「実はまだ始まったとこだった」

 もう5月になろうとしている。4月の山形の気温は、私が育った西日本での基準だとまだ2月前後のもので「ああ、寒いなあ。冬だなあ」と思う日々が続いていた。もちろん、それなりに暖かくなっているのだが、東京と比較しても3月の気温と変わらず、驚いたことに4月なのに桜が咲いている。気温の数値としては間違っていないのだが、もはや春とは何なのだろうか。そうこうしているうちに前回のブログ更新から高校生向けのスプリングセミナー、入学式、ガイダンス、新入生との研修旅行と様々なイベントが過ぎ去っていた。そして何より学科としては文芸棟ができたことが大きい。このように様々なものがぎゅっと圧縮されたので、内的時間は2週間ぐらいの経過なのだが、外的には1か月以上の時間が経過している。おかしい。もう連休だ。

 今年の研修旅行は松島、石ノ森章太郎ふるさと記念館をめぐり、二日目に仙台にて授業課題である取材を行うというコースであった。思うことは様々あるが、一番残念であったのは記念館で復刊されていた『墨汁一滴』が売り切れていたことである。以前、販売されているという情報を手に入れたので、いつか行く機会ができたら買おうと脳内データに刻んでいた。それから数年後、ついに行くことになり、ようやく脳内データを消去できることになると意気込んでいたら、ただ意気込んだだけで終わってしまった。残念。本当に残念。やはり景色を眺めることや行ったことのない空間に足を運ぶことに新規性と強い動機を見出せないので、このような直接的かつ即物的な目標がないと個人としては意味がない。付け加えておくと教員としての意義づけは別の話である。

 新入生が研修旅行に行くように、在学生も進級し(てない人もいるが)、ゼミ活動も刷新していく。毎年勘違いしている人がおり、そしてやんわりと伝えるようにしているが、基本的に私が喋ることは別段、何かの回答やゴールを示すものではなく、スタート地点を呈しているだけである。つまり、まずはここまで這い上がってこい、本論はそこからだ、ということなのだが、おおむねそのように受け取られることは少ない。まあ、とりあえずそれが「正解」だと思った人は、自らの肥大した何か(もしくは足りない何か)を反省したほうがよいかもしれない。もちろん別に反省をしなくても私自身には何ら問題はないし、恐らく日々は変わることなく進んでいく。この連休は暖かくなった東京の自宅で過ごしている。暖かければ、だいたいのことは許せる。

 

BGM:藤原さくら「春の歌」