こんにちは、準備室です。
蝉の鳴き声が聞こえるようになり、いよいよ夏も本番にさしかかってきました。
さて今回は夏のオープンキャンパスで行う模擬授業についてお知らせします。
『となりのトトロ』−それぞれのトトロ−
日時:7月30日(土) 14:00〜16:00
場所:東北芸術工科大学本館 408講義室
オープンキャンパスの恒例企画となってきたアニメーションを学問で読み解く模擬授業。今回の題材はジブリ作品のなかでも人気が高い『となりのトトロ』です。
副題が−それぞれのトトロ−ということで、考古学・歴史学・民俗学の研究者がそれぞれの視点からトトロを読み解いていきます。
視点をちょっと変えるだけで、今まで意識してこなかったコトやモノが見えてきます。
たとえば、背景に描かれている山や田畑、家々からその土地の自然環境や生活、文化などを読み解くことができるかもしれません。
じつは『となりのトトロ』を模擬授業の題材としてとりあげるのは2回目だったりします。前回の授業にご参加くださった方は、その時との違いなどを意識していただけるとより楽しめるかと思います。
貴方も新しい『となりのトトロ』の世界を体験してみませんか?
模擬授業以外にも歴史遺産学科を体験できるさまざまな企画を行う予定です。オープンキャンパスにお越しの際はぜひ歴史遺産学科のブースにお立ち寄りください。
学科・スタッフ一同、皆様のお越しをお待ちしております。
今日のゼミは寺子屋のごとく、古墳時代の復元住居の中で行った。
この天気、さすがに囲炉裏の火を囲んでというわけにはいかなかったが、時折吹きぬける風は涼を運んでくれた。
奥山さんありがとうございました。
暑い中、燻蒸作業ご苦労様でした。
囲炉裏端で、悩み多き若者の人生に寄り添ってくれるといううわさのお母さん(ばばさま)たちです。
こんどはゆっくり薪の燃やし方教えてください。
帰りがけに、芝刈りを終えたおじさんが、ねじり花を一株持たせてくれました。研究室に可憐な花を咲かせています。
石造文化財は長年の風雨にさらされ劣化する。表面が風化したり、破損してしまう運命にある。なかでも凝灰岩は老化が早い。
数ある石造物のなかでも石鳥居は土地の記憶を思い起こさせる象徴的な記念物である。
修理し続けて使い伝えること。それが遺産を継承することか。その理念は時代や土地によって普遍的なものとは言えないが、「本物」をできるだけ長く後世に遺したい。町のあちこちに土地の記憶をたどる場所やモノがある暮らしがいい。
今日は第2回目の高畠まちあるき。場所は青龍寺〜羽山。このお寺はもと修験道の坊院として栄え、神仏分離後は天台宗の寺院となった。高畠の聖地−羽山を東に拝み、その麓にある薬師堂を中心に数多くの石造物が集積する。
今日は芸工大から10名、地元からは午前中6名、午後3名の参加を得て、記録作業を行った。
高畠石の石造物は中世〜明治期におよび70点あまりを数えた。
凝灰岩は表面の風化が激しく文字や図像の読み取りが難しい。1点ずつ略図を描き、寸法を測り、読み取った文字を記入していく。読みにくい文字は懐中電灯で影を作りながら読んでいく。読めなかった文字が太陽光の角度が変わり一瞬にしてわかることもある。
お酒の神様「松尾大明神」の供養塔には当時の造酒屋の名がずらりと並ぶ。講の人々がこの前で神を祀り、新酒の出来を祈るとともに、酒の値段を談合したという。一つ一つ読んでいくと高畠石の会のメンバーからは○○酒屋の先祖だ!と廃業した家も含め、ほとんど人の現在地が判明していく。現代と土地の記憶、モノの記憶がつながっていく瞬間である。
この「大念仏」石塔はかつてこの地で念仏踊りが盛んだったことをうかがわせる。
主題「大念仏」の右には「屋代」、左には「北條」とある。
基礎は4段と豪華で、2段の下台(芝台)には人名がずらりと並ぶ。
「屋代」はこの高畠町の旧・屋代郷、「北條」は高畠町と接する南陽市南部の旧・北條郷を指す。
この地で念仏踊りが始まったのは、上杉鷹山の時代といわれる。当時この一帯が大旱魃に見舞われ、これを憂えた鷹山が「大念仏」と書いた幟を屋代郷と北条郷に下賜して雨乞いをさせたのが始まりとされる。
以来豊作祈願の神事として、置賜郡内各地で奉納されたらしいが、今ではほとんど行われていない。そのなかにあって、南陽市鍋田の「大念仏おどり」(大符神社の春の例祭、市指定無形文化財)は北條郷の念仏踊りを引くものとして貴重な存在である。
