歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-07-28

2014年度 歴史遺産学科卒業論文中間・口頭発表会

7月30日(水)に2014年度歴史遺産学科卒業論文中間発表会および口頭研究発表会を行います。
歴史遺産学科の学生はぜひ聞きにきてくださいね。

4年生のみなさん、先生たちに意見を頂ける貴重な場です。自信を持って発表してください。
また、ちょっとした一言が研究に足りなかったものや新たな視点に気づくきっかけになることも多々あります。
他の人の発表もしっかり聞き、何か思ったことがあれば積極的に意見・質問をしましょう。

3年生のみなさん、会場の設営や進行のお手伝いをよろしくお願いします。

 

◆2014年度 歴史遺産学科卒業論文中間発表会 および 口頭研究発表会

 

とき 7月30日(水)12:30~
場所 407講義室
発表予定者 中間発表者27名、口頭発表者1名

 

※別日発表
とき 7月28日(月)17:10~
場所 405演習室
発表予定者 中間発表者1名

 

 

◇◇発表タイトルとタイムスケジュール◇◇

 

◆中間発表会
12:30~ 
<考古学専攻 長井ゼミ>
「山形県内における河童形土偶の変遷について」
「米代川流域、米沢盆地、信濃川流域間における三脚石器の伝播について」
「日向洞窟遺跡西地区における縄文時代草創期の被熱と原礫面の分布 ―剥片資料の分析から―」
「縄文時代における釣針のチモト部の形式変化について ―仙台湾周辺の遺跡間の関係を探る―」

<考古学専攻 北野ゼミ>
「ガラス玉の研究 ―東北地方南部を中心に―」
「縄文時代の骨角製釣針の一製作技法 ―大畑貝塚出土釣針を中心として―」

13:40~
<文献史学専攻 佐藤ゼミ>
「災害から発生した争論 ~山形市の瀧山川、馬見ヶ崎川、須川を中心に~(仮)」
「上杉家の正月行事(仮)」
「慈恩寺の行事から見る院の関係」

<文献史学専攻 竹原ゼミ>
「近世後期羽州村山郡における承認荷脇道駄送」
「『有珠郡移住開拓史要』から見る亘理伊達家の移住計画」
「明治期秋田県内における武術教育奨励」

15:20~
<民俗・人類学専攻 謝ゼミ>
「屋号の所在 ―山形県米沢市大字関地区を事例として―」
「風刺画から見る幕末~日露戦争期の日本 ―「パンチ」のステレオタイプの変遷―」
「箸をめぐる思考」
「さくらんぼ栽培の文化史的研究 ―山形県東根市を事例に―」
「神楽の現状と保存 ―宮城県亘理町の牛袋法印神楽を例に―」
「北国が育んだ刺し子技法 ―津軽の大地からこぎん刺しを語る―」
「なぜ人肉を食べるのか? ―近代日本におけるカニバリズムに関する1考察―」
「信仰と観光に見る志津温泉街の役割 ―来山者と地元民の意識―(仮)」

16:50~
<民俗・人類学専攻 田口ゼミ>
「生命の認識 ―仙台市の小学校の兎飼育を通して―(仮)」
「「マタギ道考」と技術伝播の可能性 ―御所山~甑岳を想定して―」
「鉄道の枕木から見る森林利用 ~戦後における国鉄の枕木の調達などを中心として~」
「社家における継承問題 ~山形県山形市の事例~」
「害獣という認識の発生経過 ―東根市東郷上野台地区および東根市役所を中心として―」
「山形県山辺町作谷沢地区における入会林とその変遷(仮)」
「現在、日系人が日本に求めるもの ~リーマンショック後に見る若い南米日系人の日本への就職と留学~」

◆口頭研究発表会
18:10~
<民俗学専攻 謝ゼミ>
「番楽における鬼面の役割 ―秋田県由利本荘市を事例として―」

◆中間発表 別日

<考古学専攻 北野ゼミ>

「山形盆地における古墳時代前期土師器による炊飯方法 ―服部遺跡・藤治屋敷遺跡を対象に―(仮)」
「御出遺跡出土木柱からみる低湿地においての樹種の選択性」

2014-07-26

たかはた石工サミットのご案内

たかはた石切山祭り 13:00~18:30

 第1部 石工サミット(主催:東北芸術工科大学)

  石切山コンサート 公演:高畠高校吹奏楽部ほか

 第2部 芋煮会(主催:安久津ニ井宿観光振興会)

 

駐車場あり、小雨決行。

各地から伝統技術をもった石工さんが集まります!

