歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2009-10-08

ジャカルタ旅行記三日目その1【これって博物館ですか??】

9月23日。今日は計画的に博物館周りをします。しかしマップが手元にありません。この旅の目的は自分を非常事態に陥らせることにあります。一回目に書いたとおり、手元にあるのは急遽購入したるるぶのインドネシア語だけです。ホテルのフロントに観光マップをもらいましたが、地図の縮尺が大きすぎて詳細がわからない状況…そんな地図を片手に一番近場の博物館が密集している地域に向かいました。ドライバーに「着いたよ」と言われ、降りてみるとそこには縦に細長い建物がそびえ立っていました。中に入ってひたすら階段を上ること、四階。

博物館じゃねぇ。展望台じゃん…

馬鹿と煙は高いところが好きとはこの事。四階建てから見る町の景色に感動して博物館ではないことに不満を抱きませんでした。遠くに見える船着き場、高層ビル、眼下に広がる住宅街、魚市場、スラム街。綺麗な区域とスラムの差が一見してわかります。道路はいつもの如くカーレース状態。自分があの中を移動していたのかと思うと、どれほど危険だったのか再認識できました。子供連れの親子が後から上ってきて、子供たちが外に出られる小さな小さなテラスで遊んでいるのを見て、自分も外に出てみることにしました。四方すべてが空に包まれている気分です。開放感を感じつつ、次の博物館に向かいます。二つ目の博物館は舟の展示、漁業、植民地時代のことが中心でした。入ってすぐに驚いたのは展示の仕方です。

順路がわからない…窓全開で展示物がぼろぼろだぁ…

英語が話せるが書けない読めない自分は、展示の文章に目を通すものの展示物とわかる単語で想像を膨らませることに一生懸命でした。博物館の中でなんと日本人女性に出会いました。何回もインドネシアに訪問しているそうで、インドネシア語もぺらぺらです。近くの大きな公園までご一緒させていただきました。話の中で、自分の旅がノープランで情報も持っていないことを知ったその人は、「若い子が旅に出るのは大賛成だけれど、危険すぎるよ!!もっと情報を持って行動しなさい!!」と激怒。なんだか申し訳ない気持ちと、危険な体験するために来てるんじゃんというふてくされた気持ちがこみ上げてきました。確かに、ある程度の情報を持たずに行動することは一歩間違えると命の危険になる。しかし、本当に最小限の知識を持って冒険の旅をするという経験も大切なんじゃないかと思いました。

テロも頻繁におきていて、日本人は金のカモと考えるような国での一人旅行の危険性を改めて感じました。






2009-10-07

ジャカルタ旅行記二日目その2【いつ開くんですか??】

9月22日。9時にホテルを出発し、カーレースのような中をモーターサイクルですり抜け、無事にショッピングモールに到着しました。現在9時30分前。店が開くには少し早すぎたと思い、ショッピングモールの前を散策しようかなと考えていると、普通に人が建物に入って行くじゃないですか。こんなに早くに開店しているなら中に入ってしまおう!!!お姉さんが地下に下って建物に入っていくので、それに習って着いて行くことに。

シャッターひとつも開いてねぇッ!!!

どうした、どうした??この建物全部が模様替え中か??しかしお客さんが数人椅子に座って開店を待っているということは、もう少しで開店すると判断していいのでは…それから二時間半、ようやく全てが開店しました…10時頃になると1フロアで2、3店舗が開店しますが、それ以外はまるでシャッター商店街。そんなこともおかまいなくお客さん達は買い物を始めます。それが当たり前のように、店が閉まっていても文句は言いません。

