こんにちは!!
4月29日土曜日に縄文lunch第2回が行われました。
縄文lunchについては、2016年5月の縄文lunch第1回を見てください~。
今回の縄文lunchは映像学科の人に来てもらい、動画と写真を撮ってもらいました。
あんな姿やこんな姿も…
今回の調理実験は3種類。
1つ目は 南九州の縄文時代草創期から早期の時期にかけて多く見られる、連結土坑を使った燻製料理、
2つ目は焼き石を使った鯛の包み焼き、3つ目は豚バラを石器でミンチした肉だんご料理です!!
前回の反省を生かして、再挑戦です!
今回もその一部の様子をアップ!5月27日土曜日のオープンキャンパスに実験報告書として掲載する予定なので、詳細はその時に! 話も聴きたい人はぜひ話しかけてください!!
竹筒で火を焚く2年のかみじょうちゃん
鯛焼いてます!
鯛が焼けました!!
連結土坑を掘る3年こうき君
全体から見るとこんな感じ。手前の穴で燻製させます。
燻製中…
前回よりも上手く燻製ができました!! 実験成功かな?
今回の縄文lunchには卒業した先輩方も来てくださいました。
差し入れにサツマイモをもらったので焼き芋にしましたよ!甘くておいしかったです!
(歴史遺産学科 3年河野)
東北一万年のフィールドワーク「大鳥」「養蚕と紙漉きの記憶―白鷹町 深山 萩野―」が刊行されました。
東北文化研究センターより刊行しているブックレット<東北一万年のフィールドワーク>シリーズは今回で13、14冊目。
歴史遺産学科の学生たちもこのプロジェクトに関わり、大きな学びを得ています。
春休みは刊行に向けた追い込み期間。
調査に関わった学生たちが研究員の方々に指導を受けながら、編集作業に取り組んでいました。
一冊のブックレットが完成するまでの一つ一つの作業は、4年間の学生生活はもちろんのこと、卒業後の活動のどこかで必ず役立つ実践的なことばかりです。
調査の中で調べる喜びを知ったり、何を伝えたいのか、現地の方に何を残したいのかを考える時間は、学生たちにとってかけがえのない経験になっていくのだと思います。
そこでの関わりから、その土地に住んで、地域に貢献しながら活躍されている先輩方もいます。
今回関わった大鳥地区、白鷹町の皆さまありがとうございました。
突然の訪問にも関わらず、いつもあたたかく迎え入れていただきました。
現在もお住まいの方はもちろんのこと、昔この場所に住んでいた方々にも読んでいただければと願っております。
そしてご指導いただいた研究員の皆さま、本当にありがとうございました。
関わった学生たちのこれからが楽しみです。
是非機会がありましたら、お手にとってご覧いただければ幸いです。
2017年3月20日(月)、2016年度卒業式が行われました。
卒業生・修了生の皆さん、おめでとうございます!
歴史遺産学科からは20名の学生が卒業、大学院歴史文化研究領域からは2名が修了いたしました。
連日寒い日が続いておりましたが、この日は新しい旅立ちの日にふさわしく快晴に恵まれました。
学生たちはスーツや華やかな袴姿。学内は祝福ムードに包まれています。
厳粛な雰囲気の中、教員や保護者の方々からはあたたかな視線が伝わってきました。
また、卒展で受賞した学生に、学科長より賞状と記念品が贈呈されました。
皆さん、改めておめでとうございます。
最後は笑顔で記念撮影
こちらは祝賀会にて。
新しいスタートに向けて気合を入れました。
4月からはそれぞれの新生活がはじまります。
4年間で学んだひとつひとつの経験を糧にして、新しい環境で奮闘しながら、元気に活躍していってもらいたいです。
思い出したとき、大学に遊びにきてくださいね。
この度は、ご卒業おめでとうございます。
歴史遺産学科教職員一同、皆さんのご活躍をお祈りしています。
「勝又家資料」は2011年の東日本大震災で津波をかぶってしまった「被災文書」です。
翌年にNPO法人宮城歴史資料保全ネットワークがレスキューし、それから整理のお手伝いをさせてもらってきました。
月1回のペースで東北大学に通い、古文書1点1点をクリーニング。それを芸工大に持ち帰り、デジタルカメラで撮影をして目録を作ってきました。
整理は4年経った今も終わっていませんが、整理が終了した分の目録を第一弾として刊行した次第です。
2012年度に卒業した学生から作業に参加してくれています。参加してくれた皆さんの名前も入れさせてもらいました。
なつかしい名前と思いつつ、皆さんが卒業するまでにこのようなかたちにできなかったことを心苦しく感じました。
欲しいという方はこちらまで連絡ください。「takehara.kazuo@aga.tuad.ac.jp」
そして、先輩たちの意志をついで、まだまだ続く作業に現役の学生たちにも参加してもらえればと思います。
本日より卒展がスタート!
