【イベントログ】柚月裕子× 深町秋生×岩井天志×田口洋美×赤坂憲雄 「東北と文学」(東北文化研究センター10周年記念シンポジウム)
シンポジウム「東北と文学」
パネラー/
柚月裕子(作家)
深町秋生(作家)
岩井天志(東北芸術工科大学准教授)
田口洋美(東北芸術工科大学教授・同東北文化研究センター副所長)
コーディネーター/
赤坂憲雄(東北芸術工科大学大学院長・同東北文化研究センター所長)
文学を育む風土
赤坂 東北文化研究センターは平成11(1999)年4月に東北芸術工科大学の一隅に設立されて以来、「東北ルネサンス」を理念として掲げ、縄文の一万年の歴史を宿した東北を掘り起こし、新たな日本文化像を構築することをめざしながら活動の輪を広げてきました。
東北の大地に埋もれた文人墨客を掘り起こし、彼らの足跡を精神の糧としながら新たな文化的アイデンティティを模索してた10年間であったように思います。
東北文化研究センターの次なる第2ステージでも、東北文化の掘り起こしはさらに大切なテーマとなっていくはずです。さきほど三浦雅士さんから東北文学について、示唆にあふれるお話をいただきましたが、確かに今、東北の文芸復興が切実に求められています。東北文化研究センターでは東北の詩や小説や哲学に眼を凝らし、新しい創り手たちを輩出していくを作っていかなければと考えています。
シンポジウムのテーマは「東北と文学」です。パネリストには山形を舞台に活躍している二人の作家、柚月裕子さん、深町秋生さん、それから東北芸術工科大学からは、東北文化研究センター副所長でもある田口洋美教授と、岩井天志准教授を迎えています。
柚月さんと深町さんは、文芸評論家の池上冬樹さんのコーディネートにより、東北文化研究センターが仙台文学館の協力を得て開催している「小説家・ライター講座」にも関わられており、東北文学の新たな担い手となっていく存在です。柚月さん、深町さんお願いします。
柚月 はじめまして。私は岩手県の釜石市で生まれ、父の仕事の都合で岩手県内を転々として育ちました。現在は山形県で作家活動をしています。平成18(2008)年、宝島社主催「このミステリーがすごい!大賞」で大賞をいただき、受賞作『臨床真理』を平成一九(2009)年1月に刊行しました。現在、第二作目を執筆中、3作目を準備しています。
私の両親は岩手出身で、私も岩手県で育ちました。岩手ではどの学校でも図書館の一番いいところに宮澤賢治の本が置いてあります。賢治作品とは自然に出会い、読破しています。賢治との出会いをはじめ、身近に文学に触れる機会に恵まれていたことや、就寝前に母が昔話を語ってくれた経験が、文章の道に進む素養を育んでくれたのではないかと思います。
池上冬樹先生がコーディネートされている「小説家になろう講座」の存在を知ったのは30代に入ってからのことです。5年ほど前から参加しており、東北芸術工科大学が仙台で開催している「小説家・ライター講座」にも参加しています。いずれも第一線で活躍している作家や編集者がプロの視点に立って丁寧にアドバイスしてくださる素晴らしい講座です。この講座に参加していなければ、こんなにも早くデビューできなかったのではないかと思います。
深町 私は平成15(2005)年、柚月さんと同じく「このミステリーがすごい!大賞」をいただいて作家デビューを果たしました。これまでに小説三冊を刊行していますが、今回、パネリストのお話を受けたとき、正直、自分には務まらないんじゃないかと思ったんです。というのも、私は柚月さんとは違って、ほとんど文学に触れずに育ったので、文学について語れないんじゃないかと思ったからです。
私は昭和50(1975)年山形生まれで、読書ではなくテレビゲームをして育ちました。私の少年時代は、山形を含め、日本の地方都市から地域性が薄れてはじめていった、そんな時代です。郊外に大型の電気店やスーパーがどんどん進出し始め、駅前商店街は寂れていく。そんな光景を見て育っているせいか、私の作品の舞台はみな、郊外なんです。それも山形県ではなくて埼玉県や、北関東のとあるベッドタウン、東京都の東村山市や国分寺市など。大型スーパーやロードサイド店が並ぶ郊外が舞台です。
