歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-08-30

伊豆半島をあるく(番外編)

8月17日

 

沼津御用邸内にある沼津市歴史民俗資料館を訪ね、石工道具の実測を行う。館長さん、市教委の方。たくさんの資料を用意して待ってくれていた。伊豆石の歴史や民俗についてレクチャーを受ける。別のお客さんの対応がある間、沼津魚市場で「海鮮丼」「沼津丼」を食べ、石切丁場めぐりをする。ざっとまわって石切場の景観を頭に入れる。

 

市内南部の海岸沿いにある多比石切り場。近所のおばさん曰く。ここへきて40年余り、近所に石切やった人がいるとは聞かないわ。石切り場は子供の遊び場だったよ。5年ほど前から立ち入り禁止になったけど。ここの石は軟らかいので、切った石は船に積んで東京湾の埋め立てにもっていったそうよ。

 

内陸の大平地区の石切り場をあるく。道端で腰を下ろし井戸端会議に花咲かすおばあちゃん集団にヒアリング。昔、石切り場の池(水たまり)で泳いだよ。あたしのおじいちゃんは石を切ってたけど、もうこの辺じゃ経験者はいないよと、80歳余りの女性。

 

別のお客さんが置いていった名刺をみてびっくり。某歴史民俗博物館のMさん。世間は狭い!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18日

もう一度大平地区に戻り石切丁場を歩く。民俗資料館にあった石工道具の寄贈者のお宅を訪ねる。

当主の方、中学校を卒業して親父の石切の手伝いをした。奥さんとともに自宅前にある石切場を案内してもらい当時の仕事ぶりを教えていただく。早くに途絶えてしまった伊豆石の貴重な話を聞くことができた。

山形県高畠町から伊豆石の石切に出稼ぎに行ったAさんやHさんが所属した東洋文化石材という会社を知っていると。

 

それから一路伊豆半島南端をめざす。

途中、昼食を食べ西海岸を南下する。恋人岬で思わず車を止める。恋人たちが岬まで鐘を鳴らしに集まってくる。そこに混じって場違いな集団。せっかくなので記念撮影。

しばし休息をして、南伊豆を目指す。

ところがここに忘れ物をした学生がいた。堂が島海岸まで行って気がつき、車を飛ばして戻る。恋人岬で忘れ物とは不吉な予感・・・・人生の忘れ物をしなければよいが。

ただ戻るのはもったいないので黄金崎で三島由紀夫碑と「馬」を見学。

伊豆半島西海岸から富士山が見えた。ここでは海でサンセットが見れる

 

 

 

 

18日

松崎町の室岩堂石切り場を見学。ここは見学用に整備されていた。石切場から海に下りる急坂に蟹の大群。海を臨む位置に石の集積場があり、そこから一気にスライダーの如く滑らせる。海際の岩礁には断面コの字形に削った石下ろし道のあとと舟溜まりの遺構があった。

 

本日の目的に南伊豆町を目指す途中に石部の棚田という看板。ハンドルを切って山の中にはいっていく。遠くに海を臨む斜面に忽然と棚田が現れた。地元の保存会の方々が除草作業中。オーナー制で維持しているそうだ。伊豆石のふるさとらしく石垣はもちろん、棚田を縫う道も石敷きだった。山形から来たというと、今年の棚田サミットは山形じゃないの?わしらも行くよ、と。毎年サミットに参加しているらしい。

 

 

 夕暮れ迫る中、南伊豆町立棒石の石切り丁場を探す。石の町らしくおしゃれな意匠の石積みやナマコ壁の家屋、石積み家屋が点在する。ようやく登り口を探し当て、当主の許可をもらって山に入る。ところがブッシュが背丈を越え、やむなく撤退。マムシがいるからおねえちゃん、その格好じゃあぶないよ!と注意される。

 

