お知らせ

考古学・歴史学・民俗学 合同公開研究会・報告会「飛島−ほる・よむ・きく」

【考古学・歴史学・民俗学合同公開研究会・報告会】
「飛島−ほる・よむ・きく」

〈1日目:日時・会場〉
日時:2011年8月6日(土)15時〜17時
会場:とびしま総合センター
   酒田市飛島字中村甲283TEL : 0234-95-2001

〈2日目:日時・場所〉
日時:2011年8月7日(日)15時〜17時
会場:酒田勤労者福祉センター 展示ホール(2階)
   山形県酒田市緑町19-10TEL : 0234-26-2644

〈プログラム〉
挨拶:入間田宣夫
1.考古班発表:安斎正人・福田正宏   「縄文時代の飛島 −蕨山遺跡を掘る−」
2.歴史班発表:入間田宣夫・中村只吾  「江戸時代の飛島、人々の暮らし」
3.民俗班発表:岸本誠司        「飛島の木造船 シマブネの来歴」
4.質疑応答・まとめ

〈入場〉無料(申込みの必要はありません)
〈主催・問い合わせ〉東北芸術工科大学東北文化研究センター
〈その他〉この研究会・報告会は、平成23年度文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「東北地方における環境・生業・技術に関する歴史動態的総合研究」の一環として実施いたします。

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ごあいさつ
東北芸術工科大学東北文化研究センターでは、平成19年度より考古・歴史・民俗という隣接する三領域の観点から、文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業「東北地方における環境・生業・技術に関する歴史動態的総合研究」に取り組んでまいりました。この研究では東北に蓄積された1万年の歴史や文化の掘り起こしをとおして、これからの日本をけん引する力は東北にこそあり、また、新たな文明を切り開いてゆく原点は東北にある、ということを顕然とさせるために研究を進めてまいりました。
 特に、飛島の皆さまには絶大なるご協力を頂戴し、考古班は縄文時代の遺跡・遺物の発掘を、歴史班は江戸・明治時代の古文書の解読を、民俗班は映像アーカイブスの取り組みとともに、島の人々からの聞き書き調査をさせていただきました。これらの研究から見えてきたのは、時代ごとの環境に向き合って存在してきた飛島の豊かな暮らしと文化、そして、島で生きるたくましい人々の姿でした。
 5年間の研究期間を終え、このたび、考古・歴史・民俗学の観点から合同公開研究会・報告会「飛島−ほる・よむ・きく」を開催させていただく機会を頂戴いたしましたことに深く感謝し、飛島での調査研究のご報告を申し上げたく存じます。ご多用中とは存じますが、お誘いあわせのうえ是非、ご来場くださいますよう心からご案内を申しあげます。
               東北芸術工科大学大学院長・東北文化研究センター所長  入間田宣夫
               研究プロジェクト代表・東北文化研究センター 副所長  田口 洋美

考古班
発 表 :福田正宏(東北芸術工科大学専任講師)
コメント:安斎正人(東北文化研究センター教授)
テーマ :「縄文時代の飛島-蕨山遺跡を掘る-」

2カ年にわたり、学生たちと一緒に蕨山遺跡を発掘しました。そこでは、たくさんの縄文土器や石器が出土しました。この調査により、約4000年前の飛島の住人たちが、日本海沿岸地帯の広い交易・交流網のなかで、活動していたことがわかりました。当時の島民もまた、秋田県、山形県、そして新潟県のあいだで、自由な行き来をしていたようです。飛島は南北を結ぶ重要な停泊地でした。また、島の海浜部にある豊富な石材をうまく利用し、生活に必要な狩猟用の道具をその場で作った痕跡も発見されました。出土品の分析を進めたところ、飛島に住んだ縄文人たちの生活は、相当詳しく分かるようになってきました。

歴史班
発 表 :中村只吾(東北文化研究センター研究員)
コメント:入間田宣夫
テーマ :「江戸時代の飛島、人々の暮らし」

天保7年(1836)4月23日、ある1人の島民が酒田で失踪した。彼は、その1週間ほど前に酒田に渡っていた。島の海産物を庄内の村の家々に届け、そのかわりに米を得る「物交(ぶつこう)」を行うためである。その日彼は、午後2時頃に酒田の町へ出た。それが、晩になっても、同行した島民たちの待つ船へ帰って来ない。そこから、島民たちによる懸命な捜索活動が始まった…。例えばこのような、江戸時代の飛島の人々の身に起こった事件について記された古文書を読み解きながら、その背景にある当時の島の人々の暮らしのあり様を探ってゆきます。

民俗班
発 表: 岸本誠司(東北文化研究センター専任講師)
テーマ:「飛島の木造船 シマブネの来歴」

飛島では、昭和40年頃までシマブネ・マブネと呼ばれた木造船が使われていました。この木造船は、船底と舷側との接合部分に刳材を使用したオモキ造りという構造を持っていました。縄文時代より用いられてきた丸木舟から発展した準構造船です。船底が厚く平らなシマブネは、岩の割れ目を利用した飛島の舟入澗に適したものでした。飛島の方々にお話しをうかがううち、シマブネは明治時代に活躍した船大工・鈴木栄助さん(勝浦・明治18年頃の生まれ)によって考案されたことが明らかになってきました。かつて鈴木栄助さんがヒントにした木造船は秋田県に現存しています。山形・秋田・青森・新潟など東北の漁村で活躍した小型木造船を例に挙げながら、シマブネの来歴にせまりたいと考えます。
(以上)