携帯電話に小説を配信する「携帯小説」が若者を中心に人気を集めていますが、携帯小説には具体的な地名はほとんど出てきません。「小説の神はディテールにこそ宿る」といいますが、携帯小説では、地域性に関するディテールはかぎりなく漠然としか描かれていません。ショッピングセンターやカラオケ店を舞台に物語が進んでいくので地名は必要ない。今や日本中の至るところにショッピングセンターやカラオケチェーンがあります。そうした均一化された社会を舞台にした小説が登場し、若者に支持されています。
僕らより少し上の世代には、故郷を捨てて東京で一旗揚げるという東京への憧憬がありましたが、現代の若者にはそうした思いはほとんどみられません。地方で暮らしていても、欲しいものが手にはいる。「ここにないものを手にいれるために東京に行く」というモチベーションが生まれにくくなっているのは確かです。地元に留まり、地元で生きて行くライフスタイルが主流になりつつある。
こうした若者の生き方をみていると、もしかして、これも一つの地元愛、郷土愛といえるんじゃないかと思えてきた。グローバリズムが進んだ先に、ローカルな郷土愛が生まれてきたとはいえまいか。そんなことを考えながら小説を書いています。
聞き書きのもつ力
赤坂 田口洋美教授はマタギ研究の第一人者であり、新潟県三面地区に通って、マタギという伝統的な狩猟方法でクマ狩りをする猟師たちの調査を行い、『山に生かされた日々――新潟県朝日村奥三面の生活誌』や『越後三面山人記―― マタギの自然観に習う』などの本にまとめています。
田口教授の研究は斎藤純さんや熊谷達也さんなど、東北在住の作家たちにも大きな影響をあたえています。今日は田口教授から、聞き書きのもつ力や、文学との関わりなどについて聞かせてもらえればと思っています。 岩井 私は大阪生まれで今は東京で暮らしながら芸工大に通ってアニメーションを教えています。東北に通うようになってまだ三年あまりですから、まだまだ知らないことばかりです。
人形アニメーションの名作の多くが、チェコスロバキアの作家によるもので、私も大いに影響を受けてこの世界に入りました。学生時代から人形アニメーションの制作を続けてきましたが、製作を重ねていく中で、チェコやヨーロッパ人と日本人とでは人形アニメに対する感覚がまったく違うということが気になり始めたんです。日本人である自分は、日本人の精神性を表現する作品を作らない限り、いつまでもチェコの借り物作品しか作れないんじゃないかと思うようになった。それで自分なりのテーマを模索していく中で『遠野物語』に出会ったのです。セル・アニメやCGでもなく、人形アニメという手法を使えば『遠野物語』の精神性までも表現できると考えた。
というのも人形アニメはひとりでは決して動くことのない人形を撮影して魂を吹き込んでいきます。その作業は、見方によっては、一種、シャーマニズムにも通じる。だから人形アニメーションは『遠野物語』に適しているんじゃないかと考えました。
赤坂 柳田国男が『遠野物語』を刊行したのが明治43(1910)年ですから、平成22(2010)年でちょうど刊行100年を数えます。
『遠野物語』はご存知の通り、遠野出身の佐々木喜善が語った言葉を柳田がテクストにすることで誕生しました。語られたそばから消えていく口承の言葉を文字に移し替えることで何が起こったのか。元文学青年でもある柳田は、徹底して文体にこだわりぬいた。喜善が30分かけて話したことをわずか10行に凝縮させている。言葉を磨き抜いて誕生した。それが『遠野物語』なんです。
柳田は序文に「感じたるままを書きたり」と書きつけています。決して「聞きたるままを書きたり」ではない。これこそまさに文学的表明なわけです。