暗くなってから宿の民宿を目指す。夜8時前にようやく到着。早々に晩飯を食べて、夜の海へ。

南伊豆町弓ヶ浜。

海ではお決まりの花火。天の川がみえる素敵なビーチでさまざまな花火文字に挑戦。大量に買い込んだ花火はやってもやってもつきない。文字は徐々にレベルアップしていく。

翌朝、朝食前に海辺を散歩していると、早朝から小学生らしき集団が海で泳いでいた。♪そんな時代もああったね♪と懐かしくなる・・・・・

 19日

昨夕断念した立棒石の丁場、下田市教育委員会の増山さんが案内してくれることになり、朝から現地にむかう。狭い入り口の前に立つと中から冷気が。あたかも風穴のよう。頭にライトをつけて侵入すると、いきなり落盤だらけではいれないんじゃないの?

と思ったら、落盤した天井石の隙間に足を滑り込ませなんとかすり抜ける。中は迷路のよう。ひとりできたら絶対迷子になって出られない。石工が一人一人小部屋を作って作業したような操業形態。「タテボリ」の方法がよく分かる。

 

坑道をでてからは丁場の持ち主のおばあさん宅へ。石造りの民家・納屋・店(火事で木は消失)があり明治初期につくられたという。その向かいには大正期の建物。床下には応じの石切道具が保管されており調査する。とても親切にしていただく。

 

それから車を飛ばして下田市内へ。ここでは石造りの蔵や民家を調査。ペリー提督の銅像前でお決まりの記念撮影。それからペリーロードを歩き、ナマコ壁の建造物と縞模様の伊豆石(房州では桜目)の使い方を調査。

 

帰りは「天城越え」伊豆ジオパークの道の駅でわさびソフトを食べて三島駅までもどる。

計画がアバウトだったわりには、あまりにも収穫の多い旅だった。行く先々でたくさんの人、ものとの出会いがあった。偶然性に満ちていた。だから旅はおもしろしい。

ぜひ、この感覚を忘れないでほしい。若者よ!旅に出よう!

 

 

 

 

2014-08-30

第2回たかはた石工サミット、瓜割石切山祭り同時開催

 

往年の石工6名による座談会(瓜割山石切丁場)

 

 

何ともいえず楽しい一日だった。

 

 天気に恵まれ、予想を上回る人々が石切り場に集まってくれた。サミットには置賜地方の方々だけでなく、遠くは札幌、大阪、金沢から、福島、宮城など隣県と合わせて約100名の参加があった。

 

 日が傾いた特設舞台では高畠高校吹奏楽部の演奏、NURIギタークラブの演奏が石の壁に響き、地元のみなさんと演奏してくれた高校生、芸工大生らが入り混じって現場の大鍋で調理した芋煮に舌鼓をうった。芋煮会はチケット(芋煮、おにぎり2個、飲み物、漬物)が150枚売れる盛況だったという。

 

 伝統技術が伝えてきた自然利用の知と技、その教習システム。技能者がみせる身体能力。「本物」に触れた時に感じる心のざわめきと心地よい余韻。

 

 15年ぶり、50年ぶりといいながら、道具を手にしたとたん凛として身体に一本の筋が通る。みな、もう80歳になろうかという石工さんたちであるが、その姿は矍鑠としていて年齢を感じさせない。

 昨年に続き角石切りをやっていただいたHKさん。数日前にお会いした際に、矢で石が起きる瞬間ってどんな音がするんだろう、と呟いたら、翌朝5時から溝を一本掘ってくださり、サミット当日、矢打ちの実演と体験ができるようになった。今回はホッキリヅル等の道具作りやサミット全般の開催に尽力いただいた。

 角石切りに登場したATさん。1日2本切る「最速の石切」として高畠石のレジェンドといわれたパワーとテクニックは健在だった。50年ぶりに発破のツキタガネをもんだというFKさんとMHさん。たかだか3~4年しかやってないと言いながら身のこなしはさすがである。

 

  一本の雑木に乗せた石をウォータースライダーのように滑らせる「石落とし」。ゴォーと白煙をあげて滑るさまは迫力があった。Hさん親子の共演だった。昭和3年生まれのGHさん。

