台風接近の予報に怯えながら9月7日は京都の清水寺に向かいました。
清水寺の創建は西暦778(宝亀9年)の奈良時代の末頃。
延鎮上人が音羽山麓の滝のほとりに千手観音像を祀ったことが起こりとされています。
思い切った行動をすることを「清水の舞台から飛び降りる」と言いますね。
過去に願掛けのために飛び降りた人の85%は樹木がクッションになって助かったらしいです。
良い子、悪い子、普通の子、真似しちゃ駄目!戊辰戦争おねえさんとのお約束!
次に目指すは三つの筧から流れる霊水ごとの御利益がある音羽の滝。
音羽の滝に通じる階段を下りていると中国人のおじさんから呼び止められました。
英語と中国語と身ぶり手ぶりで懸命に何かを伝えようとしている様子。
階段の段数をカウントしながら自分の手のひらに「108」の数字を書いて見せてくる。
これはいったい何の暗号!?
困惑する私と同じ動作を繰り返す中国人のおじさん。
ただならぬ膠着状態にいると隣にいた島流しさんが全ての謎を解明しました。
「この階段は108段あって、階段を下りることで煩悩を消すんだよ!」
目から鱗が落ちました。
日本語が分からないはずなのに心なしか満足そうな中国人のおじさん。
中国人のおじさんは何故日本人に日本の名刹について教えてくれようとしたのでしょう。
とりあえず中国語検定四級を活かして「知道(分かりました)」と伝えました。
中国人のおじさん…まだ話し足りなそうでした…。
京田辺市で今年最高の39.9度を記録した翌日の9月6日。
私が小学生の頃に「39度のとろけそうな日♪」という出だしから始まる歌がありました。
子供心に「ねーよ!」と思いましたが、それが現実になろうとは、恐るべし!ラニーニャ現象!
ちなみにちょっと語感の可愛いラニーニャはスペイン語で「女の子」という意味です。
飛行機の座席は八人中六人が「緊急事態に殺到する乗客を止める席」になりました。
顔を見合わせる日本髪、戊辰戦争、雨乞い、阿古屋、島流し、病気の一同。
このメンバーでパニックに陥った集団を止めることが出来るのか!?
幸いなことに、そういったハリウッド的展開はなく、無事に伊丹空港に到着しました。
飛んで火に入る夏の虫とばかりに猛暑の京都に上洛した我々。
1933年に40.8度の山形が相手だ!と心の中でファインティングポーズ。
意外や意外、時刻が15時を回っていたせいか、それほど猛烈な温度は感じませんでした。
35度を超えると「暑い」というより「あったかい」と感じてしまう不思議。
文献ゼミの皆さんは京都の気温をどんな風に感じたのか今度聞いてみます。
ホテルに荷物を置いた後は予定通りに二条城に行くことになりました。
二条城は徳川慶喜が大政奉還を行った江戸時代の平城。
その歴史、その城郭、その庭園から京都が誇る世界遺産登録された名所になっています。
だけど最終入城時間が16時!!
私たちがバスに乗って辿り着いた時間は15時58分。
タイムリミットが刻々と迫っているというのに何故かのんびりと歩く文献ゼミ一同。
痺れを切らしたのか由利十二頭くんが急に走り出しました。
速い!速い速い速い!受付に行って戻ってくる!(日本ダービーっぽく)
帰還した彼の手にはなんと文献ゼミ全員分の入城チケット。
しばらくの間は「偉いよ!由利十二頭くん!」の歓声が止みませんでした。
無事に入城を果たした我々は二の丸御殿や庭園を鑑賞することが出来ました。
こんにちは、お久しぶりの文献ゼミの「戊辰戦争」(仮)です。
歴産ブログ界の真○かをり発言は忘れてください。
北海道・四国・伊豆諸島など本州脱出傾向にある今年の研修旅行。
文献ゼミの預かり知らぬところで本州抜けカルテルが結ばれていたのでしょうか。
そんな中、我ら文献ゼミは多数決によって、京都と奈良メインの関西に行くことになりました。
最初は伊勢や出雲など昨今パワースポットとして騒がれる地が候補に挙がっていました。
そこは動かざること山の如しの文献ゼミ生クオリティ。
飛び交う意見は「移動が…ねえ?」「乗り換え疲れるんだよねえ」「島根って何県?」などなど。
先生から「若いんだからキリキリ動けよ」(超訳)と言われて、気付くと関西中心に決定。
阿古屋さんが旅行会社に足繁く通って計画してくれました!ありがとう!
