個人的な体感速度では、ようやく12月に入ったぐらいなのだが、もう年末である。先ほどまでTBSラジオでやっている「爆笑問題の日曜サンデー」で年末恒例の好プレー・珍プレー大賞が開催されており、それを聞きながら「もうそのような時期か」とハッとしてしまった。内的時間と外的時間のズレを少しずつ修正していかなければならない。文芸学科の行事としても、9月のAO入試、10月のスクーリング、そして数多くのゲスト講師(5名? 6名?)、11月の入試、12月の入試と卒業制作提出、2回目のスクーリングと思いつくものだけでも多いのに、見えない部分での作業量が膨大化している。と愚痴を書いても仕方ない。
以前ここにあげたブログ記事はオープンキャンパス終了後、そして入試前という時期に、文芸学科を受験する心構えのようなつもりで書いたのだが、気づいたら時間がかなり経過してしまった。そのためスクーリングを経験した皆さんに何か書こうと思い、久しぶりにブログの管理画面を開いている(ちなみに年明けの一般入試を考えている人は、その以前書いた記事を読んで欲しい)。なぜなら昨年まで私は10月のスクーリングを担当していたのだが、今年からすべて長岡先生に統一されることになったので、どのような状況にあるのかを詳細には把握していない。とはいえ長岡先生の非常に精緻で厳しい授業内容は、私にはできないので、それはそれでよかったと思っている。
スクーリングに参加した皆さんは、これからの新生活に期待と不安を抱いているであろう。それは誰だって当然のことであり、私だって上京し、大学に入学する際には緊張しかなかったものである。もう20年前の話だ。入学するといろいろなことを経験しなければならないし、そのすべてが楽しいことではない。様々な人が話しかけてくるし、同級生だけではなく先輩や他学科・他学部の人との交流も増えてくる。嫌な人だって、受け入れられないことだってあるだろう。ちなみに学生時代の私は「ラジオを聴くので今日は帰ります」と先輩の誘いを断ったりしていた。そのころからラジオ三昧だったのである。
先輩の中には「大学の課題をやらなくたって大丈夫」とか「授業なんかサボっていいよ」とか言う人もいるだろう。その無頼っぽい雰囲気に惹かれてしまうときもあるかもしれない。『NARUTO』で言うとシカマルが好きだったり、『銀魂』の銀さんが好きだったりする、あれである。シカマルに惹かれるのは構わないが、現実世界でシカマルに会うのはなかなか難しい。多くの場合、そのようなことを言ってくる先輩(もしかしたら同級生かもしれないが)は、「課題が簡単すぎて、すぐにできるからサボっている」のではなく「課題がこなせないからサボっている」のである。よくよく考えてみよう。シカマルも銀さんも幼いころから鍛えてきたではないか。
夏の集中講義は毎年、作家の森田季節さんと一緒に行っているのだが、そこで必ず伝えているのは、大学の授業で身につく能力は必要最低限でしかない、ということである。それは社会人として世に出ていく上で汎用的に活用できる力である。それが良い悪いという問題ではなく、教育機関である以上は必要なものだ。で作家になるには(というより何かを主体的にアウトプットしていくには)、その何十倍もの力が必要になっていく。そのことに多くの人は在学中に気づくことが少なく、卒業後に社会で求められるようになってきた段階で認識するのだと思う(なので多くの人が「学生時代にもっと学んでおけばよかった」と言い出す)。その力を身につけるには、大学の授業だけでは到底足りない。
足りないのだが、その入り口は授業で用意している。大学の授業は週に1回しかないということは、逆に言えばそれ以外の時間は皆さんの自由である。なので、何もしなくてもいいし、寝ているだけでもいい。それでも何かをアウトプットしていきたいのであれば、大学の授業で学んだことをヒントにして常に読み、書き続けるしかない。それができない人間が、「大学の授業はくだらないからサボっていい」とか「課題はやらなくたっていい」とか言い出し、さらには自らのプライドと自意識の保持のために他者を攻撃し始めたりする。
まあ、皆さんの人生なので、何を選択しようともその結果と責任は自分自身に帰結していく。しかし、どのような人であっても最初は下手くそだし、上手くいかないものである。毎日の繰り返しのなかで、そのようなことを気にせずに取り組んで欲しい。
BGM:『西郷どん』の最終回を見ながら書いたので、今回はナシ。