『遠野物語』は柳田国男によって文学として磨き上げられたが故に100年の歳月を生き延び、おそらくはこれからの100年も生き延びていくでしょう。
言葉を記録する
赤坂 先ほど田口先生は語り手ごとに言葉が異なると言われました。これも、文学的な表明ではないでしょうか。学問とは誰にでも伝わる共通言語に移し替えていく作業でもあるわけですが、聞き書きは、その前段階の作業なわけです。あえて「語り手ごとに語りは違う」と言われたことに感銘を受けています。
田口 人の話が音楽に聴こえることがあります。聞き書きにとって言葉のもつ音はとても重要です。実は私、高校の教科書に載っていた宮沢賢治の詩「永訣の朝」が音読できなかったんです。妹のとし子が、「あめゆじゅとてきてけんじゃ」と賢治に語りかけている一節がありますよね。これが読めない。言葉のリズムも抑揚もわからない。音の手がかりがないからです。20歳になって津軽出身の友人に教えてもらうまで、「あめゆじゅ/とてきて(とってきて)/けんじゃ(ください)」と読めなかったんですよ。
赤坂 宮澤賢治の作品と『遠野物語』とを比べてみると、宮沢賢治はできるだけ土地の言葉に近いところで、表現しようとしているのに対し、柳田は『遠野物語』の中でできるだけ土地の言葉を消して、擬古文体のように新しい文体を生み出して表現しようとしている。そのあたりについて、柚月さんはどんな風に思われますか。
柚月 方言を文字にすることは非常に難しいことです。会話であれば口調やイントネーション、話し手の表情などの情報も伝わってきますが、活字にはそれらが一切ありませんから、肯定なのか否定なのか、あるいは疑問形なのか、文字面だけでは判断できないからです。方言や個人の口調を活字として記録するのは、非常に気をつかうことだと心得ています。
宮沢賢治の作品は擬音がとても印象的ですが、『遠野物語』には擬音的なものは見受けられない。その土地で生まれ育ったもの、体に刻まれているテンポとは別のところを重要視して書き留められている。
『遠野物語』も宮沢賢治の世界にしても、東北にはまだまだ未知なる土地が残されています。人の目に触れていないことがまだまだある。だからこそ想像力が培われる。そうした風土が東北で多くの伝承や民話を生み出したのではないでしょうか。
赤坂 ところで深町さんは先ほど、郷土愛という言葉を使われていました。深町さんにとって、郷土愛とはなんなのでしょうか。
深町 サラリーマン時代に九州の福岡で暮らした時期があります。繁華街に褌姿の男達がずらっとならんでいるんです。なんだと思ったら、褌一丁で山車を引っ張る博多祇園の山笠祭だった。福岡の人たちは、この祭をほんとに大切にしていて、このときばかりは、仕事なんてどうでもいい、とにかく山笠が大事、となるんです。福岡にいたときは、変わっているなと思いましたが、自分が故郷の山形に戻ってきて、秋になってスーパーに芋煮用の薪やら鍋が並ぶ光景をみて、あ、これと同じことなんだと思いました。
ある地域では不思議に感じないことであっても、他の地域から見たら意外に映る。グローバリズムが進んでいっても駆逐できない地域性がある。それが郷土愛なんじゃないかと思います。
赤坂 岩井さんが作ったオシラサマの人形アニメを見せてもらったことがあります。『遠野物語』に綴られているオシラサマの話は、ご存知の通り、馬に恋をしてしまった娘の物語です。父親が馬を殺すと、娘はその首にすがってあの世へ行ってしまう。なぜオシラサマのような話が民話として語り継がれているのか。岩井さんがなぜ、オシラサマに関心を持たれたのか教えてください。
岩井 『遠野物語』に惹かれるのは、怪奇現象や、妖怪譚の後ろに見え隠れしている人々の暮らしや精神性みたいなところなんだと思うんです。そこには、閉塞感から生まれたゆがみのようなものがある。
赤坂 オシラサマは、民俗学的に言うと「異類婚姻潭」、つまり、人間が人ではなく、動物や河童、超自然的なものと婚姻してしまう物語です。実は、日本にはそういう話がたくさんある。
