歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
*
2012-02-14

フィールドワーク特別演習


こんにちは

田口ゼミ3年のYこと、よないです。

誰かが更新してくれるだろうと寝てましたが・・・
誰も更新してねぇ!

そんなわけで更新します(笑)

田口ゼミのフィールドワーク特別演習は、
例年同様、小国にウサギを狩りにいってきました!

先生・学生・OBOG・ゲストなど総勢26名、
一つ屋根の下ではなく二つ屋根の下にぎやかに共同生活を送りました。

OBのH先輩はジャフメイトのお世話になり
すぐに帰ってしまいましたが・・・

雪道は安全運転を心がけましょう!

今回のフィールドワーク特別演習の日程は

9日 出発 

10日 履修生(3年生)関さんの家でかんじき作り
   その他の学生は田口先生とお散歩

11日 ウサギ狩り1日目

12日 ウサギ狩り2日目

13日 帰宅

という感じ。

今回は天候に恵まれず、山に登った二日間はとても寒く、雪も深く、さらにお昼時は吹雪く始末・・・
これ以上は続けてもダメだろうということで下山。

反省会の時、猟師さんが
「(あの天候では)普通登らないよ・・」

と言っていたのが印象に残りました。
本当に寒かった・・・!

また、上手く追い込む事が出来ずウサギを捕ることができませんでした。

遠くにいるはずの隣のグループがすぐそこに見える始末(笑)

お前らもっと左行け!とか言いながら(言われながら)

登ってました・・・

猟師さんが下山の最中に2羽仕留めたんですけどね!

初参加の1年生や3年生は残念でしたね・・・
来年また参加しましょう♪

それにしても最終日の天気のよさには驚きだった・・・

田口ゼミ3年は追記よろしくおねがいします!



2012-02-13

口頭研究発表会のお知らせ

 こんにちは、準備室です。
 いよいよ明日から2011年年度東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展が始まります。
 今回は卒展期間中に行われる歴史遺産学科のイベントについてお知らせしたいと思います。
2011年度歴史遺産学科卒業論文口頭研究発表会
大学|歴史文化・東北文化領域修士論文口頭研究発表会

■日時
 2月15日(水) 9:00〜
 2月16日(木) 9:00〜

■場所
 本館409講義室

■タイムスケジュール
2011年度歴史遺産学科卒業論文口頭研究発表会

2月15日(水)
9:00〜 考古学専攻 北野研究室
『山形県高畠町における近世・近代石造物の実態とその地域性』
『田川櫛』

9:30〜 考古学専攻 福田研究室
『縄文時代晩期における仙台湾周辺出土製塩土器について』
『中期大木式土器の編年 −小梁川遺跡・高柳遺跡を中心に−』

休憩(10分)

『山形県における亀ヶ岡文化の土偶について−大洞C2式土偶を中心に−』
『縄文時代中期・後期初頭における複式炉とその様相』
『剥片石器の製作工程から検証する「蕨山モデル」の考察 −縄文時代中期前葉〜中葉における石鏃の観察を通して−』
『縄文時代晩期大船渡湾の漁撈活動 −大洞貝塚の石錘を中心とした漁撈具の分析から−』

11:20〜 民俗学専攻 田口研究室
『海浜集落における生業構造とその変遷 −秋田県男鹿半島戸賀湾を事例に−』
『東北地方における伝統的木造和船の記録研究』
『山形県酒田市飛島における女性の生活誌−大正後期から現在にかけて−』

12:05〜 民俗学専攻 謝研究室
『死者のための絵馬 −山形県村山地方ムカサリ絵馬を中心に−』

昼休憩

13:30〜 民俗学専攻 謝研究室
『日本社会における「良妻賢母」の変遷史 −明治以降の女学校教育を中心として−』
『菊の花が持つ象徴性からみる「日本人」像』
『地域の名産菓子にみる日本の菓子文化』
『稲荷信仰からみる狐の両義性 −群馬県高崎市の屋敷祭りを事例に−』

休憩(10分)

