黒沢健一が亡くなった。中学生のころから聞いている人の声が、新曲が聴けなくなるという喪失感は思った以上にダメージが大きくて自分でも驚いている。当たり前のようにまだまだこれからも新曲が発表されて、私はそれを楽しんで生きていけると信じ切っていた。脳腫瘍のニュースを目にしていたというのに、治って元気にステージに立つものだと思っていた。それどころかL⇔Rが再始動するのではないかぐらいのことを考えていたのだ。愛媛県という片田舎で育った私にとってはL⇔Rが作り出すポップでアメリカンなメロディラインは遠い異国への憧憬のような感情を掻き立ててくれる素晴らしい作品群で、「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」でミリオンセラーをたたき出したときには拍手を送ったぐらいである。高校1年生のときかな。その後も立て続けにリリースされる新曲の完成度も高く、ヒットチャートにランクインしていく状況は単なるファンなのに鼻高い気分になっていた。まさしく高二病である。
しかしアルバム『Doubt』でリリースがぴたっと止まってしまい、アホなファンである私はラストシングルとなってしまった「STAND」の歌詞にある「いつも通りにここで待ってみよう」を信じ、普通に待っていたのである。後から考えると「大金を稼ぐ。体重は増える。そしていつもいつも何か失う」の重要性を考えるべきであった。後年、インタビューを読むと当時の制作に対する悩みを述べるとともに、活動停止後は何をしているのかという質問に対し笑いながら「公園のベンチで酒を飲んでます」と言っていた。その時も苦しみの一端を垣間見ていたはずなのに大学生になった私はソロライブを見に行きながら、いつか活動再開するだろうと楽観視していたのである。何せソロライブなのにバックバンドにL⇔Rのベースである木下裕晴が参加していたから。
12月に入り、これから就活を始める学生と面談をするようになると高確率で言われるのが「どこでもいいです」、「なんでもいいです」、「生きることさえできれば、こだわりはないです」ということだ。私だっていつしか仕事をするようになり、忙しさに楽曲を聞く時間が奪われていくようになっている。いや奪われているのは時間ではなく、心の余裕かもしれない。限られた時間の中で何ができるのかという効率化のなかで体力的な衰えをどうカヴァーしていけばいいだろうとオッサンのようなことを考えるようになってしまった。中学生のときは中西圭三と久保田利伸の声の区別はすぐについたのに、今はRADWIMPSとBUMP OF CHICKENの区別がつかなくなってしまった。あれだぜ、大学生のときにバンプのCDを普通に買ってるぐらいだったのにだ。人間、流されて生きていくのは楽かもしれないが、そんなに放棄することもないだろう。そんなことしているとラッドとバンプの区別もつかなくなってしまうぞ。たまには立ち止まって考え、情報収集し、また考え、戦略を練るのも悪くない。学生のみんなも冬休みに入るが、ゆっくりするとともに数年後に何をしていたいか、どうしたいかをたまには考えるのも悪くないんじゃないか。あの時、もっと考えていればよかったという後悔は陳腐なんだ。いつかL⇔Rへのインタビューをしようと思っていた私が言うのだから間違いない。
BGM:L⇔R「HELLO, IT’S ME」