私はこの町に住んでいる。駅の向こう側に本屋があり、こちら側にも本屋がある。品揃えが少し違う、というかプッシュしている本の違いなのか、目につくものが違うので、どちらにも足を運ぶ。図書館もあるため、書籍という情報のフローと集積が同時に行われていく。半径数百メートルの世界である。雑貨屋もいくつかあり、よくわからないものも並んでいるし、レンタルショップは2軒ある。昔はパチンコ屋がいくつかあったのだが、もうパチンコをする若者もおらず、次々と閉店している。跡地にはコンビニが入った。東京の町は駅を中心に形成されており、その中である程度は完結できるようになっているが、時たま隣駅まで10分ほどかけて歩いて行ってみる。古本屋があり、品揃えがそろそろ変わったかなと思うと足を運んでみる。コーヒー屋は何軒あるのかわからない。
それでも移り変わりが激しいのが東京で、大学の仕事で1か月ほど開けてしまうと、店がかわっていたりする。ペットショップになったり、からあげ専門店になったり、弁当屋になったり、ラーメン屋になったり、またコーヒーショップだったりする。開店して数か月のパン屋が情報誌に「地元の人が愛するパン屋!」のように書かれているのは、さすがに苦笑するしかない。でも、時々行くから嫌いではない。好きなのかはわからないけれども。この町を舞台にした作品が山うたの『兎が二匹』である。
コンテンツツーリズムという概念がある。様々な形態の物語が人を動かし、特定の場所に足を向く観光的現象のことを指し示す。漫画やアニメ、ゲーム、小説、映画、歌など多くの物語が人々を動かしていく。その舞台となった場所を見たいという受容者の気持ちが、そして行動が一つの現象として概念化されていくわけである。それぞれ媒体としてのメディアが違うので、アニメと前近代の歌枕を直接的に繋げることの難しさはあるとは思っているが、古くは和歌から最近のアニメに至るまで多くのコンテンツツーリズムが存在していることは間違いない。なお、入門書としては岡本健編『コンテンツツーリズム研究』(福村出版、2015年)がおすすめである。何せ、私も3項目を執筆しているのだ。
観光的現象は様々な研究アプローチが可能であろう。経済効果であったり、社会的構造を解き明かしたり、歴史的経緯や地理的環境を考えたりと思いついたことを書き連ねるだけでも、多様性を帯びた概念であることがわかる。そして、これらは舞台となった土地を中心として重層性と複数性が同居していることを示唆しているわけだが、土地だけではなく訪れる人々の認識も同様ではないだろうか。さらには土地と人との間も、一面的ではない。ということを自ら住む町を舞台にした作品『兎が二匹』を読んだときに、つらつらと考えていた。
とはいえ、この感覚は個人性に結びついており、作品に対する評価とは別の話である。すでに描かれていた一つの短編を元に連載されたと後書きのような場所にある「作品解説」に書かれている。恐らくは第一話がその短編であろう。そして、その一話で物語が決してしまい、2話以降は回想へと至る。物語の進め方が非常に難しい中で、2巻全9話という短い物語をいかに終わらせるかに苦慮した(のかもしれない)この作品は称賛すべきかもしれない。そして死という絶望の中で、希望と、その希望すら絶望を伴うかもしれないラストは見事であった。
さて舞台性とはあまり関係のない『文芸ラジオ』2号は引き続き発売中である。ぜひお買い求めいただきたい。以上、池上彰の選挙番組を見ながらのブログ更新であった。
BGM:センチメンタル・バス「アヒル」