14:40〜 文献史学専攻 竹原研究室
『「薬屋虚言噺」からみる民間薬の利用方法』
『「源氏物語」にみる貴族女性の髪について』
『出羽国諸将と由利十二頭』
『村落間の協力関係 −山形県天童市山寺堰文久3(1863)年の水論より−』

休憩(10分)

『戊辰戦争時における庄内藩の非士分格人員について』
『刑罰からみる身分と社会 −江戸中期仙台藩の死刑を事例として−』
『千歳山観の変遷』
2月16日(木)
9:00〜 保存科学専攻 米村研究室
『写真撮影時の照明が展示資料に与える影響について −デジタル一眼レフカメラのフラッシュ光が及ぼす影響に関して−』
『津波による水損を想定した新聞資料の保存処置方法の検討』
『石造文化財の保存処理できない箇所から受ける影響 −凍結破砕劣化の場合−』
『掛軸「明福院地獄絵図−光学調査と作品内容調査−』

大学院|歴史文化・東北文化領域修士論文口頭研究発表会

2月16日(木)
10:20〜
『「メジシ隠し」の意義 −シシ踊り研究の一環として−』
『阿倍比羅夫北征記事をめぐって−斉明六年の陸奥蝦夷と「沈黙交易」について−』
『配石遺構からみた米代川上流域における縄文時代中期末〜後期中葉の集落構造の変遷』
『縄文晩期/弥生移行期の北海道南部〜東北北部における陸獣形動物意匠遺物の研究』
『民俗知を重視した野生動物保護管理手法に関する研究』

 また、本館409講義室では歴史遺産学科と大学院歴史文化・東北文化領域の学生たちが自分の研究について展示を行っております。
こちらもぜひご覧ください。

2012-02-10

番外編7−長崎県波佐見市


私が山形に来た2000年からの付き合いになるからもう12年になる。

彼が山形から波佐見に移住して、6回目の訪問。ムーアがもらわれてきて6年、その時が最初だったから、1年に1回のペースで来ていることになる。
考古ゼミの学生は九州に来るとここに立ち寄ることにしている。

今回も学生たちとお邪魔し、彼の工房で薪ストーブを囲み、もつ鍋をつついた。〆はちゃんぽんだった。

焼き物工場や倉庫を改造したショップ、事務所を改造したカフェ(http://www.mooks.jp/access/index.html)も来るたびに立派になっている。ハンモックに揺られ、もっとゆっくりしたかったんじゃない?

彼らの生き方に何を感じただろうか?元気をもらったか!

http://wataruno.exblog.jp/17786834/
見てやってください。

2012-02-10

番外編6−中津城

中津城(大分県中津市)

 ひそかに一番行きたかった城だった。黒田如水が築き始め、細川忠興があとを受けて石垣を整備した。寛永期に細川が熊本に転封してからは小笠原長次が入る。
 
 最終日、宇佐市の県立歴史博物館をみたあと、昼食に中津名物の「唐揚げ」を食べにいった。団扇のような大きな「もも」のからあげ定食を食べた。遅い昼食だったせいもあるがうまかった・・・・・・。が、ここでタイプアップ。

 福岡空港までの時間を考えると城による時間はない!と福田先生にくぎを刺される。
 無念!私一人だったら、きっと無理やり城を見に行って飛行機に乗り遅れるバターンだった。
 学生たちには幸いだったにちがいない。

2012-02-10

番外編5−杵築城・城下町


杵築城(大分県杵築市)

 朝、宿の玄関を出てびっくり。目を疑った。暗闇の中、一面銀世界。路面にも積雪。一瞬ためらったが、轍のない道路をおそるおそる走る。しかし、大分空港あたりからは路面が乾く。国東半島は豊後水道側と別府湾側とでは全く気候が違うようだ。
駐車場に車を止めて城山に上ると、朝焼けの空に天守(模擬天守)が浮かび上がった。しばし見とれる。天守の公園は9時まで開門しないので、あきらめて城下町に向かった。
坂や辻の多い城下町は風情がある。20年あまり住んだ金沢がそうだった。パンフレットには「きものの似合う街」とある。
http://www.kitsuki-kankou.com/home/photocontestaward

