オープンキャンパスを終えると、一気に夏の気分になる。実際にはまだ集中講義が残っているし、そもそも採点をし、評価する作業がある。体が楽になったわけではないが、それでもほっと一息つくことができるのは、大きな一歩だ。なんでもできる気になる。夏の山形は昼の一瞬だけが暑くて、夕方からは一気に気温が下がっていく。まさしく天然のクーラーだと毎年感激してしまうのだが、冬になると今度は冷気が私の体をいじめてくるので足して二で割ればトントンである。トントン。そう思いながら、夜に帰宅する足取りも軽くなる。そういう8月である。
オープンキャンパスでは、毎年意欲的な高校生の皆さんに会うことができる。こちらとしてはもちろん私が所属する東北芸術工科大学芸術学部文芸学科(長いですね……)を受験して欲しいが、皆さんそれぞれのやりたいことを考えるのが一番大事だと思っている。特に芸大に所属する文芸学科である以上、文章を書くこと、編集物を制作することは必然的に求められる。つまり主体的にアウトプットを行っていくことが、当たり前の世界なのだ。ところがそうではない人が入学してしまうと大変である。
常に受動的であり続けるのが当然で、教員がすべて手取り足取り教えてくれると思っているのではないだろうか。座学で右から左に聞いていれば、それなりに知識が増えていく……ことは確かなのだが、それを求めるのであれば、芸術学部文芸学科ではなく、文学部に進学したほうがいいかもしれない。もちろん文学部出身の私としては(より正確には今はなき第一文学部出身)、そんな姿勢では文学部でも通用しないことも知っている。しかし、そのようなメンタルで入学すると「あー、文学部に入って、古典とか勉強していればよかった」とか言い出す。そして年月を経ていくと主体的にアウトプットはしないのに、自己評価だけが高くなっていくことになる。もちろんアウトプットは日々の筋トレのようなものなので、行っていない場合は、成長はゼロである。そして肥大した自己評価との連動が取れなくなってしまう。ゼミでも何でも「書いたもの持ってきてよ」と私が言うのは、それが出発点だからである。つまり逆に言うとアウトプットをしない人にとっては、何も起こらないし、教員は特に助言をすることもない。ただつまらない日々が続くだけである。ゼミや授業で出される課題は、必要最低限である。何のための「必要最低限」かというと単位のためであり、ひいては大学生としてでしかない。しかし目指しているものがある場合は、そこからどれだけ日々、取り組めるかが問われている。
このようなことを書くと「ブログのあれは私のことですか」という質問がきたりするが、決してそのようなことはない。前の大学を含めるともう10年弱の期間、大学で教えてきた身としての経験値から語っているだけである。しかし、これが自分自身に当てはまると思うのであれば、ステレオタイプな人間になってしまっているので、何とかしたほうがいいかもしれない。
うだうだと書いてきたが、自らの資質とか難しいことを考えずに、自分で取り組みたいことがあれば、そこにまっしぐらに突き進もう。もちろん世の中、やりたいことを行うためには、他者から見れば苦労とも努力とも思えることが立ちはだかってくるが、気にしなくていい。だって、文学をやりたいんだろう? その物語が好きという気持ちが続くのであれば、十分だ。
BGM:チト、ユーリ「動く、動く」