10月22日・23日、千葉県富津市金谷で第3回「石の町シンポジウム」が開かれた。ここ金谷から切り出された「房州石」と呼ばれる凝灰岩は、江戸後期から船で江戸・関東一円運ばれ、各地の建築や基礎、敷石などに使用された。その石切り場の遺構群は、山体の景色を変えるほど大規模なもので、「鋸山」と呼ばれるように古くから名所となっていた。
いま、石切りは途絶え、往時の面影はないが、「鋸山」は一部観光開発され、首都圏から日帰りできる景勝地として、ハイカーや山ガールで賑わっている。
この町に熱い思いを抱く人たちが集まっているらしいことは仲間からうすうす聞いていた。だから、いつか訪ねてみたい場所だった。
今回ようやくその機会を得て参加が実現した。おりしも高畠町での活動を始めたばかりで、これを手土産に参加し、私がひいきの石の町「たかはた」をアピールしてきた。
朝、特急が大雨で運休というハプニングに見舞われ、ひやひやしたが、町おこしのボランティアでこの町に引っ越してきたという美大卒の青年が車を飛ばして君津まで迎えに来てくれた。
着くなり、常緑樹が繁る山並みを背景に棕櫚の木、金谷石の石塀がつらなる独特の景観が目に飛び込んできた。金谷石は「尺三」(実際は長さ80?サイズ)で切り出されているため、石材が細かい。一二八(1尺2寸×8寸)の1間が基本の高畠石をみなれているせいだろうか。風化が激しく、どこも目地にモルタルが詰められている。高畠の一二八を平積みしただけの石塀を紹介すると一様に驚きの声が聞こえた。しかし、その日の夜と早朝にまちなかを歩いてみると、ここでも裏庭や隣との境にはひっそりと数段平積みしただけのものや集積(ストック)が見られた。そして雨どいの水を貯めていた見慣れない石製品を見つけた。
講演とシンポジウムの間に、恒例となっているらしい地元高校生による合唱とブラスバンドの演奏が行われた。会場をまきこんだパフォーマンで高校生たちに暖かい気持ちにさせてもらった。
二日目は現地ツアー。大雨の余韻が残る山麓部の山の中に分け入って、泥岩を採集した石切り場の跡を見学した。その昔、切石を山から下ろす仕事は女性たちが担った。ねこ車のブレーキ痕で磨り減ったこの石敷き道を車力道というが、そこはいま山ガール(老若)たちの登山道となっている。時代の移り変わりをしみじみと感じる。
山頂ちかくの石切り場からクラシックの音色が聞こえてくる。今日は毎年行われている鋸山コンサートの日だった。登山道をのぼってきた人たちは、突然大きな石切り場跡があらわれ、そこでクラシックコンサートと書道家によるパフォーマンスが行われていれば驚くだろう。切石に丸太を渡しただけの観客席でしばし腰をおろしていく。索道の起点や鍛冶小屋の遺構、10年数年前までは現役だったろう機械類が無造作に置かれ、時の流れを感じさせる舞台だった。
ここには土地の歴史を掘り起こしながら、その遺産をしっかりと受け継いで、町の行く末を自分たちで考えて作っていこうという人たちがいる。全国に石の町はあまたある。しかし、金谷でみたようにそれらは当時の自然や社会、さらに現在に至る環境の違いが反映されてみな違う顔を見せる。高畠は高畠らしい、全国どこにもない「石の町」であることを確信した。それを顕在化させるのがこれからの仕事になるだろう。
歴史資料演習も後半戦に突入しました。
この日は3日目と同様に蔵の中にある膨大な量の資料を一点一点、外へ搬出した後、目録作成を行いました。目録とは資料の一覧で、詳細説明が添えられたものです。
今回の演習では文字が書かれているモノ(古文書はじめ木箱、俳句の冊子やハガキ、教科書など)はすべて資料として大事に扱いました。
特に古い襖は現代のものと違い、何層にも重ねられた古文書が下張りとして使われているので慎重に。
2年生は昨日の疲れが出ているのかと思いきや、
集中力が増してスピードアップ!
3年生も負けじと頑張りました。
最終日へと続く!
