6月7日、約一か月ぶりの石碑チュートリアルです!
天気は曇りでしたが、まあ…あまり暑くなくて丁度よかったかもしれません。
今回は13時から活動でした。
私は14時からの参加だったので、その間のことは分からないのですが…。
13時組と14時組が合流した後、まず向かったのは【姥神】です。
やまぶきロードという道を登っていくと見えてきます。
凄く、見られているような気がします…。
ここは、去年の先輩方が調査しているのですが、改めて確認しに来ました。
方位磁石を使った石碑の向きの確認を始めとして、GPSでの位置測定や、赤外線を出すハイテクな計測機械で寸法を測りなおしてみたり。
そして、次に向かったのは【石行寺・岩波観音堂】
立派なお寺です。
まずは、こちらにも石碑がありますので、先ほどと同じように石碑の計測確認を行いました。
そして、今回のメインとも言えるかもしれません…
『拓本』
とってみました。
まずは、石碑についた苔などを、ブラシで落とします。
優しく、優しく!
ある程度落ちてきたら、霧吹きで石碑を濡らします。
そして、濡れた表面に紙を張り付けて、その上からまた霧吹きで万遍なく湿らせます。
濡らさないと、紙が落ちてきちゃうんですね。
あとは、墨ののりが悪くなるのかもしれません。
ちょっと下の方、皺が寄っています…。
嫌な予感。
とりあえず、墨をつけてみます。
拓本用の墨ってあるんですね。
タンポというものに墨をつけて、トントンと叩くように紙に墨をつけていきます。
ですが、これがなかなか重労働でした…。
一度に4人での作業。
しかも途中で交代したにも拘らず、この作業に10分近くはかかったかもしれません。
一人でこれをやっていたら…。
想像したくないですね。
何はともあれ、全体に墨をつけ終わりました。
写真では少し見にくいかもしれませんが、文字が彫ってある場所が浮き上がって見えます。
あとは、この拓本を石碑から慎重に取り外し、慎重に新聞で包みました。
ただ、意外とこの紙は水に強いようで、そこまで慎重にしなくてもよかったみたいです。
とはいえ、用心するに越したことはないのですが。
霧吹きで濡らしましたから、乾くまでは先生の部屋に保管です。
とりあえず、今回のチュートリアルは終わりです。
恐らく、先生以外はみんな拓本を取るのは初めてです。
さて、人生初の拓本は…
やっぱり、下の方に皺が寄っちゃっていて、少し見にくかったですね。
でも、これから何度もやっていけば、いいのが取れるはずです。
精進あるのみ!!
次回からは、金曜14時から17時までの活動になります。ちなみに、基本二週間に一度です。
この通り、人手がいる作業ですから、多くの方の参加をお待ちしてます。
黒曜石の塊を石のハンマーで叩いて、うまく縦長の石刃を剥いだ時の「音」は独特だ。職人は仕事しているときの熟練度を「音」で聞き分けるという。わたしは石器の製作技術には疎いが、先生の叩く音と、学生がおっかなびっくり叩く音は聞き分けられる。
石を叩く学生をみていると実にうらやましい。こんなにふんだんに黒曜石を割ることができる。そして、剥片で鹿の角や木材を切ったり、輝石安山岩(サヌカイト)と硬質頁岩と切れ味や耐久性を比較したり…
自分の指から血を流しながらも黙々と鹿角を削る学生、もう熟練者のような構えで大きな黒曜石の塊を割っていく学生。大汗かいて、一気の溝切りで鹿角ハンマーを仕上げた学生。
自分の身体と素朴な道具のみで一歩進んだ機能的な「道具」を作る。これは人類が歩んできた軌跡である。幼少期の火遊び、川原での石拾い、泥んこ遊び、木登り、隠れ家や陣地を作る遊び、魚釣り・・・・これらは個体発生が系統発生をなぞるように、個人が人類進化の過程を追体験する行為なのだという。現代は生活環境の変化から、子供たちがこのような人類史の記憶をトレースすることなく大人になっていく。
その身体感覚は間違いなく変化していくだろう。
指を切るような剥片を持つ感覚、硬軟さまざまな円礫を握る感覚、角を切る感覚、石がうまくはげた時の運動感覚・・・・自然素材に触れる感覚、それが身体にフィットし、滑らかな身体動作と一体化する感覚。そんな感覚を一瞬でも味わってほしいと願う。
これは木曜午後、考古学応用演習の授業。
2年生が石器製作技術の復元に関する実験考古学的研究方法を学んでいる。先史時代の人々はどんなハンマーを使って石を剥いだのか?
