歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2010-10-04

北海道研修旅行(オマケ)〜礼文島・フゴッペ洞窟編〜


こんにちは。

歴産ブログ初挑戦、福田ゼミ3年のN×2です。

タイトル真似ました↓スンマセン。

先生に、「ブログアップして」と言われ目がテンになり…

それはさておき、前置きは先にりぼん氏がしてくれているので、早速本題とまいりましょう。お見苦しいところはご勘弁を…

日付を遡ること9/1、北海道は礼文島に行ってまいりました。

香深港到着後、まずは礼文町資料館へ。
礼文町教育委員会、藤澤先生に館内を案内して頂きました。

サロベツ国立公園の一部である礼文島には高山植物が300種類自生しており、わざわざ高山へ行かなくともここで観察出来るという事もあってか、ご年輩の観光客が多いそうです。

さて、勉強をすれば当然お腹が減ります。という訳で
本場のイクラ丼を注文。

奮発してしまった…節約せねば。

お腹がふくれた後、日本最北限のスットコトン、もといスコトン岬へ行きました。

もとより“日本最北限”をウリにしているのでしょうが、売店からトイレから“日本最北限の〜”。

日本最北限の大学生は、日本最北限のトイレに寄りました。

あ、そうそう、こんなの見つけましたよ↓
日本人ってこーいうこと好きなんだよな〜

最終日9/5には小樽市の隣町、余市町にあるフゴッペ洞窟に行きました。

足を踏み入れると、一瞬、高松塚古墳を思わせる様な、厳重な温湿度管理体制。当然の事ながら、フラッシュ無しでも写真撮影禁止。岩面にびっしりと、刻画が描かれていました。

「刻画が遺された洞窟」と聞くと、つい神秘的な何かを探してしまいます。彼らはどこから来たのか、船が描かれているのなら、漁撈民族なのだろうか、何故翼や角を持った人が描かれているのか、ここで何かしらの儀式が行われていたのだろうか、思いは尽きません。

かつてここに住んでいた人々がここまでして込めた願いや祈りは何だったのか。

文明など無くても、彼らはずっと豊かな精神世界を持っていたのかもしれませんね。
ここまで読んで下さった方へ、ありがとうございました。

旅行でお世話になった方々にも、感謝申し上げます。

合掌。

2010-10-03

火あそびのススメ


長井市教育委員会主催、土器で古代の調理を体験するイベントが開催された。場所は縄文時代の遺跡公園の一画にある古代の丘資料館。縄文土器の野焼きと、縄文鍋、弥生の赤米炊飯、カマドによる古墳時代の米蒸し調理と、実に多彩な内容。館長さんをはじめ、スタッフの年齢もさまざまで愉しい催しだった。

資料館では縄文土器から戦国の内耳鍋まで、土器使用痕からみた料理の歴史が体系的に展示されている。さらに実験土器も展示して実物資料の痕跡との対比もなされている。本格的な展示で専門家にも見ごたえがある。

参加した小学3年生から6年生を前に、すす・こげと土鍋料理の歴史の話をした。大学でもこんなに体系的にしゃべったことはない。展示室での30分が子供たちの真剣な目と質問の嵐であっという間に過ぎ去った。

そして、自分たちが作った土器を持って子供たちが野焼き場にあつまる。まず、あぶりから始める。しばらくすると子供たちは林からトチノミやクリを拾ってきた。トチを食べたことがないというので、ちょっと齧ってみろ、と誘う。あまりの苦さに顔をゆがめ、吐き出す。ひとりが吐き出したのをみても、みんな順にかじってみる。子供は好奇心の塊だ。栗は渋皮を向いてカリカリ食べて満足げである。そしてトチは土器あぶりの火の中に投入。やがて、バーン!とはじけ飛ぶ。そして、またかじってみる。今度はあまり渋くない。なぜだろう?アクと熱の関係に気付くのだった。こんな子どもの体験的発想、気づきの瞬間に出合うとちょっとうれしくなる。

かまどで蒸したもち米はスタッフが餅について、ずんだ餡や小豆餡をのせてくれた。ほかに団子も蒸してくれた。

赤米は初めて使う土器だったせいか、水が足りず、パサパサに炊きあがった。手食しても、粘りがないので手に付かない。あまりおいしくないと思っていたら、なんとこれが子供たちには一番人気。コゲもあってお菓子感覚だったようだ。

野焼きの火が大きくなると、何人かは火あそびを始めた。棒の先についた火を聖火のように持って走ったり、チャンバラのようにしてみたり。家ではこんなことはさせてもらえないだろう。じっと火を見つめる子もいる。火と触れることが自然でなくなってしまった現代。

野焼きの火を前に地べたに座って、また子供たちに語りかけた。これも大学でいつも話している縄文・弥生の野焼きの話。こちらの問いかけへのつっこみ、反応が早い。

なんともいえず充実した一日だった。彼ら・彼女らの記憶に今日の火がちょっとでも残ってくれたら望外の幸せだ。

全身すすまみれ、火にあたった心地よい疲れを乗せて、新潟に車を飛ばした。最終のフェリーで佐渡にわたって、夜10時すぎ両津港についた。そこは雨。さて、あしたは?





