戸塚山古墳群は山頂に5世紀後半の前方後円墳と作りだし付き円墳(帆立貝式古墳)がある。
現在調査中の106号墳を含め7世紀後半〜8世紀初頭の群集墳は、その西麓にあり約180基の円墳で構成される。
この両者の間には200年ほどの開きがあり、直接的な系統関係をたどることはできないが、7世紀の人々の墓域の設定に、かつてこの地を支配した王の眠る山という歴史、信仰が深くかかわっていたのではないかという説がある。
ところでこの戸塚山は中世においても信仰のハヤマだった。
東麓には修験にかかわる道場跡や墓地が知られ、西麓にも墓地が確認されている。一昨年、米沢市が調査した34号墳(金ケ崎支群)では古墳を改造して、逆F字型の石室と墓道をもつ方墳が作らていた。中からは2基の木棺墓が検出された。このように古墳の石室を中世の墓地として利用する例は珍しくはない。
現在調査中の106号墳でもその痕跡が見つかった。石室の前庭部に木棺墓とみられる遺構が存在した。底には平らに石を敷き詰め、棺の上面に石を置いている。前庭部がかなり埋まった段階で掘りこんでおり、中世の可能性が高い。
古墳群から600年、700年後の人々もこの地を祖先の眠る聖なる空間、場所として認識していたのかもしれない。
今日も朝から2人の卒業生が調査に参加した。「背中で仕事をする」そんなメッセージを後輩たちに送っていた。明日は大学祭2日目、しばし現場を忘れて楽しんでもらいたい。
3日間の大雨にもめげずになんとか現地説明会を開催した。
朝現場につくと、戸塚山幼稚園の大運動会。応援に来た家族の車で駐車場が満杯。急きょ、置賜駅に車をとめて歩くこととなった。
到着早々、現説に備え調査区の清掃と見学路の整備に着手。わがゼミ3年生は遺構の精査。湧水が止まらない1トレは直前のバケツリレーでなんとか見れるようにはなった。
合宿中も参加してくれた4年生と福田ゼミ生たちは会場設営に汗を流した。土嚢積み一つにも気を使え!それが土木(現説)の基本だ!と檄をとばす。それと昨日インドから帰ったばかりの2年生も応援に。さらには朝から駆けつけた卒業生。総勢14名、全員がそれぞれの役割を果たし、なんとか13:30の現説にこぎつけた。そのころには幼稚園の大運動会も終わり、昨年のような大混乱はなかった。
調査成果の説明には3年生の3名が立った。緊張しただろうが、無事役割をこなした。見学者のほとんどがプロだったのだ。
発掘現場ではみなに役割がある。各自が確実にそれをこなすことで全体として大きな力が生まれる。みんなが自立し、孤立しない。そして、さまざまな形でサポートしあう、そんな関係も必要になる。今日の現説はそんな場面が各所に見えたのが一番うれしかった。
むかし発掘現場の様子をサッカーの布陣にたとえた試合中継をした学生がいた。最近時々、そのことが頭に浮かぶ。私が書くと語弊があるといけないので控えるが、今年のチームはなかなかいい試合をする。これから後半のこり10分、きついが踏ん張りどころだ。あついドラマが生まれそうな予感・・・
現説が終わってシート掛けをしている最中に突然現れたI君。えらい遅刻だったけど、電車に乗ってわざわざ来たパフォーマンスは悪くはない・・・
毎朝、車を降りて現場まで5分ほど林の中を歩く。わずかな距離だが、ここを歩くうちに自然と集中力が高まっていく。終盤になって歩くスピードが増した。
現説も終わってホッとひと息?
ところがどっこい待っているんです、最後の追い込みがっ!!
この一月のあいだ遺構と向き合い、仮説と検証を繰り返したその集大成が!!
自分で設定した一日ごとの目標は達成できた?
明日のためにやらなきゃいけないことは確認できた?
自分が担当しているトレンチだけじゃなく、全体を見渡してこそ新たな発見があるかもしれないよ!!