 最後の石切職人、ミスター瓜割。大正13年生まれのMHさん。長く瓜割界隈で間知割りをした。石を割っていた若いころの貴重な写真を提供してくださった。この二人は石工サミットに欠かせない職人さんである。

 この6名で行った座談会。わずか40分で終えざるを得なかったのが残念だった。一日中聞いていたい雰囲気だった。

千葉県からお母さんと一緒に来ていた小学生。サミットが終わってからもひたすら石を切っていた。大勢の観客の前で物おじせず、重いゲンノウで矢を打ち込む姿が印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

コンサートの演奏を終えた高校生にインタビューしてみた。石切り場で演奏してみてどう感じたか。石壁に囲まれた空間は音が反響し、演奏する者、聞く者に一体感を生み出す。石切り場は壁の縞模様が年輪のように時間の経過を感じさせる。そんな場所に幅広い世代の人々が集い、それぞれの思い出を語り合えるようなイベントになればいい。

 

 

 

実はこのサミットの舞台裏、かなり杜撰で主催者スタッフや石工さんとの打ち合わせがほとんどできなかった。ぶっつけ本番である。石工さんは阿吽の呼吸でこちらの意図を理解し、進行に協力してくださった。「職人」は段取りや周囲との協調など、普段から立ち振る舞いを現場で鍛えられているのだそうだ。いつも一歩先を考えて仕事をしている。ずいぶん助けられた。

 

 会の準備・運営にあたってくれた学生たち、当日飛び入りで応援してくれた郡山女子大の管野さん。御苦労さまでした。昨年に続き参加してくれた彫刻の院生たち。見事なノミさばきを見せてくれてありがとう。もっと皆さんとコラボする時間を用意できればよかったと後悔しています。アートを志す若者と伝統技術の出会い。何を感じてくれたでしょうか。

 

 学生スタッフは安久津二井宿観光振興会の役員のお宅に民泊させていただいた。たいそうなおもてなしを受けたそうだ。翌日、心地よい疲れを感じながら会場を撤収した。

 ささやかなイベントではあったが、石工さんが実演できる限り、話を聞ける限り、私たちはその価値を問い、土地の記憶、人の記憶を未来に引き継いでいきたい。

 

 最後になりますが、後援いただいた高畠町教育委員会、協力いただいた安久津二井宿観光振興会、高畠町石材工業組合、高畠石の会のみなさま、ありがとうございました。

 

 

※宇都宮市役所の井上さんが石工サミットの様子を紹介してくれています。

https://www.facebook.com/FacebookJapan#!/toshikuni.inoue.9/posts/427488784057059

2014-08-29

まちあるき伊豆へ行く

更新が遅れました…

 

静岡県は高畠と同じように凝灰岩(伊豆石)の産地として知られている。

そこで昨年度の大谷(栃木県)、金谷(千葉県)に引き続き

まちあるき番外編として8月の17日から19日にかけて静岡県へ行った。

 

伊豆の石切りは「半農半漁」ならぬ「半石半漁」

石切りを専業としている元締め以外

石屋と漁師は兼業であることがほとんどであったそうだ。

しかし石を切るよりも漁に出た方が稼ぎはいいので漁が始まると…

元締めも人員の確保には苦労していたことだろう。

 

また、石切り丁場跡も数か所見学した。

中でも印象に残ったのは最終日の洞窟探検である。

外は30℃を越えているというのに洞窟内は少し肌寒い。

壁にはツルの跡など石を掘った痕跡が残っているわけだが、

その痕跡が今まで見たどこの丁場よりも生々しく、今の今まで掘っていたような跡だった。

石切りが終わってから長い時がたってもこんなきれいに残るものなのか、と感動した。

伊豆の石切りは戦前にはもう衰退がはじまっており、東京オリンピックの頃にはほとんどやっている人はいなくなっていたそうだ…

そのため石切り当時のことを知るのはとても難しい。

石切りをしていた本人たちからお話を聞ける高畠の価値を再確認させられた。

 

 

 

 

夜は海辺で花火大会。

カメラのシャッタースピードを遅くするとこんなことも

 