でも、ヨーロッパやキリスト教的な世界で語ったら、獣姦なんて言葉に置き換えられて顔をしかめられるようなとんでもない話なんですね。『遠野物語』のオシラサマの話には、毎日可愛がっている馬に恋をしてしまう娘の気持ちを異様だと拒絶してしまうのではなく、その気持ちを許してしまうようなところがある。
これは極めて東北的です。岩井さんの発言を、私は『遠野物語』の中の見えない世界」に興味がある、そう翻訳して聞いていました。『遠野物語』の中には、見えない世界が、確かにたれ込めています。そうしたものへの感受性を大切にしなくちゃいけないんじゃないかと思いながら聞いていました。
先ほどの三浦雅士さんの講演の中に、東北のもつ方位性についての興味深いお話がありました。
人形アニメの故郷ともいえるチェコスロバキアは、ヨーロッパの中ではまさに東北に位置します。そこから人形アニメがうまれてきたことを考えれば、岩井さんがこの東北で『遠野物語』を人形アニメにしたいという思いに、方位としての東北がどんな風に作用していくのか、とても楽しみです。
東北とは地域の総称であり、三浦雅志さんの話されたように一つ方位でもある。いずれにしても「東北」にこだわることで、見えてくる世界があります。特別な定点、ある場所をひたすら掘り下げることによって、我々はきっと時代の最先端、世界の一番先端部分に突き抜けていく方法を見出せるはずです。一九三〇年代のパリで民族学を学んだ芸術家の岡本太郎もまた、足元の狭い地域にこだわることによって世界の最先端に突き抜けられるのだと身をもって証明してくれた一人です。太郎の思い、三浦雅士さんが話された思いを共有して、「東北学」はようやく第二ステージにようやく立つ事ができるのかなと思っています。
こだわりぬくことによって、開かれていく風景がある。これから10年間、東北文化研究センターはどこに向って駆けていくのか。この場にいる皆さんも、ぜひ一緒に駆けてほしい。そして、一緒に新しい風景を開いていきたい、そんな思いでおります。
2009年11月23日 於・東北芸術工科大学
柚月裕子〈ゆづき・ゆうこ〉
1968年、岩手県生まれ。山形市在住。作家。2008年、宝島社主宰第7回「このミステリーがすごい!大賞」受賞作『臨床真理』で作家デビュー。現在、第2作目を執筆中。
深町秋生〈ふかまち・あきお〉
1975年、山形県生まれ。専修大学経済学部卒業。山形市在住。2005年、宝島社主催第3回「このミステリーがすごい! 大賞」受賞作『果てしなき乾き』で作家デビュー。著書に『ヒステリック・サバイバー』、『東京デッドクルージング』がある。ブログ「深町秋生のベテラン日記」。
岩井天志〈いわい・てんし〉
1971年、鳥取県生まれ。多摩美術大学卒業。東北芸術工科大学映像学科准教授。アニメーションディレクター、映像ディレクター。卒業制作作品『独身者の機械』が注目を集め、UPLINKよりビデオ発売されたのを期に作家活動を始める。2000年『人形アニメーションのデジタル制作システム』で創造活動促進法の認定。2001年に製作した人形アニメーション映画『玉蟲少年』で日本映画テレビ技術協会映像技術奨励賞受賞。
田口 私は、東北文化研究センターの研究員でもあり、歴史遺産学科の教授でもあります。本学が掲げている「文藝復興」とは、人間性の回復を目指すことだと受け止めて、研究を進めています。
私は聞き書きという手法にこだわって、伝統的なクマ猟を続けてきた猟師「マタギ」の研究をしています。聞き書きとは、語り手の口調をそのまま一人称で記録する方法で、民俗学の代表的な手法のひとつです。聞き書きをするとき、私は録音テープは使わずメモだけで記録していきます。テープをまわすと話し手が構えてしまう。だから自分の体を録音機代わりにして、全身で聞いて記憶していく。この方法だと話を聞くのは二時間が限度です。聞き終わったらノートに一気に書いて、原稿を本人に見てもらって記録していきます。こうやって話者の口調や息遣いを大切にしながら、記録してきました。