この青龍寺にある「大念仏」石塔は鷹山の事績を証明し、現在は途絶えてしまったが屋代の人々の五穀豊穣の祈りを今に伝える文化遺産といえる。
この日は炎天下で土鍋調理をし、いい汗をかいてから、静寂の本山慈恩寺に向かった。
慈恩寺は山寺立石寺とともに東北を代表する名刹である。
慈恩寺修験の総本山で、阿弥陀如来坐像(釈迦如来)をはじめとする院政期の仏像群は質量とも国内屈指の内容を誇る。
建造物や無形文化財(林家舞楽)にも国指定があるほか、文書など貴重な歴史資料が山積みである。言わずと知れた歴史遺産の宝庫である。
寒河江市は、これまで慈恩寺修験の実態解明と新たな価値付けにむけて地道に調査に取り組んできた。
近年史跡としての保存対策が遅れているとして、楯跡や行場(三業など)の調査も行い、その全体像が少しづつ明らかにされている。現在は本堂をはじめとした慈恩寺の主要な部分のみが県指定となっているのみである。
ところが近年の調査で、院坊群の広がり、背後の尾山(御山)の修行堂、四か所の楯跡(逃げ城)、宗教都市を支えた町屋・手工業集落など、想像を超える規模で遺跡が残っていることが判明しつつある。
さらに階段状をなす院坊集落の文化的景観や建築にも見るべきものがあり、道具類をはじめとした有形文化財や、坊の主人らによる修行習俗の継承など無形文化財もよく残っていることが地元研究者の調査で分かってきた。
言葉は悪いが、昔風にいうと「文化財の総合デパート」とはまさにここのことではないか。
今日はあまりに巨大な遺産を目の当たりにし、しばし茫然自失…。「慈恩寺修験の里」はおそらく世代を超えて新たな発見と価値付けがなされ、継承されていくであろう。それぞれの時代でその知恵が試され、文化遺産とともにある生き方が問われていくのではないか。
こんにちわ!はじめましての方ははじめまして、以前からご覧頂いている皆様はおひさしぶりです。
無事3年生になりました、あべちゃんです。諸事情によりここ半年ほど消えておりましたので…でも無事進級です!北野ゼミに入りました〜!諸事情については…いずれ話す時がくる…かも?
さてさて、今日は土器チュートリアルの新歓をしました!天気が心配されましたが、当日は憎らしいほどに晴天でおまけに気温は34度…!?もう夏ですねー。あつい!
今回は野焼きは行わず、調理実験のみを行いました。野焼きはもう少し涼しくなってからしましょうね…(笑)それまで沢山作りましょう!
参加したのはいつもの3年メンバーに、2年生のくっしー、1年生が3人!実はこの3人は美文の1年生なんですよー!歴産の1年生は今回は不参加でしたが、次は一緒に!体調不良のOちゃん大丈夫かな?
3年目なのだから火つけもお手の物?と思いきや…先生に「もっと考えてやれよ〜」と言われてしまいました…反省。火つけのできる女になりたい!!!みんなでなれるよう努力ですね。
炊飯技術もまだまだ…やはり基礎的な炊飯の練習をもっとしなくては…!!!今年の後半は実験に身を捧げることにしましょうかね!!!ですが、一連の流れは昔よりずっと手早くできるようになりました!3年目の力ですね!私はほとんど役立たずでしたが(苦笑)
そういえば今日はなぜか木登りが大流行。みんな野生児です。いや、妖精さんもいたなあ…。あと、カメラっ子もいたなあ…。
今月末のオープンキャンパスでも調理を行う予定ですので、これを見て気になった方はぜひ野焼き場に足を運んでみてください^^楽しいチュートリメンバーがお迎えしますよ!木登りも実演しますよ!…木登りは関係ないですね。
オープンキャンパス以外でも調理実験をしています。もしいぶ臭いにおいがしたら確実に私達です(笑)他学科の方もぜひ野焼き場に足を運んでみてください^^
野焼き、めちゃめちゃ楽しいです。
こんにちは。準備室です。
7月1日から3日にかけて歴史遺産学科1年生の必修科目である歴史遺産調査演習Aに行ってきました。
歴史遺産調査演習Aでは毎年、東北・北関東・新潟などを旅行し、その地域にある遺跡や史跡、博物館などを見学します。今年のフィールドトリップの舞台は秋田。環状列石、マタギ、八郎潟、なはまげなどなど歴史遺産学科の学生たちにとっては興味深いモノやコトがたくさんある県です。
出発当日の朝、山形はあいにくの雨模様でした。しかし、秋田に近づくにつれ天気は好転。最初の見学先である払田柵跡に到着するころには青空が広がっていました。