 尾根上にのびる南北の高台に武家地があり、その谷間に商家街が広がる。誰が名付けたかサンドイッチ型城下町。あまりいい名前とは思わない。
「勘定場の坂」を上ろうとすると、上のほうでランドセルを担いだ小学生が一人。石けりをしながら坂を上っていく。坂の両脇には土塀に囲まれた武家屋敷群がある。いくつかの家から生活感のある食事の匂いがただよう。テーマパークのような時間の止まった場所ではなく、過去から現代への歴史が息づく、時間の流れ、蓄積が感じられる町に魅力を感じるのは私だけではないだろう。

 坂を登りきり、格式高い武家屋敷の門と土塀の道を進むと、朝もやのなか向こうから一人の女子中学生が歩いてきた。すれ違いざまに「おはようございます!」と挨拶される。背筋を伸ばし、凛として歩くその姿がなんともいえない余韻を残していった。振り返ると、勘定場の坂の下り口で、その後ろ姿が朝焼けの空に浮かんでいた。絵になるなぁ、と。

 それから「酢屋の坂」を下ると小学男児2人がやってきた。正面に見える「志保屋の坂」からは女子中学生が、次いで小学生の女児2人が下りてくる。男の子はランドセルからノートを出して地べたの石の上で何やら書いている。忘れた宿題だろうか。止まったり走ったり、ほほえましい登校風景だ。
 坂を下りて左折すると早朝から開いている老舗の味噌屋があった。おはようございますといって覗くと、座敷からお爺さんが出てきた。昔ながらの味噌造りの話を聞き、お土産に、白と赤のセットを一つ買って店を出た。
朝夕の城下町には日々の暮らしがある。狭い路地と曲がり角の多い城下町は大きな車が入らない、除雪ができないなど、暮らしにくいことが多い。防災を考えると不安が大きい。観光目線ではそんな街に魅力を感じるかもしれないが、住民はそうでない場合がある。しかし、よそ者、他者との交流によってここに住む不便より、別の価値を再発見し、その景観や文化を残そうとする人たちもいる。

 できれば、地元のひとが日常を過ごす時間帯にあるくことを勧めたい。そしてそこで暮らす人たちと直接話をしてみるといい。そうすることで観光客目線では知り得ない暮らしの実態に触れることがある。
 
 この日、自分の感動を共有したくて、日出城に行く前に急きょ、学生たちにも勧めて一緒に歩いた。勘定場の坂、下から23段目に富士山形の石がある。気がついたかな。







2012-02-10

番外編4−日出城


日出(ひじ)城(大分県速見郡日出町)

 別名暘谷(ようこく)城。慶長7年(1602)に木下延俊が入り、義兄−細川忠興が縄張りして築いたと伝えられる。仲間うちでも石垣の評判の高い城だったので是非見ておきたかった。大坂城で木下家は「○に木」の刻印を丁場境に連打する。
 

 現在、城内には小学校と中学校が入っている。小学校のグランドの隅、別府湾を臨む高台に天守台がある。隅角部は算木積みで角脇石がない。棒矩で上部4石ほどを小さく矩返しする。間詰め石は少々抜け落ちているものの、しっかり打ちこんだいい石垣だ。
 
 この朝、大分市内は−1℃で小雪がちらつき、日出に来ると−3℃。日出バイパスの路面には雪。夜明け前に着いたが、暗闇に小学校のまわりをうろつくのは不審者だ。しばらく駐車場で待ち、東の空が白み始めた6時30分ごろから城址公園の街灯の明かりをたよりに観察を始めた。中学校の職員室はもう電気が灯っている。犬を連れた散歩のおじさん、稲荷明神を掃除するおじさんに挨拶する。帰りがけに大手門側に出ると小走りに登校する小学生の大集団にのみ込まれた。みんな元気におはようございます!朝からいい気分だ。
 