調子に乗ってみる

 

 

 

 

 

2014-08-28

フィールドワーク演習2日目

827日(水)はフィールドワーク演習2日目でした。この日は午前に昨日に引き続き古文書撮影をおこない、午後からは山形市前田地区を散策しました。

 

午前の撮影では、三脚や撮影道具の準備もしっかりとできていて、撮影も昨日より丁寧におこなえていました。1年生の皆さんは若いので覚えが早いです。

午後からの前田村散策では、江戸時代と明治時代の絵図を片手に昔の景観と現在の景観を比較していきました。最初に訪れた熊野神社では、班ごとに石碑を調査し発表するということをおこないました。熊野神社には、石碑がいくつかあり、その中には「童女」と書かれた石碑や供養塔など様々ありました。そして、境内の中を絵図と比較することもしました。絵図には、大きな木が描かれており、それは現在のどの木に当たるのか…など絵図と比較することで熊野神社についての理解が深まりました。

その後、前田地区を散策しました。ここでは、絵図にも描かれている昔からの道を歩き、そこでは蔵のあるお宅や煙出しのあるお宅など、古い街並みの雰囲気を感じることができました。

このように、絵図と比較しながら現地を歩いてみることで発見がたくさんあります。次回からは、前田村の史料撮影に入っていきますが、史料の中には現地調査で発見したことに関連したものもでてくると思います。どのような史料に出会えるか楽しみです。また、今回現地で見つけたことを地域の人に尋ねてみることでもっと理解が深まるのではないでしょうか。

次回の更新をお楽しみに。

2014-08-28

フィールドワーク演習1日目

 8月26日火曜日よりフィールドワーク演習が始まりました。この演習は1年生と3年生が共同で行う演習で、古文書整理や撮影などを行うというものです。

第1回目である26日は、古文書の扱い方の説明と古文書の撮影などを行いました。1年生には古文書に初めて触れるという人が多く、また、撮影も初めてという人が多かったです。

しかし、1年生は初めてにもかかわらず熱心に古文書の撮影に取り組んでいて、順調に撮影を進めることができました。古文書の中には手書きの宮城県の地図や明治時代の小学校の卒業証書や「夏休みの過ごし方」と書かれたものまであり、興味を持った1年生もいました。

フィールドワーク演習は29日金曜日まで行われ、山形市内の前田地区の調査、区有文書の撮影なども行っていく予定です。

今後の続報にご期待ください。

 

 

2014-08-20

ちょっと遅めのオープンキャンパス報告

すでに夏季休暇に入り、話題としては遅くなってしまったのですが…8月2日・3日と開催されたオープンキャンパスについてお届けいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年度夏のオープンキャンパスでは、いつも学科説明で使っていた部屋で体験コーナーをひらくなど、例年とは雰囲気がガラッと変わりました。

 

例年とは違うことをやるということは、その分、新しく考えたりすることや準備しなくてはならないことが増えるわけで…。

 

学科の教員はもちろん、オープンキャンパスを主に担当してくれた3年生たちは、オープンキャンパスのひと月も前から、遅くまで大学に残り、打合せや準備をしてくれていました。

それに加え、まだ大学に入って半年も経っていない1年生、ようやく学科のことを説明できるようになってきたばかりであろう2年生、卒論・就活と一番忙しい時期だろう4年生も協力してくれました。

また、当日に遊びにきて、そのまま手伝ってくれた学生もいました。ありがたいことです。

 

その甲斐あって、人足も絶えることがなく、恙なくオープンキャンパスを終えることができました。

この成功を来年度にもつなげていきましょう。

 

みなさん、本当におつかれさまでした!