3日目は、いよいよ現地での作業です。
とあるお宅の蔵にお邪魔して、蔵の中にある膨大な量の史料を一点一点整理していきました。
史料を運び、カメラで撮影を行って、ひたすら史料の数を数える等々、2、3年生が協力して作業を進めていきます。
若干季節外れの蚊の大群や、史料に付着しているほこりと闘いながら、みんな黙々と作業をしていました。マスクとウエットティッシュ、休憩時間に食べる甘いものは必須だと思いました。…そしてム●かウナ●ーワ。
史料整理は、一見とても単純な作業にも見えますが、体力、気力を使う作業の連続です。史料を傷つけないよう、慎重に扱うことが求められます。
同時に、実際に史料を見て触れる、というのはあまり体験できることではないので、自分自身にとって勉強になることがとても多いです。
この日は、現地での作業初日ということで慣れないこともあり、みんな大変だったと思います。しかし、次の日には…… ということで4日目に続く!
みなさん、こんにちは。謝ゼミ3年のRyomaどんです。すっかり秋になり、肌寒くなってきました。他のゼミでも、卒論の準備や就職活動が徐々に進んでいるかと思います。
さて、謝ゼミは今月の16日(日)に、宮城県の松島に行きました。松島は、皆さんご存じの通り、日本三景の1つで、海に浮かぶ島々がとても美しく、仙台藩伊達家ゆかりの寺院が重要文化財に指定されており、秋には紅葉が見どころです。かの松尾芭蕉も訪れ、「松島や、、、。」という有名な俳句を残しています。
しかし、今年の東日本大震災で、この松島も大きな被害を受けましたが、松島湾の島々が津波の勢いを吸収したお陰で、壊滅的な被害を受けるのを免れました。海岸の所々に、津波の爪痕が見られ、当時の事を思い出し、身震いを感じました。あの島々には、神の力が宿っているのだろうかと一瞬考えました。
まず、最初に向かったのは、福浦島です。この島は、自然に恵まれおり、松島湾が一望できるスポットの1つである。赤い橋を渡り、沢山の会話をしながら散策しました。
昼食は、近くの「さかな市場」にて、自分好みの海鮮丼を食べました。すごく美味かったです。ただ、自分はちょっと実家の事を思い出し少し恋しくなりました、、、。
昼食の後、いよいよ瑞巌寺へ。瑞巌寺は仙台藩伊達家の菩堤寺で、最初は慈覚大師円仁が創建し、天台宗延福寺と称しましたが、後に臨済宗妙心派に属し瑞巌寺となりました。1600年代に藩祖・伊達政宗公が、再建しました。あいにく、本堂は修復修理中でしたが、「庫裡」という建物内に、政宗公、歴代藩主の位牌や御本尊を、宝物が展示されている「青龍殿」では、仏像や伊達政宗公の甲冑像などを見る事ができ、いかに松島が神聖な場所であったかが理解できた。
政宗公の正室(妻)、陽徳院愛姫の墓堂「寶華殿(ほうげでん)」にも、訪れました。なぜ、この地に眠っているのか疑問を持ちました。私が思うに、政宗を献身的に支え続けた彼女は、夫と死別した悲しみの心を、当時神聖な場所だった松島で、落ち着かせたかったからだと思います。
次に、円通院に向かいました。ここでは、ガイドボランティアの人が案内してくれました。震災当時の話を聞き、見学開始。この円通院は、政宗公の嫡男で、2代藩主忠宗の嫡男・伊達光宗公の菩提寺です。光宗公は、学問と武術に優れ、伊達家の将来を期待されましたが、19才の若さで亡くなりました。伊達家中は、悲劇的な死に悲しみ、光宗公の後を追い、7名の家臣が殉死したそうです。ちなみに、光宗公の霊屋(厨子)には、バラの絵等が描かれており、南蛮文化を垣間見る事ができました。通称、「バラ寺」ともよばれ、キリスト教を禁じていた江戸幕府の警戒を避ける為に、300年以上封印していたので、建造された当時のまま残っています。
