別の理由で写真を撮らせてもらったのですが、せっかくなのでブログに上げてみます…独断で。
田口先生の所有品。いわゆる民具の一つです。
これ、何に使うと思いますか?
正解はマタギの道具で、主に山歩きの補助に使うものです。要するに杖の一種ですか。雪に沈まないように先端がヘラ状になってるんですねー…
だがしかし、それだけじゃない!
これ一本に身を預け、雪の急斜面を滑り降りたり、
雪に立てて鉄砲の一脚のように使ったり(そのため、物によっては柄側の頭がへこんでいます)、
ヘラ部分を利用してスコップのように使ったり…
時にはこれで獲物を獲ったりもするのです!
これ一つに多様な用途。山に入るのに無駄のない道具です。
民具そのもののポテンシャルもさることながら、この道具から、マタギの山に対する知識や度胸が垣間見えます。
材質や地域ごとの形状を見ても奥が深いマタギベラ。
歴産は知らない世界との出会いの連続です。
By.武士ことSK
1年生の授業で上山市にある県埋蔵文化財センターを見学しました。
恒例の現地集合。集合時刻に電車で、バスで、自転車でと、続々と学生があつまるなか、一番乗りでかけつけたのは大学から徒歩で来たというI君。前代未聞!いい根性をしてます。何時間かかったの?というか、ちゃんと前の時間の授業出てたの?
埋文センターでは職員の方々が出土品整理の行程にしたがって丁寧に説明をしてくれました。最後に古代体験学習グッズをみて、自分たちの課題の参考にしました。
考古学協会前の2週間、発表のためにほぼ毎日土鍋料理(台風の日は中止)を作る。学生たちが付き合ってくれました。なんでもとことんやることが大事だと。研究のアイデアがピカッ!とひらめき、脳が喜びを感じていく感覚。ぜひ一緒に味わいましょう。
2年生は石焼のどんぐりクッキーを作っています。一生懸命実験結果をまとめています。
道路際でやっているのでいろんな人が声をかけてくれます。散歩の人、こども芸大の親子、学生・・・「出会い」があります。
ジャカルタには様々な乗り物がある。そのひとつとして、今日はモーターサイクルを紹介します。
モーターサイクルは日本で言うところのバイクです。現地で困っていたところを助けてくれた日本人の方が言うには、危険な乗り物らしい。自分は安くて乗り心地が良いので乗らない日がありませんでしたが…
なぜ危険かというと、ジャカルタは見た目1車線、事実5車線なのです。大きな広い道路の中を我が先にとばかりにタクシー、モーターサイクル、バイジャイ、バスなどが走ります。無法地帯となった道路では、クラクションがやみません… 「おいッ 気をつけろ!!!」 「嬢ちゃん、乗っていくかい??」 注意から合図まで全てクラクション。道路を渡ろうと待っている時は、怒られているのか、誘われているのか見当がつきません。一応、苦笑いしておきます…
そしてこのモーターサイクル。乗れる人数は最低1人、最高のれるだけ。5人乗りとかよく見ました。しかも運転しているのが子供だったりします。免許という制度があるのか疑問に思えたりします。ノーヘルもかなりの割合でいますが、自分が乗る時は「サツがいっから一応着けてくれ。」ということで着けていましたが、顎のヒモは必ずしなくてもいいようでした。本当に見せかけみたいです。
しかし、そんなヘルメットも役に立つもの。道路がカーレース状態なものでよく他の乗り物と衝突します。運転手によってはふらつくので、万が一のことを考えておいた方がいいです。自分は転倒はしませんでしたが、洞穴のような地下駐車場に入るときに天井に頭をぶつけて、その時はヘルメットに助けられました…
このブログを見て、モーターサイクルは危険な乗り物だと誤解する人がいるかもしれません。しかし、どうか単純にそのような考え方をしないで欲しいです。道路が無法地帯のカーレース。そんな中を普通に走るにはそれなりのテクニックがあります。実際、危険だと感じることはあっても、それは日本の整理された交通の中での感覚です。ぶつかっても倒れるほどの衝突はお互い避けます。その程度に抑えれるというテクニックがあります!!!これは本当に運転技術がある証拠です。みなさん、ぜひインドネシアを訪れることがありましたらモーターサイクルを利用してください。
