【「戦略」公開講座報告】「明治時代の感染症パニック―見えない敵とどう闘ってきたのか?―」(1月14日)
2015年1月14日、「シリーズ:日本史最前線―教科書の一歩先―」の第2回目となる講座を開催しました。
今回は感染症をテーマとした講座で、本研究センター研究員の竹原万雄が講師を務めました。以下が、その概略です。
明治時代の日本においてコレラの大流行が起こりました。当時の日本人にとってコレラは新たな感染症であり、多くの犠牲者が出ました。コレラ騒動と呼ばれる騒ぎが生じるほど、社会的に大きな影響を及ぼした病気でした。
その少し以前、幕末に日本で初となる流行があった際には、対処法として飲食物の注意などの養生や、神仏への祈祷・呪いといった手段がとられていたところ、明治期になると隔離や消毒といった新たな予防法が実施されました。当初は、旧来の生活習慣への依拠や、知識不足からくる新たな予防法への誤解・反発といったことが騒動の原因となっていました。
それが、知識の普及にともなって変化していきます。避病院(隔離病棟)への放火、病死人搬送時の自地域通行の遮断などの騒動が起こったのです。それらの行動は、コレラという感染症への無理解によるものではなく、一定程度の理解を前提にし、自らの地域・集落を感染から守るためにとられたものでした。
集落や個人・家族にとっては、自らの集落(生命)を守るのか、自らを犠牲にして「他」を守るのかといった問題があり、行政にとっては管轄地域全体を守るために一定の地域を犠牲にするのか否かといった問題がある。過去にとどまる話ではなく、これから起きるかもしれない感染症の流行や、放射性物質処理の問題などとも関わってくる話である。明治時代のコレラ騒動の分析をふまえたうえで、竹原は、そのように指摘しました。
現に、新型インフルエンザやエボラ出血熱など、人類と感染症との闘いは、相手を変えながら今もなお続いています。本講座で紹介されたような歴史をふまえておくことは、今後のために重要なのではないでしょうか。
(中村只吾)