後々聞いた話ですと、インドネシアではこの頃は丁度お盆。みんな実家に戻り、店があまり開かないそうです。タイミングが悪すぎたみたいです…

ショッピングモールは建物に寄って中の雰囲気が全然異なります。初めて行ったショッピングモールは内装がきれいでゆとりがある配置になっていました。親が買い物している間に子供を預けて遊ばせる場所も2フロアにひとつ位あり、現代的思考だなって感じました。二つ目に行ったショッピングモールは人の群れしか見えません。水族館で見た回遊魚が群れて同一方向に動いている光景を思い出さしました。店の配置も入り組んでおり、サンダルや鞄など売り物がざっくばらんに並んでいました。人も店も無秩序状態です。

靴で歩くことが暑すぎるのでサンダルと服を買ってそのまま帰宅。帰りはタクシーで帰り、ホテルに無事到着しました。荷物を置いて夕飯を屋台で食べてホテル周辺を散策しました。ホテル周辺は少しお金持ちの人達の住宅街ですが、屋台も少々あり散歩や自転車で遊ぶ子供たちがたくさんいました。ヤシの実の並木通りや屋台から声をかけてくる人達の笑顔が新鮮かつ心地よかったです。




2009-10-06

尻屋民俗調査2日目〜尻屋の自然との触れ合い〜


遅ればせながら、青森県尻屋での民俗調査(9/10〜13)について1日目のJョンから引き継ぎ、書かせてもらいます。
2日目担当の村です。
 
2日目は7時半に朝食を食べ、8時半に民宿出発。
港の船小屋を見せてもらえるとのことで車を走らせると、もう少しで海が見える・・・という所で大量の軽トラが渋滞を作っていました。
乗っていたのは地元の方々で、車を降りて話を聞いてみると、その先にゲートがあり、8時40分に開かれるとのこと。
話を聞いているうちにゲートが開き、軽トラは海岸沿いを走って、今度は波打ち際ぎりぎりに10台ほどが駐車の列を作りました。
波打ち際約3mには山のように昆布が打ち寄せられ、地元の人々はそれを数十枚ごとに紐で括って軽トラに乗せていました。
大人数で目の回るようなスピードで昆布をまとめていく様はさすがでした。

そしてそれを1時間ほど見学させていただいた後、本来の目的の船小屋へ。
残念ながらもうほとんど残っておらず、6軒の倉庫しかなかったのですが、そこで森本先生から集落図の書き方について教えていただきました。(ありがとうございました!)

そしてそのあとは尻屋埼へ。
風が強く、端は断崖、隆起の激しい草原のような場所で、秋田出身の私は男鹿の入道崎を思い出しました。
尻屋埼灯台は日本の灯台50選に選ばれてるらしいです。

民宿への帰り道、なんと寒立馬の大群に遭遇!
堂々と車道で休んでいらっしゃいました。
やはり競走馬ではないのでなんとも丸っこい体型で愛らしかったです。
ここで電池切れにより撮影叶わず・・・・。

昼食を食べて午後からはいよいよ集落地図。
歴産は1年2年1人ずつで2人組4グループに分かれ、もう1人の1年は個人での行動に。
4ブロックに分け1グループ約12軒を担当し調査しました。
私の担当ブロックは大通りから山側の方で、畑などはまったく見られず、むしろ昆布を干すスペースがとても広かったです。家かと思ってよく見ると、実は倉庫や昆布干場だったという事も当たり前で、集落地図を取る際はとても苦労しました。
5時半で一端作業を終え、続きは次の日に。
いろんなものを見たり聞いたりした充実した1日でした。
それでは3日目の人にバトンタッチ!