 

準備室からでした。

2014-08-03

高畠まちあるき 7月27日

 

  7月27日、高畠まちあるきが行われた。前日の気温は38度で、どうなることかと考えていたが、当日は過ごしやすい天候でまちあるき日和であった。

 私たちの班は、初めに高畠町の熊野神社に行き鳥居の説明を受け、熊野神社付近のお家の方にお話を伺った。

 高畠町の鳥居は、不必要に壊して新しい鳥居を作ったりはせず、その都度に直し、長く大切に使われているという特徴がある。聞き書き調査では、熊野神社のキツネとタヌキの伝説をお聞きし、更に深く高畠石と住民の方の暮らしとの関係性について知る必要性がある事を再確認した。

 また、熊野神社周辺の住民の方から神社の祭事などについてお話を伺った。皆さん温かい方ばかりで、丁寧に分かりやすく教えていただき、スムーズに調査を終える事ができた。熊野神社では、春と秋に、参道に旗を立て農産物豊穣を願う祭りがおこなわれるという事をお聞きし、熊野神社の祭事は、2つの地域が、地域の枠を超えて守られているという事を実感した。

飯綱大権現の鳥居を観察している様子。

熊野神社 鳥居

熊野神社 鳥居

 

お知らせ

 8月23日(土)13:0016:00高畠町瓜割石庭公園にて、『たかはた石工サミットⅡ』が開催されます。石切り技術・石降ろしの実演があり普段見られない貴重な技術を見る事ができます。高校生のみなさんによる吹奏楽の演奏や地元フォークソングクラブのみなさんの素敵な演奏もあります。

ご家族やご友人をお誘いあわせのうえ、ぜひ足をお運びください。

 

2014-07-28

2014年度 歴史遺産学科卒業論文中間・口頭発表会

7月30日(水)に2014年度歴史遺産学科卒業論文中間発表会および口頭研究発表会を行います。
歴史遺産学科の学生はぜひ聞きにきてくださいね。

4年生のみなさん、先生たちに意見を頂ける貴重な場です。自信を持って発表してください。
また、ちょっとした一言が研究に足りなかったものや新たな視点に気づくきっかけになることも多々あります。
他の人の発表もしっかり聞き、何か思ったことがあれば積極的に意見・質問をしましょう。

3年生のみなさん、会場の設営や進行のお手伝いをよろしくお願いします。

 

◆2014年度 歴史遺産学科卒業論文中間発表会 および 口頭研究発表会

 

とき 7月30日(水)12:30~
場所 407講義室
発表予定者 中間発表者27名、口頭発表者1名

 

※別日発表
とき 7月28日(月)17:10~
場所 405演習室
発表予定者 中間発表者1名

 

 

◇◇発表タイトルとタイムスケジュール◇◇

 

◆中間発表会
12:30~ 
<考古学専攻 長井ゼミ>
「山形県内における河童形土偶の変遷について」
「米代川流域、米沢盆地、信濃川流域間における三脚石器の伝播について」
「日向洞窟遺跡西地区における縄文時代草創期の被熱と原礫面の分布 ―剥片資料の分析から―」
「縄文時代における釣針のチモト部の形式変化について ―仙台湾周辺の遺跡間の関係を探る―」

<考古学専攻 北野ゼミ>
「ガラス玉の研究 ―東北地方南部を中心に―」
「縄文時代の骨角製釣針の一製作技法 ―大畑貝塚出土釣針を中心として―」

13:40~
<文献史学専攻 佐藤ゼミ>
「災害から発生した争論 ~山形市の瀧山川、馬見ヶ崎川、須川を中心に~(仮)」
「上杉家の正月行事(仮)」
「慈恩寺の行事から見る院の関係」

<文献史学専攻 竹原ゼミ>
「近世後期羽州村山郡における承認荷脇道駄送」
「『有珠郡移住開拓史要』から見る亘理伊達家の移住計画」
「明治期秋田県内における武術教育奨励」

15:20~
<民俗・人類学専攻 謝ゼミ>
「屋号の所在 ―山形県米沢市大字関地区を事例として―」
「風刺画から見る幕末~日露戦争期の日本 ―「パンチ」のステレオタイプの変遷―」
「箸をめぐる思考」
「さくらんぼ栽培の文化史的研究 ―山形県東根市を事例に―」
「神楽の現状と保存 ―宮城県亘理町の牛袋法印神楽を例に―」
「北国が育んだ刺し子技法 ―津軽の大地からこぎん刺しを語る―」
「なぜ人肉を食べるのか? ―近代日本におけるカニバリズムに関する1考察―」
「信仰と観光に見る志津温泉街の役割 ―来山者と地元民の意識―(仮)」

