、当日は朝から安全に見学ができるように会場設営を行った。
今年の現説、3年生は完全に裏方にまわってくれた。おかげでスムーズな見学会が開催でき、見学者にも好評だった。あの酷暑の中で発掘をやり、秋が深まったころとなったが現説をやり終えた。これでやっと発掘調査の半分を折り返したことになる。あとは出土品整理を進め、これからいよいよ調査報告書の執筆編集へなだれ込む。修羅場・・・・・
現説が終わり、現場を撤収する姿をみて・・・・。ひと夏越えて、ふと気がつくとなんとなく一回り大きくなった。なんとか半人前の考古学徒になったというところ。
来春がまた楽しみである。お疲れ様。
現説が終わってから、市教委の人に案内してもらって、戸塚山丘陵の北斜面を歩いた。
考古学やってる人なら知っている。終末期古墳が丘陵の北斜面にはないことを。
南に開口するという約束事がある横穴式石室墳は北斜面には造れないのである。常識である。
しかし、この常識と思いこみが危険なことは重々承知のはずだったが・・・・
戸塚山の北側で3基の横穴式石室墳が新たに発見された。
その場に立ってみてはじめてわかることがある。古墳は北斜面裾の平坦地にあり、南側は広くはないが開けている。微地形をみながらしっかり場所を選んでいるのだ。
しかし、あえてこの場所である必然性はない。立地論だけですべては説明できない。多面的な解釈が要請される。
冬の足音が聞こえると、どこの現場も仕事が急ピッチで進む。
時折強い雨が降る中、仙台城の石垣解体調査と復旧工事が進められている。
ここでは昭和に修理された切り石積み石垣が軒並み崩れた。
同じ石垣面でも江戸初期の自然石積み石垣は持ちこたえた。「あそび(柔軟性)」のある石垣が強いことを実証した。
中の門ではやはり昭和に修理した練り積み(コンクリートで石を接着して壁状にしたもの)石垣が破断した。この構造は地震で倒壊した白河小峰城本丸南面石垣と同じものである。あそびのない剛構造は地震に弱いのである。
石垣は背面の玉石や土、滲み出す水、揺れなどといかに親和的に積むか。「縁」を切らないことが大切なのである。
慈恩寺背後の山々はかつて修験の場だった。
寒河江市は慈恩寺の国史跡指定にむけて総合調査を行っている。
新山堂は慈恩寺修験の一の宿がおかれた場所である。発掘調査が行われ建物の全貌が明らかになった。
周辺にはほかにも廃絶したたくさんの堂跡がある。いまは草に埋もれ忘れ去られている。これから測量調査をして、往時の姿を復元していきたい。
親子の争いが起きていました。おわり。
どうも佐藤ゼミのグー・タラ男こと蜻蛉です。
今回は私と弁慶殿の発表でした。
私は「最上家の家督相続を巡る山形の動乱について」という発表です。
天正2年、ここ山形では最上義光と父・義守を中心とした家中を二分する争いが起きていました。発表では『伊達輝宗日記』と『性山公治家記録』を参考に戦いの経過をたどり、また近年その存在に疑問の声があがっている義光の弟・義時についても触れました。
弁慶殿の発表は「農民の団結」について。
地頭を代えてもらうために農民が協力して訴えたことを『鎌倉遺文』という文献を用いて見ていきました。
私の文献も弁慶殿の文献も読むのに苦労しましたね。昔の文書には見たこともないような漢字が盛りだくさんでした。ありがとう漢字辞典。
ぼちぼち卒論や進路についても考えなきゃいけません。
今週は3者面談だー…、はぁ。
先日行ったフィールドワークのレポートの提出期限も迫ってきたしね、ぼちぼち頑張ります。
はい、今度こそおわり。
はぁ…。就活が近いぜ…(汗)。
という訳で、こんばんみー。Kどぇす。
発表第2週目は、私とボーダーさんの発表でした。
まずは私から。今回の発表に使ったネタは「林泉寺」についてでした。しかし、かろうじて史料は見つかったものの、文献の数が圧倒的に少なかったこともあり、史料読みを中心に発表を行いました。
史料の内容は、大抵はまともでしたが、一部の史料はもう無茶苦茶でした(杉謙信ってなんだよぉ…上杉謙信だろうよう…涙)。しかし、史料を読んでいくと、「林泉寺過去帳」という単語がポンポン出てきたので、時間があれば林泉寺の住職さんに見せて頂けたらと思います。余った時間で、私が追加で用意した史料をみんなで読んだことは、秘密だ!