2009-10-06

ジャカルタ旅行記二日目その1【いつ睡眠とるんですか??】

9月22日。昨晩遅くに到着したので、今日は昼頃まで休息を取り、午後から周辺散策でジャカルタに慣れる予定…だった。

午前4時頃。(眠くてよくわからない)自分の安眠がいきなり妨げられた。何か遠くから変な話し声がする…カーテンを開けてもここは7階、外もまだ暗い。隣の部屋からも声は聞こえない…いきなり出たかッ!!!(幽霊の類いが…)窓を開けて新鮮な空気を吸って寝直そうとした時、その話し声が大きくなった。

コーランだったか…

それから毎日コーランが目覚ましになることをまだ予測してませんでした。

二度寝をしてからホテルの朝食を食べに行きました。欧米風だったらつまらないな、と思いながらロビーに到着するとスパイスの良い香りが…晩飯抜きだったせいもあり、香りだけで心躍りながら席に着く事に。しかし、そんなウキウキ気分もつかの間。インドネシア語も話せない自分に気づき、誰かに何か話された時の対処法を考えていなかったのです。朝食はビュッフェスタイルで恐る恐るお皿を取りながら、食べ物を選ぶ事に。しかし、インドネシアではどのように盛りつけるのが当たり前なのかわからないので、キョロキョロ周囲を伺いながらのぎこちないお客さんになってしまいました。

朝食はナスィゴレンを中心に野菜の炒め物、肉じゃがのようなもの、スイカ、ピンクグレープジュースでした。ナスィゴレンは辛いチャーハンに卵が乗ってロコモコ風になったようなものです。一口食べるとスパイスの香りと辛みの中の甘みが口の中に広がって、食欲をそそってくる味です。調子に乗ってガツガツ食べていたらチリの辛さがだんだん強くなってくるので、そこでおかずが登場!!!おかずは辛いものもありますが、自分でチリソースをかけなければむしろ日本料理に近い味が多いです。ナスィゴレンとおかず、スイカを交互に食べてお腹も心も満腹に…部屋に帰ると胃腸が休まるまで動けませんでした。

9時にホテルを出発し、一番近いショッピングモールに行く事にしました。目的は今後着る服を入手すること。服を日本から持って行くと鞄が重たく、現地で買うとかなり安いこともあったので、服を持ってきませんでした。明日着る服ない…そう思いながら急いで買いに行くことに。

ここでまた問題…移動手段を何にするか、ということです。タクシー、モーターサイクル、バイジャイの三択。極貧旅行なので、値段安いモーターサイクルに乗せてもらうことにしました。モーターサイクルと言っても、ただバイクの二人乗りをするだけのこと。「ポリスがいるから一応ヘルメットかぶってくれよ」と言われ、ヘルメットを装着。夜遅くに到着した自分に取って初めて見る日中のジャカルタ…どんな風景が広がっているんだろう…

車とモーターサイクルとバイジャイのせめぎ合いです…

道路は少し広い一車線。その中を我が先にとカーレースを繰り広げる乗り物。モーターサイクルには5人乗ってるのが当たり前。人数制限は乗れるだけということでしょうか??道端には屋台(ワルン)やインドネシアのイメージっぽい建物が建ち並び、たまにHONDAやTOYOTA、パナソニック、日本でよく知られるメーカーの看板がちょくちょく顔を見せます。なんだか不思議な気分にさせられました。






2009-10-05

秋といえば・・・・


秋といえば・・・・
そう「狩り」と「木の実」の季節です。

演習室がにぎやかになってきました。

シカの中手骨で骨角器を作る学生、コナラやミズナラのどんぐりを拾ってあく抜きをする学生、土鍋調理にいそしむ学生。

部屋のなかでは獣とナッツの入り混じったにおいが漂っています。




手前ではどんぐりの皮むき、奥ではあく抜きしたドングリをつぶし、ゆでたクリと混ぜています。

どんぐりの皮むきはタイで買ってきた木製クロック。なかなか優れものです。

2009-10-04

火と仲良しになろう!