10月17・18日の両日、本学で日本考古学協会2009年度山形大会が開催されました。全国から2日間で延べ880名の考古学関係者が集まりました。この大きな学会に歴史遺産学科の卒業生・学生40名が運営スタッフとして加わりました。全員がスーツを着用し、学内外で統一感あるきびきびした働きをしました。いい経験になったことと思います。
学会側の会長・理事をはじめ、実行委員会の役員からは学生たちの活躍とホスピタリティーに称賛の声があがりました。お世辞抜きです。
考古ゼミの学生にとってはちょっと大がかりな現説(発掘現場での現地説明会のこと)のノリだったかもしれません。そういう意味では慣れていたのかも。
大会は山形考古学会を中心に実行委員会を組織し、1年余りをかけて準備してきたものです。参加者は天気にも恵まれ、学術的な成果だけでなく、紅葉と食と酒の山形を堪能して帰りました。
手弁当で駆けつけてくれた22名の卒業生たち。遠くは兵庫、埼玉、群馬、石川、新潟から、そして東北各地からかけつけてくれました。母校のために応援してくれた彼ら、彼女らに対してあらためて感謝の意を表します。ほんとうにありがとう!
9月25日。出発を明日に迎えて、今日はなんだかコーランがしんみりと聞こえます。本日は訪れてみたかったチャイナタウンとお土産を買いにショッピングモールへ行きます。
裏路地に入り、曲がりくねった先にジャカルタらしくない建物が突如現れました。宗教や派閥に関して少し厳格なインドネシアなので、チャイナタウンのような宗教施設とは隔離されたような場所にあると思いこんでいたので驚きました…
街中に普通に紛れ込んでる感覚だなぁ…
訪れたチャイナタウンに約1万人住んでおり、周辺では一番大規模のものです。お寺自体は小さいのですが、周囲が住宅街となっています。お寺に入る道に足を踏み入れると、そこにはインドネシア人顔の人もいれば、中国、日本人にも見える人が地べたに座って井戸端会議をしています。久しぶりに見るモンゴロイドはなんだか新鮮に感じられました。自分がモンゴロイドなのに…
寺院内に入ると、広い空間が広がり、片側にはお堂が連なっています。奥へ進むと一番大きなお堂が現れ、その前には線香を立てる場所がありました。誰でも目にしたことがあるでしょう。細長い線香の束を持って祈りを捧げる姿。以前中国を訪問したことがありますが、このような光景を目にすることがそれほどなかったので新鮮に感じられました。
日本は「万華教」と言われるほど、文化が重層化しています。クリスマスにはツリーを飾り、正月はおせちを食べ、新年には宮参りをします。自分が何宗かもわからない人が増えてきました。外国では、無宗教と言うと驚かれます。これはこれで日本の文化なのでしょうが、信仰の場を訪れると信仰というものがなんなのかということに触れた気がします。本当に神を信じている人達の感覚は自分にはわかりません。多分いるんだろうな、という感覚でしかないですから。しかし、神や目に見えない何かを本当に信じている人達が見えている世界と、自分が見ている世界は確実に違うものだとわかります。
9月24日。植物園を後にした自分は、友達になった人の実家を訪れることに。話に聞くには、ボゴールの郊外にある山間部で周りは山に囲まれているそうです。ボゴールの駅周辺からミニバスを利用し、その実家周辺まで移動。その後は実家までモーターサイクル(バイク)を利用しました。
舗装されていない小道を抜けた小高い丘の上に小さな人だかりを発見。友達の家族が自分を出迎えてくれました。話に聞いたとおり、四方は山に囲まれ、その谷間に集落が少し大きい散村とバナナ、芋、稲のアグロフォレストリーがあります。アグロフォレストリーとは、作物が整理されずに混合されて植えられている状態です。簡単に言うと、作物がごちゃ混ぜ状態です。
家の敷地内に入ると、家と離れの周りにたくさんの植物が植えられています。マンゴー、チリなど、食卓にあげられる代表的な食べ物が中心でした。離れに上がるように進められ、上がってみると、何かぶら下がっているじゃないですか!!!