計画としては、
【9月6日から9月10日の四泊五日間】
1日目:仙台空港→伊丹空港→京都→二条城と京都駅周辺を自由行動
2日目:清水寺周辺→舞妓変身と着物体験→自由行動
3日目:奈良駅→奈良国立博物館→自由行動
4日目:信貴山(奈良)→古代の幹線道路の山の辺の道周辺(奈良)
5日目:京都→伊丹空港→仙台空港
という流れです。
自由行動は各ゼミ生たちが自分の体験談でブログ記事を賑わせてくれることでしょう!
私は文献ゼミの研修旅行の大まかな流れを更新していこうと思います。
田口ゼミのかくたです!
ぶり返すように八丈島で食べた料理たちを自慢します(^u^)
※注意・・・食事と一緒に画像も添付したかったのですが、なんせ
文章で感じていただければ幸いです。
では出発の日から・・・・
21日!
夜の9時に東京竹芝桟橋に集合し、カメリア号という船に乗り込み、中ではハイボールとチューハイ片手に宴会を始め、東京湾にさよならしながら就寝しました。船からみた東京湾はとてもきれいでした・・・・・!
さよなら本州(>_<)さみしいよーーーー!!
しかしそのとき私たちは知る由もなかった・・・・
八丈島が最高の島だということを・・・
ということで22日!
着いたら、まずご飯!という事で、朝飯兼昼飯を底土港の海の家で食べました。
やきそば、岩のりがたくさん入っていてうまし…!海の家のご飯!という感じでした〜
かき氷食べたいなぁ…
そしてその後ペンションサマービーチさんから車でロッヂまで送っていただき、さっそく海水浴へ!!!
車がなかったので徒歩で海水浴場までいったのですが、日ごろの運動不足が祟ってもうね!ゲキアツでした!しかも海水浴場結構遠かった(笑
最初に行った海水浴場は、岩肌の隠れスポット的な海水浴場でした。
うきわでプカプカを2時間!
海がとてもきれいで、足元に魚が泳いでいるのをみんなでずっと見ていましたー(*^_^*)
私たちはそこで体力を使い果たした・・・・。
そこで晩ご飯は買い物が厳しいので、小国町小玉川地区の熊祭りの時、帰りに立ち寄った石楠花祭りで当たった山形そば(笑)を煮て食べました。ここに来て山形の食べ物…
とまあこんな感じで八丈島でどんな食べ物を食べてきたのかをつらつら書いていきたいと思います。
あ、ちなみに八丈島だからといって特殊な食べ物はあまり出てきません・・・・。
自炊なので。ただの自慢です。
八丈島のちゃんとしたブログは
ジョンの書いた八丈島の歴史民俗資料館ブログ
と、もうひとつ私が更新する八丈島の景色についてのブログをご覧ください。では!
23日の話ー
朝飯は八丈ストアという八丈島唯一のスーパーマーケットでお弁当と、八丈島の特産物である島寿司を食べました。が、画像・・・・。無いです・・・・・。ググってください。お願いします。
島寿司は八丈島の特産「島唐醤油」のづけにしたものです。
島唐醤油はピリッと辛い八丈島の唐辛子を使った醤油で、しょっぱすぎず甘すぎず、いいお味(●^o^●)
島寿司はピリッと辛くておいしかったです!
そしてレンタカーをゲットし、また海水浴へ!
今回は底土港の海水浴場です。そこでまたまた浮き輪でプカプカ・・・・していたのは私だけです。ほかのみんなは普通に泳いでました。シュノーケルをつけて海を覗くと、本当に海が透明で青々としていることがわかります。
だって海底が見えているのに足が全くつかないんだもの!
足元でクマノミやらピンクと緑と青の魚が泳いでいるんだもの!!きききき綺麗だあああああぁぁぁ
休憩時間、おやつにかき氷を食べました。
女子3人でキャラメル、マンゴー、シークァーサーを食べました!
皆違って皆旨い。
海水浴を楽しんだ後は、晩飯♥
自炊なのです!私たちは!
しかし田口ゼミ3年に料理ができるのか?
これができるんですねぇ〜
晩御飯はシーフードカレー、かつおのたたき、豆腐です。
カレー頑張った(^.^)
どや・・・・・・・・!!!!!
シーフードカレーとかつおのたたきの旨さ異常…!!
田口先生も絶賛!なんて料理が得意なんだろう私たち!
たたきは田口先生のおごりです・・・!刺身をつくったのも田口先生です。おいしすぎ(;_;)
ありがとうございました!
シーフードカレーには半熟の目玉焼きを乗せました!旨そうだろう!!!
