2011.12.22
2011年の活動をふりかえる。
現在、TRSOでは2011年におこなった復興支援に関するプロジェクトの記録展示をおこなっています。〈アートと地域をつなぐ拠点〉として、旧山形県知事公舎を改修して誕生したこのギャラリーは、2011年春の開館と同時に発生した大震災によって、その「つなぐ」スタンスを大きく転換しました。
予定を変更して、急遽設立された『東北復興支援機構/Tohoku Revival Services Organization(TRSO)』は、山形という限定された地域に貢献するのではなく、2011年3月11日に痛みをうけた東北の全ての地域・人々と連動しながら、生活や日常の『復興』を目指す創造のうねりに参画していくことをコンセプトに動き出しました。震災は、9ヶ月たっても姿を変えながら続いており、そのためプロジェクトのほとんどが継続中です。
山形では1万4千人の、福島から自主避難されたご家族が生活されています。衣・食・住、私たちが「あたり前のもの」として享受してきた市民生活は、原発事故によって大きく揺らぎました。津波被災地では瓦礫の撤去が進み、仮設住宅での生活がはじまっていますが、更地となった「かつての街」の経済再建をめぐる諸問題、地域コミュニティー解体による精神的な喪失感、お年寄りの孤立化など、注視/傾聴すべき状態が続いています。
TRSOのプロジェクトは、必ずしもこのギャラリーを「現場」とするのではなく、石巻市、塩竈市、多賀城市、七ヶ浜町、仙台若林区、南相馬市、女川町などの被災地域や、県内外の施設と連携して進められてきました。(施設としての)TRSOを活かすための「展示」や「セミナー」ではなく、まさに復興が求められる「現場」で、フィジカルな人と人との協働をコーディネートしてきました。
そのため、元山形県知事の公館という特殊な成り立ちを活かした、「地域にひらかれた施設」としての活動は低調であり、入場者数や利用稼動率をあげていく取り組みはまだなされていません。しかし、毎週末の土曜日の早朝には、ここTRSOを起点に『スマイルエンジン山形』のバスに乗車し、津波被災地へボランティアに向かったたくさんの山形市民がいました。山形⇔石巻の運行回数は29回、のべ1200人が山形から被災地へ入っています。 『スマイルエンジン山形』=http://gs.tuad.ac.jp/fukukoustudytour/
宮城/福島に接する山形県。東北以外にもひろがった3.11の甚大な被害のなかで、山形はほとんど無傷といってよい状況であり、そのために「私たちに何か、できることはないのか?」との想いを抱く学生や市民、企業は多いのです。2時間もあれば被災地へ駆けつけることのできる山形の距離的な「近さ」は、継続的な支援を易しくしています。
お隣だから、美術系の大学だからできること―『福興会議』『キッズアートキャンプ山形』『荒井良二とふらっぐしっぷ』『スマイルエンジン山形』『福しまピクニック&図案室』などのプロジェクトは、「私たちだから、できこと」のリソースを最大限、活かすことのできる支援活動だったといえます。
私たちはこの震災体験によって科学技術偏重の危うさ、大自然の猛威、絆の重要性、都市と地方の格差構造など、たくさんの重要な気付き得て、黙するのではなく行動をおこしました。21世紀を生き抜いていくための、あたらしい学びをはじめています。
ここでの「学び」とは、メディアから流れてくる情報を判別することではなく、自らの目と耳と足で体得していくものです。TRSOのプログラムは、日々変化していく被災地のニーズに向き合い、創造的かつ労働的な復興支援活動を継続させながら、新しい東北をつくっていく上で「大切なことを学ぶ機会」を提供していきます。
「学び」は、年齢/性別/社会的地位は関係なく、2011年3月11日を境に、皆がゼロからはじめました。私たちの誰も、この巨大震災の起因や未来への影響を、総括したり予見するするだけの「ものさし」をまだ持ち得ていない。市民と学生、そして被災された地域や人々とともに、一緒になって未来のために行動し、学び、語らい、自ら判断できる知層を形づくること。TRSOでは、それこそが、山形という地域への最大限の貢献(=人財づくり)だと考えています。それはまた、大学の本分でもあります。
復興はまだはじまったばかり。
2012年もTRSOの活動をどうぞよろしくお願いします。
TRSOプログラムディレクター
宮本武典(美術館大学センター主任学芸員)
※TRSOギャラリーは12月26日まで休まず開館(9時〜17時)しています。年明けは5日(木)からの開館となります。