2月4日(土)山形→仙台空港→中部国際空港→福岡空港
九州国立博物館→光明禅寺→太宰府天満宮
博多泊
2月5日(日)
志賀島→元寇防塁→板付遺跡→金隈遺跡→大野城
久留米泊
2月6日(月)
吉野ヶ里遺跡→虹の松原→唐津城→末蘆館・菜畑遺跡→古代の森会館→島田塚古墳→久里双水古墳
伊万里泊
2月7日(火)
熊本城→江田船山古墳→岡城
大分泊
2月8日(水)
熊野磨崖仏→田染荘小崎地区→姫島・黒曜石原産地→弥生のムラ安国寺集落遺跡
国東泊
2月9日(木)
杵築城下町→日出城→大分県立歴史博物館・古墳公園
福岡空港→大阪空港→仙台空港→山形
5泊6日、福岡・佐賀・熊本・大分の4県を2台の車で走破した。3日目の夜には長崎県の波佐見へのオプショナルツアーもあったので5県を走ったことになる。走行距離は700kmあまり。
こんにちは、初めまして。初ブログ投稿となります、福田ゼミ3年いわまつと申します。
北野・福田ゼミ合同ゼミ旅行の2日目、午後は板付遺跡弥生館の見学から。名前の通り、板付遺跡を紹介して弥生時代の事を学べる資料館。土器や石器を見たり、復元資料で火起こし体験をしたりしました。約一名が火起こしの会得に終始手こずっていたのはここだけのお話。
続いて向かったのは金隈遺跡展示館。金隈遺跡は、348基の甕棺墓と119基の土坑墓、2基の石棺墓が発掘された弥生時代の共同墓地遺跡。発掘された当時の様子そのままの展示を見てきました。弥生時代前期から後期までの甕棺が押し合いへし合いするように埋められた光景、それを眼に映した時のわたくしの心のうちは幾許の驚きを覚えたでしょう、ただただ圧巻の一言でございました。
最後は大野城址。ここで向かう途中に降り出したあいにくの雨。ぬかるむ地面に足を滑らせないよう、気を付けて百聞石垣を登る道を行く。
途中、下を見たのが間違いだった。登りながら「怖い!怖い!」という悲痛な声が飛び交う。高かった、そして怖かった。
降りる時、北野先生が道なき道(=崖)を軽い足取りで帰還。流石です。
こんな感じで2日目は終了。旅行は3日目へと続きます。
こんにちはお久しぶりです。北野ゼミ3年のむらっちゃんです。
今月の4日〜9日、考古学ゼミはゼミ旅行として、九州へと旅立ちました。ちなみに、北野ゼミと福田ゼミの合同ゼミ旅行です。ゼミ旅行の内容は、ゼミ生が分担してブログに載せていきます。というわけで、1日目は私が担当です。
2月4日
朝5時30分、学校を出発。出発時、(現在もですが)山形は大雪。帰ってくる時の天候はどうなっているのか、かなり心配でした。
仙台空港→中部国際空港→福岡空港と飛行機を乗り継ぎ、福岡へ到着。空港近くのレンタカー屋さんで車に乗り、いざ観光へ!!
まずは4番目の国立博物館・九州国立博物館に行きました。実はこの博物館、芸工大の3期生であるOさんが勤められていて、Oさんのご厚意でバックヤードを案内して頂きました。作品の修復作業場や収蔵庫は、現在の高技術が凝縮されたもので、とても勉強になりました。Oさん、ありがとうございました。
ちなみに、この時期の特別展として『細川家の至宝』展が開催されていました。細川家といえば、芸工大の人間ならば知らない人はそういない(はず)です。偶然とはいえ、何かしらの縁を感じます。見学時間を2時間設けていたのですが、とても見足りず、残念でした。
次に向かったのは光明禅寺。一般的には苔寺の名で親しまれ、鎌倉時代に創建されたと伝えられています。また、九州唯一の枯山水の石庭がある寺でもあります。山形では、景色と言ったらほぼ白銀だったので、同じ冬とは思えない光景でした。心和みました。
最後に、太宰府天満宮へ。やはり有名なだけあって、凄い賑わいでした。とここで、思わぬ事態が発生。学業成就を普通なら願うべき場所で、誰一人として学業成就のお守りを買っていない!!呆れる先生達。苦笑するゼミ生達。後に一人、学業成就のお守りを購入しました。天満宮の前の通りは、土産物屋さんなどが並んでおり、ゼミ生達は『梅が枝餅』という郷土菓子の食べ比べを楽しみました。北野先生は、奇抜な外装のスタバでお茶をしてました。
その後、福岡のホテルに行き、もつ鍋を求めて夜の街へ!!