秋晴れの下、チュートリの野焼きをしました。
今日はハレの1年生デビューの日です。3年生の指導をうけ、開放型と覆い型の2種類を経験しました。覆い型はワラのみで被覆材なし。タイで勉強した方式を試してみました。
どちらもうまく焼けて上出来でした。目的だった野焼き時の操作や熱放散の違いを体験し、それぞれ焼成痕跡の違いも観察しました。

今日はカミとあべちゃんがタイで買ってきたトムヤム・セットで料理を作りました。スープやナンプラー・麺も仕入れてきたので本格的です。これからもおいしい土鍋料理をお願いします。

そのほか、縄文土器の胴下部コゲを理解するための実験を行いました。そのとき、学生から鋭い指摘!わざと焦がすんじゃないの・・・。これは何度も何度も土器調理したからこその考え。逆転の発想です。その真偽はさておいて、自分たちの日常や経験に縛られない柔軟な発想で、うれしくなりました。




もみぎりで火おこしをしました。文献ゼミのS君が朝からかけつけ、手にまめを作って奮闘。火種作りはマスターしました。しかし杉皮への着火がいまいち。火おこし塾の卒業はまだ先です。
日本画の番場先生、さすがです。あっという間でした。
散歩に通る人も随時体験。近所の親子も一緒に。お父さんが娘の前でいい所を見せようとがんばっていました。気持ちよくわかります。

2009-10-01

ジャカルタ旅行記【安全ってなんですか??】

9月21日、朝。
日本に飽きた自分はジャカルタに旅立ちました。日本に飽きたというよりも、日常に新鮮さを感じることができずにいました。と、いうことで海外に飛び出すことに…以前、ロシアと中国を派遣団として訪問したことはありますが、単身での海外は今回が初めてです。正直、ジャカルタがインドネシアであることも危険地帯であることも知りませんでした。昨晩、空港の近くのホテルに宿泊した時に「海外安全ホームページ見てないでしょ??」と言われ、確認するとインドネシア全体が危険地帯だった…テロや殺人、デモ、スリの情報が載せられていました。正直、「あ…こりゃまじヤベェな…」と自分の浅はかさを恨んだものです。

そうは言っても、飛行機に乗ればついてしまうもの。香港で鳥がエンジンに突っ込む以外は何事もなくジャカルタに到着。香港で飛行機を待っている間に坦々麺を食べましたが、何故かアーモンドがのっている…食べてみると辛くなく、アーモンドの香りのせいでむしろ甘く感じました。濃いめの味が好きな自分はラー油で無理矢理味をつけることに。それを見ていた先ほど仲良くなったインドネシアの友達は、「Ako!!!ソレハ、カラスギルヨッ」と有り得ないような顔をしていました。自分はまだ物足りませんでしたが…

ジャカルタに到着し、友達に心配されつつ別れました。空港からホテルに向かおうと外に出た瞬間、見覚えのある文字がッ!!!!

HoKa HoKa Bento

後に聞いた話によると、ほか弁、すき焼き、寿司は好物な人が多いそうです。日本の手が忍び寄っていることを知りました。

ホテルに着くと、まず荷物を置いて水と食料を買い出しに行くことに。ホテルはジャカルタ北部にあり、中心地から離れているからなのか英語がほとんど通じません…片言のインドネシア語(行きの飛行機の中で覚えただけ)とボディランゲージでなんとかするしかないッ!!!!恐る恐る暗い街の中を通り屋台(インドネシアでは『ワルン』)に行き、とりあえず水を買うことに。

イニ サトゥ OK??  コレ 1 OK??

値段言われてももちろんわかりません。野帳に書いてもらうことに…ケチ臭い自分はそこで値段交渉。100rpまけてもらいました。日本で10円です…食べ物は買おうと思いましたが、これ以上夜に出歩くのが怖かったので止めました。飛行機の機内食でそれほどお腹も減っていなかったし、朝食はホテルでタダなので思いっきり食べれることもあったので。

そうしてジャカルタ初日は夜の2時、日本時間にして4時に終了しました。朝っぱらからの移動で疲れているのに、時差のおかげで睡眠時間が減ってしまっていることに気付きました。なんだか損をした気分です…