先週までは弥生・古墳時代の土器による炊飯調理法の復元がテーマ。土を捏ね、土器を作って炊飯調理法と痕跡のモデル作りに挑んだ。素材が土と火と水から、石や角や木にかわったというわけである。
実験考古学は考古資料の痕跡を読み取る(解釈する)一つの方法論であると同時に、人にとっての身体性、人と自然との関係を思考する場を提供する。
山形県埋蔵文化財センターより「縄文の女神(レプリカ)」をお借りしてきました!
縄文の女神の実物は45センチ、お借りしたレプリカはその5倍、225センチもあります。
台座を含めると270センチくらい。近くで見ると圧巻です!
5月26日(日)に行われるオープンキャンパスで、
本館1階 学食側入り口近くの学科ブース(通称:地球儀の部屋)にて展示予定です。
当日はぜひぜひ、縄文の女神とツーショット写真を撮りにいらしてくださいね。
1年生と学科教職員が参加する春のフィールドトリップに行ってきました。
村山盆地から雪の鳥海山がはっきり見える、年に1回あるかないかの好天に恵まれました。
最上川の舟下りに始まり、庄内地方の遺跡や博物館、羽黒山などをめぐってきました。
宿泊はオーシャンビュー、湯野浜温泉のリゾートホテル。ベランダや浴場からは日本海に沈む夕日を一望。ベランダでさえずりのする方を見ると、手すりに蛙を加えた野鳥が。空には飛行機雲。
満腹の夕食後には大部屋で特別授業。学生たちは眠い目を擦りながら真剣に先生方の話を聞いていました。理解してくれたことを念じます。
最後は閉館の危機が報じられたアマゾン民族館。写真は焼畑の豊かな栽培植物について語る山口館長。パパイヤやバナナ、キャッサバ、トウガラシ、ワタ(綿)、パイナップル、ウルクなど。自然環境に適応した暮らし、多様な栽培植物でリスク分散をはかる生存戦略についてわかりやすく説明していただきました。名物館長の解説と民族衣装の試着で楽しく過ごした後、帰路の車中には一気に静寂が訪れました。これから体験を通して学んだことをしっかりレポートにまとめてください。
韓国からトマンナヨー(さようなら)
韓国へ来てから5日目で時が流れるのは早く、いよいよ最終日へと近づいてきました。今回は、旧石器祭り最終日の5日と6日の全谷里先史博物館とソウル観光について書いていきたいと思います。
旧石器祭り最終日は、日本と同じく韓国も祝日こどもの日で、沢山の小さい子がブースに体験しに来てくれました。そのため非常に忙しくブースの他にも先生が国際ブースエリア中央で黒曜石の石割りショーを行うなどして大盛況でした。そのなかでも終始サポートしてくれた韓国軍の方にはとてもお世話になり、私たちの韓国の人達に対する黒曜石の説明を余すことなく体験に来てくれた方々に伝えてくれたと思います。今回軍人さんの通訳のおかげで私たちは、韓国という文化の違う人達と沢山関わりコミュニケーションがとれたのです。これは、私たちにとって非常に貴重な体験となりました。今でも感謝しています。
6日目は、最終日で午前中に荷物をまとめ、割った黒曜石などを強引にキャスターに詰め込み、荷物が重くなったところで全谷里先史博物館に行きました。博物館はとても現代的な造りであり、考古学的な博物館とは思えないくらいの立派なところで、全谷里遺跡は東アジアのなかでもとても歴史的にも貴重な旧石器遺跡ということもあり博物館からでも遺跡の偉大さを感じられました。
博物館の展示では、旧石器祭りでも人気だったハンドアックスと呼ばれる石器や先史時代の住居のレプリカなどの展示品を先史時代の説明とセットで展示されており、展示品に魅きつけられわかりやすく説明された博物館でした。また、この全谷里先史博物館を設立する際、長井先生が展示構想や黒曜石の展示などで深く関わっているということを知りました。
午後からは、全谷里からタクシーを使いソウルへ移動し、現地に着いたのは夕方の5時くらいでした。その後は世界遺産の景福宮(キョンボックン)近くまで行き、みんなで記念写真を撮った後に先生が女子に最後楽しめるようにと明洞(ミョンドン)と呼ばれる観光客に大人気のショッピング繁華街へ行き、韓国での最後の晩餐もここで行いました。
今回、韓国全谷里へと旧石器遺跡のお祭りに長井先生と6日間、同行させて頂き国際的な学会での語学の痛感さや韓国という異文化の社会のなかでのたくさんの人たちと関わり、考古学の分野だけではなく、様々な点で学ぶ事が多く非常に内容の濃い1週間でした。