 実はあとから予定表を見たら、日出城は翌日の見学コースに入っていた。この日は下見ということで。








2012-02-10

番外編3−府内城


府内城(大分県大分市)

別名大分城。関ヶ原後、竹中重利が入り城を築いた。大分市内に泊まった朝、日出城をみた帰りに車中から一瞥。交差点で写真を1枚パチリ。

2012-02-10

番外編2−佐賀城


佐賀城跡(佐賀県佐賀市)

 制限時間60分一本勝負。佐賀藩鍋島家の居城だ。本丸天守台の石垣を中心に見た。いま書いている大坂城石垣の論文で、鍋島家の組織や技術を扱っているので、ぜひ居城の石垣を見ておきたかった。割面を見せる慶長後期の石垣で、名古屋城や大坂城で見慣れた刻印が各所に残っている。ここの見どころは「お化け矢穴」。笑ってしまうほど大きい。石を切るためだけにこれほど大きな矢穴を掘る必要はない。割面をみせることと関係があるのだろうか。大坂城と対比する元和・寛永期の石垣が見られないのが残念だった。


2012-02-10

番外編1−久留米城


久留米城跡(福岡県久留米市)

 朝6時、あたりはまだ暗い。そんな街をもう高校生が歩いている。受験の早朝特訓か部活か、ずいぶん早起きだ。
蜜柑丸の駐車場に車を止めて、ヘッドライトを照らしながら月見櫓の石垣から見始めた。それから巽櫓、冠木門(大手)にまわった頃、あたりが白み始めた。さらに坤櫓から西側、北側をまわり本丸を一周した。
 
久留米城は筑後国柳川藩の支城として田中氏が城を築き、元和6年(1620)吉政が改易となると、翌年、丹波福知山から有馬豊氏が入り、順次石垣を整備して現在の姿になったといわれている。
 田中吉政は大坂城の元和6年の1期普請で活躍した大名だ。福岡藩黒田組で西外堀の隅角部を手掛けている。有馬も1〜3期すべてに助役している。その居城の石垣を見れたのはラッキーだった。
 蜜柑丸には文禄〜慶長前期(田中時代)の石垣、櫓には元和期(有馬時代)、南西部には寛永期以降の石垣と、その時代の特徴を良好に残す石垣群が存在する。田中期と有馬期では石材も異なっている。

 石垣様式を編年的にたどれるところがこの城の魅力だ。



2012-02-10

旅行余話

 「早起きは三文の徳」ということわざがある。「徳」は「得」に通じる。

 もう10年あまり前の話だが、石垣研究が面白くなってきたころ、月1ペースで出張する金沢で、決まって朝6時から2時間ほど金沢城の石垣を見て歩いていた。その後も城のある町に泊まると早起きして石垣を見ることにしている。おかげで、朝のすがすがしい空気と石垣はいつもセットで結びついている。

 先週末から3年生の研修旅行で九州に行ってきた。今回、見学先やルート・宿は学生たちが決めた。こっちからは口出ししないように努めていたが、どこかで私の思いを感じ取ってくれたのか、たくさんの城が見学コースに含まれていた。が、しかしである。
 九州は城石垣のメッカ。血が騒ぐのだ・・・・・・山間部を走ると棚田や護岸の石積みが目に飛び込んでくる。「石を積む」ことが生きている世界が垣間見える。
 
 というわけで、いてもたってもいられず朝駆けして宿近くの城をいくつか見て回った。この季節、石垣面の葉っぱが落ちて観察には最高のタイミング。
 「夜討ち」は横穴式石室墳の調査。ここは、もう20年近く前、北部九州の石室墳を「夜討ち」して歩いた思い出の場所。

 夜討ち、朝駆け。こんな時は朝も夜も不思議に眠くはないのである。

 唐津城や熊本城、岡城、古代山城の大野城百間石垣、元寇防塁は学生のレポートにまかせ、まずは早朝の城歩きを紹介したい。


最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報

東北芸術工科大学
TUADBLOG