天井からヒモが下がりそこに布で赤ちゃんが入っているようです。誰もいないところに放置されているようだったので、少し驚きました。休んでいると妹さんがお菓子を持ってきてくれました。
ば、バナナですよね…??
バナナだけじゃなくどんどんお菓子が出てくるじゃないですか!!!夕飯をごちそうしてくれるそうなので、ペースを考えて食べないとこれは危ないかもしれない…そう思いながら、友達と妹さんと話を弾ませていると、どこからともなく子供達が群がってきました。やはり日本人というか外国人は珍しいようです。近づいてくるのに基本みんなシャイなようで、話しかけると隠れてしまいます。残念ながら自分は英語にたどたどしいインドネシア語で会話している状態なので、英語教育されていない子供達とは交流がほとんど成り立ちません…一人の男の子が英語を話せるようでしたので、日本のアニメや学校のこと、将来なりたいものなど話してくれました。
辺りが暗くなり始めた頃、妹さんが夕ご飯を作ってくれました。何が食べたいか聞かれ、この地域の日常食べられているものを知りたかったので、とても楽しみです。テーブルに着くと、そこには多くのお皿が置かれていました。野菜のスープ、見た目がビーフシチューな木の実の煮物、お魚のフライ、テンペイです。ご飯を盛ったお皿にそれぞれのおかずを好きなだけ盛って右手で食べます。自分は慣れていなかったので、スプーンで食べることに…スープも同じお皿に盛っているので、べちゃべちゃして食べにくいはずなのにみんなキレイに食べます。驚きを通り越して感心するほどです…
ゴロゴロゴロッ…
ん??雨が降るんじゃない??5回くらい聞いた頃でしょうか、いきなりの夕立…雨の音は弱まるところを知らず激しくなる一方。
まるでスコールみたい… これはもしやッスコールというものではッ!!!
しかし訪れた頃はまだ乾季。一応聞いてみると、スコールでした。四方が山に囲まれているので、ここ一体はスコールは日常的なそうです。日常よくある事なので誰も雨宿りしません。子供は裸足でサッカー、おじさんは裸で一服…これにも感心しました。しかし、スコールも負けじと元気になってくるとさすがに避難。自分たちもそろそろジャカルタに帰ることにしました。
来た時と同じようにみんなに握手をして別れを告げます。友達に妹さんの子供にお礼のお金を渡すように言われました。自分の感覚では、日本ではこのような時、一番目上の人を優先する傾向があります。インドネシアでは一番小さい子供に渡すのが一般的。ここで自分が儒教の影響の元で生活していることを認識しました。そして、自分に一番のシャイな男の子が握手する時に、握った自分の手をおでこに当てました。
頭は精霊が宿ってるから触っちゃいけないんじゃッ汗
自分から触らせるとは何が起きたーーーーッ
触ったのは額でしたが、いきなりのことだったので驚いて固まってしまいました。男の子はニコッと笑ってまた隠れて恥ずかしがってます。どうしたらいいんでしょう…??