さらに、円通院には、本堂「大悲亭」や御本尊をはじめ、多くの見どころがあり、その中でも、庭園と秋に見られる紅葉は必見です。円通院の庭園は、松島湾を表し、島々には七福神の名前がつけられています。案内したガイドの人は説明が上手く、紅葉も見頃を迎えていました。この時期になると、紅葉のライトアップが行われるそうです。
帰り際に、松島のシンボルというべき、五大堂を訪れた後で、牡蠣(かき)を食べました。牡蠣は、広島産も有名ですが、松島産も有名なんですよ。やはり、現地の牡蠣は美味い。(←炭火焼)とてもいい思い出になりました。
またまた、文が長くなってしまいました。この松島で、多くの歴史を学んだだけでなく、震災で復興に向かう人々の心意気が強く伝わってきました。松島に限らず、東北各地は確かに、徐々に復興に向けて動いています。この日を以て、ゼミ内の絆がさらに、深まったと思います。以上で報告を終わります。ありがとうございました。
こんにちは!謝ゼミ3年のKZです。
Ryomaどんに引き続き謝ゼミ研修旅行3日目の様子を紹介したいと思います。
長崎は3日目も快晴でとても暑かったです。
この日は初めに亀山社中に向かいました。亀山社中は昨年の大河ドラマでもお馴染の、坂本竜馬が設立した海援隊の前身となる組織です。日本初の商社で、物資の運搬や貿易を行っていたそうです。現在、亀山社中の遺構として伝わる建物が記念館になっています。記念館ではピストルや紋服など坂本竜馬ゆかりの品々を見ることができました。また、記念館周辺は亀山社中資料展示場や銅像など坂本竜馬ゆかりの場所が沢山ありました。
亀山社中を見学した後はハウステンボスへ。
ハウステンボスは佐世保市にあります。長崎市内からは電車で一時間ほど、入場ゲートを抜ければそこはオランダでした。
風車やレンガ造りの建物など園内を散策しながら綺麗な風景を楽しみました。園内はアトラクション以外にも美術館など様々な施設がありました。
そして一行は再び博多へ。四日目に続きます!
10月15・16日と、鶴岡で行われた地方史研究協議会大会に行ってきました。興味のある学生2人も参加しました。
テーマは「出羽庄内の風土と歴史像 −その一体性と多様性−」というものです。私は2日目しか出席できませんでしたが、古代から近代までの庄内に関する研究発表が8本、そのあと90分の討論と、濃密な内容でとても勉強になりました。
とはいえ、歴史学界を代表するひとつな大きな学会です。研究内容は、どれも緻密な史料分析がなされていて、学部生が聞いていもチンプンカンプンかと思いましたが、発表者の丁寧なレジュメと発表内容でなにかとメモをとりながら聞けたようです。
史料分析の仕方、レジュメの作り方、発表の仕方などなど、いろいろ吸収できることもあったかと思います。会場は、他大学の学部生らしき姿はあまりみられませんでしたが、機会があれば、また参加を促していきたいと思いました。
・・・画像がなくてすみません
土、日曜日、考古学ゼミ3〜4年生9名と六十里越街道の測量調査に行って来た。1泊2日の短期決戦だ。
土曜日朝8:30大学を出発。金曜日に続いて月山路を走る。朝から雨がざあざあ降ってきて・・・・9:40西川町弓張平公園に到着。雨の中での調査は慣れたもの。ブルーシートとトラロープを持って準備OK。
早速4班に分かれて調査開始。弓張茶屋平板チームと石畳Aチーム、石畳Bチーム、石畳平板チーム。午後から雨が上がり、紅葉真っ盛りの落ち葉を掻き分けながら実測は進む。夏に石室の実測でいやほど石を描いた後では、簡単なもの、といわんばかりに実測のスピードは上がる。予想外の進捗。
江戸時代の絵図にも描かれた弓張茶屋跡。溝で区画された平坦面があり、地表に礎石らしき石材が数個露出している。土中にピンポールを刺しながらその位置を探っていくと、180?間隔で綺麗に並んでいる。桁行(6尺)7間、梁間(8尺)2間に1間の庇がつく礎石建物だ。道路を挟んだ向かい側には石積みがあり、ここにも平坦面がある。茶屋中心部の遺構の残りはよいが、周辺が未調査のまま公園造成で失われてしまったのは惜しい。