16:50~
<民俗・人類学専攻 田口ゼミ>
「生命の認識 ―仙台市の小学校の兎飼育を通して―(仮)」
「「マタギ道考」と技術伝播の可能性 ―御所山~甑岳を想定して―」
「鉄道の枕木から見る森林利用 ~戦後における国鉄の枕木の調達などを中心として~」
「社家における継承問題 ~山形県山形市の事例~」
「害獣という認識の発生経過 ―東根市東郷上野台地区および東根市役所を中心として―」
「山形県山辺町作谷沢地区における入会林とその変遷(仮)」
「現在、日系人が日本に求めるもの ~リーマンショック後に見る若い南米日系人の日本への就職と留学~」

◆口頭研究発表会
18:10~
<民俗学専攻 謝ゼミ>
「番楽における鬼面の役割 ―秋田県由利本荘市を事例として―」

◆中間発表 別日

<考古学専攻 北野ゼミ>

「山形盆地における古墳時代前期土師器による炊飯方法 ―服部遺跡・藤治屋敷遺跡を対象に―(仮)」
「御出遺跡出土木柱からみる低湿地においての樹種の選択性」

2014-07-26

たかはた石工サミットのご案内

たかはた石切山祭り 13:00~18:30

 第1部 石工サミット(主催:東北芸術工科大学)

  石切山コンサート 公演:高畠高校吹奏楽部ほか

 第2部 芋煮会(主催:安久津ニ井宿観光振興会)

 

駐車場あり、小雨決行。

各地から伝統技術をもった石工さんが集まります!

石切山に響く高校生の演奏と地元フォークソングクラブの皆さんの歌声もお楽しみください。

 

 

 

 

2014-07-14

【考古学応用演習1】日向洞窟発掘調査に向けて ― 考古学と地形学



今年も発掘の時期になってきた。士気も高まり、準備も着々と進んでいるところだ。2年生の応用演習も発掘の実際に則した内容になってきている。今回は、その応用演習の一環として、岩手県立大学の菊池強一先生にお越しいただき、クリノメーターを用いた測量や考古学と地形学との関わり等についてご教授頂いた。2年生の講義であるが、発掘に参加する上級生も参加し、お互いに教えあいながらの講義となった。菊池先生には昨年もお越しいただいていており、その時の記事はこちらより閲覧できる。

 

考古学と地形学というとあまり結びつきがないと思われるかもしれないが、遺跡としてトータルで捉えるときに地形学や堆積学的な情報は極めて重要である。菊池先生は、「石器も堆積物のひとつ」と仰っており、私達は普段、石器や土器を単体で特別な視点から見てしまうが、堆積物の一部と捉えることでまた違った側面が浮かび上がってくる。

発掘という行為は、一度行ってしまえば元に戻すことは出来ない。そのために、図や写真などできちんと記録として残すことが重要となる。特に、考古学に於いては位置情報が重要な意味を持つ。位置情報の記録については、遣り方測量や光波、トータルステーションによって3次元的な遺物の位置情報の獲得が行われてきた。

今回学んだ産状計測は、さらにそこに傾きという位置情報を加える手段である。クリノメーターを用いた測量は、地学の分野ではよく行われており、走向と傾斜を測るものである。この情報が加わることで、当時の地表面であったり、遺跡の立地環境についてさらに検討を深めることができる。

 

先生は、ただ単に機材の使い方を教えて下さるだけでなく、その機械の原理であったり、なぜその計測が必要なのかを丁寧に説明して下さった。最初は正直どうしていいのかよく分からない講義だったが、時間が経つにつれ、点と線がつながる、理解が深まる講義だった。今回は、台風の影響で室内での演習だったので、今度晴れた日に先輩や後輩と外に出かけて、理解をさらに深めたいと思う。

 

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