2010-10-02

秋晴れの日に・・・めでたし

朝、韓国からのお客さんを山形城と山形市郷土館(旧済生館)に案内した。休日の霞城公園には散歩する市民の姿が大勢みられた。

そして午後からは、宇都宮でかっち夫妻の結婚披露宴に出席した。

「南フランス 結婚式の街」というテーマパークのような異空間での結婚式。快晴の空の下、幸せいっぱいの二人がまぶしい一日だった。

大学・大学院で6年、職員として1年たらず、7年も一緒にいた一番付き合いの長い学生だった。同業の世界に就職したので今でも時々会うし、これからも研究面でお互い刺激を与え合いましょう。

奥さんも芸工大のグラフィック出身。バルーン部で愛を育んだとか。

披露宴はバルーン部出身らしい趣向があちこちに。そしてウエディングケーキにはなぜかカエル。奥さんが大好きで手作りしたとか。3匹の愛らしい家族が表現されています。






2010-10-02

休憩って大事よね


飛島から帰ってきて一週間とちょい。そろそろ本土の生活に慣れ始めたころ。思い起こせば飛島ではなかなか楽しい日々を送れていたような気がしますね。あと一週間ぐらいいてもよかったようなそうでないような。

どうも福田ゼミ3年もりやです。諸事情により北野ゼミ名義で更新。諸事情っていうのはなんてことはない、「パスワードがわからない!」コレ。

さて、そろそろ飛島蕨山遺跡での発掘の様子を事細かにレポートしようと思いましたが写真があんまりないのと、まだ頭の中で整理しきれていないのでちょっと別のことについて雑記。

休憩って大事ですよね。発掘中はもちろん地面を掘っているので、当然かがんだ状態で長時間作業を行っているわけです。

かがんだ状態って言っても自分のいる地形やらなんやらで姿勢が限定されるなんてことも・・・。そうなってくると腰やら足やらに疲労がすごい勢いで蓄積されていくわけです。

そのまま無理して作業し続けていると足腰が爆発しかねないので(ほぼ)1時間毎に取られる10分の休憩でできるだけ体力を回復させるのです。

そして回復中の風景が上の写真。
一見道路に寝そべる馬鹿の集団ですが、固いところに寝そべると腰が伸びて実に気持ちがいいのだ。

もちろん休憩終了の合図とともにみんな跳ね起きて作業開始。一部跳ね起きない、もとい跳ね起きれない人もいたりしましたが・・・。

とまぁ休憩中はそれぞれ思い思いのことをしていたわけです。

休憩って大事だなぁとつくづく実感した飛島でした。以上!

2010-10-02

北海道研修旅行〜夜の札幌散策編〜

はじめての歴産ブログ。考古ゼミ三年のりぼんです。

前の記事にもありますが、8月29日から9月5日までの一週間北海道研修旅行へ行ってきました!
今回は29日の食いしん坊二人が往く札幌観光の様子をお届けします。

夕方札幌市内のホテルに到着した私たちは早速観光へ出発!
札幌駅の飲食店街へ向かいます。

大丸地下の『きのとやカフェ』で食前のケーキを食べ、回転寿司『花まる』へ。
この『花まる』、私たちが行ったときはなんと80分待ちという人気ぶり。
実はケーキを食べたのもお寿司屋さんの待ち時間の間でした。
待ったかいあってお寿司はとっても美味しかったです。さすがは北海道…!


その後は札幌を歩いて散策しました。
まずは北海道庁旧本庁舎へ。赤れんが庁舎とも呼ばれているそうです。
ライトアップがきれいです。

ムーの子孫、個人的にすごく気になります。
もんじゃ焼きのお店らしい。


札幌観光で一番楽しみにしていた『雪印パーラー』に到着。
このショウウインドウ、見ているだけでよだれがじゅるり。
甘いもの好きにはたまらないです。


ホテルで食べる分のアイスとキャラメルを買って、次は大通公園に沿って歩きます。
24時間テレビのせいか、夜でも人がけっこういます。
札幌市資料館前で休憩して、テレビ塔へ。


テレビ塔、高いです。
写真からもわかると思いますが、時折ライトの色が変わるのです。
大通り公園から見るテレビ塔がきれいでした。
最後は時計台へ。
着いたのがちょうど10時で鐘の音を聴くことができました。
遅い時間ですが観光客で賑わっていました。
残念ながら写真が手元にないです…。後日追加しますね。
札幌は夜景がきれいで食べ物がおいしい街でした。
大通公園はみんなの憩いの場という感じの雰囲気でなんだか落ち着きました〜。

また観光しに(おいしいものを食べに)行きたいなぁ…(´ω`*)

2010-09-30

帰ってきたよ!