石切山に響く高校生の演奏と地元フォークソングクラブの皆さんの歌声もお楽しみください。

 

 

 

 

2014-07-14

【考古学応用演習1】日向洞窟発掘調査に向けて ― 考古学と地形学



今年も発掘の時期になってきた。士気も高まり、準備も着々と進んでいるところだ。2年生の応用演習も発掘の実際に則した内容になってきている。今回は、その応用演習の一環として、岩手県立大学の菊池強一先生にお越しいただき、クリノメーターを用いた測量や考古学と地形学との関わり等についてご教授頂いた。2年生の講義であるが、発掘に参加する上級生も参加し、お互いに教えあいながらの講義となった。菊池先生には昨年もお越しいただいていており、その時の記事はこちらより閲覧できる。

 

考古学と地形学というとあまり結びつきがないと思われるかもしれないが、遺跡としてトータルで捉えるときに地形学や堆積学的な情報は極めて重要である。菊池先生は、「石器も堆積物のひとつ」と仰っており、私達は普段、石器や土器を単体で特別な視点から見てしまうが、堆積物の一部と捉えることでまた違った側面が浮かび上がってくる。

発掘という行為は、一度行ってしまえば元に戻すことは出来ない。そのために、図や写真などできちんと記録として残すことが重要となる。特に、考古学に於いては位置情報が重要な意味を持つ。位置情報の記録については、遣り方測量や光波、トータルステーションによって3次元的な遺物の位置情報の獲得が行われてきた。

今回学んだ産状計測は、さらにそこに傾きという位置情報を加える手段である。クリノメーターを用いた測量は、地学の分野ではよく行われており、走向と傾斜を測るものである。この情報が加わることで、当時の地表面であったり、遺跡の立地環境についてさらに検討を深めることができる。

 

先生は、ただ単に機材の使い方を教えて下さるだけでなく、その機械の原理であったり、なぜその計測が必要なのかを丁寧に説明して下さった。最初は正直どうしていいのかよく分からない講義だったが、時間が経つにつれ、点と線がつながる、理解が深まる講義だった。今回は、台風の影響で室内での演習だったので、今度晴れた日に先輩や後輩と外に出かけて、理解をさらに深めたいと思う。

 

2014-07-07

高畠まちあるき 6月29日

6月29日に、毎月恒例となった高畠町での調査が行われた。今回の調査では前回の鳥居の補足調査だけでなく、建築の実測という新たな試みを行う。

前日の天気予報は雨と予想されており当日の天気が不安であったが、集合した時点では雨は止んでいた(雲行きは怪しかったが…)。このまま雨が降らないことを祈りつつ、現地へ向かう。

 

私たちの班の担当は、鳥居の補足調査である。自身も石を扱う仕事をしているH氏の手助けによって、聞き書きなどをどんどん進めた。私が興味深かったのは一つの鳥居(神社)に複数の名称があったケースである。

たとえば竹森にある稲荷神社である。この場所を地域の人は「お稲荷様」と呼んでいるのだが、土地の持ち主であるT家は「荒神様」と呼んでいるのである。一つの神社の呼び名が人によって異なるということはこれまでの調査でも何件か発生しており、北野先生の見解ではどの呼び方も間違いでないのでは、ということであった。人々が各地の神を一つの地に集める例はよくあるのだが、これもまたその例の一つかもしれないということである。こういった「複数の神が一箇所に集められている」場所では、信仰方法も一つの神が祀られている神社と変わるのかどうか、興味深いところである。

今回の調査で補うことができなかった部分は、次回以降に持ち越しである。完成を目指して頑張ろう!

