2012.02.27
東日本大震災〈追悼の輪〉のご案内
3.11追悼の輪(2012/3/11)
世界を揺さぶった3.11。太平洋沿岸500kmにわたって津波にえぐりとられ、福島原発事故で汚染された私たちの故郷は、発生から約1年が経過した今もなお、傷ついたままです。「3月11日14:46」は、被災された人々はもちろん、全国から支援に向かった多くの市民・学生ボランティアや、東北から遠く離れた場所で心を痛めた人々にとって「忘れることのできない時間」として刻印されました。
東北芸術工科大学は、この厳粛な日に、学長・根岸吉太郎の呼びかけにより、本学の若者たちと、ささやかな〈追悼の会〉をひらきます。『3.11追悼の輪』では、震災で亡くなられた約2万人の同胞を哀悼するとともに、参加者それぞれが「この1年で感じたこと/考えたこと」を語り合い、東北復興への決意を新たにする場とします。
本学学生・教職員だけでなく、どなたでも参加いただける会です。皆さまの来場を心よりお待ちしています。
日時:2012年3月11日[日]13:00→16:00(一般参加可/無料)
前半【私にとっての3.11】13:00→14:50(110分)
後半【東北の未来を語ろう】15:00→16:00(60分)
会場:やまがた藝術学舎 東北復興支援機構(TRSO)
〒990-2431 山形市松見町17-1 TEL; 023-674-8640
主催:東北芸術工科大学
企画・運営:東北復興支援機構(TRSO)、福興会議
座長:根岸吉太郎(本学学長)
司会:宮本武典(TRSOプログラムディレクター)
東日本大震災から1年。
『3.11追悼の輪』を開催します。
参加者が輪を作り震災の体験を語り、亡くなられた方の追悼をする場です。
震災が起こり、街は停電によって暗闇となり、情報は遮断され、
余震が続く不安のなかで大学に学生、卒業生、教職員が集まりました。
心細く、寒く、どう対処するべきか手がかりもつかめずにいました。
しかし集ったことによるエネルギーと知恵が少しずつ機能して、
大震災から立ち直るための核が出来上がりました。
学長奨励賞を授与した福興会議のスタートでした。
そして、それから約一年の月日が流れました。
誰しも以前と同じようには生きられなくなりました。
生命とは、家族とは、人の絆とは、原子力とは、放射能とは、自然とは、
それまで気にもとめなかった人生の命題や
見過ごしてきた社会的な事柄が私たちに突きつけられ、
年齢や社会的役割を問わずすべての人々が
3.11以降、これらに向きあうことになりました。
一年後の3.11を迎えるにあたってこの震災をどう体験し受け止め、
被災のあるなしに関わらず人生の次の一歩を
どう歩み出したのか語り合うことをしようと思います。
学生、卒業生、教職員、市民、県民、もっと広く東北を想う人々は、
やまがた藝術学舎にお集まり下さい。
蜜蝋キャンドルの光を捧げ失った数多くの命を追悼し、
語られた体験から得たものを次の一年に、
そして未来につなげる集いにしたいと願っています。
東北芸術工科大学学長
根岸吉太郎
◎内容について
前半〈私にとっての3.11〉……参加者全員で大きな輪をつくって座り、東日本大震災の発生時刻14:46分を迎えるまで、一人ずつ「この1年」で記憶に刻まれた、震災にまつわる体験を、順番に語りついでいきます。会場には直線上に並べられた蝋燭キャンドル(20〜30本)があり、13:00から一定間隔で灯していきます。14:46分までに、すべてのキャンドルが灯され、室内が明るくなった段階で終了とします。
後半〈東北の未来を語ろう〉……根岸吉太郎学長が座長になり「3.11から何を学ぶのか?いま、何のために東北で学ぶのか?」などのテーマについて、全員で語り合います。
座長:根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう)……1950年8月24日生まれ、60歳。東京出身。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、74年日活に入社。78年『オリオンの殺意より、情事の方程式』で監督デビュー。その後『遠雷』でブルーリボン賞監督賞、芸術祭選奨新人賞を受賞する。さらに『雪に願うこと』で、東京国際映画祭のグランプリ、監督賞をはじめとする史上初の四冠を獲得(2006)。2007年の『サイドカーに犬』も好評を博した。『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』で2009年モントリオール世界映画祭の最優秀監督賞を受賞。2010年に紫綬褒章を受賞。2009年4月より東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科教授、学科長。2011年4月1日より東北芸術工科大学学長。
司会:宮本武典(みやもと・たけのり)……1974年11月19日生まれ。37歳。奈良県出身。キュレーター。東北芸術工科大学講師・主任学芸員。 1999年に武蔵野美術大学大学院修了後、海外子女教育振興財団(バンコク)、パリ国際芸術都市(フランス)、原美術館アシスタントを経て、東北芸術工科大学に着任。山形で数々のアートプロジェクトを手がける。東日本大震災の発生後は、学生たちと『福興会議』を組織し、さまざまな被災地支援アクションを展開。山形大学と山形⇔石巻の日帰りボランティアバス『スマイルエンジン山形』を運行。福島の子どもたちの疎開プログラム『南相馬こどものつばさ』を創設。5月には旧山形県知事公舎にオープンした『東北復興支援機構TRSO』のディレクターに就任した。