こんにちは。

急に寒くなって「去年の冬って何着てたっけ?」状態のしまです。

考古学研究室では8月29日〜9月5日まで北海道研修旅行、9月8日〜9月23日まで飛島蕨山遺跡調査に行っていました。

人生で初めての飛行機、人生でいちばん長い合宿、人生で初めてチョコレートを欲してる自分…24時間考古学漬けの毎日…

現場でどんなことがあったかは追々書いていきたいと思います!
ゼミのみんなとは約3週間寝食を共にして、しばらくみんなの顔見なくてもいいかなぁ…なんて笑

長いようで短かった夏、帰ってきてもやることがたくさんあります。

M1のかいとう先輩は蕨山遺跡の図面をトレース。

3年もりやさんは北海道旅行のレポートを執筆中。

遺物整理や図面合わせなどなど…夏はまだ終わらない。

2010-09-28

仙台城


仙台城では市教委によって清水門前にあった造酒屋敷の発掘調査(第3次)が行われている。

「土砂降り」の中、調査指導委員会の先生方とともに見学させてもらった。
政宗がわざわざ大和から酒作りの名人を連れてきて、御用酒蔵を置いた場所である。清水門の名のとおり、ここからいい水が出たからだろうか。
それにしても城の中に酒蔵をおくとは、それも大手道にあたる登城路の脇だ。さぞ、酒の匂いがぷんぷんしたことだろう。政宗時代は庭園空間(東の丸)に隣接しており、ここから酒を調達して一献やりながら風流を楽しんだのかもしれない。政宗没後は二ノ丸に本拠が移るが、そのときには東の丸(三ノ丸)には米蔵が置かれたので、酒米の調達に便利だったろう。

発掘では昨年に続いて酒作り関係の建物跡や遺物がでており、現在年代や遺構の性格など詳細な検討が行われている。

2010-09-25

初期農耕集落の土鍋


肌寒の仙台から博多に飛んできました。
この週末は福岡市埋蔵文化財センターで弥生時代早期の土鍋のススコゲワークショップが開かれています。先週は日本列島最北の弥生稲作集落、今週は一転して九州の初期水田稲作集落の資料をみています。

同じお米を炊くにしても鍋の形が違えば、炊き方(それを復元するデータを取るのがワークショップの目的です)も違う。炊いているお米の種類は?精米度はどうなの?

「所変われば品変わる」
それぞれの土地に多様な適応形態、文化があるのは経験的にわかりますが、なぜそうなるのか。それを考える(解釈する)のが考古学の面白いところです。

しかし、どれだけ考古資料を眺めていてもそのことはわかりません。人を研究したり、人とモノとの関係を観察したり、実験をしたり・・・・。

人類学的モデルで演繹的に解釈するだけでは物足りない。常に資料と対話することが大切です。人の行動は一筋縄ではいきません。モデルで解釈できるわかりやすさよりも、それを外れたパターンに、より人間的な魅力や面白さを感じるのは私だけでないはずです。

土器とお話ししながら、いつも思うことです。

2010-09-21

山形城


山形市教育委員会が調査中の山形城二ノ丸巽櫓の石垣台を見せてもらった。現地説明会はすでに終って、最後の図面取りが行われていた。

これまで山形城で見つかっている石垣では年代が特定できる最も古い特徴を持っている。石垣様式からは慶長後期頃とするのが妥当なところか。面を矢割した石材はなく、寛永期以降主体となる安山岩の転石がほとんどない。節理で割れて平面的な面をもつものや凝灰岩など、後の石使いとは一線を画する。角部は段数がないものの算木積みの特徴が見られ、面には部分的なノミ調整が入る。

元和年間に改易された最上氏築造の石垣台の可能性が高い。

2010-09-18

田んぼアートの村−垂柳遺跡のススコゲワークショップ

弘前から弘南鉄道にのって田舎館村に来ました。
東北の弥生稲作を実証した垂柳遺跡ですすこげワークショップが開かれています。

垂柳遺跡は大規模な水田跡が検出され、近年の調査では溝から大量の土器が出土しました。これらのうち中型の鍋には炊飯コゲが明瞭です。弥生時代は現代のようにお米を炊き干して食べていました。ここの鍋は西日本の同時期と比べ胴部最大径の高さが高い器形で、強い火力で炊き上げています。
「はじめチョロチョロ、中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣いても蓋取るな! そこへババさま飛んできて、藁しべひと束くべまして、それで蒸したら出来上がり!」
カマドの釜でおいしくごはんを炊く秘訣がうたわれています。弥生の米炊きはどんなプロセスだったのでしょう。すすこげから弥生の炊飯方法がみえつつあります。すでに西日本と東日本で炊き方が異なることが分かっています。そして、垂柳の台付小型土器と一部の中型鍋は汁物調理に使われていました。当時の食事も炊いたご飯と一汁一菜?だったのでしょうか。

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