また、この場をお借りして全谷里に招待していただいた、長井先生を始め韓国漢陽大学の裴基同教授、先史博物館の李漢陽さん、最初から最後まで、生活面でお世話になりましたシンさんや、韓国で出会った方々には、このような素晴らしい経験をさせて頂き心より感謝の意を申し上げます。
高畠はヤマザクラや遅咲きのソメイヨシノ、じゅうたんのような菜の花、シバザクラ、チューリップ、ハナミズキ、レンギョウなど里山から街中がカラフルな花であふれています。
今日は、14名が5班にわかれ、二井宿街道の住宅景観を特徴付ける高畠石-「屋敷明神」「石塀」「サイロ」「ナツカワ」の集中調査を行いました。学生リーダーも世代交代し、そのOGたちとフレッシュな顔ぶれが調査を牽引します。昨年までの網羅的な石探しから、あらかじめ用意した聞き書きシートによる統一的な質問、データの採取を試みました。お忙しいなか、快く調査に協力していただいた皆さんに深く感謝申し上げます。
まずは、昨年度末に完成した「石材記念碑」解説板の前で記念撮影。
これは幕末に沢福等(さんぶくら)丁場を開いた島津次郎兵衛氏と、その流通を支えた遠藤友之助氏を顕彰して、明治44年に島津氏の弟子たちが建てた記念碑です。沢福等は良質の石材を長く供給し続けた高畠石を代表する石切丁場です。島津家には当時の古写真残っており、その写しをプレートにはめ込んで石碑建立の経緯を解説してあります。高畠町教育委員会が予算化、東北芸術工科大学が原稿を作成し、高畠石の会会員によって設置されたものです。これからは高畠石を訪ねる際のランドマークとして活用されることでしょう。
写真にうつる背後の山並みは現地に立ってみると今もみることが出来ます。石材記念碑は、時代とともに移り変わる街並みを100年以上にわたって、この場所で見守り続けてきました。まちあるきは、社会や生業の変動とともにあった「地域の日常」を、人とモノの記憶から住民とともに掘り起こし、紡いでいく活動です。この「日常」が、大切なものを失いつつある現代社会にいくつものメッセージを伝えます。記念碑が地域の歩みを振り返り、未来のありようを考える場として長くあり続けることを願っています。
「屋敷明神」の再調査。なぜ、3基も並ぶのか・・・・
「水神様」「お稲荷様」「屋敷明神」石祠の信仰はひとつではない。
どこの家にもあったサイロ。酪農から果樹栽培に生業が移り変わるとともに壊され、その姿が消えていった。
しかし、再利用されたサイロの石材から往時の姿をしのぶことができる。
写真はサイロ上部の小屋掛けを下ろし、田んぼの稲杭保管庫に利用。
出発前、あわただしく調査方法を確認する。
5月11日土曜日待ちに待った佐藤先生が中心となって行われる石碑調査のチュートリアルが本格的に始動しました。
このチュートリアルでは地域の生きた証である石碑を調査して、地域に残された歴史を紐解く事を目的としています。
その中で石碑などの野外調査の具体的方法を学ぶとともに、みんなで楽しく自然に親しみながらやっていこうとしています。
今日はその記念するべき第1回目なのに空はあいにくの雨模様…
そのため教室での佐藤先生の石碑調査の説明の後に、映像資料を視聴することになりました。
今回、視聴した資料は滝山地区の横根という地域での言い伝えや伝説についての調査が主な内容となっていました。
映像中でも横根にある石碑を調査する様子がありました。
皆さん真剣になって視聴しております。
映像の視聴後、石碑調査の説明の際に調査例として挙げられた月山神社へ行くことになりました。
月山神社は芸工大の近くにあるので雨が降っていても大丈夫だろうとの事でしたが、だんだん強くなっていく雨に皆さん傘を差していても濡れてしまう有様でした。
そうこうしている間に月山神社に到着。
最初にお参りをした後、調査例の挙げられた石碑の資料と本物の石碑を比較しました。
皆さん、なんとかして石碑の文字を読もうと格闘しておりました。
その後、本日のチュートリアルは終了、解散となりました。
本日の感想としましては、1年生も参加していたのが印象に残りました。
1年生には大変かもしれませんが、石碑や滝山の歴史に興味を持ってもらえると嬉しいです。