後ほど聞いたら、それはリスペクトしている相手にする行為だそうです。だいたい14、15歳くらいまでがするそうです。一番恥ずかしがっていた子がしてくれたので、とても嬉しく、恥ずかしい気持ちになりました。
帰りはスコールで景色が見えないほど暗くなっていました。残念ながら高台から見える集落をもう一度見ることはできませんでしたが、ジャカルタに着くまでずっとその風景や家族の顔がぼんやりと頭の中を巡っていました…
今回はジャカルターボゴール間で乗った電車について書かせていただきます。
まず、券売機はなくすべて駅員と窓越しに行われます。人の群れは順番に並ぶという概念がないようで、隙があれば割り込みするのが通常。必死にくぐり抜けた先にホームが…と、思ったら何やら検問が行われている様子。テロが最近起きていましたし、何を聞かれるのか不安を抱いて恐る恐る近づくと…ただの改札でした。どうやら改札も全て人の手で行っているようです。改札を抜けたらそこはだだっ広いホーム!!!椅子に座りきれない人達が集団で固まったり、地べたに座ったりと電車を待っていました。
電車を待つ間、周囲をきょろきょろ見ているとふと気になることが数点。物売りがカートや手に持てる状態で商品を持ち歩いています。そして、電車はなんだか見覚えのある形…
日本のお古!!!
「水天宮前行き」「急停車することがございますので手すりにお掴まりください」「冷房」など、ちらほら日本語が見えるじゃありませんか…これは自分の地元のローカル電車と同クラス。違うのは外装の派手な色遣いのみ。出発する電車を見ているとドアが閉まっていません!!!飛び降り、飛び乗り自由状態。よく考えるとジャカルタには横断歩道や踏切というものを見た記憶がありません。線路内を横切る人々が姿が当たり前です。
ヤギがいる…
突如目の前に現れたその動物はもしゃもしゃ口を動かして、少し移動しては食べ、食べては移動を繰り返しています。駅内に投げられたゴミをあさりに集まってくるそうです。ようやく電車が到着と思いきや、友達がいきなり手を引っ張って走り出しました。視線の先にはもちろん乗る電車。
止まってもいない電車に自分ごとジャンプ!!!
えーッ??何が起きたの??鈍行の電車は乗客する人が多いので、電車が止まってからでは席が取れないらしく、事前に乗ってしまうのが後々楽です。帰りの電車を待つ間、電車から電車へと飛び乗るのが自分のブームでした…
出発すると、先ほどの物売りさんが登場。商品が手持ちの訳は電車の中でも移動できるようにでした。物売りさん以外にも、ギターを持って歌いにくる人やゴミを掃く視覚障害者の人もいます。小銭を稼ぐためですが、お金をあげる人は見ませんでした。
帰りは夜遅くだったのでエクスプレスに乗りました。行きの鈍行とは違い、ほとんど貸し切り状態です。エクスプレスは冷房がついており、スコールの後だったのもあって乗客した人は寒そうでした。女の人はバテックを体に巻いて椅子の上に正座し、男の人は服を身体に巻いて椅子で寝ていました。スコールで中に入った雨は、トイレで使用するとんぼのような水捌け道具を使って外に出します。
今回、駅でゴミをあさるヤギや掃除してお金をもらう人を見て、ゴミを捨てるという行為は日本では悪いことであるが、それをすることで生きていける人達がいることを知りました。どちらが良いかは自分にはわかりません。難しい問題だと思います。日本で育った自分、現地で暮らす人間の価値観も全く異なります。これは海外だからということではなく、私たちの日常にも置き換えれる問題だと思います。もう少し自分の生活、環境について考え直すきっかけになりました。
9月24日。今日は昨日友達になった人の実家があるボゴールを訪れることにしました。一日で往復するには少し厳しい面もありますが、実家の山間部と植物園も見てみたかったので強行手段で行ってまいりました。
ジャカルタ北部にある大きな駅に向かい、ボゴール行きのチケットを購入。電車が到着し、早速出発。気分はもう「世界の車窓から」!!!電車が加速するにつれ、どんどん景色が変わっていきます。建物が低くなり、建物すら見あたらなくなって周りはもうジャングルほどではありませんが熱帯林だらけ。ボゴールに到着する前あたりから再び建物やビルが見え始めてきました。降りてみるとそこは以外と大都会!!!想像していたのとは全く違います。
なんでウサギが足下にいんのッ!!!
