日本は南北に長い。
みたいな話はよく聞くのだが、愛媛から東京へ、東京から山形へと移動してきた身としては、それを体感しながら最近は生きている。別に南北である必要はなく、東西でも、県によってでも、山沿いか海側か、川の近くで生活しているか、平屋かマンションかでも基準は何でも良い。
3月30日に開催された「春のストーリー創作講座」は文芸学科主催で行われ、冬に引き続き、石川先生と玉井が担当している。2月の「冬のストーリー創作講座」では玉井が主に喋ったのに対し、今回は石川先生が話をする回であった。ここ数年は2月3月と連続で、このストーリー創作講座を行っており、恐らく来年も同様に行うのだとは思う。高校生の皆さん、お待ちしております(ちなみに次は5月のオープンキャンパス!)。さて、その「ストーリー創作講座」の頭に「冬」と「春」が付くのだが、どっちも寒い時期だから「冬」一択じゃないかと毎回思っている(とはいえ何が良いのかと言われると、特に代案もないのだが)。
これは私の「冬」の基準が、愛媛県あたりの経験値ではかられてしまっているせいだとは思うが、当然ながら場所により、土地により、風土により、様々なものは変化していく。そのことは大学生の時に読んだ網野善彦の『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫、1998年)を読んで、「なるほどー」とカッコつけて頷きながら理解していたつもりなのだが、やっぱりつもりでしかなく冬の寒さは体感できていなかったといえる。
そのことは小説を読んでいるときも感じられて、先日、手に取った川澄浩平さんの『探偵は教室にいない』(東京創元社、2018年)では作品内容もさることながら、そこで描かれる風土的な描写で「え、10月なのにもうストーブ?」と思ったり、「あー、もうこの時期ということは、寒いわー、よく歩きながら会話できるな」とか考えたりする。さすが北海道。試されている。作者としては当たり前のことを書いているのかもしれないが、一度、寒いことを経験した身からすると気になって仕方ないのである。数年前までなら読んでいても特に気になることもなくスルーしていただろうから、世の中経験してみるものだ。
さて、このように色々考えることができたのも、今現在所属している東北芸術工科大学芸術学部文芸学科に来たからである。そうでなければ寒い土地に来ることはないであろう。今でもある程度当てはまるかもしれないが、地理関係が全然把握できておらず、来る前までは秋田県と山形県の位置関係はぼんやりとしか把握できていなかった。そのぐらい遠い土地であり、漠然とした寒さに包まれているイメージであった。その文芸学科に、私が来るより前から所属していた山川健一先生、川西蘭先生、そして副手の飛塚さんが前年度をもって退任された(私が来たとき、飛塚さんは学生として所属していた)。お三方には大変お世話になり、感謝は尽きないのだが、ここでブログとしても残しておこうと思う。
よく「喧嘩別れですか?」とか「辞めさせたんですか?」とかいろいろなことを聞かれるのだが、なぜみんなマイナスなことしか言わないんだ。そんなわけないだろう。定年やら任期満了やらでの退任である。
それはさておき現在の大学に来るまで複数の大学で仕事してきたので、人が去るのが当たり前の世界だとは思っていたが、やはりお世話になった人が離職していくのは、どこか感傷的になってしまう。3月31日はお世話になっていた吉田正高さんの命日であり、4月1日から新年度がはじまる。思っていたより寒い年度末(雪も少し降っていた!)を経験すると、この感傷は否めないのかもしれない。
BGM:あいみょん「君はロックを聴かない」