翌日へ続きます。
後期も終りに近づき、卒展にむけてあわただしくなってきました。4年生には、悔いが残らないよう走り抜けて欲しいですね。
そんな中ではありますが、文献ゼミでは3年生の研究発表会を開催します。1年間、史料を集めながら悩み続け、ようやくカタチになってきた自分の研究テーマと、これまでの研究結果を発表してもらいます。
スケジュール等は以下の通りです。会場の出入りは自由ですので、時間が空いているときにでも聞きに来てください。
中間発表、卒論発表などなど来年に向けてのいろいろな試練への準備を兼ねています。集中講義の期間ではありますが、歴産の1年生から4年生はもちろん、どなたでも結構ですので、今後に向けていろいろアドバイスをしてあげてください。
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■日時
2月6日(月) 13時55分〜17時15分
■場所
本館405講義室
■内容
文献ゼミ3年生7名によるパワーポイントを使った研究発表と質疑応答
■スケジュール
13:55〜14:00 趣旨説明
14:00〜14:25 宮城県における随意科目の設置状況
14:25〜14:50 仙台藩における乱心者への処遇
14:50〜15:15 大石布施文書からみる天保の飢饉
15:15〜15:25 休憩
15:25〜15:50 明治三陸大海嘯における宮城県の衛生対策
15:50〜16:15 酒田における寛政5・6年の消防体制
16:15〜16:40 町村役場引継文書目録の研究
─天童市荒谷村形家文書『事務受渡目録綴』を事例として─
16:40〜16:50 休憩
16:50〜17:15 豪商前川家における明和2年の俵物取引と加工技術
久しぶりに「芯から冷える」という言葉を思い出した。
最高気温氷点下のなか、一日石垣を歩いた。
冬場に下がった堀底の水はこの寒さで氷になった。岸辺からはしごで降りて、普段は近づけない石垣面の詳細観察を行った。石垣の観察は遠くから、近くから、その中間からとさまざまな距離からみることが大事。光の角度によって普段見えない加工痕がみえてくることがある。春夏秋冬、朝昼夕、長い付き合いが必要だ。そのうち、見る側の目も肥えてくる。わかった気にならないで常にモノに向き合う姿勢を大切にしたい。
それにしても頭から足先まで冷えきった。最後は呂律がまわらなくなる・・・・・。やっぱり、汗が噴き出す南国がいい。
こんにちは、田口ゼミのたかはしです。
今回は秋山郷番外編として小赤沢の景観維持、特産品開発に取り組む小赤沢活性化クラブの会議兼忘年会に呼んでいただいたときのお話です。
忘年会が行われたのは私たちがお世話になっている苗場荘。
夕方から十数名のメンバーが集まって2011年の活動報告会が行われました。メンバーは小赤沢に住む40代から80代の方々。光栄荘の洋一さんの挨拶で会議は始りました。
収穫量や鳥獣被害、作物の加工など2011年のさまざまな活動が話合われます。途中、東北文化研究センターが行うオープンリサーチセンター事業と小赤沢をテーマに作成予定のブックレットについても取り上げてもらいました。
さてさて、会議が一段落すると始まるのは忘年会。
集落の人と学生で苗場荘のお母さんである、とも子さんの料理を囲みます。
皆さんが注目していたのは歴史遺産3年の大泉君が演じる山形県寒河江の田植え踊りです。(正式名称が言えず、この場を借りてお詫びm(_ _)m)
やはりお酒に踊りは付きものですね。
持参した扇子を持って優雅に踊ります。アンコールも併せて4つの演目を演じてもらいました。突発的なお願いだったにも関わらず、ありがとうございました(^^!