もっと、参加してくれる学生が増えてもらえればと感じました。
その一方で、悪天候だったのが悔やまれます。
天気が良ければもっと多くの石碑と巡り合うことが出来たのですが…
次回のチュートリアルに期待したいと思います。
4月30日に佐藤先生と佐藤ゼミの3・4年生とで山寺へと行ってきました。
目的は50年に一度御開帳される薬師如来像を見ることです。
この薬師如来像は根本中堂に安置されている国指定重要文化財です。
今見とかないと次に見れるときにはもうお爺さん・お婆さんです。そう考えると非常に貴重なチャンスですよね。
ここが薬師如来像が安置されている根本中堂です。
薬師如来像は写真で撮ることはできませんでした。ぜひご自分の目で見てみてください。見ただけで御利益がありそうなそんな感じがしました。
薬師如来像を見たあとは石段を登って行きました。すごくきつかったです。日ごろの運動不足が露呈する結果になりました。
途中のお土産屋さんで石段を登っていた女性に声をかけていただけました。
「どこの学生さん?」「何をしているの?」こういった会話は実際に登ってみないと体験できませんし、山登りの醍醐味である部分だと思います。
五大堂から見た景色。町が一望できます。
修行の岩屋。どうやって建造したのかすごく気になります。
5月7日には3年生で今回の活動でどういったことに気が付いたか話し合いました。
後生車の鯉幟や石段のわきに置かれているお地蔵さん、不滅の火の取り扱いなどそれぞれ違う見方があり、自分の気が付かなかったような疑問点や視点を知ることができました。
3年生の話の中で気になった問題として五大堂の落書きのひどさが挙げられたのですが、本当にすごかったです。
日本だけでなく世界でも遺跡などへの落書き問題が深刻といわれてますが、実際に見てみると酷いというレベルを超えているような気がしました。せっかくのきれいな景色なのに落書きのせいで魅力半減です。残念で仕方ないです。
こういった問題は人々の良心に訴えていかなくては解決しない問題であり、このことについてもう少し考えて自分なりの答えを出したいと感じました。
今回、東北文化研究センターのホームページが新しくなりました。
トップに「最新情報」や「最近の出版物」の紹介があり、ここからワンクリックで東文研での催しものの情報、『東北学』などの目次を見ることができます。 もちろん過去の情報も「お知らせ」「出版物の紹介」からいけます。
特におすすめなのが、東文研で収集している絵はがきや写真のアーカイブス検索です。
たとえば、私の趣味「鉄道」とキーワードに入れて検索すると・・・
なんと418件もヒットしました!!
これは便利、おもしろい。 みなさんも一度使ってみて下さい。新たな発見があることでしょう。
4月20日・21日の土日で、竹原先生と骨寺の調査に行ってきました。
今回参加した学生は2年生4人、3年生1人、4年生1人の合計6人。骨寺ブックレットに関わる学生全員ではないものの、初めての泊まりがけの調査だったので、ブックレット刊行に向けじっくりと話し合う機会になりました。
内容は現在進めている「集落図」の補足調査です。
集落図とは、家などの建物や田んぼの区画、土地の用途(例えば植林など)といったものを分かりやすく描き起こしたものです。主に戦後から撮られはじめた航空写真をトレースすることで、昔に遡り集落の変遷を追うことができます。
骨寺では、1967年、1977年、1987年、2001年の4つの年代を描き進めています。
今回の調査では、予め各年代を見比べて変化のあったところをまとめておきました。そして3班に別れ担当を割り振り、実際に集落内を歩いて確認作業を行いました。
また、1日目はちょうど川さらいの日ということで、画板を手に歩いているとたくさんの方にお声を掛けて頂きました。「何やってるの」「どこから来たの」挨拶を交わすごとに気持ちが弾み、挨拶をする声も自然と大きくなれたように思います。
この度も大変お世話になりました。
2日目は雪が降ってしまい調査も早めに切り上げました。
それだけ少し残念でしたが、山王窟のふもとで温泉に触れたり、石碑調査もできたので2日間楽しみました。大学に戻ってからも、今回の調査を生かしていけるよう勉強会が進められています。