私は新潟県三面という、わずか四三戸の地区に入って調査をしています。三面には他から嫁いで来た人、戦争中に軍隊に行った人、出稼ぎで長い間、東京に行っていた人、いろんな人がいて、その人にしか語りえない人生がある。聞き書きはそうした話し手の人生を記録していく手法でもある。
聞き書きを続けてきて感じるのは、言葉はオンリーワンなんだってことです。小さな地区に暮らしていて、おなじ方言を話してはいても、一人一人、口調も違うし言い回しも違う。語り手の個性が滲み出る。口調も含めて、その人の個性や思考を形作っているわけです。
ですから私が聞き書きを記録するときには、話者の口調をものすごく大切にしています。聞き書きの力が作家の感性に触れるとすれば、そういう部分に触発されているんじゃないかと思います。
聞き書きというのは、言い換えれば自分の知らない話を聞くことでもあるわけです。私たちは、自分以外の人が経験したことを見ることができません。だけど、聞くことならできる。聞き書きは、話者に方ってもらい、記録するうことで聞き手や読者が追体験することができる力をがある。どんな人間もオンリーワンなわけです。そういう意味では、芸工大生だからとか山形県民んだからとか、大枠でひとくくりにしたり、丸め込んでしまうことには抗いがあります。
先ほど、大型スーパーやコンビニの進出が地域性をなくしてきたんじゃないかという話がありましたが、大型店が増えることで、本当に地域性は失われてしまうのだろうか。私は茨城県東海村の実家から大学に通っていますが、茨城のジャスコと山形のジャスコでは売ってるものが違う。お盆やお正月になると、お飾りが店頭にならぶんですが、同じ行事なのに茨城と山形だと並んでいるものが全然違うんです。地域の人たちが欲しいがっているものが並んでいるからですよね。
そういう点からみると、中央資本の大型チェーン店の文化が地方を覆ってしまうからといって、必ずしも地方の個性は失われていかないんじゃないかと私は思います。もちろん大量生産・大量消費の構造の中で暮らしていけば、同じ服を着て同じものを食べ、同じ感想を言う人間は増えてくるでしょう。でも、私たちの心の中には他者と同じであろうとする気持ちがある一方、違っていたいという気持ちもあります。
もし、地方の個性が失われているとするなら、それは中央資本やチェーン店が増えたことが理由ではなく、むしろ、地方で暮らしている人間のほうが個性をなくしたがっているんじゃないか。そんな風に思いますね。
そういう意味でも、今日、みなさんにぜひ、お伝えしておきたいマタギの言葉があります。マタギたちは「悪いことは全部西からくる」と言うんです。「やがて熊もいなくなり、俺たちマタギも消えていく。みんな、西からやってきたヤマトの下に没するんだ」。彼らはそう言っています。
私がなぜ、聞き書きを続けているのか。いろいろ理由はありますが、なんといてっも人間が好きだからですよ。そして東北のどこに惹かれるのかと問われれば、まずは東北の人が持つ人間性ですね。
さっき東京コンプレックスという話がありましたが、僕は逆に、東北に対するコンプレックスがあった。茨城からなら東京はいつでもいけるけど、東北にはなかなかいけない。そして訪れるたびに発見があるのも東北です。だから私は何十年も東北に通い続けているんです。
『遠野物語』の世界
赤坂 もう一人のパネリストは、東北芸術工科大学映像学科の准教授で、人形アニメーション作家の岩井天志さんです。
人形アニメーションというのは、人形をコマ送りで撮影することで、あたかも動いているかのように見せる手法です。岩井さんから柳田国男の『遠野物語』を人形アニメで作りたいと相談を受けたのが出会いでした。『遠野物語』に、どんな関心を持ち、インスピレーションを得ているのかお聞かせください。