明日からまたこのジャカルタ旅行記の続きをアップしていくので、見てください。








2009-09-22

飛島の発掘調査

どうも、W・Tです。久しぶりのブログ更新です。

9月12日〜20日に、飛島の調査に行ってきました。
飛島は民俗の方でも調査を行っていますが、我ら福田ゼミは考古ゼミ。
調査というのは、もちろん発掘調査です。

で、どのようなコトをしてきたかというと…
飛島では、過去に道路を作る為に発掘調査が行われ、「蕨山遺跡(わらびやまいせき)」という、遺跡が見つかっています。縄文時代の中期で、今からだいたい5000年前の遺跡です。蕨山遺跡の調査はほとんど行われていない状態なので、遺跡全体の広がりもあまり分かっていません。
この貴重な遺跡を、本大学で調査させていただくこととなりました。

そして今回、その蕨山遺跡を発掘してきました。発掘といっても「試掘」調査です。今後どのように調査を進めていくか、目安となります。適当に掘るということは、絶対に許されません。基準となる杭を何本か打って、それを元に3箇所に試掘孔(テストピット)を開けていきます。どれも2メートル以下の小さなものです。
しかし、先生の予想は当たるものです。この範囲で見事、捨て場のような遺構を発見することができました。遺跡の広がりを把握する為の、とても重要な情報です。

遺物は土器の破片、石鏃(石の矢じり)、石垂(石の重り)、などが出土しました。石器を作る際に出るチップとフレークはかなりの量です。

今回の調査はここまで。来年もまた掘れるように、ビニールシートで保護しながら埋め戻してきました。
あっという間の9日間でした。

今回の調査が無事成功したのは、飛島の方々に限らず、多くの協力があってからこそ。
皆さん、どうもありがとうございました。

(詳細は、遺物や図面の整理をしながらUPしていきます。)
by.W・T


2009-09-19

秋山郷軍団に告ぐ!!!

あこさんから9月14日〜17日に秋山郷に調査に行った一年生諸君に告ぐ!!!

調査から帰ってきたので、現地で完成させた集落図をデータ化するまでの作業をします。それについてなのですが、各自図書館二階にある東北文化研究センターの会議室に集落図のコピーを取りにきてください。会議室の分かるところに置いておきますので、取った人は紙に自分の名前を書いてください。
そして!!!初めての調査の初々しいブログをアップして欲しいのだッ コピーのところにあこさんの連絡先を書いておくので、各自メアドと電話番号をあこさんに返信してくれいじー。それからまた指示を出します。

みんな、よろしくッ!!! あ、あとこれ見た人は他の人にも連絡してくれいじー。

2009-09-18

タイから帰りました


日程 9月9日(水)〜17日(木)8泊9日

考古ゼミの3年生、院生に、1、2年の各1名を加え総勢8名が参加しました。左から、アンジー、かみ、あべちゃん、ぐみ、りえちゃん、たっちゃん、おこげ、ひろ。

タイではお互いをニックネーム(生まれた時に登録します)で呼び合います。本名はめったに使いません。大学の先生は、ファミリーネームを知らない学生が多いと言ってました。われわれも自己紹介ではニックネームを言うことにしました。

目的地はタイの東北部(イサーン)です。
イサーンはタイで最も貧しいといわれる地域です。高原地帯で水が少なく灌漑が未整備、土地に塩分を含むため地下水の利用が難しく、農作物の収量が低い、稲作は雨季のみの1期作。民族、言語、歴史、生業、料理など、いずれをとってもタイ中部や北部と違う独特の文化をもっています。ラオスやカンボジアとの共通点も多くみられます。研修の目的は3つあります。