コテージが建ち並ぶ公園の一角から、沢に下りていくと角材4本を渡しただけの木橋がある。ここを渡ると湯殿山碑があり、坂を登っていくと大きく道が右にカーブする。石畳Aチームの実測場所。自然石のみを敷き並べる。両側に大きめの石を置いて縁を決め、内部を中小の位置で埋める。目地には粘土が張られ、石が動かないようになっている。
さらに300m坂を登ると、Bチームの実測場所につく。ここは、割り面を表に向けた大型の敷き石を並べる。石垣石のように矢穴列があり、ノミ加工している。
このように石畳は場所によって施工方法が異なっている。時期差なのか、割普請によるものなのか興味深い。
夕方、あたりが暗くなって調査終了。月山湖から大井沢を抜けて大江町へ入る。峠のトンネルを越えるとそこは柳川温泉。暗闇でなかなかスリルのある道だった。
学生たちにとっては、夕食準備も慣れたもの。図面チェックをしているとご飯ですよ!の声。久しぶりに腹いっぱい食った。夏の調査でみんな胃袋が大きくなっているのがよくわかる。いったい何合炊いたの?町教委から地ビールの差し入れ、ありがとうございました。
朝食も、夕食に負けずおとらずよく食べた。高畠でもらった元気米。オリンピック選手らが食べた「集中力が高まる」お米である。戸塚山のときも不思議と効いた気がする。
日曜日は天気がよく紅葉がひときわ綺麗だった。予定した調査が終わり、夕方5時、一本締めて現場を後にする。
宿といい、現場といいカメムシが大量発生していた。今年も雪は多そうだ。
ひと夏過ぎて、学生たちは確実に変わった。
自分の役割を理解し、人のこと、チームのことを考えて動くようになった。
現場は人を育てる。充実した二日間、疲れはあるがすがすがしい。
もうひとつ変わったこと。カメラ目線の笑顔(*^。^*)
早起きして致道博物館に行って来た。寒河江までは霧の中、月山道に入ると朝日を浴びた紅葉が目にまぶしく飛び込んできた。
卒論の調査で鶴岡に1週間あまり滞在するという4年生と合流。見学がてらちょっとだけお手伝いする後輩たち。
卒論を書くプロセスは大学生という時代をいかに生きたか、それを問うのに等しい。社会に出るための通過儀礼であるが、どうせなら誇りと自信を得て出て行ってほしい。
黙々と生の資料に向き合う時間、積んだり崩したり手あかに染める時間、自分の懐で温め寝かせる時間、ひらめく瞬間、書き終えた達成感。
現実逃避の日々は終わった・・・・。資料と自分と向き合おう!
建物は、明治14年創建の重要文化財−旧鶴岡警察署。
玄関脇の個室、なかなか落ち着く部屋だ。
はて?受付?取調室?
こんにちは。
文献ゼミ3年のHRです。
2日目の活動を紹介をします。
大学の一室にて、2・3年生合同で古文書の撮影・目録作成を行いました。
午前と午後に分けて、数人で構成された各グループごとに協力して作業を進めることができました。
古文書の撮影は1グループに1台のカメラが配られ、前日練習した通りに2年生中心になって作業を行いました。
2年生は仕事を覚えるのが早く、とてもテキパキ動いてくれました!
目録作成についてはこの日から実物を使って作成しました。
目録には、古文書ごとに表題や作成者、作成日時、宛名等を書きこんでいきます。
しかし古文書に表題が無い物や、表題だけでは分かりづらい物もあるので、表題の欄に内容がわかるように副題を書くこともあります。
しかし文書の本文は、小さく読みづらい字やだいぶ崩された字等々・・・くずし字を約1年習った程度の私達には、読めない字の数々に翻弄され続けました。
2日目は何度か先生の力をお借りして、皆で力を合わせてなんとか作業を完了しました!
さて次はいよいよ3日目です!