現地では初めに秋田県埋蔵文化財センターの特別展示室を見学させていただき、展示品の解説をしていただきました。
その後、払田柵跡に移動し、払田柵跡調査事務所の方から解説をしていただきつつ遺跡見学。
払田柵跡は古代城柵遺跡とされています。現在では外柵南門や橋、建物などが復元され、ガイダンス施設が設けられています。
払田柵跡の見学終了後はバスに乗り込み、宿泊先へと向かいました。
途中、小京都として有名な角館に立ち寄りバスの車窓から武家屋敷が立ち並ぶ街の様子を眺めながら、マタギで有名な北秋田市阿仁にある打当温泉を目指します。
―つづく―
19日の日曜日、芸工大・高畠町教育委員会・高畠石の会による第1回高畠まちあるき−町並み編−が行われた。9時のスタート時にはくもり空だったたものの、歩き始めて、記録を取っているうちに気が付くと真夏のような青空とうだるような暑さとなった。
このまちあるきは、二井宿街道の町並みを1軒1軒訪ねながら、高畠石(地元で産出する凝灰岩)を使用している遺構や石造物を探し、記録していく作業だ。住民の協力と対話が欠かせない。19日は24名が参加、4班に分かれてそれぞれ16時過ぎまで記録を取った。学科からは1〜4年の7名が参加した。
リーダー、聞き取り係、地図作成係、測量係、カメラ係。あまりの石の多さにみんなてんてこまいの1日となった。
最後に全体で検討会と成果発表会をし、楽しい懇親会へとなだれこんだ。おまけとして夜の石切り場ツアーもした・・・
予想外の成果に、日焼けで火照った体と興奮はなかなか冷めやらなかった。
わたしが高畠町に通いだして、今年でちょうど10年になる。周囲の里山には何箇所も石切り場があり、建築基礎や石塀、敷地境界、側溝、囲炉裏、井戸など、あらゆる場所にふんだんにこの石が使われてきた。生活の風景の中に、高畠石とともにあった地域の人々の歴史の営みが重層的に顔をのぞかせている。そんな町が好きなのである。
他の土地ではみることのできない、この「高畠らしい」町並みがいつどのようにして形成され、現在に至るまでどのように変容してきたのかを調べてみたいと思った。そこには、身近な自然資源とうまく付き合っていく暮らしの知恵や限りある資源を持続的に使い続ける精神と技術、自然と共生し地域のつながりを支えてきた信仰などが垣間見える。
車でこれまで素通りしていた町並みも、ゆっくり歩き、すれ違った人と話しをしながらいくと、全く違った風景が浮かび上がってくる。そんな経験はないわけではなかったが、数年前からここを歩くたびにその想いを強くするようになった。
そんな思いを共にする地元の人たちが自然と集まり、昨年度末に「高畠石の会」が準備され、今年春正式に発足した。そして、今回住民の皆さんの協力を得て、いよいよ「運動」がスタートした。おりしもこの5月から文化財保存修復研究センターに強力なスタッフが加わり、調査が加速することになった。
自分たちの住む土地の「記憶」と「らしさ」を自らの手で調べていく。石をみるまなざしには、いろいろな「目」があると面白い。地元の人、よそ者。若者、青壮年、お年寄りが入り混じって。
この活動の背景には「自然と人との関わり」がテーマにある。現場での出会いと交流のなかから、それぞれが自分たちの住む土地の未来や生き方のヒントをみつけてくれればと思う。
イベントとしてのまちあるきは、このあと7月10日−石造物編−、8月6日−町並み編−と続きます。
学科説明と模擬授業の様子。今年の模擬授業で取り上げた作品はエヴァンゲリオン序とスカイクロラ。ヤシマ作戦の「ヤシマ」の意味や、スカイクロラに登場する戦闘機のモデルについて解説しました。
また、模擬授業の後は考古学、歴史学、民俗・人類学各ゼミに所属する学生のフィールド体験発表がありました。
こんにちは、準備室です。
29日に開催されたオープンキャンパスではたくさんの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。天気には恵まれませんでしたが無事にオープンキャンパスを終えることができました。
さて、今回は当日の様子を少しだけご紹介したいと思います。
各演習室で行っていた体験コーナーについてはまた、次の機会に紹介したいと思います。
次回のオープンキャンパスは7月30日、31日に開催します。今回、参加できなかった方もどうぞお越しください。