屋台が並ぶ間におもちゃやペットを売る人達が地面に商品を並べていただけでした。ジャカルタにはこのような物売りが居なかったので少し驚きました。植物園に向かう途中、突如目の前に木の根がぶら下がっていて、頭上を見るとなんと電柱に熱帯の大きな木が絡まって大変なことになっているじゃないですか!!!人々はよける仕草もなく、当たっても気にしない様子です…
訪れた植物園は、インドネシアでも大規模のもので約100?あります。中に入るにつれて人だかりが増えていきます。
ここって植物園だよね??なんでピクニックの人がいるんだろう…
ピクニックのようにシートを敷いてご飯を食べる人達。ボールや水路で遊ぶ子供達。板状根の隙間に寄り添うカップル。しかも、建物の近くでライヴをしている人もいるじゃないですか!!!友達に聞いたところ、「ホリデイだからジャカルタから週末を楽しみに来ているだよ」とのことです。植物園という堅いイメージとはほど遠い環境でした。植物園内には、熱帯林がゆとりのある感覚で植林されています。孟宗竹が我がもの面で鬱蒼と生えていたり、いきなり大木が玉切りされた状態で放置されていたりと日本の植物園ではあまりない光景を見ることができました。
電車も植物園も日本の感覚とは大違い。このような植物園なら誰でも気軽に森林や植物というものを楽しめるのに、と思いました。日本は管理や保護という観点が一番にきがちですが、それではひとびとからものが遠ざかっていきます。まずは皆が触れることができ、学べる環境にするのが大事なのではないでしょうか…
9月23日、昼。今日もジャカルタは暑いです。モーターサイクルのドライバーと待ち合わせの公園に来ました。こんなに広い公園なのに一部にしか人が密集していません。何でなんだろう??
あぁ。現地の人でも暑いのね…
緯度が異なると太陽の降り注ぎ方も異なる訳です。みんな日差しを避けるために日陰に避難しています。屋台すらも日陰に店を構える始末。体験したことない人は想像がつかないと思いますが、これほど日差しを浴びて人間が溶けないのが不思議に思える位の太陽光です。
ドライバーとの待ち合わせ時間。来ません…写真を撮って時間をつぶすことに。それでも一向に現れないので不安になってきました。しかし、この広い公園を約束場所にしてしまったけれども見つけられるのか??と、思ってたところにドライバー登場。いきなり肩を掴まれて人攫いだと勘違いしてしまいました。午後は午前中上った博物館という名の展望台から見えた船着き場を見に行くことにしました。
船でかッ!!!
日本の漁村にある船が見慣れている自分にとって、これが漁業に使う大きさの船とは思えない規格でした。それが海岸にずら〜っと並ぶものですから、圧倒されたの一言に尽きます。船は三日かけてボルネオに行って商売をして帰ってくるそうです。話を伺った片言英語を話すお兄さんはなんとクルーザーでした。仲良くなったついでに船に乗せてもらうことに。船には10人が寝泊まりできる環境が備えてありました。丁度休みの時期だったので、他のクルーザー達は船内でお昼寝中…暑さに負けているのか、ただのんびりしれるのかわからない程まったりしていました。その後は、先ほどのお兄さんに色んな所を案内してもらえることになりました。地図もない、情報もない、言語も通じない自分にとっては、片言でも英語を話せる人が友達になってガイドしてくれることが本当に幸運です!!!
その後はスラム街の中を歩き、魚市場を見て、その友達のアパートの中を見せてもらい、スーパーマーケットで大量のビールを購入しました。スラム街は想像していたのとは全く異なり、路地裏のような雰囲気でした。スラム街の中にしっかりした建物があり、なんとそれは小学校でした!!!自分の中にあるスラム街は、治安の悪い危険な場所というイメージだったのですがガラッと変えられました。魚市場は朝以外の時間は数店しか開いていません。店先に釣れた魚を板の上にただ置いている状態です。氷を下に敷くなど鮮度を気にする光景はありませんでした。スーパーマーケットはアメリカのミニチュア版だなっと思いました。やはりチリソースが大量に並んでいます。ビールは特に冷やして売るという環境がないのか、常温で管理されていました。ホテルに帰って速効冷蔵庫にビールを入れました。