みなさん、こんにちは!謝ゼミ3年のRyomaどんです。時々歴産のブログを読んでいますが、内容が充実しているようですね。(毎日お疲れ様です。)さて、今回は先月に行ったゼミ研修旅行の2日目について報告したいと思います。
9月12日(月)
博多駅(7:50)−長崎駅(9:50) 特急かもめに乗車。
福岡市を出発したのが、朝早かったので、正直少し眠かったです。長崎には2時間程度で到着し、猛暑に悩まされました。
長崎は、横浜や神戸と並んで海外との交易が最も盛んだった港町で、外国の建造物が現存し、物品のみならず、学問や思想も入り、海外の文化や交流が花開いた異郷の地です。去年、地元出身の人気ミュージシャンFM氏が、大河ドラマ『龍馬伝』で主人公・坂本龍馬を演じ、話題になりました。
まず、市電に乗車し、長崎原爆資料館に向かいました。今から66年前の8月9日、長崎に原子爆弾が投下され、一瞬にして多くの尊い命が奪われました。歴史の教科書でしか知識がない私たちは、資料館を見学し、衝撃の大きさに言葉が見つかりませんでした。11時2分で止まった柱時計、高熱と熱風で折れ曲がった鉄骨、被爆者の写真と遺品、当時の長崎の映像から原爆の本当の恐ろしさを実感しました。今年の東日本大震災で発生した福島原発の事故で、一般市民の生活が脅かされ、原発の有無と核の廃絶に関して世界中で議論が活発している今だからこそ、一番最初に行くべきではないかと、旅行計画で決定しました。私たちは、核戦争について考え直す機会を得ました。見学後、平和公園の祈念像の前で黙祷しました。再び戦争のない、平和な世の中が訪れる事を祈って。
長崎港の近くで、昼食をとりました。海鮮丼です!とても美味しかったです。
次に出島資料館に行きました。出島は、みなさん御存じの江戸時代に鎖国政策が行われていた時に築かれた人工島です。オランダと日本が、お互いの文化を知り、国際情勢に関する情報交換を、貿易によって行っていました。キリスト教を禁じ、中国とオランダのみを貿易相手国と決定した江戸幕府は出島の出入り等を制限し、密貿易を阻止していました。つまり、出島はオランダ人の監視場所だったのです。中国人に対しても同様です。「カピタン部屋」と呼ばれる建物の中には、当時のオランダ商館員の住まいが再現され、鎖国の様子を知る事ができました。扇型の島でしたが、近代に入り堀が埋め立てられました。この地には、緊迫していた雰囲気が漂っていたのかもしれません。
※カピタンとは、オランダ商館長の事を指しています。
次に向かったのは、長崎歴史文化博物館です。この博物館に勤務する主任学芸員である平岡さんに案内してもらいました。長崎がどのような歴史を辿ってきたのか、中国における航海の神「マ祖像」、長崎を代表する焼き物などを紹介した後、何と特別に博物館の裏の見学をさせていただきました。資料の収蔵庫や、機械室、保存修復する場所を見られた事はとても貴重でした。「資料の扱い方は慎重に、保存は場を選び、十分に状態を把握しなければならない。また学芸員の間にも、上下関係が存在し、展覧会の企画や資料収集や保存を巡り、激しくやり合い、対立も生じる非常に厳しい仕事」と平岡さんは語り、学芸員の仕事がいかに大変かを疾患しました。最後に、長崎奉行所と大河ドラマの歴史を紹介する企画展も見学し、さらに、坂本龍馬の座っている写真の原物が見れて、非常にうれしかったです。
博物館の建つ場所にはかつて、長崎奉行所が設置されていた為に、外観は奉行所の復元。
ホテルにチェックインして間もなく、稲佐山に夜景観賞に出かけました。ホテルから直行のバスが出ていて、しかもロープウェーの料金が安くなるという事ですぐ予約しました。
稲佐山に着くと、多くの観光客がいて、さすが観光スポットだと思いました。長崎の夜景は日本三大夜景(函館、神戸に次ぐ)の一つとされているそうで、とても綺麗でした。夜景を見ているうちに、一日の疲れが癒されました。
実は、この稲佐山の付近に、あのFM氏の実家があるらしいです。良い旅行の記念になりました!
稲佐山を降りて、新地中華街にて夕食をとりました。閉店ギリギリの時間帯だったので何とか食べる事ができました。
夕食は、長崎名物「ちゃんぽん」と「皿うどん」など麺類の料理を食べました。やはり現地の料理は美味いです。ちなみに、ここの女性従業員は上海出身で、謝先生との会話を聞いていて、とても楽しめました。
この長崎を訪れ、多くの発見がありました。現地の風土や食文化を味わうだけでなく、人とのコミュニケーションの取り方も学ぶきっかけも掴む事ができました。まだ行きたい見学地もあったのですが、時間の都合で断念せざるを得ませんでした。機会があれば、また長崎へ行きたいです。
文が長くなりましたが、謝ゼミはこれからも随時、ブログを更新していくつもりですので、お楽しみに!