歴史遺産学科は2階211・210にて卒論とパネルの展示、1階ATM前では学科紹介を行っております。
そして明日8(水)・9(木)には2階209にて卒業論文・修士論文口頭研究発表会を開催いたします。
2016年度 歴史遺産学科 卒業論文・修士論文口頭研究発表会
2月8日(水)
午前の部(9:00~12:15)
歴史遺産学科卒業論文 口頭研究発表会
9:05~ ≪考古学専攻 長井ゼミ≫
徳永 司 「こもり岩岩陰の石器石材はどこからきたのか」
菊地 駿貴 「縄文時代早期から前期における岩手山周辺での遺跡分布―遺跡立地からみる災害適応―」
9:59~ ≪考古学専攻 北野ゼミ≫
木野 史希 「山形県内井戸の構造と掘削目的の変遷」
渋谷 佳祐 「地籍図から読み取る福島県棚倉町赤館城下町の景(けい)観(かん)復元(ふくげん)」
二子 裕行 「盛岡城石垣の編年の再検討と双子石から見る築造技術の特色」
佐藤 恒介 「高畠町押出遺跡より産出した昆虫化石から見る古環境の変遷と人々の環境選択」
‐10分休憩(10:53~11:03)‐
11:03~ ≪文献史学専攻 竹原ゼミ≫
東海林 怜奈 「明治前期の山形県における娼妓と梅毒対策」
高橋 千紘 「第二次世界大戦後における引揚者・復員者による人口問題―福島県伊達郡を事例として―」
三浦 眞紀子 「江戸時代中期における釣樋堰水論」
別府 美空 「米沢大正大火体験記『大火回顧録』から見る山形県立米沢工業高校の活動記録」
‐昼食休憩(12:15~13:15)‐
午後の部(13:15~17:00)
佐竹 美香 「江戸時代後期の宿駅をめぐる争い―羽州街道松原駅・天童宿の事例として―」
片桐 遼 「18世紀末における慈恩寺と御料八鍬村の土地争い」
林 杏奈 「18世紀後半における幕府領山口組の凶饉対策―出羽国村山郡山口村・原町村を中心に―」
≪民俗・人類学専攻 謝ゼミ≫
片桐 緑 「祭りをつくる人々―ひがしね祭を事例に―」
三浦 宏子 「人間にとってたばことは何か―近現代の日本の喫煙と禁煙の歴史を事例に―」
‐10分休憩(14:45~14:55)‐
今野 公美子 「なぜ人は犬を食べるのか―東アジアの犬食文化を事例に―」
平 幹生 「地域におけるまつりの役割に関する一考察―山形県長井市五十川地区の獅子舞を事例に―」
長瀬 健志 「副業的こんにゃく作りの役割―山形県山形市楯山地域大字青野を事例として―」
≪民俗・人類学専攻 田口ゼミ≫
平井 礼人 「鳥獣被害防止と地域活性化の可能性―山形県長井市伊佐沢地区の鳥獣被害の事例に―」
玉川 里沙 「刀剣類がなぜ寺社に奉納されるのか」
2月9日(木)
(9:00~10:30)