続いてはボーダーさんの発表です。
今回のテーマは、「月経」の歴史という内容でした。月経が「穢れ」と関連していたり、月経の女性は数日間家族と隔離させられたりと、民間信仰との関連性を感じ、聞いててとても面白かったです。しかし問題点が一つ。野郎はこのテーマにどう突っ込めばいいんだ…(汗)。
この発表の最後に出てきた史料は、みんな大好き「くずし字」ですた。くずし字か…。なつかしいなぁ…(遠い目)。2年の応用演習を思い出すぜ…(ホロリ)。
さて、これから3年がやるべきことは、卒論のテーマ決めと就活の準備……か。はぁ……(汗)
こんにちは、考古学ゼミ、久しぶりの更新のあとです。
長井研究室より初めての更新となります!
今回は、10月25日に行われた考古学基礎演習(1年生の必修)の授業模様をお届けしたいと思います。
この授業は現在、長井先生が担当され、石器の制作に取り組んでいます。前回までは主に使用される岩石の説明や、割れた面の特徴・割る手法の種類の説明など、基本的なレクチャーを行いました。今回は、その内容を踏まえて実際に外に出て岩石の採取に取り組みました!
授業の最初にまずは教室で学校周辺の地質の判別を行います。地形図や地質断面図などを用いて、周辺の地形の理解と岩相の判別を行いました。今回は川原で採集を行うので、上流部に注目してみていきます。川原に存在している石は上流から流れてくるものなので、周辺にどんな岩相があるのかを知っておくことは、どんな石が川原にあるかを想定する上で重要な情報になるわけですね!ちなみに学校周辺には安山岩質の凝灰角礫岩や流紋岩質岩石などがあります。
どんなものがあるか確認をした上で、場所を外へと移動します!まず向かう先は大学のすぐ脇を流れる坂巻川です。ここでは、数人が代表して川原に降り石を割ってみました。学生の皆さん、なかなか割れず苦戦・・・。やはり先生のようなレベルに至るにはもっと場数を踏んで行かないといけないのでしょうか。・・・と、思いきやわりと綺麗な打面で割ってしまう学生もいるので面白いですね(笑)
ここで時間いっぱいになったため学校へと戻り解散。
資源を守るために、今回大学に持ち帰った石は最小限にとどめました。それでも、採集した石を愛おしそうにしげしげと眺め、話し合う班もあり、その熱中ぶりが伺えてきます。今回採集した石は次回以降の授業で割られ、石器の形になっていきます(かも?)。今後の1年生の頑張りに期待ですね!
以上考古学ゼミ、あとがお送りしました。
次の更新は考古学ゼミでのゼミ旅行の予定です。
同時に、岩石の種類の割合を調査するための採集も行いました。グリッド(区画)を作ってその中にあるものを採取。その川にどんな岩石があるのか知るためにも大事な作業ですね。
次は大学から北西へと向かい、龍山川へ。
今度は学生が班ごとに分かれて全員で採集を行います。皆が石を打ち付けている音が橋の下の空間に響き渡りました。一心不乱に石を割り続ける学生たち。やはり実際に体験してみるのは覚えも早いですし、いい機会ですね!「これは石器に使えますか?」「この石はなんという名前でしょうか?」など、色々先生に聞いていました。目がいきいきしていましたね。