かくちゃん、アップありがとう。
さて、週末のわらび野山焼きについて以下の通りお知らせします。
【内 容】 わらび野山焼き作業への参加
【場 所】 小国町小玉川地区
【日 程】
5/8 9時図書館前集合
5/8〜9 山焼き作業、5/7が雨天の予報なので、作業は5/8午後か5/9となりそうです。
5/9 20時山形帰着
【持ち物】
着替え、汚れてもいい服装(つなぎがベスト)、軍手、帽子か手ぬぐい、長靴(スパイク長靴がベスト)、風呂代と飯代(2000円程度)。
平成22年5月4日、山形県東置賜郡小国町で毎年恒例の「熊祭りin小玉川」が開催されました。
熊祭りは小国町の猟師の方々によって獲られた熊を、観光客の皆さんにも食べていただこう、「マタギ」という文化を一般の方々にも知っていただこう、という目的で開催されています。
毎年GWと重ねて開催されることもあり、お客さんでいっぱいです(^н^)
民俗学の田口教授の関係で、私たちは毎年熊祭りのお手伝いをさせていただいています。
今年は熊が4頭も獲れたということで、たくさんの方々に熊汁を味わっていただけました!
私は今回は熊祭りにお越しいただいたお客さんにお売りするお餅のパック詰めなどをしました(‘▽‘)
地元の方々と交流はとてもいい勉強になりました!
ほかの学生スタッフも、「マタギの館」というマタギの資料館兼レストランのお手伝い、設営、熊汁の配膳、売り子と忙しそうに働いて、打ち上げもフルに楽しんでいましたよ(笑
もちろん、お餅は完売しました←
小国はお祭りとなると若者がたくさん帰ってきます。いい地区だなぁ、と改めて実感。
皆さん、とてもいい方ばかりでキラキラしてました!尊敬!
来年も楽しみだ・・・・!
以上かくたでした。
今週末には山焼きもやるので、そのときにまた!
5月4日に白鷹町大字山口にある羽黒神社に行ってきました。
大杉をはじめ何とも荘厳な雰囲気につつまれるなか、大迫力で獅子舞が動き回ります。
大人数が幕に入って舞い歩くこの獅子舞は「むかで獅子」というそうです。昼に始まり夜8時近くまでかけて、家々の前で舞い続けます。
はじめて見させていただきましたが、何とも言えない感動がありました!
「歴史学」カテゴリーじつに1年ぶりの更新です。
これから地道に考古・民俗に追いつけるよう頑張ります…
4月30日に新潟県の「医の博物館」に行ってきました。
この博物館は日本唯一の医学博物館でして、日本歯科大学内にあります。館内撮影NGなので画像を載せられないのが残念!
展示室には、東西の古医書・浮世絵・医療器械器具・薬看板・印籠など、興味深いものが多数あります。
学術的な目的ということで館所蔵の浮世絵を撮影させていただきました。近々、「日本史概論」の授業でお見せするので楽しみにしていてください。
東北文化研究センターのオープン・リサーチ・センター整備事業の一環で、小国町小玉川・五味沢の現地取材を以下の通り実施します。
【日程】
日程:2010年5月3日〜5日
5/3,15時山形発 小玉川2泊
5/5 昼 山形着
場所:小国町小玉川
内容:地区熊祭りへの参加
参加者は、5月3日15時に図書館前に集合です。
2泊分の着替え、動きやすい服装、持っている人は寝袋持参で来てください。
参加者全員への一斉メールができませんので、各自確認して、連絡を取り合ってください。
よろしくお願いします。
参加レポートは帰着後10日以内に岸本まで提出してください。
岸本アドレス:seiji-k*aga.tuad.ac.jp(*を@に換えてください)。
入学式が終わり、新学期が始まった。
そして今日、考古学研究室にも遅い春が来た。ようやく新3年生のゼミ決めが行われ、院生・4年生と顔合わせをした。北野ゼミ、福田ゼミあわせて9名の新人が仲間入り。さらに留学生1名を加えて新たな年がスタートした。
学科にも2名のフレッシュな先生が加わり、始まりの予感・・・
今日は福田先生と横浜に来ています。
首都高から即席東京観光。今話題のスカイツリー、国技館、レインボーブリッジ、東京タワー。わずか5分ぐらいでみられるんだ・・・。隅田川の桜も満開近し。お上りさんでした。
誰にでもお気に入りの場所があるはずだ。
ここは金沢21世紀美術館「タレルの部屋」