この濃い経験をした一月が、さらに凝縮されることになるよ!!
さぁできる力全てを振り絞り、遺構と向き合おう!自分と向き合おう!!
頑張れ若人よ!!
(T野)
台風一過とおもいきや、今日も雨が残った。
とくに墳丘断面確認の第1トレンチは水没。汲んでも汲んでも土中から水がしみてくる。玄室の地下は礫敷きの暗渠になっているため水がたまらない分、墳丘裾から染み出す仕組みだ。玄室内に湿気がこないようによく考えてく作られている。大雨によってそのことが確認できた。
閉塞石の下から伏せられた状態の杯Aがでてきた。玄室の入り口に「土器を伏せる。」何やら意味を持たせたくなる出土状態である。
こんにちは!
田口ゼミ3年のYです。
強い台風がようやく過ぎ去りましたね・・・
亡くなられた方々にご冥福を
行方不明の方々に1日も早い発見と救出を祈ります。
さて、今回の台風15号が沖縄あたりで停滞していた頃
田口ゼミ3年は北海道にゼミ旅行中でした。
色々欲張った結果、8泊9日というハードスケジュール(先生と車がハード)でした・・・!
●日程
10日(土)
仙台港→苫小牧港へ フェリー乗船
フェリーで夜を明かす
11日(日)
苫小牧港着 AM11:00くらい
飛行機で飛んできた先生と合流して西興部へ
北海道大学の学生さんとログハウスで合流
ログハウスで夜を明かす
12日(月)
早朝から鹿狩りレクチャー!
車に乗って猟場を巡る狩り方をしました。
鹿を30〜40頭ほどみかけるも捕まえられず帰宅。
「見つけるのと捕まえるのは違うんだよ!」
その後シカ牧場を見学したり、
シカを解体したり、
カラフトマスの遡上を見学したり、
猟区の活動や山スキーについての室内講義を受けたりしました!
夜ご飯はシカ肉のバーベキュー!
北海道産のでっかい蛾が鉄板に飛び込んだりという、
とても痛ましいハプニングにもめげずに、美味しく楽しく
ご飯をいただきました。
ログハウスで夜を明かす
13日(火)
西興部→網走へ
昼食は網走監獄の監獄飯でした。
700円と800円のメニューがあるのですが、
100円の差は何かと言うと小鉢の数なのだそう。
なかなか食べ応えのある量でした!
昼食後北方民族博物館を見学。
網走のホテルで夜を明かす
14日(水)
網走→釧路へ
バテ気味な学生達を乗せて世界遺産・知床へ!
羅臼岳も国後島もねばって見ることができました。
スバラシイ!
釧路での晩御飯は泉屋へ
スパカツ大盛りの量には圧倒されました。
鉄板がお皿代わりで出されるのですが、
「寒い釧路で最後まで温かいスパゲッティを食べさせたい!」
という思いから鉄板スパゲテッィに辿り着いたらしいです。
是非冬にもう一度食べて欲しい・・・
釧路のホテルで夜を明かす
15日(木)
釧路→富良野へ
午前中に釧路湿原に行くもガス(霧)で視界不良・・・
でも広大な面積の湿原であることは一目瞭然でした。
私達はこの先もこの湿原を残していけるのでしょうか
10時ごろに富良野へ向けて出発。
海沿いや山道を走り、お昼になぜか熊本ラーメンを食べ、
夕方に富良野へ到着。
夜ご飯は演習林の館長さんと一緒にジンギスカン!
野菜たっぷりタレもたっぷりで美味い!!
学生と言うことで肉・野菜共に量が多かった・・・
動けなくなるまで食べたのは久しぶりでした。
途中再び蛾が乱入するも、
勇敢なさっちゃんが掴んでペッと外に持って行きました。
尊敬するよ・・・
演習林のセミナーハウスで夜を明かす
16日(金)
富良野→札幌へ
午前中をフルに活用して演習林を見学
演習林は1899年に東大の農科試験地として設置され、
2011年4月現在22,715haの面積を所有しています。
1958年から50年以上にわたって、
「林分施業法」に基づいて森林管理を行っています。
昼食を受け取り演習林見学のお礼を言って札幌へ
夜ご飯は、すすきので先生を囲んで飲み会!
