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内藤正敏写真展 神々の異界―修験道・マンダラ宇宙・生命の思想―

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内藤正敏写真展 神々の異界―修験道・マンダラ宇宙・生命の思想―

日時 平成25年1月15日(火)~2月2日(土) 
場所 東北芸術工科大学本館7階ギャラリー
9:00-17:00(土曜日16時閉館、日曜休館)
入場料 無料
*ギャラリートーク1月16日(水)18:00-19:00
主催:東北芸術工科大学東北文化研究センター

【開催にあたり】
 修験道は自然を神として拝む。しかし修験道で拝むのは、単純な自然ではない。修験道の教義や縁起で意味づけられ思想家された自然をも拝む。修験道の霊山には、“視える自然”の背後に“視えない自然”が隠されている。
 七面山(山梨県)では、春分と秋分の日、標高1983メートルの山頂付近にある本社随身門の前に立つと、富士山の山頂の中央から太陽が昇るのが見える。そして富士山の中心から昇った太陽光線は、随身門を通って、七面大明神を祀る本社に一直線に射しこむ。本社内陣に本尊として祀られる七面大明神は、本社裏にある一ノ池に棲むという水神である。本来は、富士山山頂の中心から昇った太陽は、一ノ池に射しこんだのである。富士山と七面山は約40キロも離れている。富士山と七面山、太陽と水……。まさに春分・秋分の日だけ起きる神々の聖婚であり、神秘的な宇宙のドラマだ。
 春分と秋分の日、太陽は真東から昇り、真西に沈む。七面山と同じ太陽信仰は出羽三山にもみられる。月山山頂の真東に葉山の奥ノ院・烏帽子岩がある。春分・秋分の日、月山山頂から真東を見れば、葉山の烏帽子岩から朝日が昇り、反対に烏帽子岩から真西を見れば月山山頂に夕日が沈む。羽黒修験では、葉山の本地仏は東方瑠璃光浄土の薬師如来で朝日、月山は西方極楽浄土の阿弥陀如来で夕陽とする。葉山は出羽三山と深い関係にあり、烏帽子岩が葉山の奥ノ院とされたのは、月山との位置関係からと考えられる。太陽の東西軸ばかりでなく、北極星に向かった南北軸、鬼門(北東)、戌亥(西北)などの方位に仏教、道教、神道、民俗宗教などで意味づけして聖地を配し、山岳空間を思想家してマンダラ宇宙になっている。山伏の修行は、山岳空間のマンダラ宇宙と自身が一体化することである。
 荒行で知られる羽黒修験の「秋の峰」の修行は「擬死再生」といって、山伏が一度死んで新しい生命を得て、山中の母胎内で徐々に胎児が成長する期間と意味づけられている。山はあらゆる生命を産みだす母胎であり、山も人間も同じ生き物であるという生命観。これは出羽三山ばかりでなく、他の修験道にも広くみられる思想である。
 人間が地球の引力圏を脱出して、宇宙から地球を見るという視覚を獲得した頃から地球規模の環境問題がクローズアップされるようになった。科学者から新しい「生命の思想」が生まれるのもその頃からである。NASA(アメリカ航空宇宙局)の火星生命探査計画の研究員だったジェームズ・ラブロックは、膨大な科学データによって、地球は単なる無機物ではなく、大気や海流や土壌、そして地球のあらゆる生命体の総合的な複合体であり、地球自体が自己調節機能をもつ巨大な生命体であると説き、ギリシャ神話の地母神の名からガイアと名づけた。人間もウィルスも動物も植物も地球自体も、みんなガイアの生命体なのだ。ガイアの生命観は、新しい思想として、哲学や芸術や科学など広い分野に大きな影響をあたえている。出羽三山などの修験道が本来的に持っているのは、ガイアに近い「生命の思想」である。
 現在、科学技術の高度な発達によって現代文明は危機的状況にある修験道の根底にある自然観や生命観を人類未来の思想として再考すべきではなかろうか。

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