9:00~ ≪民俗・人類学専攻 田口ゼミ≫
天野 友貴 「亀傘鉾から見る文化移入と傘福の多様性―山形県酒田市を事例に―」
本間 かりん 「図やスケッチで描く大鳥地区の生活誌」
大門 恭輔 「パリーグの歴史から楽天イーグルス誕生の要因を探る」
‐講評(9:54~10:20)-
‐10分休憩(10:20~10:30)‐
芸術工学研究科芸術文化専攻 歴史文化研究領域 修士論文口頭研究発表会
(10:30~12:00)
10:30~≪歴史文化研究領域 田口ゼミ≫
小松諒 「狩猟・駆除における『知』の継承」
清野翔子 「村落組織からみるムラ機能の研究」
皆様のご来場を心よりお待ちしております。
歴史遺産学科展覧会のお知らせです。
「ラオスに行ってきました!」展
会期:1月10日(火)~1月14日(土)
9時~19時 ※最終日は17時まで
場所:本館1階エントランス北側
私たちは2016年8月20日~28日にラオスとタイを訪ね、民族考古学のフィールドワークを体験してきました。
ここでは4日間滞在したラオス南部の少数民族の村の様子を報告します。
村では住民の協力を得て、日常生活や手仕事を観察・記録させていただきました。
伝統社会に生きる人々の知恵や技の一端に触れ、自然と身近に暮らす人々の豊かさを感じるとともに、急速に変貌していくラオスの農村の現状を見てきました。
学生たちがまとめたパネルを中心に、関連する道具を展示しています。
漁法に関するコーナーも。
どれも研修中に関わった現地の方が実際に作ったものです。
なかには学生が編んだものも。
現地で出会った風景や食べものの絵も展示しています。
山形の寒い冬、ラオスの文化に触れて暖まりませんか?
皆さまのご来場をお待ちしております。
夜の雰囲気
久しぶりの更新です!
気付けば師走に入り、後期の授業も後半戦です。
4年生は卒論提出締切まで残りわずか。
そんな中、院生、2・3年生に協力してもらい、卒展で使用する竹を伐りに白鷹町に行ってきました。
こちらは博士課程で白鷹在住の守谷さん。
地元の方の竹林をご紹介いただき、竹刈り作業の補助をしてくださいました。感謝です!
竹は管理が大変で、伸び続ける竹に困っている状態の所有者は少なくないようです。
今回は幸いなことにすぐに承諾していただき、私たちも助かりました。
そして作業開始。
男たちは竹藪の中へ・・・
みんな寒い中頑張りました。
特に積み込み作業が大変でした・・・
しっかり縛って安全運転で無事に帰宅。
さてこの竹をどう使おうか・・・!
多くの方に歴産4年生の卒論に興味を持っていただけるよう、素敵な展示にしたいと思います。お楽しみに!