第1は、フィールドで民族考古学の調査を体験することでした。伝統的な土器作り村をたずね、自然や生業、社会と土器つくり技術との関係を把握すること、技術変容の現場を観察し、なぜ技術が移り変わっていくのかを多面的に理解すること。このような調査によって、考古学が対象とする過去の現象を解釈するモデルを作ることが目的です。今回は短い時間でしたから、実際に村の中を歩き、ポターの女性から話を聞くことでその方法や意義が理解できれば十分です。村の人の豊かなくらしに触れ、自らが失ってしまった大切なもの、いくつ見つけることができたでしょうか。
突然の情報でようやく探し当てた村、86歳の現役ポターに話を聞けました。道すがら飛び込んだ村でゴザ織りをみたり、おいしい果物を貰ったり、予想外の展開があるのも民族調査の楽しみのひとつです。土地の人とまれびとの出会い、双方にとって何かが生まれる瞬間です。その心のざわめきを大事に育みましょう。

第2は、世界文化遺産となっているタイの代表的な遺跡をみて、歴史や文化を学ぶことです。タイは仏教国(上座部仏教で修行やお布施が盛ん)であり、王室を尊ぶことは世界的にも有名です。現王朝につながるアユタヤ遺跡はタイ人たちがアイデンティティーを寄せる所です。一方、イサーンにはかつて領土だったクメール王朝(カンボジア・アンコール遺跡群)の遺跡が点在しています。国境にある世界遺産カオ・プラ・ヴィハーンは残念ながら紛争地であるため避け、パノム・ルンやムアン・タム、ピマーイを見学することにしました。アユタヤもクメールの遺跡もともに寺院が中心ですが、材料やデザインの違いは顕著です。イサーンの人々はクメール遺跡にどんな思いを寄せるのでしょうか。

第3は、同じ世代のアジアの大学生と交流し、彼らの生の姿や考えに触れることです。今回はマハサラカム大学人文社会科学部タイ・東洋語学科にお邪魔しました。日本語専攻のナム先生と湯藤先生にお世話になりました。ここにはイサーン文化芸術研究所という、芸工大の東北文化研究センターのような場所があります。イサーンの伝統文化の研究とその振興に努めています。所長さんはナム先生のお父さんです。午前中3時間の授業に参加させてもらい、我々は山形の、芸工大の生活を紹介し、その後、ナム先生の授業に参加しました。短い時間でしたが学生たちはお互いの趣味の話で盛り上がっていました。

 この旅行の期間中、学生たちの心に「何か」が芽生えつつありました。それが何なのか、私にはよくわかりません。まだ漠としたものかもしれません。異文化の地で、これまでみせなかったような好奇心と積極性。自然や人や暮らしや食への関心、それらの関係性へと眼差しが広がっていく・・・。他者を知ることで自己を知る。驚くこと、気づくこと、知りたいと思うこと。タイの人々の優しさに包まれながら、刺激に満ちた体験をしたことで、彼女らに眠っていた能力が目覚めはじめたようにみえました。このリアルな体験で得たことを、自らの脳にどう刻んでいくのか。一緒に語り合い、考えながらかけがえのないものにしていきましょう。




旅行日程

9月 9日(水)山形→東北道・常磐道→市川市(市川市泊)
9月10日(木)成田空港→スワンナプーム空港、王宮周辺散策(バンコク泊)
9月11日(金)アユタヤ遺跡(コラート泊)
9月12日(土)パノム・ルン遺跡、ムアン・タム遺跡(コラート泊)
9月13日(日)ダーン・クウィアン村の陶器作り、ピマーイ遺跡(マハサラカム泊)
9月14日(月)モー村の土器作り(マハサラカム泊)
9月15日(火)マハサラカム大学訪問、モー村(マハサラカム泊)
9月16日(水)マハサラカム市内散策、コラート・タラー村土器作り、スワンナプーム空港(機中泊)
9月17日(木)成田空港→東関東道・鹿島神宮→常磐道・東北道→山形


安くてうまいものばかり。。。。だったなぁ
夕食はタイ料理中心、昼食にイサーン料理を食べました。

思い出すと口が中が潤う夕食編





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