なんつてビギナーズラックなんですけどね・・・
田口ゼミ3年の村です。
少し日が経ってしまいましたが、8月9〜12日に行ったオープンリサーチ事業について書かせていただきます。
調査先は秋田県戸賀湾です。秋田県の形が右を向いた人の横顔だとすると、ちょうど鼻の頭の当たりになりますかね。
田口先生、鈴木さん、森本先生と、3年生3人、1年生2人の少数メンバーでした。
オープンリサーチ事業としては3回目の調査で、日本で唯一現存する丸木舟の実測、集落図作成は終わっています。
というわけで今回は古写真の収集と集落図の修正が主な活動になりました。
大学を9時すぎに出発し、休憩を取りつつも着いたのは夕方5時頃・・・。長時間の運転、先生本当にお疲れ様でした。
1日目は移動で終わってしまいました。
2日目から調査開始。午前中は先生方から話を聞きながら、全員で集落を周りました。
歩いていると船着き場の広場で5〜6人の現地の人々とお会いしました。話を聞くと漁業に使う網を綺麗にしているとの事。網を見てみると確かに細かい藻のようなものが絡んでいました。3か月くらいでこうなってしまうそうで、皆で暑い中掃除なさっていました。
私はその辺りから暑さによりくらくらしてしまい、先生のお気遣いにより、皆でお昼御飯&休憩タイムへ・・・
黒は光を集めるといいますがここまでの暑さだととんでもないですね・・・油断していました。申し訳なさでいっぱいです。フィールドワークでは自己管理も大切です!
午後からは先生方は以前の調査で宿泊させていただいた三浦荘という民宿に古写真があるという事で、お話を伺いに。
学生は2日目の午後と、3日目は集落図修正を行いました。前回2月の調査がとんでもない寒さだったため、涼しいかと思ってみたらとんでもない!買ったばかりの飲み物はバックに入れても1時間でぬるま湯に・・・。
そして調査内で大切なのは地元の人との触れ合い。
海水浴客の車がたくさん通りすぎる中で、リュックを背負って帽子を被り、家々の周囲をうろうろしている若者がいると、やはり興味をもたれます。
この時、話しかけて警戒心を解いてもらうよう働きかける事は結構勇気がいります。でも話しかけてみると、多くの人々が優しくしてくださり、非常に心が暖まります。こういった喜びがフィールドワークの醍醐味だと私は個人的に思っています。
3日目の午後、丸木舟について地元の方にお話しを聞かせてもらう事になり、私を含む3年2人は引き続き集落図修正、他のメンバーはその方を訪ねてお話を伺いました。
2,3日目の夕方は三浦荘の方に誘われて、心太や寒天、アイスや飲み物を頂きました。暑かった後の甘いものはとても沁みますね。
台風が近づいているという情報を得て、4日目は朝から大学へ向けて出発。帰り道ものすごい雨でした。
今回は聞書きもほんの少ししか出来ず、満足のいく結果にはなりませんでしたが、引き続き現地へ赴き調査を続ける予定です。
来年にはブックレットを出す予定ですのでお楽しみに!
みんな昨夜の悪夢?から醒めただろうか。今日は快晴の空。東大が発掘している大島2遺跡を見学。その後、2000基以上の竪穴が地表に痕跡を残す史跡常呂遺跡へ。2年前と同じ木を見つけ、デジャブー。
大島2遺跡はオホーツク海を見下ろす段丘上にあって、方形の竪穴住居跡が等間隔に列状に並んでいる。北見市と東大によって史跡指定を目指した範囲確認調査が行われている。竪穴は現在でも深さ50cm以上の窪みとなっているので掘らなくてもその位置がわかる。擦文の竪穴住居は切りあわないのが特徴だ。先祖の家のあった場所をしっかり認識して暮らす。遺跡は擦文時代後期のものという。このうちの1基、中規模の竪穴が調査されており、多数の炭化材が検出されていた。燃えた柱や垂木、腰板の類である。
北日本、東日本の竪穴建物は引っ越した後、廃屋に火を放つ例が多い。韓半島や大陸にも広がる習俗である。住まなくなって、どのタイミングで火をはなつのか。床面上から炭化材や焼土が見つかるので、「廃絶直後」と言いたいところだが、そう簡単ではない。考古学的に「床面直上」出土遺物の時間経過が捉えづらいのが一因である。かまど周りに置き去りにされた土器の被熱痕を観察する限り、しばらく雨水とともに泥が流れ込むような時間幅があってから火がつけられている例が多いように感じる。火を放つことには塵芥処理の用とともに、どんな宗教的意味が付与されたのだろうか。規則的にならぶ竪穴をみて想いをめぐらした。