学生は酒豪をのぞいてバテバテ状態でした。
でも飲み会後のカラオケではハジけてて楽しかったです。
まだまだみんな元気じゃないか!
と言いたくなるほどでした。
そしてすすきのは活気と狂喜に満ちた場所でした・・・
札幌のホテルで夜を明かす
17日(土)
札幌→苫小牧へ
この旅行初の自由行動!
みんな思い思いの所へ行ったようです。
でも誰も時計台とか大通り公園に行かなかったという・・・
メジャーなものも見ておいたほうがいい!
と先生からお叱りをいただく始末。
すみませんでした・・・札幌駅内を歩くので精一杯でした!
2時ごろ札幌を発って苫小牧へ
しかし予想より早くフェリー乗り場に着きそうになり、
白老のアイヌ民俗博物館をちょこっと見学。
1週間前には天皇陛下が訪れた場所でちょっとドキドキ!
古式舞踊を見たかったのですが、
時間の関係上見ることができませんでした。
夕方に先生と解散をして乗船、夜ご飯を食べ早々に就寝。
フェリーで夜を明かす
18日(日)
仙台港→山形へ
震災の爪痕がまだ生々しく残る仙台の町を見ながら、
うだるような暑さの山形に帰宅。
最後に
このゼミ旅行に関わってくださった全ての方へ感謝を!
西興部村猟区管理協会会長の大澤さん
猟区事務局長の伊吾田さん
東京大学北海道演習林林長の芝野さん
貴重なお時間を割いて、懇切丁寧にレクチャーや
案内をしていただき、大変有難う御座いました!
田口先生8日間運転や講義有難う御座いました!
バナナクレープを幸せそうに食べている先生が
一番印象的でした!
この二日間は、台風に刺激された秋雨前線の影響で強い雨が降り、肌寒い日が続いた。こんな日も現場をやるのは現説間近とはいえ、日常感覚がマヒしつつあるのかもしれない。「台風クラブ」を思い出した。
昨日は土砂降り雨のなか、朝から一日、日本画の末永先生と院生が発掘に参加した。
午後から高畠町で合宿している福島大学考古学研究室の先生と学生一行が見学に来てくれた。昨年、戸塚山106号墳等の測量調査をともにした学生とその後輩たちだ。先日紹介した鶴岡市での石棺調査ではこちらがお世話になった。
きょうも朝から強い雨。雨除けのシート張りもやっと慣れた。今日の赤鬼は、昼食後、おばちゃんたちから心のこもった「ぜんざい」をいただき、リポDをのんで現場に向かった。帰路は肉まんをほおばった。季節の移ろいのなんと早いことか。
明日は台風一過?これからが最後の追い込みだ。
ぐっと秋らしい気温になりましたね。
今朝カーディガン出動させました。北野ゼミ4年しまです。
9月18日、第4回高畠まちあるき(石造物編)が大字高畠にある厳島神社でおこなわれました。
高畠石の会より古川さん・遠藤さん・高橋さん、教育委員会より井田さん、芸工大からは長田さん・大山さん、そしてワタクシしま。
計7名で、迫りくる雨におびえながらの活動となりました。
厳島神社は今から約820年前、奥州藤原氏が屋代庄(現在の高畠町一帯)を治めていた頃に金華山より分祀し祀ったのがはじまりといわれています。
明治22年に現在の場所へ移転し、歌舞や財福の神様として人々の信仰を集めています。
境内には約30の石塔や石祠、石灯篭などがあり、この日は2チームに分かれて寸法や彫りこまれた文字を記録していきした。
石碑の下部にずらっと並ぶ人名人名人名・・・
懐中電灯を駆使してひとつずつ読み取っていくのですが、太陽の傾きや、見る角度によって読めたり読めなかったり。
じっとしていると容赦なく蚊や虻の餌食になってしまいます。
ずらっと人名タイプの石碑を2つ記録し、小休憩。
石と向き合い、頭の中の引き出しを引っ掻き回して集中するとおなかがすきます・・・。
なんとか日没前に作業を終えて、厳島神社から徒歩30秒の麺屋吉村で反省会!