自然の光と空気と色の変化をたっぷり楽しめる部屋。
ぼーっとしていても居心地がよいのだが、春先はゆっくりと動く陽だまりに身を置き本を読むのがいい。時折、目を壁に向け、部屋に入ってくる見学者をウォッチングする。
開館以来、2か月に1度ぐらいペースで来ている。2時間ぐらいいたこともあれば、1分いないこともある。時間があるとつい足が向いてしまうお気に入りの場所だ。
壁と腰掛けは「戸室石」という地元の安山岩。金沢城の石垣石材だ。やわらかな赤戸室の質感が、白い壁や青い空といい調和をみせる。
岩手県の県庁所在地−盛岡。その中心に位置するのが盛岡城。秀吉の奥州仕置の後、慶長3年に南部氏が築城した本格的な織豊系城郭です。
城は北上川と中津川、雫石川が合流する自然の要害にあり、豊富な花崗岩を利用した総石垣づくり。元和3〜5年の大規模な拡張整備でほぼ現在の縄張りが完成しました。このときの石切丁場は城の中にあり、石垣石に利用された花崗岩の巨石がいまでも城のそこかしこに顔を見せます。
このような城のなかに石切丁場があるのは、甲府城、和歌山城などに例があります。
盛岡城にはそのことと関連する興味深い特徴があります。それは「双子石」の多さです。双子石は前に甲府城のところで紹介したように、もともとひとつの石を矢で2分割し、その割面をそれぞれ表にして積んだものです(正面を向かない場合もある)。盛岡城では元和の拡張のときに、本丸四隅の隅角部などで、角石にこの双子石がふんだんに使われているのです。巨石が豊富にあったからこそでしょう。これはその場で石を割り、積んでいる証拠とみられます(二つは連続して積まれている)。石切丁場が城から離れている普通の城ではそんな例はありません。
盛岡城を見学する方は双子石探しをしてみてはどうでしょうか。半日歩いて20個ぐらい見つけました。
江戸中期の石垣修理の際には、さすがに城の中から採掘せず、郊外の日陰山というところから、冬にそりで運びました。果樹園の中に矢穴石が点在しています。雪の岩手山がとってもきれいでした。
紀州和歌山といえば徳川御三家のひとつ。
和歌山城は市中心部の独立丘に連立式の天守がそびえる。城のシンボルとなった天守は昭和33年に鉄筋コンクリート造で復元されたものである。当時の工事の様子をビデオでみることができるが、工事用足場の組み立てや門柱などをソリで引く様はもはや伝統技術・・・・と、唸ってしまう。
石垣がすばらしい!
豊臣秀長の城代として城の骨格を作ったのは桑山氏であった。文禄期ごろに本丸や天守郭の石垣群が作られた。丘陵部の石垣は結晶片岩(緑泥片岩)とよばれる緑色の片岩が用いられ、独特の景色である。少なくとも2段階はありそうだ。
次いで、関が原(慶長5年)のあと、加増されて甲府城からはいったのが浅野幸長だ。二ノ丸や大手門、岡口門など平地部で主要な郭や城門を整備した。元和5年には改易された福島正則に代わり、またまた加増され広島城に移った。約20年間、浅野は城の整備を大々的に行った。城内に石切り場がある片岩に代えて、友が島等から和泉砂岩の転石を本格的に利用するようになった。3段階ぐらいの変遷が読み取れる。
そして、いよいよ徳川の時代になる。家康の子、初代徳川頼宣が和歌山に入って紀州徳川家が成立する。このとき、最近整備された御橋廊下が架かる石垣が二ノ丸を拡張して作られた。大手門周辺もこの頃再整備された。
そして、明暦の大火後の復興、18世紀台の花崗斑岩(熊野石)を使う石垣など、これも少なくとも3期ぐらいはある。徳川の石垣ゆえ、公儀穴太たちが関与したのであろうか。
国の名勝に指定されている西の丸庭園。自然地形をうまく生かして作った桑山時代の石垣群を借景とし、結晶片岩の岩盤を池の中島や岩山にみたてる、人工と自然の調和を表現した見事な庭園である。
お城に隣接する「岡山」という緑泥片岩の岩山を歩くと、片岩の層理・節理を利用しならが石を切ったあとがいくつも見えてくる。
和歌山城の石垣をみたのは今回がはじめて。予想以上にマニアを楽しませてくれる。石垣を見る楽しみは人それぞれあろうが、私にとってはベスト3に入る感動の出会いだった。
本屋に入って参考図書を探したが、郷土コーナーは「たま駅長」が席巻していた。