全くもって難しいと思いながら、『ポッピンQ』を見ていた。ゼミでは定期的に映像資料を見て、物語を考える機会を作っているが、今週は発売されたばかりの『ポッピンQ』を視聴したのである。この作品は東映アニメーション60周年記念プロジェクトとして制作され、プリキュアシリーズを手掛ける宮原直樹さんが参加し、原作のクレジットネームはおジャ魔女どれみやプリキュア、そして明日のナージャと同じく東堂いづみ(さんを付けるべきなのか悩みどころである)、キャラクター原案は黒星紅白さんというラインナップである。何も言うことはない。そう思っていたが、適当にググってもらえばわかるように、ネット上では賛否両論どころか否が多すぎて、一体この作品のどこがそれほどまでに拒否反応を引き起こすのであろうかと逆に興味を持ってしまった。そこでブルーレイを購入し、20歳前後の皆さんと一緒に視聴したのである。
個人的に登場人物たちが躍ったり歌ったりすると、何ともいえない気分になり、笑ってしまいそうになるというのは、何度もマクロスで経験してきたし、実はアニメのOPやEDで本編と関係なく登場人物が躍るだけで釈然としない気分になっている。今回も見始めたときはこれまでと同様であったのだが、途中から変化していった。これに関しては一つには数多く作られているアイドルをモチーフにした作品に慣れている人にとって、それほど気にはならない点かもしれない。そしてもう一つには、物語上、このダンスは必要であった点である。というのも時の崩壊を防ぐためにダンスで鎮めなければならない、という理屈を見せられた際に「なぜ?」という気持ちになったのだが、冷静に「これは神楽ではないか」と気付いた時点で、様々な気持ちが収束していき、物語に没入することができるようになった。
しかし、ではどこまで楽しめたかというと非常に難しい。冷静に作品を検討している自分と受給者として口を開けてみている自分が有機的に結合しながら、感情をコントロールし物語に触れるのが常なのだが、その二面性が引き離されながら見ていた気がする。90分と限られた時間内で物語をいかに見せていくのかという意味において、この作品は極めて優れた完成度であることは確かだ。異世界へと飛ばされ、そして戻ってくるという古典的なファンタジーの構造を取りながらも、主人公の葛藤・転換・変化を見事に描き切っている点は高く評価すべきであろう。さらに言うと短い時間の中で5人の少女のキャラクターをかき分け、視聴している側がこの子(というよりこの色の子)はこうで、こちらはこうで、とストレスなく理解できているのである。5人もいて、ほとんど描かれていないにも関わらず理解できるというのは、なかなかできるものではない。
しかし、キャラクターが深く描かれていないというのに理解ができるということは、物足りなさを誘発する。5人分のエピソードを物語がすべて飲み込むことはできない。何せ、劇場映画で90分しかないのだ。土台、無理な話である。さらには物語構成としても、プロットポイントからの話の変化が予想可能なものになっているというのは、対象年齢層が私より下である(のだと思うが違ったら申し訳ない)以上は仕方ないものかもしれない。それでも伏線を張って、物語をスムーズに動かそうという意図が見え隠れするので、「では、どうしたら面白くなるんだ」と視聴しながら自問自答していたが、なかなか難しい問題であった。答えがない。難しい、ハード。
キャラクターの背景が描かれていないのに把握できていることの凄みに、それでもどこか違和感を覚えてしまうのは、逆にいうと少なくとも私自身がキャラクター偏重の物語に慣れ過ぎたせいではないかと終盤あたりを見ているときに考えていた。これは物事を多面的に見ていこうと心掛けている自分自身にとっては、それなりに衝撃的であり、それほどまでにキャラクター重視の物語に引き寄せられているのかと確認させられたのである。常日頃、ステーキしか食べていない人が白飯だけを口にしても違和感を覚えるようなものかもしれない。その意味において非常に勉強になった作品ではあるが、では学生の皆さんが、これを書いてきたら、やはりいろいろ述べてしまうだろう。それはやめなさい、と。
さて、ここまでキャラクターが描かれているようでいないけどいる、みたいなよくわからないことを書いてきたが、『ポッピンQ』を見てしまったことで、我々は5人の少女の物語を共有してしまったのだ。つまり、続編はすでにキャラクター造形が我々の脳内で構築されたうえで見ていくことになる。続編があれば。そう。最後に数分流れたあの続編が作られれば、最高の物語になるに違いない。
BGM:小清水亜美「けせら・せら」