しょうゆらーめん+味玉をいただきました^^
んまい!
反省会では、高畠石(凝灰岩)は風化が激しいため文字が読み取りにくく、複数の目で観察することの大切さを再確認しました。
また、ほ場整備や道路の拡張などで路傍にあった石碑や石祠が厳島神社に集積された可能性もあり、現存する石造物の記録と共に、単体での由来やどんな経緯を経てこの場所にあるのかを明らかにできればさらに面白いのではないかというお話もありました。
高畠石の会のお2人が「高畠石そのものも大切だが、それに興味をもってくれる人たちが私にとってのたからものだ」とおっしゃられていたのがとても印象的でした。
次回のまちあるきまでたくさん宿題を頂いたので、大学に持ち帰ってさっそく作業っ!
次回の高畠まちあるきは住宅編。
10月8日(土曜日)9:00〜 引き続き二井宿街道を歩きます。
2年生と4年生が去り、現場は急に静かになった。
3年生(プラス千)だけになり、それぞれが担当区の課題に向き合う。掘っては図面を描き、描いては掘る。土と話し、モノとモノとの関係にどれだけ頭を働かせられるか。集中力、仮説構想力。自身に、仲間にそれを問う。
黙々と作業していると立つ時間も惜しい。いったん外に出ると「レベルよんで!」の声が飛び交う。よみ終るまでは自分の仕事に戻れない。。。。人呼んで「レベルトラップ」
そんな時だからこそ、自然にもふと目がいく。栗はもうほとんど落ちた。毎日、大小さまざまカラフルな毛虫が大量に降ってくる。彼らの空気を切る音がよく聞こえる。尺取り虫はあまりみなくなった。人気者のかなちょろやカエルは相変わらず走り飛びまわっている。石室に入るとつかまって頭をなでられている。今日は土に隠れていたトノサマガエルが飛びだしてきた。近くの田んぼから侵入したようだ。
今日も朝から卒業生が応援に駆けつけてくれた。言葉少なくても私の意を理解し、手際良く仕事を片づける。初代ゼミTの背中にある「誰かレベルを読んでくれ〜」の命名者だ。3年生もその意味を知る時が来た。
発掘現場はクライマックスに向けてこれから緊張が高まる。
23日は現地説明会。3年生だけで現説をやるの初めて。
夜、福岡に住む卒業生とその仲間たちが学校に会いに来てくれた。現説前の学生の姿をみてあの頃の自分を思い出しただろうか。
今年も気だるい朝を迎えた。考古学野外実習の合宿最終日である。
高安で6年、北目2年、戸塚山2年
もう何人の卒業生がここを巣立っただろうか。
2年生、3年生、4年生が自炊しながら朝から晩まで考古学づけの一日を過ごす。
今年は1年生一人がずっと調査に参加してくれている。即戦力として頼もしい。
この日は夜、卒業生二人が休みを取って駆けつけてくれた。楽しいひと時を過ごし、翌朝から学生たちと調査を共にした。仕事ぶりはさすが、プロ・・・。ありがとう。
昨年秋、石室壁の崩落を防ぐため玄室に埋めた土嚢がいったん取り出された。400ぐらいはあっただろうか?
作業にあたったのは米沢市教委の現場で働く皆さん。
現場のはじまりでは、仮設トイレの運搬設置、倒木の伐採、下草の刈り払い。その仕事ぶりの手早さと確かさ。みんなで圧倒された。
今日は蒸し暑い天気の中、深さ2mの石室から土嚢を上げるのはつらい作業だった。
陰で我々の調査を支えてくださっている地元の皆さんに感謝!