こういう機会を通して地域の人と仲良くなれるのは貴重な体験です。
そういえば、最近日本海側で大雪の日が続きますね。あるニュースで小赤沢が出てきてびっくりしました。例年にない大雪ですが、みなさんお元気なようです。
先週末、四国の城と石切り場を歩いた。
第9回全国城跡等石垣整備調査研究会が高松市で開かれた。前にも紹介した、文化財石垣保存技術協議会と共催である。今回は「石垣整備における記録と工法選択」がテーマで、現在文化庁が音頭を取って進めている「石垣整備のてびき」の主旨に則って議論が進められた。東日本大震災で被災した石垣の復旧もてびきの枠組みの中で進められていくが、個々の事例では難しい問題もみられ、これから合意形成をはかりながら進めていくことになる。
近年は、石垣修理の現場で3Dレーザー計測や土木工学的な試験など、最新の技術が導入され普及し始めている。それはそれで結構なのだが、ともすると、客観化、記録のデジタル化という観点から、これまで経験的に積み上げられてきた人の技や知識の領域が省かれている現場を目にすることがある。
石垣カルテや解体調査で膨大な図面や3次元データは残るものの、人がリアリティーのある体験や言語で語りつぐべきものが何も残らない、といった状況を危惧する。現代、身体化された技術(人の知と技の総体)の崩壊が叫ばれて久しい。「使えない客観的情報より、リアリティーのある主観的情報を大切に!」と叫ばざるを得ない。
現地見学では天守台石垣の修復工事がおわり、一般公開となったばかりの高松城、そして、7世紀の古代山城(朝鮮式山城)−屋島城の石積み修復工事の現場を見学した。
庵治の町は良質の花崗岩「庵治石」の産地として有名である。東の大谷、西の庵治、いま日本を代表する「石の町」として文化的景観の調査が行われているらしい。山体の姿を変えるほど大規模に掘削された石切り場を背景に、鋭い割面をもつ青肌の花崗岩とその製品が集積された町並みは、この地にしかない独特の景観である。この風景を殺風景な環境破壊の現場とみるか、文化的な景観として継承していこうと考えるかは、人の土地との関わり方や価値観によって大きく異なる。ここは早くから石の民具資料の収集、研究が行われ、石の民俗資料館もできている。石の町としてこれからも発展していくために住民たちがどんな選択をし、町づくり・景観形成をしていくのか注目していきたい。
翌日は冷たい雨にぬれがら、さぬき市にある大串半島の凝灰岩丁場を踏査した。中世の石切り丁場を見学するのは初めて。平刃工具の痕跡が昨日削ったように見事に残っている。ここは近代のツルによる延べ石丁場と複合している。しかし両者は一部接点を持ちながら完全にはだぶらない。それはどうも工具の違いとそれによる掘削方法(工程)の違いが原因らしい。
中央構造線上にある徳島城は結晶片岩の石垣が特徴的だ。たくさんの天下普請も手掛けた蜂須賀家の居城である。まちなかにあって市民が散策する都市公園となっている。山上には天正期や文禄・慶長前期とみられる古い石垣群がよく残っている。ここで注目されるのは、本丸の大きく孕んだ天正期石垣を「ふとんかご」とよばれる現代の土木工法で押さえている点である。金網の中に大量の石を入れた四角い構造物を積み上げて法面保護する工法である。担当者によれば応急措置という説明であった。
石垣の崩落は人を巻き込む可能性がある。危険だからと言ってすべて解体して積み直せば、オリジナルはなくなってしまう。文化財としての石垣は消滅する。その点で見た目を問わなければ、最善の方法ともいえる。一方で、伝統的な石垣技術を再生し、継承するためには工事現場が必要である。このジレンマを調整しつつ、「石垣」(有形・無形の価値)を残していくためには、関係者だけでなく住民たちもまじえた粘り強い議論が必要になる。遺産をどう残し、どう消費(活用)するのか、それを考えるのが我々に課せられた責任であろう。
寒い日が続きますね・・・。後期もあと少しです。みなさん風邪などひかないようにお気を付けくださいね☆
この前ふと疑問に思ったことがありました。車を運転していると前の車に若葉マーク(初心者マーク?)が貼ってありました。でも何か違和感が!よく見ると、若葉マークが色褪せてる!!若葉マークが色褪せるまで結構な時間がかかると思うんですよね〜むしろベテランドライバーでは・・・と思う今日この頃です。
さてさて本題、みなさんは知ってましたか!?後期から新しくできたチュートリアル!!その名も“就活チュートリアル”です!私も●年前、就活をする際たくさんの不安と疑問を持ったものです・・・。そんな悩みを抱える学生同士が学科を超えて情報交換し、楽しく就活を乗り越えようといったチュートリアルです。毎週金曜日16時〜就職情報室で行っています。今回潜入取材をしてきました!!
今回はグループディスカッション形式でみんなでお題を決めて、その問題に対する解決策を意見交換していくといったものでした。内容に関しては参加した学生が毎回まとめたものが就職情報室前に貼ってあるので是非見てみてください♪いや〜本当に活発なディスカッションで、こういう練習が就活でも役立つんだろうな〜と思って見てました。キャリアコンサルタントの先生のアドバイスも頂けるので、是非みなさんも参加してみてくださいね☆
就活ブログ→http://gs.tuad.ac.jp/jobhunting/