 

また、今回石番小屋(嘉永5年製)という石造物に刻まれた人名の拓本を取り、読み解く作業を行った。

大学の授業や課外活動では、土器や瓦の拓本しか取ったことがなかったので、石造物の拓本取りはとても苦労した。作業中雨が降っていたため紙や用具を濡らさないように注意した。文字として読むことができない物や雨で濡れてしまい滲んでしまったものなど失敗作も多くできたが無事完成することができた。

大学に戻り、パソコンを用いて文字を読み解いていき、すべてを解読することができた。

今後また拓本取りの作業があれば、墨をただ押し当てて文字を写すのではなく、文字の凹凸を理解しそれに合わせ作業を行い、壁面の風化や損傷といったことを言い訳にせずに拓本を完成させたい。

 

今回計測を行った石造ポンプ小屋。拓本を採った壁面

読みやすい文字には地元の人によって白色が入れられているが他にもたくさん文字がある

 

調査を行った大笹生の石番小屋(嘉永5年)

http://blogs.yahoo.co.jp/kazuo_furukawa19/10434581.html

 

2014-07-06

親子体験授業 石器作りをしよう!

 山形県立博物館と歴史遺産学科の連携講座として前回の縄文土器作り講座に続き、今回は長井謙治先生が講師となって小学生に石器作りをレクチャーした。タイトルは「大昔の石器を作ろう」である。人類の進化と石器のあれこれについてお話があり、その後に石の割れについて説明があった。先週作った縄文土器も野焼きした。

 土器作りを行った25名の小学生と保護者が前回に引き続き参加し石器づくりに挑戦した。まず直接打撃を行って果物の切れ味を体験した。それから先生に加え、考古学ゼミの学生5人も加わり、押圧剥離を用いた石鏃づくりに挑戦した。参加した学生のうち3人は、昨年、長井先生と共に韓国で石器製作を子どもたちに教えた経験があり、その時の経験を活かして子どもたちと接した。

 最初は苦戦していた子どもたちであったが、後半はみんなコツを掴んでいたようだった。なかには、大学生顔負けの石鏃を作った子もいた。

 小学生の積極さと器用さに驚かされた一日となった。

 

 

2014-07-04

石鳥居の解体修理ー組立

 

昨日の解体の終盤に左柱を引き上げると、台石の底にぽっかり穴が開いていた。はて?

 

今日は朝から沈下した左の台石を引き上げ、基礎を固め、柱を再設置して組立が始まった。江戸期の根固めには川砂利(円礫)が使われていた。

行き交う村の人々が興味深そうにのぞいていく。そして、神社や祭り、鳥居にまつわる話をかわるがわる聞かせてくれる。

あまりにも当たり前の風景だが、こうやって修理する現場をみることでそれぞれの思い出がよみがえる。

 

今日、右の柱を引き上げると台石の柱穴の底にも小さな穴が開いていた。単純に考えると水抜きなのだが、どうなんだろう?

 

夕方になってなんとか笠木・島木がのった。

 

ミニユンボ、カニクレーン、ユニック、チェーンブロック、レーザー付き水平器、・・・土木、建築、測量、石工・・・ひとりの職人が仕事の領域を無視したように手際よく作業をこなしていく。単能化していく現代の技術者をあざ笑うかのようにわずか2日間で解体修理をやってのける。

それだけではない。変形した構造物は組み直すと「くるい」が出やすい。これを石造物の場合、安直に削り直すなどの再加工すれば比較的簡単におさめることができる。

しかし、文化遺産に理解のある「伝統職人」はそんなことはしない。先人の作ったものを、当時の職人の思いとともに残し、伝えるというスピリッツが根付いているように思えた。

 

学生たちは何を感じただろうか・・・・もくもくと作業する職人が伝えたかったメッセージはなんだったんだろうか。

 

2014-07-03

石鳥居の解体修理を記録する

朝一に出かけ、高畠町にある石鳥居の解体修理作業の様子を記録した。石の会会長が一人で全作業を行う。見事というほかない。

経年変化と震災で変形した石鳥居を8月のお祭の前に直してくれと依頼があった。地元の方も見守るなか、手際良く一つ一つの部材がはずされていく。寛政6年製の石鳥居で210年前のものだ。70歳すぎのおじいさんは、子供の頃鳥居の笠木の上に登って遊んだ話を聞かせてくれた。

 

以前、会長の父親から機械以前の鳥居の建て方を教えてもらった。現代はカニクレーンやチェーンブロックなど便利なものがある。道具等は変わったが基本的な工程はほとんど変わらない。職人さんの細かな石扱いや細部の見極め・判断は伝統技術そのものだった。

さらに驚いたのは、会長曰く「俺、鳥居解体するのは初めてだ」と。

 

左の柱が沈下。右が内側に転ぶと同時に、奥に大きく傾いている。

解体前の鳥居

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