本屋で三沢陽一の『不機嫌なスピッツの公式』(富士見L文庫)が平台で並んでいるのを見たとき、スピッツは犬だろうか、バンドだろうか、と立ち止まって考えてしまった。本屋の平台で立ち止まるのは、いつものことなので、別に「ラブソング嫌い」とか「音楽マニア」などの帯の文言で立ち止まったわけではない。草野マサムネが出てきて「そんなことよりバンドやろうぜ」と言って名探偵の邪魔をし続ける作品であったり、登場人物が「ロビンソン」、「チェリー」、「若葉」、「つぐみ」の4人組がメインで活躍する作品であったりするだろうか、いや、さすがにそれはないだろう、と帯を見ているにも関わらず作中で描かれているのは犬なのだろう、と思いながら、買ったのである。
犬はどこだ。犬の力! とかそういうわけではなく、バンドのスピッツを愛するがゆえにスピッツがあだ名となってしまった登場人物の話であった。しかし内容以上に衝撃的であったのは、もうスピッツですら、語られる対象としての歴史性を帯びてしまったということである。デビューが1991年のバンドに対して何を当然のことを書いているのだ、と思うが、うすうす気づいていたことを明示されることの怖さは確実に存在する。ちなみに作中ではその他、90年代に大活躍したバンドが引用されており、作者と同世代の私は頭を抱えているのだが(特段、悪い意味ではない)、これは若い世代に届くのであろうかと少し心配してしまった。学生からスピッツの話が出てきたことはないが、我々の世代が20歳前後のころにチューニングして考えるとTHE ALFEEぐらいだろうか。わかったようなわからないような釈然としない気分ではある。
昨日は保護者会が開催された。私が学生のころを考えると大学で保護者会が行われるということ自体に驚いている。そして、熱心に質問をし、話をしてくれる親御さんを前にすると、学生のみんなはいい加減な気分で授業に出て、適当なレポートや課題を書いたりしてはいけないぞ、と思うわけである。もちろん自分自身が学生のときに、どうしていたのかは脇に置いている。大体が毎日のように読書をして、ゲームをして、ラジオを聞いて、と過ごしていたので、褒めるべきことはないように思うが、それでも全てがネタの宝庫である。どう昇華して、血肉とするかは自分自身の問題であり、難しいかもしれないが短期的・中期的・長期的な計画を脳内で随時補正しながら歩み続け、今ここで本を読んでいるわけだ。とカッコつけているが、親御さんとしゃべりながら、自分自身の学生時代を反芻し、頭を抱えていたのである(もちろん、これはダメな意味である)。
その保護者会でも好評であった『文芸ラジオ』2号のamazon在庫がようやく復活したので、ぜひご購入願いたい。最後は宣伝で終わるのである。
BGM:スピッツ「夢追い虫」