歴史遺産調査演習B最終日5日目の様子をお伝えします。
5日目は島根県出雲市の古代出雲歴史博物館と出雲大社へ行ってきました。
始めに、島根県立古代出雲歴史博物館へ向かいました。島根県立古代出雲歴史博物館では出雲大社の歴史や出雲国風土記などの古代文化や、石見銀山やたたら製鉄といった島根の人々の生活と交流が紹介されています。中央ロビーに展示されている巨大柱は出雲大社境内から出土したもので、直径1.3mの杉を3本束ねて柱にしていたそうです。この柱は鎌倉時代の出雲大社本殿を支えていたものだそうです。
続いて、出雲大社へ向かいました。出雲大社は縁結びの神様である大国主大神を祀る神社です。対人関係から仕事まであらゆる良縁を結んでくださるそうです。境内や境内前にある神門通りは参拝者で賑わっていました。出雲大社へ向かう参道ですが、下り坂になっていました。下り参道はめずらしいそうです。出雲大社の拝礼方法は二礼二拍手一拝ではなく、二拝四拍手二拝でした。神社によって様々な特徴があるようです。
昼食は出雲そばを食べました。昼食後は神門通りを散策。お土産屋や食べ物屋が並ぶ中、勾玉を扱うお店も多くあり、古代出雲文化の地であることを改めて考えました。
帰りは出雲空港から大坂・伊丹空港経由で仙台空港へ。
5日間の歴史遺産調査演習Bでは、実際にその土地を訪れることで、その地域に住む人々の暮らしや、事前調査では知り得なかった新たな発見を得ることができました。
以上、歴史学分野、歴史遺産調査演習Bの様子でした。
四日目は世界遺産・石見銀山を見学。今回見学したのは、世界遺産となっている石見銀山の三つの地区の内、鉱山時代の坑道やかつての代官所である「熊谷家住宅」などが残る柵内・大森地区です。
午前中に世界遺産センターを見学し、午後はガイドツアーからスタート。鉱山時代に石見銀山の繁栄が祈願されたという神社や製錬所跡を見て回りながら、現在唯一公開されている間歩(坑道)、「龍源寺間歩」に向かいます。
【清水谷製錬所跡】
坂道を上り龍源寺間歩の入り口に着くと、周りにシダ植物が生えていました。ガイドの方によれば、シダ植物は鉄分を含む土壌に生えるので、かつては鉱脈を見つける目印にもされたそうです。
間歩は入口が最も脆く崩れやすいため、頑丈に補強されています。
中に入ると空気がひんやりとしていて、雨が降っていたせいもあり寒く感じました。内部は所々ライトが設置してありますが、それでも暗く、狭かったです。間歩の内部は鉱脈に沿って掘られた道が上下左右にいくつも伸びています。
【縦に彫られた坑道】龍源寺間歩の全長は約600mですが、公開されているのは約273mです。この先も道は続いています。
ここまで見終わると、出口へと進みます。この出口は龍源寺間歩公開のために後から作られたもので、壁には間歩に関する説明版がいくつも設置してあります。
龍源寺間歩を出て、出発地点に戻りツアーは終了。次は代官所などが残る大森町を見て回ります。
大森町はかつての行政の中心地で、多くの武家屋敷が今も残っています。
その景観を守るため、民家や商店はもちろん、あらゆるものが町並みに合わせられています。
郵便局や銀行、電力会社などに加えて消火設備や自動販売機まで周囲の景観に合わせられています。
こうした景観を守るための取り組みは、世界遺産登録以前から官民協働で行われている他、文化財保存会や地元小学校の少年団など多くの地域住民の活動によって支えられています。
大森町の町並みを見て回った後は、町の一番奥にある石見銀山資料館に向かいました。
石見銀山資料館は平成19年に世界遺産登録された石見銀山に関する資料を展示している資料館です。この館は、昭和51(1976)年に地元有志が開館し、具体的には、絵巻物や古文書、銀鉱石や精錬関係の道具などが展示されており、石見銀山の歴史を追体験することができます。
この資料館は江戸時代に機能していた大森代官所跡にあります。江戸幕府は17~19世紀半ばまで石見銀山と周辺地域150余村を支配するために代官を派遣していました。現在の代官所跡の敷地内には明治35(1902)年に建てられた邇摩(にま)郡役所という建物があり、石見銀山資料館として一般公開されています。そしてこの地区には前述した代官所周辺に役所や御用商人の郷宿が置かれていたため、武家屋敷や商家が現在でも混在しています。
資料館は鉱山や鉱石関係、生活関連などテーマごとの展示室が分かれており、現物資料や一般の人に理解しやすいパネル展示が充実していました。更に、資料館自体が明治時代の役所をそのまま活用しているため、明治時代の建物の造りも知ることができました。