それにしても、北海道の陽射しはきつい。澄んだ空気の中を陽が肌を射すような感覚。北海道の夏の発掘は涼しくていいと思ったのはあさはかだった。それでもオホーツク海を眺めながらの発掘はうらやましい限り。
昨夜のあの学生達が、無言で地べたを這いつくばり床面を精査をしている。ひとりひとりの顔をみながら、○○○○仮面を思い出していたのは私だけではなかったはずだ。
帰りがけにみたビリー隊長の頬が心なしかこけていたのが気がかりだった。今度は飛島でおいしい魚を食べていってください。
竪穴住居跡横でお食事中のトコロンとモーリー(*^_^*)
夜はバーベキューハウスで地元と東大+芸工大の交流会で大盛り上がり。ジンギスカン、チャンチャン焼き、北海シマエビなどなど
4年生sへ
お留守番御苦労さん。戸塚山の整理もよろしくお願いします。
考古ゼミはオホーツク文化をテーマにした研修旅行にでかけています。2日目からは北海道西海岸を北上し、利尻・礼文の遺跡・自然を見学してきました。
今朝、利尻島を発ち、稚内に再上陸。宗谷岬をまわり、目梨泊遺跡を見たのち、オホーツク海沿岸をひた走って、夜に常呂に入りました。みんな元気で順調に研修をこなしています。福田先生の青春を辿る旅。学生たちに、刺激的な人やモノ、自然との出会いが訪れています。
今晩の宿舎では実習中の東大生たちと楽しく交流しました。あしたは発掘中の擦文の焼失住居の現場を見せてもらいます。
4年生よ、おみやげはやっぱり食べ物ですか・・・・・
こんにちは 田口ゼミ3年ジョンです。
去る8月21日夜、私たち田口ゼミは先生を含め5人で東京・竹芝桟橋からフェリーで八丈島へ出発しました。
ここで八丈島の概要を・・・。
八丈島は伊豆諸島の最南端に位置し、東京から287kmの黒潮に浮かぶ島です。長崎県佐世保と同じくらいの緯度、と言えばわかりやすいでしょうか。島内の至る処にヤシ、シダ類の亜熱帯植物が繁茂しています。面積は68.52km²、人口約1万人。小学校・中学校が2校ずつ、高校も1校あります。島の中央には空港があり、毎日3便ずつのジェット機が片道50分で羽田空港と八丈島をつないでいます。
フェリーで約11時間、爽やかな朝の訪れとともに島に降り立ちました。今回は島の歴史民俗資料館を訪れた日のことについてお送りします。
元々は旧東京都八丈支庁舎でしたが、島内各地域の民家に分散していた歴史民俗資料を収集して1975年5月に「八丈島歴史民俗資料館」として開館しました。建物は国の有形文化財に登録されています。
館内では学芸員の方に出迎えていただき、一緒に回りながらお話を聞くことが出来ました。
海洋生物の写真や島の文化財、考古資料、名産であった椿油の搾り道具や現在も伝統工芸として続く織物「黄八丈」の製造工程など、展示の内容は多岐にわたります。
中でも私が興味を持ったのは流人コーナー!
関ヶ原の戦いの後に流された宇喜多秀家以来、約1800人が流人として島にやってきました。このコーナーでは、絵芝居風に流人の生活を紹介しています。当時、流人は島の人々に差別されることもなく温かく迎えられ、家や水汲女(事実上の妻)をあてがわれ、結構楽しく暮らしていたようです。罪を犯して流されたものの、そんな暮らしが出来るなんてちょっと羨ましいですね。
建物の外には高倉(高床倉庫のような)や島に馴染み深いアウトリガー船が展示してありました。
資料館を訪れたのは島とお別れする前日だったのですが、初日から様々なものを見て改めて資料を見ると、頭への入り方がとてもスムーズでした。イメージと情報が合致する、という感じです。そんなわけで2時間はあっという間に過ぎ、とても楽しく有意義な時間となりました。勉強になった〜(^ω^)
最後までお付き合いくださった資料館のI藤さん(ご両親が山形市出身だそうです!)、ありがとうございました!
こちらは山形に居残った4年生sです。
昨日、床掃除なども行い演習室を綺麗にしました。
今日は、人がいないことをいいことに、
広々と演習室を使用し、引きこもっております。
先日一区切りついた戸塚山古墳群調査の
石室実測や平板測量のトレースを
ちまちまと進めています。
一気に進めた結果、神は手が痛くなったそうな。
気分転換に外に出てみると、
むわっとした空気の中、雨が降っておりました。
台風もまた現れたそうで、
蒸し暑さからはまだ開放されないみたいです。
明日もまた演習室に避難し(涼み)に来なくては。
北海道のお土産は、美味しく食べられるものがいいなぁ(食いしん坊、あんじー)