文芸戦争と青色ラジオ その5 ―文芸ラジオ3号紹介―

 雑誌が発売になっても、他人ごとのように宣伝もせずに書店の皆さんにがんばっていただくわけにはいかない。そう考えてこのようにブログをつらつらと書き綴っているが、今回で終わりの予定である。とはいえ深夜に半分寝ながら書いていると、当然、次の日は眠くて仕方がない。日中に仕事をしているとき、眠気は存在しているが眠くなることはないという状況になるのが常なので、脳みその回転が遅くなっているだけになる。CPUの低下に対して違和感と焦燥感を覚えているのだが、学生の皆さんが華麗に授業中に寝ているのを見ると、それは技術としては見事だなとは思う。私は学生のとき、授業中に寝ることはほとんどなかったので、周囲に人がいる状況で気を抜いて寝ることができるのは一つの幸せかもしれない。もちろん私の授業内容の問題かもしれない。ちなみに今日は引用の話をした。ただいまネットで大炎上中の引用……の話を直接的にしなかったが、アカデミックライティングとしての引用に関する授業である。

 さて文芸ラジオは特集だけではなく、そこには収まらない作品もある。今回は光原百合さんにお願いし、小説を書いていただいた。よく言われる「昔の自分に言ってやりたい」とはまさしくこのことで光原さんの作品を読んでいた大学生の自分に言ってやりたい! 仕事で光原さんの作品を受け取ることになるぞ! と深夜にテンションを上げても仕方ないのだが、今回の作品は昔話を書き換える連作短編となっており、非常に面白い。誰もが知っている作品をプロが書き換えるとこうなるのかと感心した。なお文芸ラジオでは毎回、トリはプロに飾っていただく方針で進めている。これは学生の原稿で「うーん」と思いながら読み終わるのではなく、安定感ある作品を読んで余韻にひたって欲しいという考えによるもので、今回は光原百合さんにトリを飾っていただいた。ぜひお楽しみいただきたい。

 本学の夏と冬の集中講義に来ていただき、児童文学を教えていただいている楠章子さんにも作品をご寄稿いただいた。授業では非常に熱心に学生を指導していただいている、と聞いている。毎回、楠さんの集中講義の時間は裏で私自身も授業を行っているので、顔を出すことはできないことから伝聞状態になってしまうのだ。楠さんが昨年末に出された『ばあばは、だいじょうぶ』でも描かれた認知症の母親と主人公、父親、そしてよくわからない生き物……の物語である。絵本のほうも大いに話題になり、メディアで取り上げられたが、こちらの小説も洒脱な雰囲気でありながらも考えさせられる内容になっている。

 編集作業は教員だけで進めているわけではなく、学生主体となって依頼が行われるケースも多い。今回、エッセイを寄稿していただいた深町秋生さんと乗代雄介さんは学生側から書いて欲しい作家としてあがってきた。深町さんはご自身の経験談を踏まえながら、生きていく上での心構えが書かれている。タイトルに書かれている「そんぴん」が読む前はよくわからなかったのだが、そこは皆さんも一読して欲しい。この世にはいろいろなものが存在する。そして期せずして乗代さんのエッセイもまた音楽との関係性のなかで自らが語られていく。

 さて昨年9月に三宅陽一郎さん、高島雄哉さんと行ったイベント「創作・人工知能・SF―なぜ「書けないのではない、書かないだけだ」になるのか―」も今回収録した。既にこちらに関してはブログ記事を書いたので、そちらをご覧いただきたいが、SFを書き、『ゼーガペインADP』のSF考証をされている高島さんの創作理論が語られており、本誌に同じく収録している小説と一緒に読むと二度おいしい感じである。そしてAIと物語の関係は今や様々なメディアで引っ張りだこの三宅さんにも前号に続いてのご登場である。また前回一部で大好評だった黒木あるじさんと学生たちとの座談会も第二弾として収録した。今回も反響が大きければ第三弾がある……かも。

 雑誌は一人では作ることはできないというのは当たり前のことであるが、実際に制作してみると、その感慨は大きくなる。手を動かすこと、というのは、編集でも創作でも日々の生活の中でも一番重要なことである。脳内で考えるだけならだれでもできるし、細部に至るまで高い完成度を脳内で保つことのできる人は、ほとんどいない。この世には稀にそのように脳内で完全に作り上げて、さらには手も動かす人がいるので怖いものだが、凡人にはただただスクラップ&ビルドを繰り返すしかない。そろそろ、TBSラジオの『FINE!』が「おはようございます」と言い始めたので終わりにするが、3号は2号よりも完成度を高めていくことを目標にした。4号はまた別の目標を設定し、すでに始動しているので、お楽しみにしていただきたい。